歴史と素適なおつきあい

くさぶえのみちにネズミがいた

歴史と素適なおつきあい番外編    2017・7・12



b0228416_22120650.jpg
ネズミが水を飲んでいた

正面から撮れなかったがかなりかわいい顔をしていた

大きさ7センチくらい


# by gannyan1953 | 2017-07-18 22:13 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)

ヤマトタケル

歴史と素適なおつきあい 室内学習       2017・7・14
b0228416_12275180.jpg
三峯神社 ヤマトタケル像

b0228416_18374748.jpg
上村松園



ヤマトタケルは天皇だったのか


ヤマトタケルは第12代景行天皇の息子として生まれた。

時代は推定3世紀末から4世紀前半の話である。

古事記では「倭建命(ヤマトタケルノミコト)・

倭男具那命(ヤマトオグナノミコト)」、

日本書紀では「日本武尊」と表記される。

若くして勇敢だった皇子が、非業の死を遂げる伝承が英雄叙情詩として

語られ、人々に強い印象を与える。

だがヤマトタケルは天皇だったともいわれる。

それは古事記に幸(いでます)・崩(かむあがる)・

詔(みことのり)など天皇に対する敬語表現があることと、

常陸風土記や阿波国風土記に倭建天皇(すめらみこと)とあることからである。

大和の権力を広げていった英雄が夭折し皇子のまま悲劇を迎えたことがより印象深く、

古事記や日本書紀に皇子のままになったかもしれない。

息子は仲哀天皇、その妻が実在を疑われる神功皇后だということから実在も疑われている。

私自身、神功皇后は伝説の人物と思っていたが、

福岡の香椎宮(かしいぐう)を訪ねたときその空気から

仲哀天皇も神功皇后も実在したのではないかと感じた。

特に仲哀天皇行在所の空気は重く寂しく長くはいられない気がした。

重い空気は神のご信託を信じなかったため神に誅された天皇だからか。



ヤマトタケルとはどんな人だったのか


b0228416_12203202.jpg
天皇の本より




b0228416_12210340.jpg

猿投神社蔵




第12代景行天皇の子で小碓(おうす)という。

兄大碓とは双子という説がある。

碓は臼で穀物に関する名前と考え、豊穣を願う名前ではないか。

大碓は父が召した美濃の女性を迎えに行ったが、

その女性にひとめぼれ・・・父には他の女性を差し出した。

父に対し気がとがめたのか会食にも出なかった。

父は兄の出席を弟の小碓に促した。

ところが大碓はそれからも出席せず天皇が小碓に事情を聞くと、


「兄を捕らえて体をつかみつぶし手足をもいで薦(こも)に包んで投げ捨てた」


と答えた。(古事記)

実は兄は美濃に隠棲し、ヤマトタケルの死後10年後に

三河の猿投山で毒蛇にかまれて亡くなったといわれる。


父は小碓を怖れ、遠ざけるように九州の熊襲の平定を命じた。

ヤマトタケルは女装して熊襲に近づき、熊襲を討つ。

熊襲建は死ぬまぎわ勇敢な小碓に自分の名を与え、


「これからヤマトタケルと名乗るように」


と言い残した。


ここにヤマトタケルの名が誕生した。

以後タケルということにする。

九州から帰ると今度は東国遠征を命じられた。

さすがにタケルは叔母である倭姫に泣きついた。


「天皇はきっと自分に死ね」


と言っているのだろうと。倭姫は伊勢に天照大神を奉じた人物である。





倭姫はタケルに草薙の剣(天叢雲剣)と火打石を「万一の時に備えるように」と手渡した。


相武に来たとき、国造に謀られ火攻めに会う。

剣で草を刈り払い、火打石で迎え火をつけて難を逃れた。



三浦の走水では妻のオトタチバナヒメが海の神の怒りを

鎮めるため入水して嵐を鎮めた。

尾張に戻りミヤズヒメと結婚、草薙の剣は妻に預け、


伊吹山鎮圧に向かい死を迎えることになる。




ヤマトタケルの足跡

❶静岡



①萱津神社: タケルがおいしいと言った漬け物の話が伝わる。

村人が土地でとれた野菜と海の塩を祠にお供えしたところ

いい塩梅の現在でいうところの漬け物となった。

ヤマトタケルに献上したところ「薮に神物」(こうもの)と言われ、

それが香の物といわれるようになった。今でも熱田神宮に奉納されている。


氷上姉子神社:ミヤズヒメが祭神でタケルから

草薙剣を預かり奉斎した場所と伝わる。


その地は「熱田神宮縁起」に武稲種命の居館があり

妹のミヤズヒメはヤマトタケルの死後剣を守ってきたが、

年老いたため熱田社を創建したという。


祀られた草薙剣は天武の時代に新羅の僧によって盗まれ、

発覚したあと天武帝は熱田に返却せず、

ヤマトタケルではなくスサノオノミコトの剣として石上神社に祀ったという。

結果天武帝は具合が悪くなり熱田に返却することになる。

この時の熱田の喜びが酔笑人神事(えようどしんじ)として残る。

オホホ祭といわれるがオホホではなくアハハだった。

30秒ほどの間隔で「ミレファー♯ソー↓」の笛が鳴ると

『あははははははー』と笑いながら暗闇を行進するという奇祭である。


清水港で上陸

富士川から大井川に渡る当時庵原(いおはら現在いはら)という地を視察。

大井川から10キロほどの焼津で火難にあったことになっている。

焼津とは毛人がユクート(鹿沼)と言い、

駿河の語源も毛人のスルグラ(トリカブト)であるという。

タケルの時代三河から物部系が進出、毛人は山に後退した。


⑦日本平:タケルが駿河を制定し四方を見回した場所。

ここでは相模原の火難の地は省くことにする。


⑧山宮浅間神社富士山本宮浅間神社の元宮):

富士山遥拝所として世界遺産になったパワースポット。


⑪比比多神社(伊勢原

縄文の頃からある古社でストーンサークルがある。


b0228416_12041338.jpg
比比田神社




❷神奈川千葉

 

②走水神社:オトタチバナヒメと侍女10人を祀る

海が荒れ出航できない兵たちが苛立ち、士気が下がることを怖れ

出航したが、海上は想像以上の荒れた海で、

妻のオトタチバナヒメが「使命を果たして下さい」と侍女とともに入水した。


「さねさし さがむのおぬに もゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」


焼津の火難でオトタチバナヒメを気遣ったことへの感謝の言葉を最後に残した。

さがむとあるが焼津辺りも相武ではないかと言われている。


⑥鹿野山:ここで戦い首長阿久留を討った。

亀山に逃げた毛人は亀を食いつくし亡くなったという。


⑧玉崎神社:九十九里の飯岡、玉之浦から出航。

ここで武稲種軍と合流。


❸東北


⑦遠流志別石(おるしわけいし)神社(石越町)

ヤマトタケルがアマテラスを奉じ、叔母の倭姫から

授かった明珠(めいしゅ・透明な石又は光り輝く石)を埋めた。

和銅2年タケルを祀る建部氏が神官となった。


平泉に白山神社があり磐井川北辺にあったが、

今は中尊寺北にある。


このあたりで足跡が消え祀られている神社はあるが

後の坂上田村麻呂が創建したものである。


⑪都都古別(つつこわけ)神社(福島県)

祭神はアジスキタカヒコネで、八溝の戦いで加護をもたらしたからという。


⑫八溝嶺神社(茨城):まだ毛人が多かったという。


⑬吉田神社(水戸)

近くの朝日山で眺望した。

藤蔓(つる)を使って船をつないだことから藤柄町という地名が残る。


21 鳥越神社(台東区):滞在地である。

昔は海に面しており奥州征討の源義家は白鳥に導かれ

浅瀬を進むことができたという。

江戸になって神社のあった台地は削られ埋め立てに使われ

社地は武家屋敷になった。

それでも宿営地として今でも残るのは伝承の力なのか。


22武蔵御嶽神社(青梅)

国宝の赤糸縅大鎧(あかいとおどしおおよろい)がある。

畠山重忠の所有だが製作に、この神社にあったヤマトタケルの鎧をモデルにしたと伝わる。


❹山梨埼玉栃木


①大嶽神社(桧原村)

大嶽山はキューピーの頭のような形をした山でかわいい。

オオカミの護符がある。

古くから祭神がオオナムチとスクナヒコで

ヤマトタケルは登山をしている。


②軍刀利(ぐんだり)神社(上野原町原・ゆずりはら)

草薙剣を三国山山頂で神実(かむざね・神の実態・神のエネルギー)として

祀り神社には刀のモニュメントがある。

グンダリとは密教の軍荼利明王のこと。

古事記の道は相模にまわり足柄峠から甲斐に行くとある。

しかし甲州街道を進んだと思われる。


⑦酒折宮(甲府市)この地で宿営した。


b0228416_18173316.jpg
青梅街道、甲州街道の合流点にある
b0228416_18185103.jpg

タケルが部下に


「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」


と問いかけると火を焚く老人が


「かが(日々)なべて夜には九夜日には十日」


と答えヤマトタケルは感動し老人を東国造に任じたと伝わる。


連歌発祥の地となった。


この老人塩梅足尼(しおみたるに)といい、

神社を多く創建、信玄隠し湯で有名な身延の下部温泉の発見者である。


ここで建稲種は海路で帰ることになる。そこで


「あゆちがた ひかみあねこは われこむと とこさるらむや あはれあねこを」


と詠んだ。「とこさるらむ」は「所在なげに」という意味ではないかと思う

とこさるは所在ないもの  らむは推量だそうな


(病気で寝込んでしまっているのかと思った・・・・なんだかんだと

女性と縁があるように見られるが婚約者が気になっていたんだ・・・

遠征中で知り合った女性はやはり恭順のあかしに娘をさしだしているのかな)


⑨武田八幡神社(韮崎)

タケルの子武田王がのちにこの地に

封ぜられ亡くなったという居館跡。

武田王とは尾張の丹羽氏の祖でミヤズヒメとの子。

のちに信玄の祖がこの武田姓を名乗り

300年後信玄が生まれた。



⑪教来石(へてこいし・きょうらいいし・白洲町)

といって腰掛け石である。


⑫三峯神社(秩父)


b0228416_18524571.jpg

b0228416_18525580.jpg

ヤマトタケル社

タケルは山犬に導かれており、

江戸時代にはお犬様、狼信仰の三峯参りが流行する。


⑬椋神社(吉田町・秩父騒動の最初の集合地)


⑭宝登山神社:山火事にあい犬があらわれ鎮火した。

b0228416_19451989.jpg


金鑽(かなさな)神社(神川)

b0228416_19454815.jpg


倭姫から授かった火鑽金(ひきりがね・火をおこす道具)を納めた。

宝登山の火事がよほど怖かったからか。


⑮城峰神社(神泉村・将門ゆかりの地)


❺群馬長野愛知


①武尊山

麓の片品村でタケルに討たれた盗賊の妻が逃げ、

力尽きて石に憑依し、その石に花が咲いた。

それから災厄が絶えず花咲明神として祀られた話が伝わる。

現在花咲の地名が残る。


③子持神社(子持)上妻(かみつま)・吾妻(あがつま)姫の話が伝わる。

この地は古くからトヨキイリヒコ一族が治めていた。

その娘がタケルの子を生んだ。

トヨキイリヒコは崇神天皇の十番目の子で、

アマテラスを最初に奉じたトヨスキイリヒメとは同母である。

東国経営にむかい、上毛野(かみつけぬ)下毛野(しもつけぬ)の祖となり、

赤城神社の祭神である。

タケルが長く滞在したのは北にある沼田の干拓に取り組んでいたと伝わる。


ここから

碓氷峠を越えるといわれているが草津に足跡が残るため北上する。

古事記は足柄峠、日本書紀は碓氷峠となっているが

草津から嬬恋村、鳥居峠越えの道を行く。



④白根神社(草津)

タケルが草津の湯を発見。

ちなみに他説は行基、頼朝の発見となっている。


嬬恋村の名は鳥居峠で吾妻者耶(あづまはや)と言ったことから

嬬恋の名になった。

書記には碓日坂とある。


昔嬬恋村からの峠は碓日坂と言われており

軽井沢辺りまで碓氷郡だった。

いつしか長野県民がこの坂を鳥居峠という名にしたのであって

嬬恋村では古代からの碓氷峠はこの鳥居峠だという。

嬬恋村の説は説得力がある。


ヤマトタケルと命を捧げて守ったオトタチバナヒメの話を

英雄伝説にするためには上妻姫との恋愛話は伏せたかったのかもしれない。

そしてこのあたりの神社の祭神はなぜかオトタチバナヒメが多い。


坂城神社(埴科郡)

ここで部下の吉備武彦が越に赴いた。

戸隠から越にはいった。

このためその道にはタケルを祀る神社が多い。


タケルは三州街道を行く。


⑨大御食(おおみけ)神社(駒ヶ根赤穂)

ここで里の長の娘の押姫と出会った。


「二夜三夜 二人寝哉 飽哉 美少女 愛哉 立廻 愛哉」

(ふたよみよ ふたりねしかも あかぬかも うつくしをとめ 

はしけやし たちまわり はしけやし)


大御食神社に伝わる神代文字社伝紀の伝承である。


昼神温泉はヌルヌルしたいい温泉であるが名の由来は、

タケルが鹿に襲われ蒜(ノビル)を噛んで鹿に投げつけたら

鹿の目に当たり死んだからである。

それから峠を越えるときには蒜を噛みながら行くと安全だといわれた。


阿智村はオモイカネノミコトが降臨したといわれる。


⑩神坂(みさか)神社:難所の神坂峠を越える。

ここは縄文の頃からの道があり祭祀遺跡も残る。

この峠を越えた防人の歌がある。


「ちはやぶる 神の御坂に 幣(ぬさ)奉り 斎(いわ)ふ命は 母父が為」


⑪恵那神社:恵那の語源はアマテラスの胞衣を埋めた伝説から。


内々(うつつ)神社(春日井市)

建稲種の従者が早馬でかけつけ悲報を届けた場所である。


武稲種命(たけいなだ)は副将軍としてヤマトタケルに随行し、

尾張水軍としてタケルの大きな助けとなったといわれる。

尾張の首長として妹ミヤズヒメとの政略結婚も考えにいれていた。

駿河の海でタケルに献上するミサゴ(野)を捕らえようとしたが

波がくなって船が沈没、自らも水死したという

ヤマトタケルをねらう密害されたというがある。


衣服が流れ着いたのが知多半の先にある羽豆神社、

体は吉良に流れ着き幡豆神社に祀られたとされる。


知らせを受けたタケルは絶句

「ああ、哉」「ああ、うつつなりうつつなり」


とつぶやき、魂のため建命の社をたてたことがはじまりである。


内津峠の名の由来となった。




武稲種の妻は犬山にある大県神社の祭神である大荒田の娘である。

夫の死後この実家に戻り領国経営と子育てをした女性の鑑といわれる。

小牧の田県神社にその玉姫が祭神となっている。

両神社は天下の奇祭といわれ有名である。


豊年祭で大県神社:女性を示すおかめの神輿

田県神社男性シンボルをの神輿で、

戦前はもっとリアルだったという。


考えると祭神は親子の関係でいぶかしく思ったが女性は

玉姫、男性は夫の武稲種だそうでお互い夫婦であった。

驚いたことに両神社の接触はなく全く別の祭という。


⑭尾張戸神社 東谷山(とうごくさん)にあり、古代の磐座が多くある。


⑮岩作(やざこ)長久手市


⑯熱田神宮

ミヤズヒメと結婚し、しばらく名古屋に滞在したタケルは精力的に動いている。


知立神社(知立市)矢作神社(岡崎市)矢を矧(は)いだ)


菅生神社(岡崎市):矢を小川に吹き流した)。


b0228416_18445927.jpg
このむこうに京ヶ峯がある
この場所不思議なのだが地図に名前がのっていない
神社がある
神明社だったと思うが
この近くに皇子ヶ入や皇子田の地名が残る



京ヶ峯はヤマトタケルが都を偲んだ小山である


蘇美天神社・三村神社(幸田町)成石神社(半田市)は、功績のあった者に与えた。


法蔵寺(岡崎)は泉が湧き家康は賀正水といわれたその水で墨をすった。

行基開基と伝わり、近藤勇の首塚がある。


白鳥神社(作手(つくで)村)



❻ヤマトタケルの最期


尾張に滞在中、伊吹山の荒ぶる神の話を聞いたヤマトタケルは

早速草薙の剣も持たずに出かけた。


⑤七所社(名古屋中村区の神社)から船で行く。

一宮市戸塚の砥塚(とぎづか)、巨岩が多く刀を磨いたという。

羽島には八剣神社が五社ある。

坂井の霊泉で休息とある。

のちにオトタチバナヒメの稚武彦が宮を造ったという。


⑥八剣神社(岐南町)、瑞穂市(旧巣南町)


⑦白鳥神社(呂久)は倭姫も休憩している。


⑧白鳥(揖斐川西の池田町)で下船した。


⑨雲雀山(小谷山手前)に陣をおく。


⑱磯崎神社(米原)はヤマトタケルが亡くなった地であるという伝承がある。

この地は鉄の生産がさかんで息長氏の領地である。

伊吹山の荒ぶる神とは鉄の争奪戦のことか・・


伊吹山から離れている場所なので最期の決戦が伊吹山だったのか。

あと薬草の多い地で古代からこのあたりは

トリカブトを鏃の先に塗ったという。


b0228416_18461457.jpg
ウイキペディア



⑩伊吹山の神の氷雨に正気を失い、

重体のヤマトタケルは玉集落にひとまず引き上げる。


⑪居醒の水で正気をとりもどし


⑫白鳥神社(養老町桜井)にいく。

水が甘いので桜井となった。

このあたりで多度まで船でいったかもしれない。


⑬尾津神社(多度の戸津)で下船。


⑭平群神社(桑名志知)


⑮杖衝坂で足が三重になるほど疲れ血の付いた石を積んだ血塚社がある。


⑯加佐登神社ではタケルの陵墓といわれる白鳥塚古墳の横にあり

最期まで所持したという笠と杖が祀られる。

白鳥塚古墳は本居宣長が、ここが陵墓と提唱した。

しかし明治になって亀山の能褒野が比定された。


最後に

ヤマトタケルの残虐な伝承を否定する場所がある。

多治見市の柿野神社は兄を訪ねてタケルが牛でやってきた

という伝承がある。


兄に別れを告げにきたのか、兄は自分の家来を東征に随行させている。

タケルの死後土岐市鶴里柿野に移り住み、タケルの死から

10年後にまた移り住んだ猿投で亡くなったという。


猿投神社は大碓を祀り左利きだったため左利きの鎌が奉納される。

猿投山で42歳のとき毒蛇にかまれ亡くなったという。

父の景行天皇から兄を隠したのか、兄はこの地をタケルの死後拝領したのかわからない。

大碓の妻は景行天皇から奪った姫だとすると、

姫の父は現在の美濃加茂市を拝領しておりそこも近くにある。

妻の実家の援助でこのあたりに隠棲したとも考えられる。

大碓の墓は猿投神社にある。


参考:天翔る白鳥ヤマトタケル・伝承が語るヤマトタケル:小椋一葉 

    青銅の神の足跡:谷川健一

    神社に秘められた日本史の謎:新谷尚紀 天皇の本:学研













# by gannyan1953 | 2017-07-18 14:58 | 神様の話 | Comments(0)

本郷散歩


中川歴史ウォーキング33           2017・9・16(土)


東大と本郷の文人の足跡を辿ります


b0228416_15262697.jpg






集合:9:45 南北線「東大前」駅改札口(ひとつしかありません)

東大前駅・・ハチ公と上野英三郎博士像・・本郷追分一里塚跡・・鳳明館森川別館
・・本郷館跡・・求道会館・・鳳明館本館台町別館・・胸突坂・・菊坂・・旧伊勢屋質店
・・樋口一葉旧家跡・・金田一京介旧家跡・・鐙坂・・宮沢賢治旧家跡・・本妙寺跡
・・赤心館跡・・菊富士ホテル跡・・法真寺・・東大赤門
・・安田講堂・・三四郎池・・麟祥院・・かねやす

東大農正門
b0228416_15492728.jpg






ハチ公と上野英三郎博士像


b0228416_16315721.jpg
主人を8年以上渋谷駅で待ち続けたハチ公と博士の像を2015年に造られた


本郷追分一里塚
b0228416_15363178.jpg

b0228416_15373162.jpg





中山道と日光御成街道の分れ道でかつては日本橋から出発して中山道最初の一里塚があった。高崎屋は江戸時代から続く酒屋で両替商も兼ねた


鳳明館森川別館
b0228416_16405640.jpg





木造2階建の近代和風建築。下宿屋として建設されたが,昭和初期に下宿屋兼旅館に改造し、さらに昭和20年に旅館建築に模様替えした。各室毎に異なったつくりで,部屋の銘木に合わせた部屋名とする。下宿・旅館が多かった本郷地区の歴史的な景観を伝える。(文化遺産オンライン)


本郷館跡

b0228416_15490880.jpg

壊された本郷館

b0228416_16513841.jpg
現在の本郷館 賃貸住宅

東大生や芸大生が多く下宿した
明治38年(1905)に岐阜県出身の高橋千代三郎により本郷旅館として建築されのち
御茶の水大学女子寮になり終戦前に人手に渡り下宿となった。
2006年住人に退去を申し出たが、受け入れられず裁判になり住人が敗訴、
惜しまれる中20011年に解体された。(ウィキペディア)


求道(きゅうどう)会館
b0228416_16325976.jpg
b0228416_16422656.jpg

近角常観(ちかずみじょうかん)の創設した団体が浄土真宗大谷派の教えを
寝食共にして信仰を語り合う場として建築家武田五一により建てられた。
しばらく使用されていなかったが平成14年に修理改修が行われコンサートなど行われている。



鳳明館本館台町別館
b0228416_16463380.jpg





本館が文化遺産に指定されている。
最近では純和風旅館として外国人ツァー客も多い
昔修学旅行で宿泊した人いるかも



胸突坂
b0228416_16475899.jpg

急な坂道で昔はこちらが菊坂と言った。

本郷倶楽部
b0228416_18085481.jpg
素適な和風の建物だが
多分どこかの会社の所有


菊坂
b0228416_16510880.jpg

昔は菊畑が広がっていた。



旧伊勢質店
b0228416_18095905.jpg




樋口一葉(1872~1896)が菊坂の家に住んでいたときから、
生活が苦しくなるたびに通った質屋。
下谷区竜泉町に移ってからも通った。
一葉が亡くなったときの香典帳に、
伊勢屋から香典が届けられたことが記されている。
伊勢屋は1860年の創立であった。




樋口一葉旧居跡

b0228416_18172339.jpg
路地と井戸だけが昔のまま




b0228416_18173159.jpg
樋口一葉が使った共同井戸


樋口一葉(1872~1896)の旧居跡。24年間の短い生涯のうち、約10年間現在の文京区内に住んだ。
この地には、父の死後移り、母と妹を養いながらこの地の貸家で小説家として立つ決意をし、半井桃水の指導を受けながら、『闇桜』『たま襷』『別れ霜』『五月雨』などの小説を執筆した。
『大つごもり』『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』など今も読み継がれる作品や多くの和歌を残している。




金田一京助旧居跡

b0228416_23043850.jpg

b0228416_18131675.jpg
言語学者で南部藩の名家に生まれ東京帝大に入学している。
ここでアイヌの知里幸恵さんが住み込みアイヌ語研究の手助けをした。
親友は石川啄木で奥さんは啄木が紹介している。


宮沢賢治旧居跡

b0228416_15034422.jpg
b0228416_21465017.jpg
宮沢賢治旧居跡

大正10年(1921)25歳のとき信仰のことで父と折り合わず家出をしてここに下宿した。
東大赤門前の文信堂(現大学堂メガネ店)で筆耕や校正などで働き、
日蓮宗(国柱会)の布教活動とともに、
童話や詩を書いた。
『注文の多い料理店』の中の
「かしわばやしの夜」「どんぐりと山猫」なども執筆された。



本妙寺跡
b0228416_18151863.jpg

b0228416_15153453.jpg

b0228416_15153833.jpg

b0228416_15154250.jpg
本妙寺跡のマンションの玄関

明暦の大火の火元ともいわれる


明暦の大火
    江戸三大大火
明暦3年(1657)江戸の大半を焼失する大きな火事になり
三カ所から順に燃え、火元のひとつは本郷の本妙寺だった。

別名「振袖火事」ともいわれ、
ある娘が寺の小姓に一目惚れ、恋煩いで寝込んでしまった。
両親は娘が哀れと思い、小姓がきていた着物の柄だった
荒磯と菊柄の振袖を仕立ててやった。

このころの小姓は娘のような派手な柄の着物をきていた。

ところがじき娘はなくなり、両親は棺桶に振袖をかけてやった。

当時は埋葬する寺男たちがそれをもらい、
それを売る習慣があり振袖は他の娘の手に渡った。

ところがその娘は病で亡くなり、次に手に入れた娘も亡くなり、
さすがに寺男たちも気になって供養に振袖を焼くことになった。

ところがたちまち強風が吹き、火のついた振袖は空高く舞い上がり
それが火事の原因になった。

この話は小泉八雲も小説(振袖)にしているがどうも真実ではなかったらしい。

明暦の大火の真実

実際のところ火元は本妙寺ではなく、
隣接した老中の阿部家であったといわれている。

老中宅が火元では、幕府の威信失墜になると、
本妙寺が罪をかぶったというのである。
本妙寺は大火から3年後に再建され、
関東大震災まで阿部家から明暦の大火の供養料として
260年に渡り奉納されていたことから推測されている。




一葉桜木の宿跡

法真寺隣に樋口一葉が父親と幸せに暮らしていた家があった。
「腰衣の観音さま、濡れ仏にておはします御肩のあたり、
膝のあたり、はらはらと花散りこぼれて、
前に供へし樒の枝につもれるもをかしく」と、
当時の法真寺の情景を「ゆく雲」の中で書いている。


東京大学


東大の前身は徳川幕府の学問所昌平黌で、
洋学の研究機関である開成所、
西洋医学の三つがベースになり明治10年(1877)最初の大学として
東京大学が誕生その後東京帝国大学、
東京大学と改称平成16年「国立大学法人 東京大学」となった。
ここにはかつて加賀藩前田家の上屋敷があった。
b0228416_21323784.jpg
大賀ハス

東大のお土産屋さんに入ったらハスの香水の香りがしていた

b0228416_21341580.jpg
た 高い!
しかし
沖縄の戦争で泡盛の黒麹がなくなり幻の酒といわれたが、
黒麹が東大に残っていたことがわかり
1999年に作られた古酒だそうだ
ありがたいお酒だった



安田講堂
b0228416_21392161.jpg

安田財閥の安田善次郎の寄付により建設され安田講堂と呼ばれる。
反戦運動、70年安保闘争に揺れるなか帝国主義支配体制の一翼だとして
大学解体を訴える運動家を中心に全国で大学紛争が発生、
東大では安田講堂に立てこもる学生を機動隊が排除した。
20年ほど物置になっていたが1989年改修工事終了し、
スティーブン ホーキング博士の来日でこけら落としが行われた

高いビルの中のレストランへ

b0228416_21561687.jpg
窓の向うはスカイツリーです
撮れてない・・

美味しかったです
イタリアン カポ・ペリカーノ




三四郎池

b0228416_21394878.jpg




前田家3代のと利常が秀忠。家光父子のお成りに庭園を整備した。
心字池といわれた。夏目漱石の三四郎の舞台となったので
三四郎池とよばれるようになった

私は数年前まで三四郎は姿三四郎のことと思っていた
とても笑われた・・・
まだ夏目漱石の三四郎を読んでいない

夏休みに読もう






赤門 加賀藩屋敷御守殿
b0228416_15242002.jpg
11代将軍家斉の娘溶姫が十二代前田斉泰に嫁ぐにあたり加賀藩が建造した。
屋根瓦大棟に三葉葵、軒丸瓦に梅鉢、鬼瓦は學とある



b0228416_21434407.jpg
b0228416_21433784.jpg
前田家の煉瓦


b0228416_21582968.jpg
山田君の自販機



かねやす

享保年間乳香散という歯磨き粉を売って有名になった。
大岡越前が耐火のためかねやすを境に南は土蔵作りの塗屋にすることを命じ、
本郷もかねやすまでは江戸の内といわれた。



麟祥院

b0228416_21545153.jpg
春日局(1579〜1643)は家光の乳母として有名でここは隠棲所として作られた。
墓は無縫塔(卵塔9で四方に穴があいており特異な形をしている


東京都水道歴史館

東京の水道は世界有数の水質と規模である。
家康が江戸に来て最初に行った小石川上水(神田上水)の整備に遡る。
上水道の発展の歴史を展示





# by gannyan1953 | 2017-07-13 15:30 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)

鎧神社〜皆中稲荷

鎧神社

b0228416_13434868.jpg

平将門に由来する
将門魔法陣
北斗七星のひとつである










b0228416_13435112.jpg


b0228416_13442772.jpg

b0228416_13442954.jpg
天仰ぐ狛犬



b0228416_13443228.jpg
わきの出入り口


b0228416_13451904.jpg
境内の天神社

b0228416_13452225.jpg
b0228416_13452511.jpg
むかって右の狛犬正面
b0228416_13470837.jpg
右の狛犬 横から


b0228416_13453171.jpg

むかって左の狛犬




b0228416_13460699.jpg
左の狛犬 横から

皆中稲荷

当たるというので
参拝客は宝くじが当たることを
願う人が多い

b0228416_16022221.jpg

b0228416_16030880.jpg
b0228416_16035288.jpg


皆中稲荷は大久保と新大久保の間にあり
混雑している
 この大久保通りをまっすぐ進むと戸山公園がある

以前から気になっていた場所なので訪問

いざ戸山公園へ
b0228416_16035939.jpg
         途中の道に山田君自販機







# by gannyan1953 | 2017-07-02 11:50 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)

ちょっとディープな新宿散歩

中川歴史ウォーキング

眠らない街「新宿は」多様な人が行きかう街

ドキドキしながら歩いてみた
なかなか面白い

b0228416_13120549.jpg
これが見たかった
ゴジラ



集合:伊勢丹正面改札口 9:45


太宗寺

b0228416_13162250.jpg

b0228416_13185035.jpg


b0228416_13163393.jpg
b0228416_13162746.jpg

b0228416_13164200.jpg
b0228416_13163891.jpg

b0228416_13165127.jpg
b0228416_13164716.jpg
b0228416_13175212.jpg
b0228416_13175569.jpg

成覚寺


b0228416_13205018.jpg


b0228416_13205911.jpg

b0228416_13205594.jpg

b0228416_13210367.jpg

b0228416_13210758.jpg



新宿ゴールデン街

b0228416_13245976.jpg
ドラマ「深夜食堂」がここにあるという設定

ロケはスタジオだったらしいが

歌舞伎町

b0228416_13120549.jpg
新宿コマの跡地にできた
ホテルグレイスリー新宿
東宝シネマ

もっと離れればゴジラの顔まで写ったかも

b0228416_13330998.jpg
都庁


b0228416_13333767.jpg
職員食堂スペシャル定食

「名古屋めし」


冷きしめん
味噌かつ丼
食べたら下までおりて


北展望室へ

下までおりて
南展望室へ

b0228416_13371576.jpg

b0228416_13371835.jpg
真ん中の緑は
明治神宮


b0228416_13375578.jpg
成子天神社

b0228416_13375882.jpg

b0228416_13380056.jpg
b0228416_13380855.jpg
b0228416_13380358.jpg
b0228416_13380509.jpg
b0228416_13380908.jpg




b0228416_13381307.jpg


b0228416_13391484.jpg

鎧神社にいく途中の
山田君の自販機


b0228416_13434868.jpg
b0228416_13435112.jpg


b0228416_13442772.jpg

b0228416_13442954.jpg
天仰ぐ狛犬



b0228416_13443228.jpg
わきの出入り口


b0228416_13451904.jpg
境内の天神社

b0228416_13452225.jpg
b0228416_13452511.jpg
むかって右の狛犬正面
b0228416_13470837.jpg
右の狛犬 横から


b0228416_13453171.jpg

むかって左の狛犬




b0228416_13460699.jpg
左の狛犬 横から

皆中稲荷


b0228416_16022221.jpg

b0228416_16030880.jpg
b0228416_16035288.jpg


皆中稲荷は大久保と新大久保の間にあり
混雑している
 この大久保通りをまっすぐ進むと戸山公園がある

以前から気になっていた場所なので訪問
b0228416_16035939.jpg
途中の道に山田君自販機





そんなには歩いていないと思うが

27884歩 18.4km
とスマホはいう

































# by gannyan1953 | 2017-07-01 16:16 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)



横浜周辺の歴史散歩
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
> rollingwes..
by gannyan1953 at 14:13
初めまして、ローリングウ..
by rollingwest at 16:31
できればメールでお話しし..
by gannyan1953 at 09:08
新横浜スパインクリニック..
by gannyan1953 at 18:23
読めないんですね。申し訳..
by gannyan1953 at 18:09
> ださぶろうさん ご..
by gannyan1953 at 21:44
楽しんでいただけて大変嬉..
by gannyan1953 at 21:41
長津田の大火の事を調べて..
by shin344 at 21:41
初めまして久し振りで ..
by shin344 at 21:35
コメントありがとうござい..
by gannyan1953 at 21:56
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
くさぶえのみちにネズミがいた
at 2017-07-18 22:13
ヤマトタケル
at 2017-07-18 14:58
本郷散歩
at 2017-07-13 15:30
鎧神社〜皆中稲荷
at 2017-07-02 11:50
ちょっとディープな新宿散歩
at 2017-07-01 16:16
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧