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歴史と素適なおつきあい

中川~センター南の歴史散策

歴史ウォーキング・ケアプラザ子供対象企画 2015年
歴史と素適なおつきあい 2012年4月
中川歴史ウォーキング 2021・2・20

中川〜センター南の歴史散策
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出発:都筑区 中川駅
解散:12時頃 センター南駅
中川地域ケアプラザ〜ガーデンヒルズ・E5遺跡〜中崎橋〜矢羽根不動堂〜柚木台地・矢崎山遺跡〜
道祖神〜おしゃもじ様〜杉山神社茅ヶ崎社〜境田貝塚〜センター南駅




E5遺跡 


 旧中川町1709〜1718・現在中川1丁目2番付近 現在ガーデンヒルズ。

横浜市北部、「港北ニュータウン」は旧石器時代から人々が住み、とくに縄文時代、

どこの台地の上にもその跡が残り「縄文銀座」と言われることもあった。

ここE5遺跡は縄文時代早期に、動物を捕らえるための落とし穴が多く発見され、狩猟の場となった。

縄文時代中期には、竪穴住居の小さい集落があり、弥生時代には方形周溝墓を持つ集落ができた。

家族単位で葬られることが多かったが、赤色顔料の使用などで、階層化していったと思われる。
中川~センター南の歴史散策_b0228416_2320371.jpg

炉(ろ)とともに発掘された土器
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方形周溝墓で発見された鉄剣と鉄釧(鉄製の腕輪)
(E5遺跡・財団法人横浜市ふるさと歴史財団)

早淵川(水源は美しが丘西で鶴見川に合流・延長13、7キロ)

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    矢崎西遺跡にシニア施設が建っている

250万年前、丹沢山地が爆発した。(2010年早稲田、首都大学チーム発表)

そして100〜200万年前、伊豆半島が本州に衝突! 
そのころ形成されたものが、海底に堆積し、泥が固まってできた岩盤で、「上総層群」と呼ばれる。

関東平野の基盤を成す岩盤である。早淵川「鍛冶橋」直下にそれをみることができる。

矢羽根不動堂(バス停・矢崎不動)荏田東町4280
中川~センター南の歴史散策_b0228416_10523662.jpg
      ここを右に入る
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中川~センター南の歴史散策_b0228416_10485223.jpg中川~センター南の歴史散策_b0228416_1049524.jpg中川~センター南の歴史散策_b0228416_10492497.jpg矢羽根と矢崎の地名の由来は、江田駅近くの荏田城主である荏田源三が弓矢を放った。

矢の羽根が落ちたところが矢羽根、矢の先が落ちたところが矢崎となったという。

荏田城(横浜市青葉区荏田町1288)は私有地で見学不能であるが、遺構がいい状態で残っているといわれる。 

戦国時代になると荏田城も周辺の諸城とともに小机城の支城として機能していたと思われ、

御馬廻衆の曾禰采女助という武士の領地となっている。(城郭図鑑・小田原衆所領役帳)
         
荏田源三は「新編武蔵風土記稿」に源義経配下とあり
「源平盛衰記」には信濃の人とある。

平家物語に弁慶、熊井太郎、佐藤継信、佐藤忠信とともに、「一人当千の兵」とある。

「義経記」では京都の義経の居館(堀川)で、頼朝が雇った刺客土佐坊昌俊と戦い、

矢を受けて討ち死にした。享年25歳だったという。

荏田城から約2キロあるので弓矢が飛ぶ距離ではない。

荏田城の築城方法は中世の小田原北条氏独特のものであるという。

そのため伝説の域をでない話になる。

だが、義経関連の武士が都筑の住民であることから、城主という話はあり得る話かもしれない。

住民だったと思われる人々は、都筑平太「古今著聞集」、熊井太郎「源平盛衰記」、佐々木高綱「平家物語」、鎌田正清「吾妻鏡」らで、存在がこれらの文献にみえる。

昭和41年(1966)NHK大河ドラマ「義経」に荏田源三役を俳優松本朝生さんが演じている。      

不動堂は、地形でみると堂の西には柚木谷戸が、南には渋沢谷戸があって、

谷にはさまれた台地の北端に位置する。山の端の根(はのね)の位置である。

矢羽根はこの地形から名がついたとも考えられる。

地名に使われる根は高い場所、端は突端、端根は羽根と考える。

戦国末期あるいは近世初期にかけて、開墾のためこのあたりに住んでいた人たちが、

創建したものと思われる。

所蔵するお札は天和2年(1682)のもので鮫嶋伝佐衛門、鮫嶋三良佐衛門両名の郷内安全祈願の札である。

鰐口には「武州小机恵田不動」とあり最初のころの呼称だったようである。

百万遍念仏の記録もある。数珠を回しながら念仏を唱えて祈願する。    

(「古代の立野牧と中世の武士団・都筑氏の謎」:久世辰男 ・ 歴史と素適なおつきあい座学「源平争乱と都筑の武将」)


中川~センター南の歴史散策_b0228416_10493596.jpg ここを登ると左に鮫島家のお墓があるので、静かに歩き扉は開けたらきちんと閉めるように注意する。
登った先が矢崎遺跡で、運がよければ土器片がみつかる。










矢崎山遺跡   

 
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前方丘に住宅がみえる場所が矢崎山遺跡 (早淵川からの遠望) 

都筑区荏田東4−40 現在住宅地になっている

5世紀、古墳時代半ばころからの遺跡である。柚木台地東北部にあり、

100軒の竪穴住居がみつかり大集落があったことがわかった。

そして最新のカマドの存在が話題になった。カマドは、火力調節もできる便利なもので、

6世紀には関東に普及するが、5世紀の矢崎山遺跡のほとんどの住まいにカマドがあったことで、

関東では最先端の生活が始まっていたことになる。

そしてここの首長と思われる人々の古墳、横穴墓(おうけつぼ)もみつかった。

当時まだ珍しかった須恵器も見つかっており、渡来系の技術が早くから伝わっていたことがわかる。

また鉄製品を作る鍛冶の技術も持っており、鍛冶の道具、炉の跡、鏃も見つかった。

カマド、須恵器、鍛冶は渡来人によって伝えられたもので、外交をした倭王権と首長たちとのつながりが考えられる。                         (古墳時代の生活革命:横浜市歴史博物館企画展)

道祖神   荏田東4445付近

[ 三つ並んだ道祖神 ]

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猿田彦道祖神:ニニギノミコトが天孫降臨したときにあらわれた神で道案内を申し出た。

そこから、道の神、旅の神とされ、道祖神となった。

荏田村矢羽根組氏子によって享和3年(1803)に道の安全祈願のために建立(こんりゅう)された。


馬頭観世音:馬が水や草を余念なくむさぼるように煩悩、邪悪の世から苦しみを救うことを本願とする意味があった。

近世では馬が移動や荷運びの手段として使われたので、それに伴い道行く馬が亡くなった時に、馬を捨てる馬捨場、街道などに供養塔の意味でおかれるようになった。

安政3年(1856)に建立され、台石には澁澤(しぶさわ)と刻まれている。

地神塔(じじんとう):農業の神様で、山の神、田の神とされ五穀豊穣を願った神様である。

明治26年建立。近隣の人々の先祖の名がみられる。

[早淵川近くの道祖神と道標]

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馬頭観世音:明治3年建立

道標:正面に「しぶさわ ゆのき」、左側面に「北 えだじく」、右側面に「南 ちがさき」 裏に「東 おおだな えど」とある。

(港北の遺跡をたずねて:港北区役所 ・港北のむかし 65・WIKI )

おしゃもじ様    茅ヶ崎中央60−23付近
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石神様、そして咳、風邪の神様でしゃもじを借りてご飯を盛って食べると治る、

しゃもじで喉を撫でると楽になるといわれている。

風邪が治ったら、新しいしゃもじといっしょにお返しする。
        
石は昔から神が宿ると思われており、おしゃもじ様のご神体は自然石が多い。

この茅ヶ崎中央のおしゃもじ様は、石が三段になっている。

最初は五輪塔だったと思われ、上部の二つの石は存在しない。

本来五輪塔は大日如来の座った形を表したもので、大日如来を供養していたものと思われる。

ここでは天照大神、伊勢皇大神宮のお札が祀られている。家内安全にもご利益があるという。

旧2255番地から茅ヶ崎町2160(現在地)に移され、現在池田宅が世話をしている。 

(港北の遺跡をたずねて:港北区役所・広報ひの:日野史談会)

「おしゃもじ様」信仰の由来はわからないが、関東に多い神様で「社宮司(しゃぐじ)」ともいわれる。

諏訪の神様に、謎といわれる「みしゃぐじ様」があるが、関連があるのかもしれない。

みしゃぐじ様

「みしゃぐじ様」は現在の諏訪の神様(建御名方神・たけみなかたのかみ)の前に、祀られていた神ではないかといわれている。

出雲から逃げてきた建御名方神がみしゃぐじ様に代わって諏訪の神様になった。

諏訪には独特の祭祀や、風習が残りみしゃぐじ様のころからのものではないかと思う。

この神は社宮司、遮愚璽、杓子、舎句子、石護神、赤口神と書かれる。

武蔵を東限に尾張、伊勢、飛騨を西限に分布し、武蔵、相模には40社を数えた。

諏訪の神様の信仰圏である。

みしゃぐじとイサク

諏訪大社の御頭祭で、江戸時代中期まであった「おこう」といわれる祭祀があった。
おこうとは神使、御神と書く。

生贄にされる少年を「おこう」と呼ぶ。
まず「御贄柱」(おにえばしら)という柱に桑の木の皮でつくられた縄で縛られる。

そして柱ごと竹のむしろにの上に上げて刃物が登場する。
そこへ諏訪の国司の使者や神官が現れ少年は解き放たれる。

この話は聖書のイサクと似た話である。

創世記22章によると、神はアブラハムに、イサクを連れてモリヤの地に行くように、命じられた。
そこでイサクを「いけにえ」として捧げよ、といわれた。
アブラハムは仕方なくモリヤの地についたら、イサクを縛りたきぎの上に横たえた。
小刀でを振り下ろそうとしたとき、神は天使をよこして手をとめた。

そこで神はやぶにいた羊を示された。
イサクのかわりに羊を生贄とした。
アブラハムは神から祝福され子孫は繁栄した。

諏訪大社の御頭祭では羊ではなく、鹿が生贄にされた。

みしゃぐじはミサクチ、そしてイサクであるという説である。
諏訪大社の山の名は守屋山で、御頭祭を行ってきた氏族の名は守矢氏である。
やりすぎ都市伝説のような話だが、なかなか面白い。


杉山神社  (茅ヶ崎社) 茅ヶ崎中央58

中川~センター南の歴史散策_b0228416_111585.jpg


祭神:五十猛命
配神:天照大神、倉稲魂神、素戔嗚尊

「地名辞書」吉田東伍著 によると、「当社のご神体は円径10センチの銅鏡に不動の像を刻んだもの」という。

「新編武蔵風土記稿」には式内社であることと、忌部勝麻呂(いんべのすぐろまろ)が天武天皇の世(白鳳3年・674年)に、神託(しんたく)によって武蔵国杉山の地に高御産巣日大神、天火和志命、由布津主命の三柱の神を祀り、「杉山神社」と號すとある。現在の祭神と、まったく変わっている。

忌部氏は天太玉命を祀り、神事にかかわってきた有力氏族である。

その一派の阿波忌部氏のことをいい、四国から房総にやってきて、またその一派が都筑にきたことになる。

続日本紀(しょくにほんぎ)承和5年(838)2月に「武蔵国都筑郡枌山神社が霊験あらたかなため官弊にあずかった」という記事がみえる。

平安時代に作成された、格式度を証明する「延喜式神名帳」にも記載されているため、格式のある神社であるといえる。

ちなみに、このあたりの式内社は他に存在しない。

又、杉山神社は武蔵国惣社(現府中大国魂神社)に勧請された六所宮のひとつであった。

一宮小野社(多摩)・二宮小河社(あきるの)・三宮氷川社(大宮)四宮秩父社(秩父)・五宮金佐奈社(児玉)・六宮杉山社(都筑)となっている。

こうした歴史をもっているのに本社(ほんじゃ)がどこなのかがわからない。

大棚、新吉田、茅ヶ崎、西八朔、勝田などが候補にあがっている。


それぞれが本社であると主張する意見を論じているが、結論をだすまでの証拠がない。

代表作「杉山神社考」:戸倉英太郎著と、平成21年に発行された「私説杉山神社考」飯田俊郎著が詳しいので、興味のあるかたはご覧ください。

境田貝塚(さかいだかいづか)  都筑中央公園

中川~センター南の歴史散策_b0228416_1112533.jpg
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縄文時代前期(6000年~5500年前)の貝塚である。

今より温暖な気候でこのあたりまで海があった。

縄文海進という。

ムラが作られそのごみ捨て場であったが、この貝塚を作ったムラの住居はまだ確認されていない。
by gannyan1953 | 2012-04-10 21:45 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)
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