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歴史と素適なおつきあい

中川から大山道と中世の寺家を訪ねて

中川歴史ウォーキング          2015・3月14日



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寺家ふるさと村

集合:中川ケアプラザ9:45集合 天気よければお弁当

中川ケアプラザ・・大山街道・・荏田宿・・荏田城跡(見学不能)・・
小黒谷戸庚申塔・・地蔵堂・・市ケ尾横穴古墳群・・甲神社・・
寛元板碑・・寺家ふるさと村(昼食)・・熊野神社

鍛冶山老馬不動尊 中川の大山道

江戸末期新潟の高田郡の座不動から諦念法師が六部として厨子に入った不動明王像を背負って、このあたりにやってきたところ、夕暮れとなり近くの大久保家の世話になった

六部とは六十六部の略で、諸国の霊場を巡拝する修行者のことをいう。

これが縁となって大久保家の婿養子になった。
滝を掘って荒行に励んだが旦那寺に預けた不動明王が紛失してしまい、
また越後に戻って不動明王を勧請した。

その不動明王を祀ったことがはじまりである。

天明6年(1786)に
矜羯羅童子(こんがらどうじ)、制吒迦童子(せいたかどうじ)を侍らせる。

滝にある石仏の不動明王は諦念法師の作と伝わる。

雨乞い行事があり、雨が降ったらお神酒をお供えする。
昔は滝があったそうだが、開発後も涸れずに水が湧き出ており
霊水といわれている。
この滝壺を掃除したり石仏にバケツで水をかけると大雨になるという言い伝えがある。
(港北の遺跡を訪ねて:港北区役所)



荏田城址 中川〜センター南の歴史散策
中川から大山道と中世の寺家を訪ねて_b0228416_17295818.jpg
鶴見川流域の考古学:坂本彰より

多摩丘陵の東南にあたり、高さ40mほどの台地にある。
赤田谷からの赤田川はこの台地のふもとで小黒谷から流れる
布川に合流、布川は早淵川に合流する。
現在城跡は大半が山林で平らな部分が竹林、栗畑となっている。

築城は丘陵にあることから中世12世紀から16世紀のものと見られ
空堀、土橋は中世後半と思われる。
後北条氏独特の縄張りがみられる(小机城や榎下城と似ている)
ことから後北条氏の築城ではないか。

荏田城の役割はこの江田に矢倉沢往還(大山道)と鎌倉街道・中の道が
交差する事から昔から交通の要所だった。
小机城の支城としてして後北条氏が茅ヶ崎城とともに
役割は小さくなかったと思われる。

小田原衆所領役帳に
「曽祢采女助(そねうねめのすけ) 七拾七貫五百八十文 小机荏田」
とある。曽祢氏は甲斐の有力な家臣だった。中川の八王子千人同心
(参照:鶴見川流域の考古学:坂本彰)
近くには古代の都筑郡衙(ぐんが)があった。(長者原遺跡)
郡衙とは古代の郡役所である。江田の東名をはさみ両側に広がる遺跡である。
律令時代のもので関東には多くの郡がありそのひとつである。

古くは、義経の配下の江田源三の居城と伝わる。

江田源三とは
「新編武蔵風土記稿」に源義経配下とあり「源平盛衰記」には信濃の人とある。
平家物語に弁慶、熊井太郎、佐藤継信、佐藤忠信とともに、「一人当千の兵」とある。
「義経記」では京都の義経の居館(堀川)で、頼朝が雇った
刺客土佐坊昌俊渋谷荘を訪ねて 金王丸参照と戦い、
矢を受けて討ち死にした。享年25歳だったという。荏田城

NHK大河ドラマ尾上菊之助主演「義経」(俳優:松本朝夫)や、
能の「正尊」(しょうぞん)に登場している。


小黒谷戸庚申塔 
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江田源三は屋島の戦いの恩賞に小黒という馬をもらった。
小黒の厩があった場所と伝わる。荏田城
小黒は義経が奥州藤原秀衝からもらった名馬で、産地は遠野村小黒沢だったことから、小黒と命名した。義経が衣川の戦いで敗走する時離してやると,生まれ故郷に帰りそこで亡くなったという。

遠野の近くの伊豆権現に、小黒の碑が残る。

馬はもらったのではなく、江田源三が馬の世話をしていのだろうか。

地蔵堂
 市ケ尾1628
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創建は江戸初期で本尊は木の地地蔵菩薩。
「お十夜」といって毎年11月30日に双盤をならし
地蔵尊の御開張が行われる。

開山は統誉上人で猿田坂に穴を掘り中に入って入定し、自ら即身仏となった。
念仏を唱える声は美しかったという。

作家佐藤春夫は大正5年神経衰弱を患い、このお堂の一室に
仮住まいした。武蔵野の風景が残るこの地で「田園の憂鬱」を書いた。
(参照:鶴見川沿い歴史散歩:金子勤)

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田園の憂鬱の碑

猿田坂
大山道から急勾配の坂道が鶴見川方面におりて行く。
猿田坂と言って「去る」から嫁入り行列が避けたという。

市ケ尾横穴古墳群 市ケ尾1634市ケ尾〜早野
6〜7世紀の横穴式共同墓地で、20基保存されている。
中には骨、刀、土器など埋蔵。
この山は綿屋の所有で元の屋敷は古墳の下にあった。

先祖を祀る祭祀場であったと思われる。この「前庭部」発見は全国でもはじめてで、以後の研究に進展をもたらした。横穴の内部は造られた時代によりさまざまな形をしている。
*綿屋  大山道の宿屋で明冶10年ころ近くの「石橋」からの火事で焼失、再建され現存する。(参照:鶴見川沿い歴史散歩:金子勤)

甲神社 鴨志田町296
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祭神は日本武尊(ヤマトタケル)でご神体は石刀のようなもの。
写真をみたが、縄文時代の石棒(せきぼう)に見える。
呪術、祭祀に使用される男根を模したものである。
鴨志田十郎が甲、刀を捨てて離散し百姓になったという。

鴨志田氏
鴨志田氏は谷本川流域寺家鴨志田の谷戸を生活基盤にしていた。
建久元年(1190)頼朝上洛に畠山重忠の随兵に名を連ねる。
寛元板碑の他に建長7年(1255)の板碑も残る。

畠山重忠が鎌倉に向かう途中北条氏の大軍と戦い、二俣川で戦死した。
そのとき鴨志田氏は畠山に加担していた。
それが、北条氏に知れる事となり離散、逃亡となった。
神社の北側に馬場があった。(参照:鶴見川沿い歴史散歩:金子勤)

神社裏は段差が大きくありこの地形をを腰巻きというらしい。


寛元板碑 鴨志田町529共同墓地
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寛元2年の供養碑で県で一番古いといわれる。
腰巻という段に平安時代から鴨志田一族が館を構え鬼門に社、念仏堂、観音堂を造ったと考えられる。(参照:鶴見川沿い歴史散歩:金子勤)

当初は河原石の小山が3つ並んだ中央に碑面を東側に向けて立っており、
その下に6~7個の河原石に囲まれた蔵骨器が埋葬され、
墓碑的な性格を持ったものだったようである。
板碑は秩父産の緑泥片岩で作られている。
碑面には阿弥陀如来をあらわす種子キリークが大きく薬研彫りされる。
(横浜市文化財HP)
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阿弥陀様のキリーク
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寺家の歴史

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寺家ふるさと村の水車小屋

寺家周辺には朝光寺原遺跡(市ケ尾)、長者原遺跡(江田)稲荷前古墳群(大場町)など古代遺跡が多い。寺家にも横穴古墳(下三輪玉田谷戸古墳群)がある。
古代から人が住み今でも畑から土器がでてくるという。

中世12世紀ごろ在地の武士が力を付け始め、騎馬、弓を中心の戦闘力を持ち
軍事力を背景に開発、開墾が進んだ。

開墾者は国府に開発を申請し、従者や放浪している百姓など集め開発団を組織した。

寺家は谷戸が多くわき水も多いので水田に適し武士団の成長を早めた。
開発された土地は数年間課税されず、その時期が終わると課税を嫌い貴族、
寺社に荘園として寄進し、相応の年貢は納めるが自らは荘司となり
現地の管理者となり支配した。

寺家周辺では榛谷御厨(はんがやみくりや)恩田御厨、小山田荘などある。
御厨とは伊勢神宮領のことである。
国の支配地は国衙領として八佐古郷、佐江戸郷、市尾郷、石河郷、
恩田郷、鴨志田郷、黒鉄郷、勝田郷、麻生郷、河井郷、小山田保などあった。
都筑区に住む人にはなじみのある地名である。
これらの郷には役人が軍司となって在地の武士がこの役を勤めた。

頼朝が挙兵し東国武士の棟梁となった。
平家の武将が頼朝に加担していたのは開墾地の権利保持のためであった。

建久元年(1190)頼朝上洛に従った者に鴨志田十郎、石河六郎、
都筑三郎、都筑平太、江田小次郎奈良五郎など寺家周辺の武士たちが加わった。

これら武士たちは開発地の地名を名字とし、鎌倉に近い領地だった。
鎌倉幕府が滅亡すると寺家周辺の武士の名が見えなくなってくる。
南北朝、室町時代になると周辺の土地は有力寺院の所領になっている。
寺家には天正年間に中興されたという臨水山桂月院東円寺があった。
3代将軍家光の寄進があり代々将軍からの寺領は安堵されていた。
熊野社の祭礼は神仏混淆で真偽真言宗の修法で東円寺が行っていた。
大正11年に王禅寺に合併された。

寺家の地名はこの頃の寺院の所領からの地名なのか。
室町時代の関東は鎌倉公方と関東管領の不和があった。
明応4年(1499)北条早雲が現れ小田原を攻略、関東は後北条の支配となった。

天正9年(1581)寺家と鴨志田を支配する大曽根飛騨守の名が見える。
天正18年(1590)後北条小田原が秀吉に滅ぼされ家臣は秀吉に仕える者、
帰農する者もいた。大曽根氏は寺家の名主になった。

後北条の支配地は家康の支配地になり、関八州と呼ばれた。
寺家は江戸時代初期は天領となり寛永10年(16339には寺家の一部は三
河以来の旧臣である筧正重の知行地になった。その子重次が没しその子正利、正道に分割された。
元禄10年(1697)2年前の天領の検地とこの年の筧両氏の検地の記録が残る。

参考:「寺家の歴史 」大曽根家文書からみる村の暮らし

大曽根氏

鎌倉時代この地を領していた鴨志田氏が失脚し、
つぎに安藤九郎盛長の子時長が治めた。
時長は鎌倉幕府の評定衆で子孫は三河大曽根荘にいたので大曽根と名乗った。
霜月騒動に巻き込まれ安達一族が失脚し大曽根氏は寺家に百姓となって住んだ。
江戸初期に金子と名乗り、のちに大曽根姓にもどった。


熊野神社  寺家町880
中川から大山道と中世の寺家を訪ねて_b0228416_21420780.jpg
祭神はイザナギノミコト・イザナミノミコトで、慶応3年にこの地に
移転、平成13年焼失した。現在は再建されている。
寺家の名主大曽根氏が師岡熊野神社師岡熊野神社 から勧請した。
(参照:鶴見川沿い歴史散歩:金子勤)

師岡熊野神社に近い所に大曽根がある。地名の由来は地形からつけられたというが、
大曽根氏と港北区大曽根は関係しているのだろうか。










by gannyan1953 | 2015-02-03 19:40 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)
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by gannyan1953
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