歴史と素適なおつきあい番外編 2014・10・13
湯殿山神社
羽黒山五重塔
湯殿山讒言殺人事件湯殿山神社には別当寺として本道寺、大日坊、注連寺、大日寺の真言宗の4寺があった。
女人禁制だったので注連寺などは女人がお参りできる寺だった。
江戸時代、羽黒山にミシュランで騒がれた石段を作ったのは羽黒山の「天宥」である。
天宥は湯殿山に真言密教から天台宗に改宗するよう説いた。
が、この別当は拒んだ。
この問題は幕府を巻き込み
沢山の即身仏を生み、
番人を殺害する殺人事件、
流刑にまで発展していった・・・・
室町末期まで出羽三山は湯殿山ではなく葉山、羽黒山、月山だった。
湯殿山は出羽三山奥宮という立場だった。
領主が最上家から酒井家に変わった事で葉山は没落し
かわりに湯殿山が組み入れられたという。
江戸時代になって天宥は徳川家光と親密な天台宗天海に近づく。
そのとき天海から天宥とい名をもらった。
天宥は羽黒山に東照宮を作った。
ところが、天海が亡くなってしまい、天宥は讒言により大島に流される。
昭和になってわかったことだが、大島ではなく新島だった。
新島で有名ではなかったためなのか、昭和まで残されていた掛け軸などの
書は焼かれてしまったという。
讒言とは天宥は百姓一揆の者を匿ったり、沢山のお金で伽藍を作ったことで
既存の羽黒集団と行き違いがあったと思われる。
天宥は湯殿山を出羽三山に組み入れ、天台宗に改宗させることで、
幕府に訴訟を起こしている。が、ことごとく敗訴する。
領主酒井忠勝と百姓一揆の件で対立し、幕府の調べも酒井家が行った事
で、天宥には不利な訴訟だった。
裁判中に羽黒側は湯殿山の番人を拷問したり
殺害もしている。
湯殿山の方はは即身仏になることで真言系をアピールしたかったのかもしれない。
空海の開いた真言密教の説く即身仏になり、名前は空海の「海」が全部に
つけられている。
本明海上人、全海上人、忠海上人、真如海上人、円明海上人
鉄門海上人、光明海、明海上人、鉄龍海上人、仏海上人である。
本来4つの別当は、天宥が現れる前、真言系を意識していた訳ではなく
とにかく吸収されまい!天台宗に改宗しまい!と
即身仏になる人が続いた。
そして明治になって神仏分離令後、
湯殿山は山をご神体とする湯殿山神社に
大日坊と注連寺は真言宗の寺に、
本道寺は口ノ山湯殿山神社に
大日寺は大日寺跡湯殿山神社になった。
空海は鉱山を見つける事が上手かった。
ここには過去に鉱山があり金、銀、銅、亜鉛など採掘された。
湯殿山あたりは鉄色(血の色)の水が流れていた。
平将門を追って出羽にきたのだが、
とんでもない宗教争いを見てしまった。
参考:制作著作 国土交通省 東北地方整備局 酒田河川国道事務所