歴史と素適なおつきあい番外編 2015・4・30・5・1
伊藤園ホテル「橤岬」(はなみさき)の往復バス利用で下田に行ってきた
橤という漢字は本来「はな」と読まない
ズイ、ニ、たれると読みおしべめしべの蕊(しべ)のことだという。
心、三つの意味知りたい。
寝姿山のふもとにある橤岬
右側は開国下田みなと・道の駅
安さに感謝しながら、下田の歴史探訪した。
今の大河ドラマ 吉田松陰の足跡を訪ねて
伊藤園ホテル 橤岬
宿泊費7800円、往復バス代1000円、翌日の昼食は港直営の食堂で
金目鯛定食1500円 しめて約1万円の旅。
横浜駅から4時間半かけて下田に着く。
チェックインして歴史散策にでかけた。
まずは西のほうの玉泉寺周辺、吉田松陰に関する史跡めぐり
飲み放題つきバイキングのあとカラオケ(これも無料)
翌日チェックアウトして下田の主要歴史史跡を巡って
昼食、足湯、そして13時半にバスで横浜まで。
一日目
弁天堂松蔭が黒船に乗船する為のチャンスを待った弁天堂
吉田松陰と金子重之輔
二人は小舟でこの海を沖合に向かった
玉泉寺
安政3年(1856)わが国最初の領事館が置かれた。
カーター大統領も訪問している。
唐人お吉と蔑まされ、最後は川に身を投げたお吉がハリスの身の回りの世話をするために
ここに奉公した。美しい娘で奉行所に見初められたという。
ハリスが米国領事館にした寺
日本最初の屠殺場
黒船乗務員の墓
開国下田みなと
道の駅の風車
廃墟ホテル 下田富士屋ホテル
下田富士屋ホテルの廃墟
道の駅の前にある
右隣が火事跡のあるビルだった
にぎやかなお店
おしるこからお酒もある
住吉楼跡
山内容堂が宝福寺に滞在していところ、勝海舟とともに時化で下田に避難した竜馬がいた。
容堂は海舟の入港を聞くと海舟を寺に招いた。
海舟はこの機会にと脱藩浪人で追われる身の竜馬の罪を許してもらおうと容堂に懇願した。
そのときドキドキしながら待っていたのがここ住吉楼である。
なぜ遊郭なのかと思うが 、余裕の竜馬である。
竜馬が待機していた住吉楼跡
町中竜馬、竜馬と書いたりしてあるのにここには碑がなかった
現在河合医院の駐車場
近くにお吉が開業した安直楼があるので
このあたり遊郭街だったのか。
ポートマス号
宿に戻って露天風呂 地酒、カラオケ・・・・寝る