歴史と素適なおつきあい

狼信仰

歴史と素適なおつきあい 室内学習

                  城峯神社のご眷属  祭神は平将門


世界のオオカミ信仰
秩父は際立ってオオカミを眷属とする寺社が多い。
世界でも、オオカミは古代から信仰の対象になっていた。
①ギリシャの先住民は、狼は畑の作物を食い荒らす動物から守ってくれると思い信仰した。
②太陽は天の父であるというケルトの民は夜になると狼が太陽を飲み込むと思った。
 ケルトが怖れたのは「天が落ちる」ことだったので、天より狼が強かったことになる。
③北欧神話では天災の象徴に狼が使われる。日本の龍の存在か。
④スキタイの民ネウロイ人は1年に1度狼に変身し元に戻るという。(歴史家ヘロドトス)
⑤モンゴルではチンギスハーンの始祖は蒼き狼だという。モンゴル民族の始祖はチノアで、チノアは狼のことで、母は白い鹿である。蒼いは漢語では灰色のことだという。
だが、チンギスハーンの伝説:蓮見治雄によると、モンゴルでは狼は神ではない。狼は家畜を襲う憎い対象であるという。
⑦トルコ系の遊牧民族にも狼を始祖とする伝承がある。(歴史知とフェティシズム:石塚正英)

日本のオオカミ信仰
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国立科学博物館のニホンオオカミ



「日本書紀」によると  
ヤマトタケルは東夷平定の帰りに、甲斐の酒折宮から、武蔵の秩父、奥多摩を通過、
上野へ向かって碓日坂(碓氷峠)を越えて信濃に入った。お腹が空いたので、信濃の山中で食事をした。
山の神は彼を苦しめようと白鹿になってヤマトタケルの前に立った。ヤマトタケルはいぶかしみ、
一箇蒜(ひとつひる)で白い鹿をはじいた。一箇蒜とはニンニクのことである。
それが目にあたって死んだ。それからヤマトタケルは道に迷ったが、
どこからか白い犬がやってきて道案内をしてくれたおかげで、美濃にでることができた。
この話から秩父、武蔵にはヤマトタケルに因んだ神社が多く、「大神」はオオカミとなった。
                    ハイイロオオカミ

ニホンオオカミは、ハイイロオオカミの亜種という見方があるが、限られた遺伝子集団で
日本にきて孤立化したともいわれている。
オオカミ信仰は有史以前、弥生時代にすでにあったと発掘史料から考えられている。

奈良時代、万葉集にオオカミを畏れて「大口の真神」と歌ってある。
オオカミは当時の人々の間で畏れをもたれていたのである。
その後山岳信仰や妙見信仰の影響をうけて浸透していったが、
特に秩父、多摩では地形、オオカミの棲息の多さで、今に至ってもなお信仰が続いている。
三峯神社をはじめオオカミを眷属として祀り、江戸時代後期には護符も配られるようになった。

護符の功徳は、火難、盗難、農難、蚕難、疾病平癒などだが、とりわけ狐憑きの加持祈祷も行われた。

オオカミの頭骨の一部を削って飲用され、そのためこの地方ではオオカミの頭骨は完全な形で残らないものが見つかっている。
頭骨が民家の棚に大切に保管され、守り神とされている家もある。

たまに頭骨はまじないや、守り神、「狐憑き」治療に借り出されることもあった。
幕末ペリー来航以来、あ免里加狐(あめりかぎつね)や千年も具ら(せんねんもぐら)がやってきたといわれ、
病気になると「狐憑き」と怖れられた。
「狐憑き」とは、このころ、地震、下田を襲った津波、コレラなど社会不安が大きい時代で
ノイローゼなど精神を患う病気だけではなかった。

ニホンオオカミが姿をみせなくなった理由として、
①享保17年(1732)の狂犬病の流行
②明治以降のジステンパー、狂犬病により、人を襲うようになり、殺されたこと
③開発による環境の変化で、えさが少なくなり、群れをなすといわれたオオカミが明治になって孤狼が増えていったこと                     
④幕末からの信仰で、骨を削って飲用するための頭骨を得るために殺害されたこと
などが上げられている。

上野動物園に、ニホンオオカミを飼育したという記録があるが、写真は残されていない。
当時絶滅するとは思われていなかったからといわれる。

見狼記
ニホンオオカミがまだ棲息するかというと、八木博氏が秩父山中で1996年10月14日に写真をとった。
それが、2012年にNHKのETV特集「見狼記〜神獣ニホンオオカミ」という番組で紹介された。
専門家が写真をみたが、オオカミだという確証は得られなかった。
内容は、
昔々山にはニホンオオカミが棲息していた。畑を荒らす鹿や猪を食べてくれるので、信仰の対象となった。
秩父には三峯神社を筆頭にオオカミを祀る神社が21社ある。釜山神社もそのひとつで、春に護符を配る。

オオカミは神ではなくご眷属で神の使いである。
毎月17日にお炊き上げというオオカミにご飯を備える神事がある。

一升の米を人の手がふれないように御櫃に入れリュックに入れて奥の院の少し下がった谷に備える。
備える姿は誰にもみられてはいけない。
300年間宮司だけが祝詞をあげながら備える。
ひと月前に備えた御櫃を持ち帰る。
御櫃のふちには不思議なことに1㎝くらいさがったところに噛みあとが残る。
関東には今でも信仰が残り、講を続けている所もあり、
やめると何が起こるのか怖くてやめることもできないという。
写真を撮った八木氏は、今でも山の奥深くに新しく目撃されたという場所に
カメラを備えオオカミを探し続けている。
自分が死んだら山に土葬してもらい、オオカミに食べられたいと言っている。



                       秩父浦山にて八木氏が撮影


福島県飯館村にある山津見神社のご眷属はオオカミである。避難区域になっているが、
大変地域に親しまれた神社である。神紋が九曜紋で、千葉一族相馬氏が支配していたからだと思うが、
平将門の紋である。秩父からオオカミ信仰が伝わったのかもしれない。
残念なことに2013年火災で焼失してしまった。
宮司の奥様が亡くなられているが、神社を守るために避難していなかったと思われる。
最後に釜山神社の宮司さんが、「自然を怖れる心を持ち続けなければ災害はまたやってくる。」
と言われた。

動物学者のあいだでは最期のオオカミとして、
明治38年奈良県吉野郡高見村鷲家口(わしかぐち)で捕らえられた、若い牡のオオカミだといわれている。

大英博物館の依頼で英国人アンダーソンが8円50銭で買い求め、今でも英国に毛皮と頭骨が展示されている。
なぜか、秩父産のオオカミの頭骨も所蔵されている。

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2017年大英自然史博物館展が開催され
奈良のオオカミはこないかなと思った・・多分きてない
というのは現地でも非公開だから・・・

写真が見つかった

東吉野村の議員さんがロンドンを訪問した話

つぎに大英博物館のオオカミの毛皮

私は剥製の日本オオカミを見た記憶がある
実際調べてみたら大英博物館は頭骨をもっており
勘違いだったみたい・・仕方ないので写真で我慢・・・

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皆花楼あれこれ 「幻の日本狼」について




人間とオオカミの話

①秩父の野上にある家から1キロほど山に入った所に洞窟があった。
そこにオオカミの親子がいて、人間が子供をさらってきた。

近所の人が珍しいと飼うことにした。ところがその晩家の戸をかじる者がいた。
どうも母オオカミらしい。3日ほど続いたが、あきらめたのか、静かになった。
戸をあけてみると縁側に殺されたうさぎが置いてあった。
子供にやって欲しいということなのか、しばらく続いた。
半月ほどすると母オオカミはどこかにいったものか死骸を置くことはなくなった。
子オオカミはよくなつき、すくすく育ったが、3年もたつと凶暴になり隣村の猟師に譲った。
聞いた話では銃殺されたらしい。オオカミがいた穴を「オオカミあーら」という。

②信州の美麻村で、岩穴にオオカミが子を出産したので、赤飯を届けた。
オオカミの子が沢山いるので、「良い子を沢山産んだなあ。一匹くれねえか」と冗談をいった。
ところが、翌日戸口に一匹のオオカミの子が置いてあった。飼う訳にいかないので、穴に返しにいった。

③飛騨益田郡竹原村では下女が水汲みに外にでると老いたオオカミが頻りに憐れみを乞うような様子をしている。
主人がでてきて様子を見るとのどに何かの骨を立てて苦しんでいる様子。
手ぬぐいを手にまいて口中に入れ、それを除いてやった。それから、しばらくしてオオカミは轡を持ってあらわれた。
「礼なら及ばず」と言ったがそれを置いて去って行った。それからその轡はこの家の家宝になった。


④何となくオオカミがついてくると言ったオオカミ送り伝承が数々ある。襲ってくる訳でもなくあとをついてくるという。
松明を振ったり、長いものを垂らして引きずると襲ってこないとか、オオカミの手が肩にふれたら振り向いてはいけない。
ちょうど頸動脈がオオカミの口にきて噛まれてしまうからだ。
このオオカミ送りの話は古くは襲わないオオカミの話だったが、近世に近づくにつれオオカミの凶暴な姿が語られるようになる。
おそらく狂犬病にかかったオオカミがあらわれてからではないかと思われる。


都筑区のオオカミの護符
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牛久保西の農家、私の隣家の元農家には毎年張り替えられたオオカミの護符があるので、伺って聞いてみた。
今でも宮司さんの姿で御嶽山から御師(おし)さんが来られて護符を届けてくださるという。
護符は、畑や台所に張る。そのときは、初穂料「2千円」を用意する。
牛久保の農家では大山講が続いており2年に一度大山の下社に参拝する。
牛久保の鎮守である天照皇大神神社の氏子は、伊勢神宮にも代表者が参拝する。
今でも昔ながらの信仰が続いているようだ。

参考——「秩父山の民俗考古」:小林茂 「峠と人生」「日本産動物雑話」「日本産狼の研究」:直良信夫 「秩父歴史散歩」:山田英二 「歴史知とフェティシズム」:石塚正英 「秩父市誌」:秩父市 「三峯神社史料集」:三峯神社 「武甲山写真集」「秩父Ⅰ風土考」:清水武甲 「オオカミの護符」:小倉美恵子 HPー秩父山地の歴史と文化・ETV特集見狼記・埼玉県秩父市贄川猪狩神社の狼信仰に関する一考察:西村敏也・温故知新・
by gannyan1953 | 2015-06-25 14:06 | 神様の話 | Comments(0)
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