歴史と素適なおつきあい番外編 2015・9・1
鳥甲山(のよさの里より)
長野と新潟の県境、東は苗場山、西は鳥甲山(とりかぶとやま)に囲まれ
約20キロに渡り深い谷が続く
俘囚と秋山郷について語ったブログが
鶴見川流域のと鉄と俘囚である。
菊地山哉を参考にした。
長野県秋山郷 結東村・穴藤村 と境村・現在栄村
秋山郷とは新潟の津南町と長野の栄村にまたがる秘境で、昔から中津川結東村は新潟に属す。
長野に属す栄村とつながっているが、昔は里どうしの交際がなく、結婚もしないという関係である。
近年まで積雪のため隔絶されることもあり、何度も飢饉、飢餓は起こり天保、天明の飢饉で村が絶えたこともある。
生活は幕末にようやく稲作が行われ、それでもなお狩猟と焼畑で生活を支えた。
結東村には3軒のみ屋敷があり他は竪穴住居であった。
赤沢部落に十一面観音(白山信仰)、阿弥陀如来、聖徳太子黒駒像は職人が祀るもの、十三塚がある。
江戸時代に良質の銅石が出るというが、栄村の和山に銅の製錬跡が見られるくらいで秘密に行われ未だに謎の銅山といわれる。
赤沢は鉄分の多い温泉がでる。ここが別所であると思われるのは、地勢から中津川流域は越後に属してもいいと
思われるのになぜか分断され、付き合いがないということから栄村の方に数戸の俘囚を配し、
これを管理する長野側と俘囚を嫌った新潟側に別れ、塞がれたのではないかと菊池山哉は考えた。
まず秋山紀行を著わした鈴木牧之の生家を訪ねた。
南魚沼市塩沢の三国街道塩沢宿「牧之通り」にある。
生家は現在酒屋さん
牧之がいたころの梁が残る
牧之記念館は休館だった
牧之の生家の迎えの脇本陣でここも酒屋さん
八海山の甘酒をいただいた・・・美味しかった
本陣は薬屋さんになっている
牧之の家の前の神社
この隣の寺に牧之の墓があるが、わからなかった
津南を過ぎて秋山郷に向かうと急に山道になってくる
見玉不動尊
見玉不動尊から湧き出る滝
飲み水用になっており美味しい
牧之がお参りにきている
秋山郷秘境探訪図より
本家
牧之の宿のよさの里 秋山紀行の風情を演出している。
牧之が泊まった宿ではないが栄村の公社が運営する宿である。
分家といって離れ家が宿泊施設になりいろりがあり独立しているので
気兼ねなく過ごす事ができる。
分家の名は市右衛門・文五郎・三左衛門・助三郎・新左衛門・要次郎・彦八と
鈴木牧之の「秋山紀行」のとき、世話になった人々の名前である。
玄関脇にある鈴木牧之像
ちょっと目が怖いかも
熊の敷物
鈴木牧之の絵
鈴木牧之の絵
日本酒秋山郷美味しい
のよさの里の方々、秋山の方々・・・
親切にいろいろ教えていただき、ありがとうございました。
温泉とくに内風呂は気持ちよく
お料理も美味しかったです