歴史と素適なおつきあい番外編 2017・9・20
神奈川歩け歩けに参加 12キロ
永山駅10時10分出発 唐木田駅13時25分の新百合ケ丘行き乗車で帰宅
早い ひたすら歩く会で
余りの早さと立ち止まると歩行を妨げる
ゆえに シャッターがうまくきれない
永山駅から永山北公園に行く陸橋
諏訪岳三角点
分倍河原の戦い前夜、北条軍がいた
防人見返りの峠
「赤駒を山野に放し捕りかにて 多摩の横山徒歩ゆか遣らむ」
宇遅部黒女(万葉集 20巻4417)古代の古道が5方向から集まってきて交差していた、と考えられている
ここは小野路町別所と多摩市永山の境界にあたり、古道が集る五差路です。
堀切を持つ関所跡のような場所(現在消滅)、頼朝の弟・源範頼の念持仏をまつったと伝わるお寺や
鎌倉時代初期(弘安4年・1281)の大板碑、源氏の戦いの伝承地(鶴川団地)などが近くにあります。
南北朝時代頃から鎌倉や小田原などへの近道として発達したと考えられるこの鎌倉道は、
古戦場伝説や古墳が残る別所の高台(三社大権現、富士塚古墳)を乗り越えて、
野津田や金井、本町田へと続いています。
交通の要衝である小野路の宿や野津田上ノ原の先へ回り込む早道であったと考えられます。
多摩市散歩より
鎌倉街道
両脇は大妻女子大
土方歳三が歩いた小野路への道
いつか歩こう
奥州につながる道
昭和30年刀傷のある頭蓋骨が発見され
古戦場の伝説があったことから
元弘3年(1333)
新田義貞の鎌倉攻めのときの
頭蓋骨ではないかと推定された
付近の地名に
供養塚・勝負塚・対象塚、小山田小太郎隠れ穴、ひうち池などある
新田義貞は分倍河原、関戸の戦いで勝利し
関戸にて逗留し60万7千騎に膨れ上がり
三つに分けて進軍
そのひとつがこの尾根をいったと
推測されている
ここで待機していた敵軍と激戦になった
おしまい
唐木田駅から帰宅
次回は最後尾についてゆっくり写真をとることにする
ほとんどピンぼけでした