歴史と素適なおつきあい

カテゴリ:神様の話( 32 )

ヤマトタケル

歴史と素適なおつきあい 室内学習       2017・7・14
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三峯神社 ヤマトタケル像

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上村松園



ヤマトタケルは天皇だったのか


ヤマトタケルは第12代景行天皇の息子として生まれた。

時代は推定3世紀末から4世紀前半の話である。

古事記では「倭建命(ヤマトタケルノミコト)・

倭男具那命(ヤマトオグナノミコト)」、

日本書紀では「日本武尊」と表記される。

若くして勇敢だった皇子が、非業の死を遂げる伝承が英雄叙情詩として

語られ、人々に強い印象を与える。

だがヤマトタケルは天皇だったともいわれる。

それは古事記に幸(いでます)・崩(かむあがる)・

詔(みことのり)など天皇に対する敬語表現があることと、

常陸風土記や阿波国風土記に倭建天皇(すめらみこと)とあることからである。

大和の権力を広げていった英雄が夭折し皇子のまま悲劇を迎えたことがより印象深く、

古事記や日本書紀に皇子のままになったかもしれない。

息子は仲哀天皇、その妻が実在を疑われる神功皇后だということから実在も疑われている。

私自身、神功皇后は伝説の人物と思っていたが、

福岡の香椎宮(かしいぐう)を訪ねたときその空気から

仲哀天皇も神功皇后も実在したのではないかと感じた。

特に仲哀天皇行在所の空気は重く寂しく長くはいられない気がした。

重い空気は神のご信託を信じなかったため神に誅された天皇だからか。



ヤマトタケルとはどんな人だったのか


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天皇の本より




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猿投神社蔵




第12代景行天皇の子で小碓(おうす)という。

兄大碓とは双子という説がある。

碓は臼で穀物に関する名前と考え、豊穣を願う名前ではないか。

大碓は父が召した美濃の女性を迎えに行ったが、

その女性にひとめぼれ・・・父には他の女性を差し出した。

父に対し気がとがめたのか会食にも出なかった。

父は兄の出席を弟の小碓に促した。

ところが大碓はそれからも出席せず天皇が小碓に事情を聞くと、


「兄を捕らえて体をつかみつぶし手足をもいで薦(こも)に包んで投げ捨てた」


と答えた。(古事記)

実は兄は美濃に隠棲し、ヤマトタケルの死後10年後に

三河の猿投山で毒蛇にかまれて亡くなったといわれる。


父は小碓を怖れ、遠ざけるように九州の熊襲の平定を命じた。

ヤマトタケルは女装して熊襲に近づき、熊襲を討つ。

熊襲建は死ぬまぎわ勇敢な小碓に自分の名を与え、


「これからヤマトタケルと名乗るように」


と言い残した。


ここにヤマトタケルの名が誕生した。

以後タケルということにする。

九州から帰ると今度は東国遠征を命じられた。

さすがにタケルは叔母である倭姫に泣きついた。


「天皇はきっと自分に死ね」


と言っているのだろうと。倭姫は伊勢に天照大神を奉じた人物である。





倭姫はタケルに草薙の剣(天叢雲剣)と火打石を「万一の時に備えるように」と手渡した。


相武に来たとき、国造に謀られ火攻めに会う。

剣で草を刈り払い、火打石で迎え火をつけて難を逃れた。



三浦の走水では妻のオトタチバナヒメが海の神の怒りを

鎮めるため入水して嵐を鎮めた。

尾張に戻りミヤズヒメと結婚、草薙の剣は妻に預け、


伊吹山鎮圧に向かい死を迎えることになる。




ヤマトタケルの足跡

❶静岡



①萱津神社: タケルがおいしいと言った漬け物の話が伝わる。

村人が土地でとれた野菜と海の塩を祠にお供えしたところ

いい塩梅の現在でいうところの漬け物となった。

ヤマトタケルに献上したところ「薮に神物」(こうもの)と言われ、

それが香の物といわれるようになった。今でも熱田神宮に奉納されている。


氷上姉子神社:ミヤズヒメが祭神でタケルから

草薙剣を預かり奉斎した場所と伝わる。


その地は「熱田神宮縁起」に武稲種命の居館があり

妹のミヤズヒメはヤマトタケルの死後剣を守ってきたが、

年老いたため熱田社を創建したという。


祀られた草薙剣は天武の時代に新羅の僧によって盗まれ、

発覚したあと天武帝は熱田に返却せず、

ヤマトタケルではなくスサノオノミコトの剣として石上神社に祀ったという。

結果天武帝は具合が悪くなり熱田に返却することになる。

この時の熱田の喜びが酔笑人神事(えようどしんじ)として残る。

オホホ祭といわれるがオホホではなくアハハだった。

30秒ほどの間隔で「ミレファー♯ソー↓」の笛が鳴ると

『あははははははー』と笑いながら暗闇を行進するという奇祭である。


清水港で上陸

富士川から大井川に渡る当時庵原(いおはら現在いはら)という地を視察。

大井川から10キロほどの焼津で火難にあったことになっている。

焼津とは毛人がユクート(鹿沼)と言い、

駿河の語源も毛人のスルグラ(トリカブト)であるという。

タケルの時代三河から物部系が進出、毛人は山に後退した。


⑦日本平:タケルが駿河を制定し四方を見回した場所。

ここでは相模原の火難の地は省くことにする。


⑧山宮浅間神社富士山本宮浅間神社の元宮):

富士山遥拝所として世界遺産になったパワースポット。


⑪比比多神社(伊勢原

縄文の頃からある古社でストーンサークルがある。


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比比田神社




❷神奈川千葉

 

②走水神社:オトタチバナヒメと侍女10人を祀る

海が荒れ出航できない兵たちが苛立ち、士気が下がることを怖れ

出航したが、海上は想像以上の荒れた海で、

妻のオトタチバナヒメが「使命を果たして下さい」と侍女とともに入水した。


「さねさし さがむのおぬに もゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」


焼津の火難でオトタチバナヒメを気遣ったことへの感謝の言葉を最後に残した。

さがむとあるが焼津辺りも相武ではないかと言われている。


⑥鹿野山:ここで戦い首長阿久留を討った。

亀山に逃げた毛人は亀を食いつくし亡くなったという。


⑧玉崎神社:九十九里の飯岡、玉之浦から出航。

ここで武稲種軍と合流。


❸東北


⑦遠流志別石(おるしわけいし)神社(石越町)

ヤマトタケルがアマテラスを奉じ、叔母の倭姫から

授かった明珠(めいしゅ・透明な石又は光り輝く石)を埋めた。

和銅2年タケルを祀る建部氏が神官となった。


平泉に白山神社があり磐井川北辺にあったが、

今は中尊寺北にある。


このあたりで足跡が消え祀られている神社はあるが

後の坂上田村麻呂が創建したものである。


⑪都都古別(つつこわけ)神社(福島県)

祭神はアジスキタカヒコネで、八溝の戦いで加護をもたらしたからという。


⑫八溝嶺神社(茨城):まだ毛人が多かったという。


⑬吉田神社(水戸)

近くの朝日山で眺望した。

藤蔓(つる)を使って船をつないだことから藤柄町という地名が残る。


21 鳥越神社(台東区):滞在地である。

昔は海に面しており奥州征討の源義家は白鳥に導かれ

浅瀬を進むことができたという。

江戸になって神社のあった台地は削られ埋め立てに使われ

社地は武家屋敷になった。

それでも宿営地として今でも残るのは伝承の力なのか。


22武蔵御嶽神社(青梅)

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武蔵御嶽神社

国宝の赤糸縅大鎧(あかいとおどしおおよろい)がある。

畠山重忠の所有だが製作に、この神社にあったヤマトタケルの鎧をモデルにしたと伝わる。


❹山梨埼玉栃木


①大嶽神社(桧原村)

大嶽山はキューピーの頭のような形をした山でかわいい。

オオカミの護符がある。

古くから祭神がオオナムチとスクナヒコで

ヤマトタケルは登山をしている。


②軍刀利(ぐんだり)神社(上野原町原・ゆずりはら)

草薙剣を三国山山頂で神実(かむざね・神の実態・神のエネルギー)として

祀り神社には刀のモニュメントがある。

グンダリとは密教の軍荼利明王のこと。

古事記の道は相模にまわり足柄峠から甲斐に行くとある。

しかし甲州街道を進んだと思われる。


⑦酒折宮(甲府市)この地で宿営した。


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青梅街道、甲州街道の合流点にある
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タケルが部下に


「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」


と問いかけると火を焚く老人が


「かが(日々)なべて夜には九夜日には十日」


と答えヤマトタケルは感動し老人を東国造に任じたと伝わる。


連歌発祥の地となった。


この老人塩梅足尼(しおみたるに)といい、

神社を多く創建、信玄隠し湯で有名な身延の下部温泉の発見者である。


ここで建稲種は海路で帰ることになる。そこで


「あゆちがた ひかみあねこは われこむと とこさるらむや あはれあねこを」


と詠んだ。「とこさるらむ」は「所在なげに」という意味ではないかと思う

とこさるは所在ないもの  らむは推量だそうな


(病気で寝込んでしまっているのかと思った・・・・なんだかんだと

女性と縁があるように見られるが婚約者が気になっていたんだ・・・

遠征中で知り合った女性はやはり恭順のあかしに娘をさしだしているのかな)


⑨武田八幡神社(韮崎)

タケルの子武田王がのちにこの地に

封ぜられ亡くなったという居館跡。

武田王とは尾張の丹羽氏の祖でミヤズヒメとの子。

のちに信玄の祖がこの武田姓を名乗り

300年後信玄が生まれた。



⑪教来石(へてこいし・きょうらいいし・白洲町)

といって腰掛け石である。


⑫三峯神社(秩父)


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ヤマトタケル社

タケルは山犬に導かれており、

江戸時代にはお犬様、狼信仰の三峯参りが流行する。


⑬椋神社(吉田町・秩父騒動の最初の集合地)


⑭宝登山神社:山火事にあい犬があらわれ鎮火した。

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金鑽(かなさな)神社(神川)

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倭姫から授かった火鑽金(ひきりがね・火をおこす道具)を納めた。

宝登山の火事がよほど怖かったからか。


⑮城峰神社(神泉村・将門ゆかりの地)




❺群馬長野愛知


①武尊山

麓の片品村でタケルに討たれた盗賊の妻が逃げ、

力尽きて石に憑依し、その石に花が咲いた。

それから災厄が絶えず花咲明神として祀られた話が伝わる。

現在花咲の地名が残る。


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老神の武尊神社


③子持神社(子持)上妻(かみつま)・吾妻(あがつま)姫の話が伝わる。

この地は古くからトヨキイリヒコ一族が治めていた。

その娘がタケルの子を生んだ。

トヨキイリヒコは崇神天皇の十番目の子で、

アマテラスを最初に奉じたトヨスキイリヒメとは同母である。

東国経営にむかい、上毛野(かみつけぬ)下毛野(しもつけぬ)の祖となり、

赤城神社の祭神である。

タケルが長く滞在したのは北にある沼田の干拓に取り組んでいたと伝わる。


ここから

碓氷峠を越えるといわれているが草津に足跡が残るため北上する。

古事記は足柄峠、日本書紀は碓氷峠となっているが

草津から嬬恋村、鳥居峠越えの道を行く。



④白根神社(草津)

タケルが草津の湯を発見。

ちなみに他説は行基、頼朝の発見となっている。


嬬恋村の名は鳥居峠で吾妻者耶(あづまはや)と言ったことから

嬬恋の名になった。

書記には碓日坂とある。


昔嬬恋村からの峠は碓日坂と言われており

軽井沢辺りまで碓氷郡だった。

いつしか長野県民がこの坂を鳥居峠という名にしたのであって

嬬恋村では古代からの碓氷峠はこの鳥居峠だという。

嬬恋村の説は説得力がある。


ヤマトタケルと命を捧げて守ったオトタチバナヒメの話を

英雄伝説にするためには上妻姫との恋愛話は伏せたかったのかもしれない。

そしてこのあたりの神社の祭神はなぜかオトタチバナヒメが多い。


坂城神社(埴科郡)

ここで部下の吉備武彦が越に赴いた。

戸隠から越にはいった。

このためその道にはタケルを祀る神社が多い。


タケルは三州街道を行く。


⑨大御食(おおみけ)神社(駒ヶ根赤穂)

ここで里の長の娘の押姫と出会った。


「二夜三夜 二人寝哉 飽哉 美少女 愛哉 立廻 愛哉」

(ふたよみよ ふたりねしかも あかぬかも うつくしをとめ 

はしけやし たちまわり はしけやし)


大御食神社に伝わる神代文字社伝紀の伝承である。


昼神温泉はヌルヌルしたいい温泉であるが名の由来は、

タケルが鹿に襲われ蒜(ノビル)を噛んで鹿に投げつけたら

鹿の目に当たり死んだからである。

それから峠を越えるときには蒜を噛みながら行くと安全だといわれた。


阿智村はオモイカネノミコトが降臨したといわれる。


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阿智神社奥宮

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阿智神社奥宮
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阿智神社奥宮の磐座


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阿智神社前宮
昼神温泉にある


⑩神坂(みさか)神社:難所の神坂峠を越える。


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古代東山道が左にある



ここは縄文の頃からの道があり祭祀遺跡も残る。

この峠を越えた防人の歌がある。


「ちはやぶる 神の御坂に 幣(ぬさ)奉り 斎(いわ)ふ命は 母父が為」


⑪恵那神社:恵那の語源はアマテラスの胞衣を埋めた伝説から。


内々(うつつ)神社(春日井市)




建稲種の従者が早馬でかけつけ悲報を届けた場所である。


武稲種命(たけいなだ)は副将軍としてヤマトタケルに随行し、

尾張水軍としてタケルの大きな助けとなったといわれる。

尾張の首長として妹ミヤズヒメとの政略結婚も考えにいれていた。

駿河の海でタケルに献上するミサゴ(野)を捕らえようとしたが

波がくなって船が沈没、自らも水死したという

ヤマトタケルをねらう密害されたというがある。


衣服が流れ着いたのが知多半の先にある羽豆神社、

体は吉良に流れ着き幡豆神社に祀られたとされる。


知らせを受けたタケルは絶句

「ああ、哉」「ああ、うつつなりうつつなり」


とつぶやき、魂のため建命の社をたてたことがはじまりである。


内津峠の名の由来となった。




武稲種の妻は犬山にある大県神社の祭神である大荒田の娘である。

夫の死後この実家に戻り領国経営と子育てをした女性の鑑といわれる。

小牧の田県神社にその玉姫が祭神となっている。

両神社は天下の奇祭といわれ有名である。


豊年祭で大県神社:女性を示すおかめの神輿

田県神社男性シンボルをの神輿で、

戦前はもっとリアルだったという。


考えると祭神は親子の関係でいぶかしく思ったが女性は

玉姫、男性は夫の武稲種だそうでお互い夫婦であった。

驚いたことに両神社の接触はなく全く別の祭という。


⑭尾張戸神社 東谷山(とうごくさん)にあり、古代の磐座が多くある。


⑮岩作(やざこ)長久手市


⑯熱田神宮

ミヤズヒメと結婚し、しばらく名古屋に滞在したタケルは精力的に動いている。


知立神社(知立市)矢作神社(岡崎市)矢を矧(は)いだ)


菅生神社(岡崎市):矢を小川に吹き流した)。


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このむこうに京ヶ峯がある
この場所不思議なのだが地図に名前がのっていない
神社がある
神明社だったと思うが
この近くに皇子ヶ入や皇子田の地名が残る

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岡崎 馬頭からむかう

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三村神社に向かう道が二つあった

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左は産業廃棄物処理のような場所などある

次回ゆっくり山登りをしよう

夏は登りたくないな



京ヶ峯はヤマトタケルが都を偲んだ小山である


蘇美天神社・三村神社(幸田町)成石神社(半田市)は、功績のあった者に与えた。


法蔵寺(岡崎)は泉が湧き家康は賀正水といわれたその水で墨をすった。

行基開基と伝わり、近藤勇の首塚がある。


白鳥神社(作手(つくで)村)



❻ヤマトタケルの最期


尾張に滞在中、伊吹山の荒ぶる神の話を聞いたヤマトタケルは

早速草薙の剣も持たずに出かけた。


⑤七所社(名古屋中村区の神社)から船で行く。

一宮市戸塚の砥塚(とぎづか)、巨岩が多く刀を磨いたという。

羽島には八剣神社が五社ある。

坂井の霊泉で休息とある。

のちにオトタチバナヒメの稚武彦が宮を造ったという。


⑥八剣神社(岐南町)、瑞穂市(旧巣南町)


⑦白鳥神社(呂久)は倭姫も休憩している。


⑧白鳥(揖斐川西の池田町)で下船した。


⑨雲雀山(小谷山手前)に陣をおく。


⑱磯崎神社(米原)はヤマトタケルが亡くなった地であるという伝承がある。

この地は鉄の生産がさかんで息長氏の領地である。

伊吹山の荒ぶる神とは鉄の争奪戦のことか・・


伊吹山から離れている場所なので最期の決戦が伊吹山だったのか。

あと薬草の多い地で古代からこのあたりは

トリカブトを鏃の先に塗ったという。


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ウイキペディア



⑩伊吹山の神の氷雨に正気を失い、

重体のヤマトタケルは玉集落にひとまず引き上げる。


⑪居醒の水で正気をとりもどし


⑫白鳥神社(養老町桜井)にいく。

水が甘いので桜井となった。

このあたりで多度まで船でいったかもしれない。


⑬尾津神社(多度の戸津)で下船。


⑭平群神社(桑名志知)


⑮杖衝坂で足が三重になるほど疲れ血の付いた石を積んだ血塚社がある。


⑯加佐登神社ではタケルの陵墓といわれる白鳥塚古墳の横にあり

最期まで所持したという笠と杖が祀られる。

白鳥塚古墳は本居宣長が、ここが陵墓と提唱した。

しかし明治になって亀山の能褒野が比定された。


最後に

ヤマトタケルの残虐な伝承を否定する場所がある。

多治見市の柿野神社は兄を訪ねてタケルが牛でやってきた

という伝承がある。


兄に別れを告げにきたのか、兄は自分の家来を東征に随行させている。

タケルの死後土岐市鶴里柿野に移り住み、タケルの死から

10年後にまた移り住んだ猿投で亡くなったという。


猿投神社は大碓を祀り左利きだったため左利きの鎌が奉納される。

猿投山で42歳のとき毒蛇にかまれ亡くなったという。

父の景行天皇から兄を隠したのか、兄はこの地をタケルの死後拝領したのかわからない。

大碓の妻は景行天皇から奪った姫だとすると、

姫の父は現在の美濃加茂市を拝領しておりそこも近くにある。

妻の実家の援助でこのあたりに隠棲したとも考えられる。

大碓の墓は猿投神社にある。


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猿投神社


参考:天翔る白鳥ヤマトタケル・伝承が語るヤマトタケル:小椋一葉 

    青銅の神の足跡:谷川健一

    神社に秘められた日本史の謎:新谷尚紀 天皇の本:学研













by gannyan1953 | 2017-07-18 14:58 | 神様の話 | Comments(0)

谷中七福神に行ってきた

中川歴史ウォーキング28    2017・1・21(土)


2017年1月21日(土)にご案内します
参加ご希望の方は
中川歴史ウォーキング
でお申し込みください


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谷中七福神地図

江戸で最も古い七福神である。

七福神のルーツは平安時代後期にさかのぼり
京都鞍馬の毘沙門天に恵比寿、大黒が加わりしばらく三神信仰が続いた。
平安末期に琵琶湖の竹生島弁天信仰が盛んになると毘沙門天のかわりに
弁天が入って三神信仰になったりした。室町末期にになると
他の神々が加わり七福神が始まった。近畿地方から起こり
江戸時代になって、中頃の宝暦年間に江戸にも七福神が始まった。

これが谷中七福神である。

1月1日から10日まで開帳され
七福神の御朱印がいただけるが、かなりの賑わいである

その日以外は静かで七福神を拝むことはできないが、
唯一最後の弁天様が拝める

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MASAさんのホームページより



集合:JR山手線田端駅北口改札口でたところ  9:45

田端駅北口・・東覚寺とうがくじ(福禄寿)・・青雲寺(恵比寿)・・修性院しゅしょういん(布袋尊)・・
谷中銀座で早めの昼食・・長安寺(寿老人)・・天王寺(毘沙門天)・・
徳川慶喜の墓・・護国院(大黒天)・・不忍池弁天堂(弁才天)

東覚寺 福禄寿 家内安全・長寿
福禄寿は中国の神様で道教の理想である幸福、俸禄の意味。
北区田端2−7−3
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東覚寺は真言宗 豊山派のお寺で
赤紙の仁王様で昔から知られており
治癒してくれるパワースポットといわれている

お寺で赤紙を購入し治したい場所に貼る。
そこが治癒したらお礼に草鞋(わらじ)を奉納する
わらじもお寺に2000円ほどで準備してくれる


青雲寺 恵比寿 商売繁盛 大漁豊作
恵比寿は唯一日本の神様でいつもニコニコしている顔を
「えびす顔」という。
荒川区西日暮里3−6−4
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青雲寺は臨済宗の寺で「花見寺」と親しまれてきた。
江戸時代からこのあたりは「ひぐらしの里」とよばれる
行楽地だった。
風流を好む文人墨客が集まったという。
南総里見八犬伝の作者 滝沢馬琴の筆塚や硯の碑がある。
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日暮里の江戸名所図会 道灌山は右奥の山
船繋の松
道灌山という山の頂上に船の航行の目印のために作られた。
燈台の役割である。ここまで海がせまり、道灌山のふもとに
青雲寺があった。


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修性院 布袋尊 家庭円満
布袋尊は中国の僧で、
「泣いて暮らすも一生 笑ってくらすも一生
同じ暮らすなら笑って暮らせ」
と言ったという。
袋をかついで放浪した実在の人物である。
荒川区西日暮里3−7−12


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塀のモニュメント


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天気のいい日にはチョイ見富士が見える

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七福神ではないが
江戸六地蔵がある浄光寺

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天保9年(1837)刊の東都歳時記による江戸六地蔵


諏方神社

浄光寺の隣の諏方神社が素適な趣で、お参りした
鎌倉時代の領主豊島氏が諏訪大社から勧請したと伝わる



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スライムのような狛犬



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本殿

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右に三峯神社




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左側に御嶽神社


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たくましい空仰ぐ狛犬
かっこいい




本行寺
月見寺といわれ道灌の物見塚があったといわれる。
上野戦争の弾痕跡がある。

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谷中銀座
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いつも賑わいランチは早めにして
それぞれお好きなお店でお召し上がり下さい





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朝倉彫塑館
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朝倉彫塑館・・・上から人が覗いている



長安寺
 寿老人 長寿延命。諸病平癒 
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寿老人は道教によると聖人老子が亡くなって南極老人星になったといういわれがある。
長寿で鹿を従え(鹿はロク)杖に巻物がしばってある。 
台東区谷中5−2−22

臨済宗の寺で狩野芳崖の墓がある。





天王寺 毘沙門天 武道成就・悪霊退散 
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毘沙門天はインドの神話の神様でヒマラヤの北に住みインドを守る神様。
戦いの神で財産も守ってくれ、福を授けるという。 
台東区谷中7−14−8
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天王寺は日蓮宗感応寺にはじまり、元禄12年(1699)天台宗に改宗し
天保4年(1833)護国山天王寺と改称した。
改宗の理由は
日蓮宗の不受布施派を幕府が弾圧したからである。
日蓮宗は法華経を信仰しない者に
教えを説いてはならないという教義があり、
幕府や非不受布施派ともめていた。

その後富くじ興行が人気で大変な賑わいがあった。

幕末の上野戦争で彰義隊の分営に使われ
五重塔を残し焼失した。

五重塔は寛政3年(1791)に作られており
その話を幸田露伴が「五重塔」に著わした。
五重塔は残念なことに
昭和32年(1957)不倫関係の男女の
放火心中事件で焼失した。

谷中霊園にその跡が残る。  谷中に行ってきた

谷中には多くの有名人の墓があるが
今回は最後の将軍徳川慶喜の墓をお参りする。


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長安寺 寿老人 長寿延命。諸病平癒 
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寿老人は道教によると聖人老子が亡くなって南極老人星になったといういわれがある。
長寿で鹿を従え(鹿はロク)杖に巻物がしばってある。 
台東区谷中5−2−22

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板碑

寿老人の像は 徳川家康が納めたものといわれる。
本堂の両脇の壁は伊豆の長八による鏝絵である


臨済宗の寺で狩野芳崖の墓がある。



護国院 大黒天 五穀豊穣・家庭増進 
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大黒天はインドのシバと日本の大国主命が習合した神である。
頭巾は「上を見ない」と謙遜を表し、米もニ俵で充分と
欲を張らないを表す。 
台東区上野公園10−18


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寛永寺の子院で別当である。
天海が寛永寺を建立したときに
ここも建立され釈迦堂とよばれた。



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水月ホテルは森鴎外邸跡に建っている
鴎外の旧居がある





不忍池辯天堂 弁才天 芸術の神・財運招来
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弁才天はインドのサラスパティといわれる神で
川のさざ波の音が神になった
蛇を従え富をもたらす神である。
台東区上野公園2−1

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お堂の中にあがることができ、弁天様が拝める
七福神開催日程以外唯一拝める場所




このあたりは昔は海で平安時代に海岸線が後退し
沼になっていた。
寛永寺建立のとき琵琶湖になぞらえた不忍の池に
竹生島をなぞらえた中島がつくられ弁天島となった。
寛文10年(1670)に陸道、橋がつくられ
行けるようなった。




参考:七福神の家・東京都歴史散歩・台東区ぶらり散歩






by gannyan1953 | 2016-11-30 10:44 | 神様の話 | Comments(0)

滝原宮に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編   2016・11・7(月)

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 エクシブ鳥羽から1時間

伊勢神宮別宮といわれる瀧原宮についた

伊勢神宮に負けないほど神聖な場所である・・・



人は少ない

穴場・・・・である


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こんな巨木がいっぱいある


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御由緒

倭姫はここが気に入ったのだが
のち今の伊勢神宮の場所に移った

元伊勢ではなくなぜか別宮といわれる


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倭姫とマナコさんとの出会い
恋ではなく
増水のため川を渡れず困っていたところ
マナコさんに助けられ
渡ることができた


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近くの峠でいい場所ねと語り合い
ここに滝原宮を作った






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昔のガラスの駐在所


静かな参道を行くと川に降りて行く場所があり
川で清める

御手洗である







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建物の並び順と、お参り順は違う
気をつけてほしい


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一  瀧原宮

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二 瀧原竝宮(たきはらならびのみや)
天照大神の荒御霊


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三 若宮神社
倭姫が使用した船が祀られている


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四 長由助(ながゆけ)神社
瀧原宮の御贄を司る
神様がいただくお食事のこと
伊勢神宮の外宮にあたる


ここは分杭峠のような零磁場だという

共通点は分杭峠、伊勢神宮、瀧原宮は中央構造線上にある

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伊勢神宮と同じように遷宮が行われる

この地は新御敷地(しんみしきち)
遷宮から6ヶ月後までは古殿地(こでんち)といわれる




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参拝後、脇の道がとても素敵で
行って見た

この道熊野古道だった

ずっとずっとさきに進むと倭姫とマナコさんの
出会った三瀬坂峠に続く












by gannyan1953 | 2016-11-08 19:47 | 神様の話 | Comments(0)

エクシブ鳥羽の朝日と遺跡

歴史と素適なおつきあい番外編  2016・11・7

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エクシブ鳥羽アネックスの日の出


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エクシブ鳥羽の本館の内海の日の出


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エクシブ鳥羽本館

このあたり遺跡があった


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贄遺跡

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製塩していた

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志摩は御食つ国(みけつくに)といわれる

この遺跡も贄・・・捧げもののことである

お伊勢さんに海産物など納めていた

ここは4000年にわたる遺跡で
縄文時代の土器から和同開珎・・平安時代の須恵器が
発掘されている

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エクシブ鳥羽別邸

うん・・・少し豪華・・・

朝ご飯を食べに行きますか・・







by gannyan1953 | 2016-11-08 18:27 | 神様の話 | Comments(0)

石神さんに行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編     2016・11・6

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最近人気の石神さんに行ってきた

鳥羽から狭い道をくるくる走ると海辺に近いところに出てきて
石神さんの矢印をたどっていくと
相差(おうさつ)海女文化資料館にくる
なかなか「おうさつ」とは読めない難読地名だ

資料館に駐車してすこし歩いて神明神社にいく
その摂社が「石神さん」とよばれる
昔から海女さんたちが大切にしてきた神さんである

女性の願いをひとつだけ叶えてくれると
最近脚光を浴びている

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本殿の前にある大きな木

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同じく 大きな木


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神明神社本殿

ピカピカ

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お勉強
叔母が甥と結婚したことになる

姉トヨタマヒメは出産の姿を夫に見られ
(姿がワニだったので見られたくなかった)
それで
キレて実家に帰るが

妹タマヨリヒメを息子の養育係として遣わした

タマヨリヒメは
養育した甥っ子ウガヤフキアエズと結婚し
初代天皇神武天皇を生む

発祥、開運、再生の神様である


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人の絶えることのない
石神さん

石は扉がしまっていて
みることはできない
中には石がある
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お守り

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セーマン・ドーマンとよばれ

左はセーマン・・・安倍晴明の家紋・五芒星である

右がドーマン・・・九字(くじ)の呪文といわれる
(臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前)

陰陽道の安倍晴明・蘆屋道満に由来するともいわれ、
強い念をかんじられる由来だ
ここでの蘆屋道満は物語にでてくる悪役ではなく
不思議な力を持ち、人々・・特に庶民を守るために尽くした
安倍晴明は朝廷の陰陽師なので要となる朝廷を守るために尽くした

お守りは海女さんの手作りで
海女さんは海に潜る時の道具や手ぬぐいに
この護身用の印を自分で描くという





今晩のお泊まりは

エクシブ鳥羽アネックス

アネックスはバスでお風呂に行くのが面倒
前は本館だったので便利だったが・・

よかったのは海がとてもきれいで
景色がよかった









by gannyan1953 | 2016-11-07 22:04 | 神様の話 | Comments(0)

アラハバキ

歴史と素適なおつきあい番外編     2016・7・29

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お墓参りの帰りに愛知県三河の本宮山に行ってきた
車で登れる
スカイラインは無料である

砥鹿神社奥宮がある

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本宮山の伝説

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山頂は岡崎市、新城市、豊川市の市の境で
アンテナがすごい

最近どこにいっても神様の山に崇敬がない

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末社になっているアラハバキ神が本当の祭神だった・・

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かなり大きい

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樹齢千年といわれる杉のご神木

このあたりに山登りの人々が到着するので
人が多い

トイレはちょっと怖いどぼんトイレだったのでパス

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奥宮

この横に神職の方々がおられ
なぜ現在アラハバキ神ではないのかと聞いてみたが、
元の神様はアラハバキです!と繰り返し言われた

今あるアラハバキ社は大きなものすごく大きな岩にあり、全体を見るには
その裏に行くといい・・・

とあとで聞いた

もう一度戻ることも1人ではなかったので
あきらめた

残念

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気の向うにみえる岩

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アラハバキ社



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山中にある岩
これも磐座なのか?


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山頂


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山頂からの景色


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下山して里に下りた砥鹿神社


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境内の外にあるアラハバキ神社

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戦争の爆撃跡が残る鳥居

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この鳥居は奥宮遥拝の場所だった












by gannyan1953 | 2016-07-29 18:42 | 神様の話 | Comments(0)

富士山ぐるり 浅間神社参拝 東口本宮冨士浅間神社

歴史と素適なおつきあい番外編   2016・3・26


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信しげの滝

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不二山
二つない素晴らしい山の意味の鳥居


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獅子の子落としの狛犬

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そしてお父さん狛犬
うーーん・・普通


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本殿

宝永の噴火後の建物で修繕は繰り返している

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祖霊社

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根上がりの松 縁結びの木

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鎌倉道
楽しみにしていた
舗装されており・・・短かった



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ハルニレはこの辺りでは珍しい木だそうだ
もっとあったかい土地の木だそうだ


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宝永火山からの湧き水

じっと待つと・・・・


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シャワシャワ・・・・シャワシャワ・・・

5カ所くらいからいっせいに

シャワシャワーー

感動!


ここには入口付近に資料館がある

到着が5時頃
はなからあきらめていたが、ちょっと後悔
頼んだらあけてもらえたかも・・・・

夕方のせいか、ここも静かで
泉がいっせいにシャワシャワしたのは


パワースポット認定!

富士山ぐるり 浅間神社参拝の旅終了

よき1日でした













by gannyan1953 | 2016-04-03 16:12 | 神様の話 | Comments(0)

富士山ぐるり 浅間神社参拝 村山浅間神社

歴史と素適なおつきあい番外編  2016・2・26

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絹本著色富士曼荼羅図

村山浅間神社から富士登山をする姿が書かれている

室町時代に書かれた冨士講お誘いのために
書かれたものだという

女性が禊をしているが、山には登っていない
女人禁制である
禊姿はあとから付け加えられたかもしれないというが

巫女が踊っている(フジレキシより)

現存する3枚の一枚で貴重な存在で世界遺産認定に
貢献したことと思う

静かな佇まい・・・訪れたかった神社である

修験道の盛んな頃、興法寺という寺の7つある坊の一つだった
道者は社殿に参拝、水垢離をし、かつてあった興法寺の
西側にあった登山道を進み、登拝した。
興法寺が盛んだった理由に京都の聖護院と密接な関係だったとされる
聖護院は修験宗総本山である

富士山村山口登山道にあたり、大宮から来る道筋である

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本堂

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護摩壇跡

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寄付した人々の名が残る


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プールのようになっている


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大日堂

廃仏毀釈でことごとく壊され
この建物は新しい

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古写真


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前の大日堂のものだと思う
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大日堂の中に安置されている仏像リスト

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修験道の祖 役小角(えんのおづぬ)

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大日如来

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お猿さんに注目
かわいい

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高根総鎮守


かつて大棟梁権現社といわれた
興法寺の堂社のひとつで、富士修験の末代を祀る
末代は富士山に数100回以上登り
山頂に大日寺を建てた
神仏分離で祭神はオオナムチとなった
(富士あさんぽ見聞録より)

かなりいい気持ち
パワースポット認定

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神社をでて登ると
こんな景色
合宿所があり、乗り物の残骸があり廃墟に見える
夏には開園すると思うが・・・


雰囲気はとてもいいところ!

残念だったのはトイレも新しく一番きれい
隣にインフォメーションがあった・・・・
集合時間ギリギリでアウト!!

知っていればお勉強できたのに・・・

絹本曼荼羅を大急ぎで撮らせてもらった
いっぱいお話聞きたかったーーー!



つづく ふじさんぐるり 浅間神社参拝 東口本宮冨士浅間神社










by gannyan1953 | 2016-04-03 12:00 | 神様の話 | Comments(0)

富士山ぐるり 浅間神社参拝 河口浅間神社

歴史と素適なおつきあい番外編   2016・3・26

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河口浅間神社

貞観6年(864)の噴火で現在の富士五湖が形成される
貞観7年勅命で浅間明神を祀ったことが浅間神社のはじまり

ここはあさま大神を祀る前は諏訪社だった
境内に今も諏訪社がある

古代からずっと続いてきた信仰の場
落ち着いた雰囲気はそこからきているのかもしれない

富士信仰で栄え、御師の家が100軒以上あったが、
江戸時代富士講が栄えると衰退していった

柳田国男がこの神社の山宮を見に来ている


静かな気に包まれた落ち着いた神社で
参道脇にあるお店和カフェ すぎのきで黒米の甘酒をいただいた
品のいい甘さで美味しかった




神社に行く途中に
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阿部総理が立ち寄る焼き肉屋さん 鉄庵  

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美麗石・ヒイラ石
さわるときれいになれるのかなァ
日本三代実録に「浅間明神」を祀った古代祭祀の石閣とある
美しい彩色だったからつけられたらしい

というか、浅間明神は古代信仰、諏訪社、浅間明神という順なので、
元からあったこのヒイラ石が
古代信仰の神様になると思う

この石を踏むと鼻緒が切れるという話が伝わる
いかに怖れられていたかがわかる

明治20年この石の下を掘り起こした

深さ3、3mに
雷斧 弐、白玉 四、管玉 壱、黒石破片 弐
があった
今も神社に残されているそうだ
(河口浅間だより 第24の4)

見たかった・・・

雷斧(らいふ)とは石器時代の石斧を雷の落とし物と当時は思っていた・・・

管玉は縄文時代のビーズで呪術に使われた

黒石破片って黒曜石かな

古代からの石だ!

美麗石で検索すると美容洗顔石鹸だった 



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本殿

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7本杉といわれる杉がある
樹齢1200年で名前がそれぞれついている
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山宮があり、トコトコ道しるべに誘われて登って行く
道路に出てなお続く
里宮と奥宮・・・近い!
ほんとに柳田国男さんこの山宮見に来たのかな


奥宮は新しい社だが1合目,2合目と近距離で
登って行くので面白い


つづく 富士山本宮大社









by gannyan1953 | 2016-03-27 11:56 | 神様の話 | Comments(0)

富士山ぐるり浅間大社参拝 北口本宮冨士浅間神社

歴史と素適なおつきあい番外編    2016・3・26

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北口本宮冨士浅間神社


景行天皇40年(110)ヤマトタケルが大塚丘(おつかやま)に立寄り、
富士山を仰ぎ見てここから「拝すべし!」と仰せになった
そこで
大塚丘にヤマトタケルとあさま大神を祀ったことがはじまりである

ここはパワースポットである
清々しさを感じた

延暦7年(788)現在地に社殿を建てた
現在の本殿は元和元年(1615)鳥居土佐守が造営


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修験道の名残


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ガイドのお兄さん写ってしまい申し訳ありません

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早朝に降った雪
戸隠を思わせる荘厳な雰囲気



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角行さんは富士講改開祖

慶長15年(1610)の冬に角行さんが
裸でこの石の上に爪立ちして30日の荒行をした
全身から血が噴き出し里人が止めたという
オソロシイ007.gif


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太郎杉
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夫婦杉 撮る角度間違えてよりそう杉になっていない・・・

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社殿横の梅に雪がかぶっている

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武田信玄造営の社

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祖霊社
右が吉田ルートの登山口

大塚丘(おつかやま)
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登山口から5分ほど行って左にある大塚丘

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ヤマトタケルが祀られている

ここはパワースポットだと感じる

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帰り道 木の大鳥居

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帰り道の参道
あら・・・明るい

つづく 河口浅間神社






by gannyan1953 | 2016-03-27 10:36 | 神様の話 | Comments(0)



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