歴史と素適なおつきあい

カテゴリ:港北ニュータウンの歴史・老馬( 42 )

ブヨには熱いシャワーが効く

歴史と素適なおつきあい番外編




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画像:e-情報.com


久しぶりにブヨに刺された

最初わからなく半日たってかゆいなと思った
小さな赤い点が三つありかゆいのでリンデロンVGを塗った

収まったと思ったが3日後から無性にかゆくなり
腫れて来た

そこで熱い46度くらいの熱さのシャワーをかけた
かゆみが止まった

10時間後またかゆくなったのでシャワーをかけた
かゆみが止まった

ホントは冷やすのかとおもったのに熱いシャワーが効いた
よかった


by gannyan1953 | 2017-06-16 10:05 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)

山崎公園 アオサギ コサギ

歴史と素適なおつきあい番外編   2017・6・14


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知らなかった

アオサギは入れ替わっていた
理由はわからないが今のアオサギと縄張り争いに負けたのかもしれない

コサギはカラスに追われてどっか行ってしまったという

人に慣れてかわいかったのに・・・

早朝カワウがやってきて石でカワウを追い払っていた
コサギは自分のことと思って去ったのかもしれない


by gannyan1953 | 2017-06-14 22:50 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)

からたちの花

歴史と素適なおつきあい番外編



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最近篠笛とピアノ伴奏の演奏会を開いている

「からたちの花」というグループである

近所にからたちの花が咲いた

からたちにはとげがあり 
まろいまろいきんのたまの
実はたべられない

まるで私たちにピッタリだと
名付けた

花は可憐でよかった・・・


北山田地区センターで
2017年6月3日13:30

ロビーコンサート!


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by gannyan1953 | 2017-04-18 13:12 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)

老馬谷ガーデンに行ってきた 

歴史と素適なおつきあい番外編   2017・4・16


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柴犬 朔太郎


全国都市緑化よこはまフェア協賛の駅前から老馬谷へ

今まで使用できなかった階段を使って早淵川に下りると
そこはもう老馬谷ガーデン



チューリップが可愛らしい
花がいっぱいのガーデンができた

大山街道を歩いている方
おくつろぎください




by gannyan1953 | 2017-04-18 13:01 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)

中川の花散歩に行った

歴史と素適なおつきあい番外編  2017・4・12

山崎公園の山

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 日本タンポポ



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シュンラン


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ホウチャクソウ


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ナツトウダイ



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ヒトリシズカ

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山崎公園のグランドは前日の雨で池になった


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真ん中にいるのがウシガエル


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ヤマモモ


徳生公園

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キンンクロハジロ
もうすぐ北に帰るらしい


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カイドウ


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ハナモモ
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クスノキ

牛久保西公園


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花は終わっていた


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 昔ゴールデンのガンジーと毎日遊んだ公園
桜もっと小さかったな


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1996年生まれ
2006年永眠
ガンジー



おしまい

ぐるっと緑道










by gannyan1953 | 2017-04-13 20:44 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)

港北ニュータウン 明治の講の旅

歴史と素適なおつきあい番外編    2017・1・12

明治40年ころ
大棚村にあった講・・何の講なのかわからないが
講の代表で
参拝の旅に出た記録を見せてもらった


2月5日

午前6時 杉山社に集合 
このころはまだ龍福寺あたりにあったという
猫のあしあと 龍福寺について

お神酒2升 みかん4箱を配る

神奈川発11寺40分の汽車に乗車

当時の神奈川駅は、東神奈川と横浜の間にあり
明治5年(1872)に品川と横浜に開通し
一ヶ月後に神奈川駅が設置された
昭和3年(1928)に廃止された

国鉄 神奈川駅

駅まで約11キロ 3時間弱の徒歩である

静岡に午後6時着  
静岡の安田屋に宿泊

昼食代2円 酒9人前含む


どうも9人ででかけ
、6時間の乗車中
早速飲んで食べてをしたらしい

宿泊代は読めないが50銭くらいだろうか
今安田屋はないと思われる

早速静岡着の知らせをはがきで送ったらしい

2月6日
久能山拝観 拝観料ひとり10銭

静岡浅間神社参拝

静岡駅〜久能山まで約10キロ

静岡駅から浅間神社まで約2キロ
往復24キロ

なのに
午後6時 豊橋駅に到着 坪屋に宿泊

歩きで6時間 汽車はわからないが3時間かかるとして

(静岡から豊橋は約113キロ時速40キロで
汽車が走ると・・・約3時間)

朝6時から3時まで9時間あるので
歩きの参拝、参詣は可能
静岡駅には午後3時出発で
夕方6時に豊橋に着ける

とにかく脚力すごい

2月7日
午前6時 坪屋を発ち8寺豊川ステーションへ
汽車にて熱田に至る
熱田神宮参拝
徒歩にて
東本願寺参詣
西本願寺参詣  
散歩にて
名古屋城見物
旅館に入る 


夜散歩 
改良万年筆?
このころの万年筆は6円ほど
見に行ったのか?

宿代 60銭 河内屋 宿泊 
現存せず


2月8日
名古屋より津島まで
津島神社参拝

中食15銭
蜜柑5銭
津島より亀山まで汽車
参宮列車にのりかえ山田に着し
龍太夫支店に3時半に着き茶を喫し
直ぐ人力車にて神風館龍太夫に至り
1泊 棒入参内し神官太神楽10円
伊勢神宮参拝のことと思う
伊勢地図5枚10銭
画紙25枚
竪具後 14枚 14銭

竪具はわからないが障子紙か?
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龍太夫の宿坊は現在伊勢和紙館になっている


2月9日
お神楽料
馬車にて二見ヶ浦見物
帰りニの膳 大盃 古式にて取り飯を喫し
馬車にて二見浦
2円35銭 9人分

2月10日
古市備前屋にて伊勢踊り
龍太夫に帰り一泊

伊勢踊3円50銭
二見ヶ浦館5銭
草履15銭
煙草9銭 5銭

講 ? 9人前

2月11日
10時頃より朝熊岳へ(あさまだけ)
中食5銭
朝熊 札代11銭
子守地蔵 5銭
茶菓子10銭
龍太夫 宿代64銭
朝熊山奉納 20銭か2銭

朝熊山金剛証寺で伊勢神宮の鬼門をまもる寺

2月12日
午前7時35分 山田発の汽車にて
午後1時奈良の南園堂下小刀屋善助方投宿

春日大明神札代 14銭
奈良名所本 10銭
カミソリ25銭
春日大神奉納50銭
人力車
利用料金不詳

荷物山田より神奈川迄


2月13日

橋本より高野山へ3時頃着
高室院へ一泊
宿泊代 70銭
札代31銭
うどん

中食15銭
おかし2銭
高室院は村上天皇の血をひく僧が
寺を開き現在もある
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高室院 宿坊

高室院宿坊のご案内


2月14日

妙寺3時3分の列車にて粉河

粉河寺参詣
札代2銭
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観光協会より



4時51分の列車にて岩キ駅へ
岩キ駅より1里徒歩根来(岩出駅と思われる)
地辻本屋 一泊 
宿泊代 4?銭
地図4枚 12銭
札代6銭

2月15日
岩キ駅停車場より汽車にて和歌山市へ
和歌山天守閣 5銭

大阪道頓堀
人力車  5銭
大阪エビス屋 宿泊
宿代80銭
16日
大阪案内車夫 65銭
多度津舟代 1円40銭
中食 30銭
汽船菓子 12銭
四国松見屋 中食
多度津より琴平汽車賃27銭
箱?園 2円48銭
札代20銭
札代33銭
中食30銭
松見屋宿泊45銭


2月17日
午前6時多度津を発し宮島へ
舟賃 1円47銭

厳島神社
札代11銭
大根屋 70銭
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現在のだいこんや かわぐちか

2月18日 
宮島より神戸まで
汽車賃2円55銭
宮島絵図 17銭
汽車菓子 10銭
中食15銭
神戸より京都
汽車賃75銭
京都より三條小橋
電車賃7銭
湊川社
札代 7銭
午後9時京都三条大橋南詰 伏見屋到着す


池田屋騒動で有名な旅館池田屋。騒動後営業停止となり約7ヶ月後に再開し、
後年佐々木旅館になったとの記述も多く見受けるが、
実際は事変後営業停止となり屋敷・什器・畳1枚まで競売にかけられることになり、
伏見に住む桝谷という人物が「桝屋」という屋号で営業することになる。
その後「大勢館」「伏見屋」「佐々木旅館」と移り変わっていく。
池田屋前の碑は昭和2年京都市教育会によって建立されたが、
寄贈者として碑に刻まれている佐々木フサとは伏見屋の主であり、
その後同地を引き継ぐ佐々木旅館は佐々木フサの親族が経営者である。

参考 よっぱ、酔っぱ池田屋騒動


これによると
どうも元池田屋に宿泊したことにある  大発見!

寺の名前で読めるのが金閣銀閣、等持院

2月19日
平野神社
官幣大社
北野天満宮
芝居 10銭
京都案内7銭
伏見屋宿代70銭
健心寺
三十三間堂
後白河帝
?エリ5枚 1円50銭
清水寺
高台寺
知恩院
信倉院
南禅寺 石川五右衛門の門あり
案内賃 不詳
京都大津船賃10銭

大津竹内 宿泊 70銭

2月21日
近江八景廻り 車で 70銭
三井寺 鐘をついたか
石山寺本堂拝観 3銭
近江石山より静岡まで(静岡行きの間違いではないか)
汽車賃2円49銭
午後7時豊橋坪屋投宿
22日
午前6時36分豊橋発平沼駅 急行列車
急行券50銭
豊橋より平沼まで汽車賃1円52銭
蜜柑4銭
煙草9銭


帰宅



おおよそ筆記してあるだけで1人30円
宿泊代・交通費。昼食代などが書いてないところもあるので
1人50円はかかったのではないか


今の金額で50万円はしたと思う
講の旅19日間・・・おみそれしました040.gif





















by gannyan1953 | 2017-01-27 10:48 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)

劔神社 港北ニュータウン

歴史と素適なおつきあい番外編   2017・1・7

劔神社に初詣

中川からセンター南
参照


地図
劔神社に初詣

 まずは中川駅から早淵川にむかって 
階段上がると
 
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矢羽根不動尊

義経の家来が矢を放ち
羽根が落ちたところという伝説がある
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以前お堂の中をみせてもらった


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本堂の右にはお稲荷様


柚木台地にでて
高地からの景色を堪能したら

あすなろ老人ホームの方に
下山
柚木谷戸を横断し

あいわ幼稚園の下の谷戸にはいる

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左手に熊野社

たしか動かすと祟るといわれ
劔神社に合祀されるも
今でもここに鎮座


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谷戸の突き当たりを登ると富士山がよく見える

あいわ幼稚園の大きい駐車場手前右の道を
降りて行く
この細い道は鎌倉街道といわれる

すぐに劔神社におりる


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劔神社の社伝

むかし陸奥の国から炭を売る商人が長年にわたり
鎌倉の鍛冶に炭を運んでいた
鍛冶はお礼に自ら鍛えた刀を一振
炭商人に贈った
その帰り道荏田村の和泉谷付近で
休み、清水を飲んだら酒酔いの気分になって
眠くなり眠ってしまった

そのとき木の上にいた大蛇が
炭商人をひとのみにしようと下りてきた
とっさに刀が勝手にぬけて
大蛇を斬った

炭商人は命を助けてくれた刀を当地に
祀った

八岐大蛇伝説みたいで
おもしろい

この神社はこの辺りに多い杉山神社とは違う

ただ宮司さんは共通のようだ
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劔神社

ちょっと近くの真福寺に立ち寄った
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真福寺の左の道を登って行くと

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お稲荷様があった

今回の新発見








by gannyan1953 | 2017-01-07 17:09 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)

荏田村の地名

歴史と素適なおつきいあい番外編

荏田宿

江戸時代初め宿駅がおかれた。

文久3年(1863)に3軒の旅籠と30軒ほどの商店が
あったという。


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残念なことに明治になって大火があり宿は焼失した。

この常夜燈が唯一の名残である

文久元年(1861)に
小泉伝次郎が再発願者となり寄付を受けて
つくられた

番小屋跡・大橋跡

大山道の旧道は大橋を渡って向こう岸を荏田宿に向かっていた
現在大橋はないが、そこには
生麦事件のあとに設置された番小屋があった。
外国人を守るための関所である。

番小屋ではなく番所は川崎宿から保土ヶ谷宿までの間に
20カ所設けられたという。

ここの記録はまだ見つけられない。



渡辺華山の来宿

渡辺華山は天保2年(1831)藩主の母「お銀様」を訪ねるため
大山道を歩き「游相日記」を著わした。
有馬の山のオオカミの話もある。中川の大山道

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真福寺


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開創年代は不明。
創建当初は現在地の北方3.4kmにあったが、
大正11年に本堂の老朽化のため観音堂があった現在地に移転。
当初の本尊・薬師如来と釈迦堂の釈迦如来(重文)はその時に客仏となった。

本尊の千手観音立像は本堂にある。
平安末期の作で前面は頭から裾まで一本の木で彫られ、
天冠、頭髪はていねいに彫刻されている。
一部に彩色が残る。
もとは彩色され見事な姿だったと思われる。

12年に1度の子の年に開張される。


釈迦如来立像は、
昭和8年国の重要文化財に指定される。
京都清涼寺本像を模刻した像で
頭髪は縄を巻いたような形で
首まで衣が覆っている。
衣文は美しく彫りだされ、
やさしい表情をした
清涼寺式釈迦と呼ばれるものである。

毎年4月8日と8月17日に開張される。

真福寺の盆供養

もとは毎月17日に観音講があった。
今では8月17日に釈迦如来が公開される。
観音講なのに釈迦如来公開なのだろうか?
今度でかけてみて、確認したい。

17日は家康の忌日でそれに関係すると思われる。

群衆が殺到したという。

渡辺華山が桝やから聞き書きしたものを
「游相日記」に書いている。

観音講といふありて馬の売買をなす。
近きまわりはいふもさらなり。

遠き国よりも、馬もてるかぎりは、
牽ききたりて、売買
せるなり。
おのが持てる馬にあき、又は、畜かたき馬なぞは
よき馬のようにこしらえなして、互いに見極めて買ふなり。

この馬市は2月17日に行われたらしい。
明治になると8月17日だけとなった。
法要が行われ、双盤念仏が行われるという。

参考:江と石川村:横溝潔




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港北百話より
大山道

下方大きく曲がっているところが
荏田宿にはいる鍛冶橋がある


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国土地理院の昭和48年航空写真
右下が荏田宿


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横浜市歴史博物館の古地図


荏田村
武蔵国都筑郡荏田村だった。
港北区、緑区、青葉区など変遷し
分化して青葉区荏田町となった。
由来は荏胡麻が生産された
荏田の荏は湿をあらわし湿田があった
という説がある。

昭和54年 荏田町の長者原で都筑郡衙が発掘され奈良から
平安時代にかけての手がかりが得られた。
その後の記録はしばらく見当たらず、鎌倉時代に戸数12軒と伝えられる。
鎌倉道、大山道(古代の東海道)が交差し、中世の城「荏田城」も
存在し、交通の要衝であった。


江戸時代大山道は大山詣でにぎわい宿場ができた。
新編武蔵風土記縞に
「北の境に道細く所によってはあとかたもなく
畑になりし所もあり」とある。

真福寺手前からふたつに別れ本道は早淵川の橋を渡り
大棚宿ノ入で再び甲乙に分かれ
甲は東の大坂を登り、乙は西のウトウ坂を登って
尾根上で合流し有馬に入った。

一方真福寺で分かれた道は北に進み
釈迦道を通って石川に入った。

荏田村は山が多く他村に比べ開発が遅れたようである。

小田原北条時代、曽根采女介の所領だったが、
家康入府後は2代将軍秀忠の正室崇源院崇源院 お江様
の御化粧料地化粧料地となった。

崇源院逝去後は増上寺に寄付され明治に至った。

崇源院
戦国時代浅井長政と織田信長の妹のお市の方の三女である。
再々婚の末秀忠の正室となり家光の母である。
村内心行寺は崇源院の時代に建立された寺で
徳川家にゆかりのある寺である。

江田源三(1161〜1185)
新編武蔵風土記稿に
「按(あんず・調べる)に江田源三は源義経につかへし人にて
源平盛衰記の書にもその名がみえたり。
しからは此の所の人なりへし。
社の背後にその人の居住の跡と云ありされは
源三か矢の根なりと云ことまさしきにや
この八幡社ももと源三か守護とせし像なりという。」
堀川御所の義経暗殺のとき討ち死にした。
25歳であった。
息を引き取るとき「親は信濃の国に・・・」
と言っていることから、出身地は信濃国埴科郡英田(あがた)郷とみられる。

他説に「柿生文化」(柿生郷土資料館)によると源三は近江の人で
このころこの土地は都筑氏、石川氏の本拠なので江田源三が居城したとは
考えられないとある。

そうは言い切れないと思う。

源三は1185年堀川にて土佐坊昌俊に討たれた。
それ以前にもう源三は江田にはいない。
石川氏が頼朝の石清水八幡随行の供をしたという年は1195年で、
10年後のことが文献に残る。
1185年といえば鎌倉幕府ができた年である。
そのころには石川氏が江田に勢力をのばしていても
おかしくはないと思う。
江田源三は美濃と近江の境で「寝物語」にもでてくる。
義経の母常磐御前が義朝を追ってここで会ったという
言い伝えである。

余談だが美濃は金本位制で美濃言葉、近江は銀本位制で近江言葉、
溝を境に違う里という面白い場所である。


小黒谷の八幡社は祭神は一尺ほどの木造で、社の下に酒瓶のようなものがあり
矢の根を盛ると風土記にある。源義家あるいは江田源三のものともいう。
この八幡は源三が守護した像であるという。

荏田城  中川の老馬について


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大山道はこの城の向う側にある
この場所は江田記念病院裏手の東名高速道路の跨線橋の深坪橋手前から
跨線橋はこのさき私有地なので侵入禁止である


荏田城は連郭式の丘陵城郭で中世12〜16世紀に築かれた。
帯郭がめぐらされ後北条氏独特の縄張りである。
後北条氏によって築かれた小机城、榎下城にもこういう施設がある。
後北条氏によって築かれたことがわかる。
荏田城のそれ以前はどうだったかというと
広島県尾道の浄土寺に残る文書から荏田の字がある。
鎌倉の御家人山内通範、通綱が、自分の所領を浄土寺に寄進した。
寄進する所領の一部は鎌倉の善宝院が持っていた。そこに
「武蔵国江田郷内堀内赤田之田畑」と記載されていた。
日付は康永2年(1343)である。
この江田郷は荏田と思われる。

武蔵国・・江田・・赤田が一致するからである。
堀内の地名がわからないが、堀ノ内、根古屋で城の
存在を意味する。荏田城の南には堀内があった。

このことから中世の中頃の荏田城の存在がわかり、
もう少し遡り江田源三、多田行綱(茅ヶ崎城)のような
伝説がこの時期の館と無縁ではないかもしれない。
(坂本彰氏)


旧家

青木、石渡、井上、内野、大久保、大矢、加瀬
金子、神原、小泉、佐藤、鮫島、志村、下山
鈴木、高橋、椿、寺島、徳江、土志田、林、古山
松沢、宮田、森、横山

地名

荏田 エダ
湿田。分村の説があり大棚からの分村ではないかと思われる。
理由として大棚村は荏田村と同じ師岡荘で荏田の中心だった
柚木谷(権現谷)に近接し荏田の有力者大久保一族が
大棚村の街道沿いに分布していること
それから
一族の菩提寺が大棚の東善寺、牛久保村の長徳寺であることがあげられる。


築地土手 ツイジノドテ?ツキジノドテ? 
早淵川の荏田と石川の境に作られた土手
くわしくは築地の土手

関根 セキネ
国道246号線沿いの場所で関根橋の北。堰のふもと。
観福寺があるある。観福寺については中川からお江様ゆかりの満願寺を訪ねて

講釈谷 コウシャクヤト
小黒谷にあった。伝承がなく不明。

虚空蔵山 コクウゾウヤマ

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アルスあざみ野の西側にある墓地の奥

観福寺の裏山。古くは虚空蔵菩薩が安置された。
現在でも虚空蔵菩薩はある。アルスあざみ野が建てられている。
中川からお江様

大六天 ダイロクテン
観福寺境内にあった。地名として残る。
除災招福の神仏である。

釈迦道 シャカンドウ
真福寺と満願寺を結ぶ道。

敵見塚 テキミヅカ
虚空蔵山の上にあった。

赤田谷 アカダヤト
地質が赤い土。荏田北部 遺跡も多い

深坪 フカツボ  
深坪橋がある
東名高速道路の跨線橋で荏田城址にかかる橋
荏田城址は私有地なのでこの橋は渡れない。
いつか橋を渡って城址をみてみたいが
畑になっているそうだ
壊されるよりいいのかもしれない

関耕地 セキコウチ
堰ちかくの農耕地。下宿から矢崎までの平地か。

原根前 ハラネマエ
山裾。真福寺がある。

上宿 カミシュク
京都よりの大山街道沿い。


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中宿の常夜燈


下宿 シモシュク
江戸よりの大山街道沿い 
今は下宿一帯を宿とよぶ

小黒谷 コクロヤト
黒は墾。小は狭い。神明社、八幡社があったが、大正3年に
劔神社に合祀された。

池尻 イケジリ
水源地。尻は尻尾。水野出発点。風土記に大塚ありという。

管絃堂 カンゲンドウ
神社の祭礼に用いる楽器の保管、練習場か
真福寺の南の裏山にあった。

柚木谷 ユノキヤト
ユズの木があった。荏田村の中心地。

榎木谷 エノキヤト
榎木があった。劔神社がある。
大正3年に赤城社、八幡社、熊野社、十二社の五社を
合祀した。
今でも熊野社は愛和幼稚園と最近できた墓苑の間の
谷戸に残っている。

劔神社の社伝に
「昔陸奥国の炭商人が長年にわたり鎌倉の鍛冶のもとへ炭を運んでいた。
鍛冶はその恩を謝し、自ら鍛えた太刀一振を炭商人に贈った。
帰り道、荏田村の和泉谷付近で休憩中喉が渇いたので
その辺の清水を手ですくって飲んだところ
酒に酔ったように気持ちがよくなって寝てしまった。
ところがかたわらの松の木より大蛇が下りてきて炭商人を
呑み込もうとした。
そのとき鍛冶より贈られた太刀が自ら抜け出して大蛇を斬殺した。
炭商人は危うく命を落とすところを免れたのでその太刀を
当地に祀ったのが当社である。」

明神前 ミョウジンマエ
劔神社の門前。劔神社は劔大明神ともよばれた。
主神はスサノオモミコト。

権現谷 ゴンゲンヤト
権現社があった。旧鎌倉街道脇にあり
家康入府のころ大久保一族が土着した。

大日前  ダイニチマエ
大日堂があり王禅寺の影響で真言宗の念仏講が各村にあり、
大日堂が各地に建てられた。ここには二基の石塔がある。

稲荷谷 イナリヤト
稲荷社があった。祭神はウカノミタマノミコト

長谷 ナガヤト
道路沿いの集落。

大入り オオイリ
山間の入り込んだ地

富士塚 フジヅカ
富士信仰の人口の塚
山真講という講が北山田、上谷本、大場、早野などにあった。
江戸時代に盛んだった富士信仰の講のひとつで
昭和9年に最後の富士登山をした。(都筑の民俗)
江田第三公園の南20mくらいのところにあったが、
団地建設のため撤去され現在は第三公園に東急建設がつくった。
富士山ぐるり 浅間神社参拝

猿田谷 サルタヤト
崖の多い土地。サルはザレで崩れる意味

拝戸 ハイト
長者丸の近くにあり月待ちの二十六夜の月を拝んだ

袖振 ソデフリ
山の端を下りた地。袖は端、振りは下りること

十三塚 ジュウサンヅカ
十三の石仏があった

日向 ヒナタ
日当りのいい場所

田辺 タナベ
棚辺か。狭い山あいや境界の意味もある。
近くに長者丸があり郡衙が発見されているので
屯倉(みやけ・大和王権の直轄地)に属す農民の
住居地ではないか。

山口 ヤマグチ
山や森林の入口。田辺の近く。

和泉谷 イズミヤト
清水の湧き出るところ

田向 タムカイ
田とむかいあう地。水田とは限らずただ向きあうときだけのこともある。

双六峠 スゴロクトウゲ
曲がりくねった坂を登りつめた頂上。

矢羽 ヤバネ
山裾で川に近い。矢は山あり、谷あり。羽は場。根は裾。

矢崎 ヤサキ
崎は前。

山崎 ヤマザキ
山の前。

渋沢谷 シブサワヤト
湿地。渋沢は渋る沢。渋は水が濁り流れにくく水はけが悪い。
沢は草木の生える湿地。
ここには法道寺と心行寺がある。
また十二社があったが劔神社に合祀された。

池田谷 イケダヤト
池のある地。他に埋めることを埋けるという。

折田谷 オリタヤト
山から下りた地。下りには折、織の当て字が使われる。

牛谷戸 ウシヤト
山の裏、日陰の地。牛はゴ(牛頭や牛蒡)と読み後のこと。


参考文献
荏田の地名:吉野孝三郎
鶴見川流域の考古学:坂本彰
新編武蔵風土記稿
横浜市博物館ニュース
都筑の民俗:港北ニュータウン郷土史編纂委員会
公益財団法人 大倉精神文化研究所(港北七富士めぐり)




























by gannyan1953 | 2016-07-15 15:42 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)

カマキリの赤ちゃん

歴史と素適なおつきあい番外編 2016.5.12

ベランダの壁に卵を産みつけたヘロヘロのお母さんを
みたのは昨年の秋

なんと生まれた!

b0228416_21102588.jpg


b0228416_21101022.jpg


おめでとうございます


ついでに


b0228416_21120693.jpg
昼間都筑図書館からでてきたら

こんな光景が

おばさんが登っちゃったらしい

怒ってておりてこない

下にはマットやふとんが

おまわりさん、見物人いっぱい

心か体を病んでしまったらしい

無事 保護されました

安堵  安堵




by gannyan1953 | 2016-05-12 21:14 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)

港北ニュータウンにかつてあった風車

歴史と素適なおつきあい番外編    2015・11・8

都筑区に風車があったと聞いていたが詳細がわからなかった

「横浜をめぐる七つの物語」に載っていた

b0228416_10081302.jpg
見辛いが 写真右上に丸い風車が見える
都田小学校からの風景だった

             外国人も時々訪れたがこの風車が目印になったという。

グランさんというデンマーク人が港に造船所をつくり
そこから見えるフェリスの風車に親しみを持っていた。
風速33mの台風でとうとう風車は壊れてしまった

グランの奥さんは日本人で都田出身であった
その関係で都田村の池辺(いこのべ)村の高台に
家を建てた
佐藤春夫の小説「西班牙犬の家」(スペイン犬)として書いている
田舎に異人館があり、趣が違うと・・・

そこに壊れたフェリスの水車を譲り受け
その風車でくみ上げた水を薪の火であたため
台所 洗面所 風呂にお湯を供給した

1900年生まれのグランの長女は
「風車のおかげで生活に潤いがあった」
と述べている
後日 訪れてみようと思う

参考 横浜をめぐる七つの物語:大西比呂志

2015・11・19
風車の回る異人館  金子勤著
この本によるとグランさんは亡くなるまでこの家に住んでいた。
故郷デンマークの家を再現しながら日本に骨を埋めた。
素適な人物だったんだろうなと思った。




by gannyan1953 | 2015-11-08 10:12 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)



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