歴史と素適なおつきあい

カテゴリ:塩の道 ( 2 )

塩の道 千国(ちくに)街道 南小谷(おたり)~糸魚川

歴史と素適なおつきあい番外編      2012 8月

真夏の街道歩き

南小谷~姫川温泉~根知駅フォッサマグナパーク~糸魚川大町展望台


1日目 南小谷~北小谷 
     お昼に南小谷到着 雨中から北小谷まで。電車で白馬にもどる 「ホテル白馬」泊

2日目 北小谷~姫川温泉「天神越えコース」                  
     姫川温泉「朝日荘」泊

3日目 根知~糸魚川 
   「大網(おあみ)コース」は今回虻が多く断念!
    平岩駅〜根知まで大糸線乗車
       
       「ルートイン糸魚川」泊

4日目 白馬駅から八方池
     ゴンドラ、リフトを使って楽々登山  1日1本のあずさで帰宅

ヘビ・アブ・ブヨ・暑さで、やむなく予定変更。
街道歩きする人は皆無!3日目の中山峠は草刈がしてなかったので、やはりこれも迂回した。
又大網コースは秋にでも。

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南小谷から近い虫尾(むしょう)の阿弥陀堂

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   黒い仏様 安産祈願、お乳の出がよくなるよう女性が多くお参りした

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阿弥陀堂から下りていく

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フスベという地すべりしやすい場所の上を見上げたらいっぱい落石止めの鉄柵があった(コワッ)

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たくさんある発電所の配管のひとつ。 水の落差で電力を作る。ここは中部電力の管轄。

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山を越えたら素適な池原集落があった

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   のどかな池原集落 と 立山(有名な山と違う) こんもりとかわいらしい山
   でも、地すべりのあとが・・・・

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   とにかくきれいな愛されてるって感じる池原集落

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   幸田文 文学碑と歳月茫茫碑

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   浦川橋から見た稗田山 奥の崩れた山

稗田山崩れ(ひえだやまくずれ)といい、長野県小谷村にある稗田山が1911年8月8日に崩壊した災害のことをいう。

1707年に静岡県で起きた大谷崩れ、1858年に富山県で起きた鳶山崩れとともに、日本三大崩れのひとつといわれている。

崩壊に結びつく直接的な要因は不明なのだそうだ。

1911年8月8日に大崩壊し、土砂が谷を埋め死者26名をだした。

浦川、姫川をせき止め下流の糸魚川市内まで被害があった。姫川沿いの家は転居し、田畑も耕作できなくなり、崩壊土砂量は1億立方メートルだったという。


稗田山の南斜面は白馬乗鞍スキー場、白馬コルチナスキー場になっている。

若いころスキー初心者だった私も名古屋からバスでコルチナに行ったことがある。

崩落した山だったとは、知らなかった。

作家幸田文は、70歳を過ぎて崩壊に興味をもち全国を回ったそうだ。「崩れ」という本を発表した。

昭和52年にここを訪れており、平成4年に文学碑が建立された。

その後平成7年にまた土砂災害が起こり碑は流されてしまったが、翌年今の場所に再建された。

幸田文
明治37年(1904)~平成2年(1990)
幸田露伴の次女で5歳で母を亡くし続いて姉、弟も失った。
結婚したが10年後に離婚し娘の青木玉を連れて実家に帰った。
戦時中露伴の生活を支え、露伴にしこまれた生活技術を実践した。
露伴が亡くなって「父」など露伴の思い出を書いた随筆を出版した。
その後、芸者の置屋で働いた経験から「流れる」で賞をとった。
数々の賞をとり、作家の地位を確立した。
「流れる」は映画で大女優たちが演じている。
地すべりしやすい場所、地質に対し「弱い」と専門家が表現したことが
衝撃だったという。自然現象で起こった崩壊への興味を持った幸田文氏に
尽きない好奇心を感じ共感した。 
以前に、記録だけなのになぜか引き込まれ感動した吉村昭著「津波」を思い出した。


日本最古の恐竜の足跡発見

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北小谷駅近くの小谷の道の駅にある恐竜

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恐竜親子が襲われている恐怖の像である

平成6年北小谷の来馬(くるま)層という地層から恐竜の足跡が発見された。
日本最古の小型の肉食恐竜「グララッター属」の足跡と思われる。
ジュラ紀前期(約1億9000万年前)のもので、本物の化石は、小谷村郷土館にある。
アジアのジュラ紀の古生物の分布状況の検討に重要な発見だった。
 
スーチュアノサウルス

「4足歩行なら、後足・前足の大小の足跡がつく。発掘された足跡はほとんど同じ大きさなので2足歩行だ。肉食恐竜は全ては2足歩行だし、獣脚類の足跡であるグララッターという形によく似ている。同じ体長の肉食恐竜を探してみる。足跡の大きさを元に体長を計算しようと、恐竜の図鑑やフィギュア、骨格などから計111体の肉食恐竜を測定した。その結果、肉食恐竜の腰までの高さは足の大きさの4.82倍、全長は足の大きさの14.92倍だ。足跡の主は、腰までの高さが1.2773m、全長が3.9538mの肉食恐竜。図鑑で探すと、それはスーチュアノサウルスだ。」長野県の西沢君という少年の説


彼は恐竜に「ツン」と名付けた。


この時代プテラノドンのような飛ぶ恐竜が日本にいたのだろうか?

実は幼いころから私はプテラノドンが好きで今でもぬいぐるみで「プテちゃん」と名付けてかわいがっている。

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湯沢温泉恐竜展で購入したプテちゃん

道の駅にあるモニュメントの、西沢君いわく「スーチュアノサウルス」の親はプテラノドンに襲われている!

子供は口をあけて恐怖にみちた目でそれをみている。

私は涙がでた。プテちゃんはかわいいけど本性は残酷だった。

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道の駅小谷の恐竜の足跡モニュメント

これから山登り
島温泉から城越という峠と葛葉峠に登る。

ところが、島温泉まで蛇の交通事故死体を2匹みた。
島温泉の裏を登り始めてすぐ、

蛇を踏んだ!

何蛇かわからないが、黒とグレーの縞だったような。

それからパニックでわけもわからず歩いた。

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道なのか、けもの道なのか、一人じゃコワくて歩けない道が続く

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ここから新潟県。国界橋から左側。赤い橋は昔国道だったところ。土砂崩れで通行不能。

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慰霊碑から見下ろす姫川。崩れた様子。

7・11水害といわれる碑がある。水害の半年後、復旧工事にあたっていた工事関係者14名が土石流で亡くなった。その慰霊碑である。ここは今でも崩れ続ける場所のようだ。

今から超える葛葉峠も向かいの真名板山の崩壊でできた峠だそうだ。
蛇紋岩でできた山で、堰止湖が500年前、1000年前にもあったそうだ。
真名板山はこの崩壊の元凶の山だそうだ。
大糸線はこの山をトンネルで抜けている。


ちょうど碑のある場所に、工事関係者が現在の崩れ状況を点検にきていた。

ここから葛葉峠に向かう道は、一般車は通行止めだが、工事関係の車には何度も会った。

葛葉峠は寂れてしまい、峠の民宿アルプスは営業ができなくなってしまったが、

現在、砂防工事事務所になっていた。

自動販売機も動いていて助かった。

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平岩駅から撮った白馬大仏

葛葉峠から下りてくると白馬大仏があった。

7・11の水害で道路も不通になったので、今は誰もこない。

でも大仏の存在感はすごくある。

平岩駅からすぐの姫川温泉に宿泊する。
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部屋からみえる大糸線

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玄関にあるヒスイの原石

姫川温泉朝日荘

露天風呂に入りながら大糸線のキハをみられることで、人気がある温泉である。
ロビーにはキハ52、キハ120の写真が展示されている。


この朝日荘も7・11水害で一階が埋まってしまった。
住民の死者はでなかったことは幸いだが、ヘリコプターで救助されたそうだ。
それから二年あまり大糸線も不通になってしまった。

その後旅館業は頑張って再開されたが、バブル時は団体さんも沢山きていて往時の様子はない。

とにかく大岩の温泉はおもしろいし、いい湯質である。
男と女と入口が違うので、お互い近くの岩のかげにかくれていれば混浴もできる。
女性専用の洞窟のような温泉もおもしろいが、ここはかなり圧迫感がある。
女性用露天風呂は見晴らしがよく緊張してしまう。
残念なことにお湯が熱すぎてすぐには水が埋まらず入浴断念!


近くの国富という温泉は立て直してきれいなので、にぎやかである。

みんな災害に負けず、いいお湯をこれからも提供してほしい。

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根知駅をでる大糸線キハ120

大糸線

大糸線は南小谷から糸魚川までディーゼル車が走っている。線路しかないすっきりした風景である。
非電化区間(JR西日本)なので、電車とはいわず「気動車」という。
長野~金沢に新幹線ができることで、大糸線の南小谷から糸魚川を廃線にしてバスに変更するのか、
まだ未定である。
我々が乗車していた4日間は、アンケート調査中で、ひしひしと廃線に向かっていくのかと感じた。
2012年は糸魚川駅開業100周年、大糸線全線開通55周年のパンフレットをもらった。
いろいろな歴史を思えばこの大糸線の旅情はレトロ感漂い、ゆっくり進むので、景色もゆっくり見える。
雪におおわれた大糸線に乗りたいと思った。
廃線にならないことを願う。



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フォッサマグナの範囲

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断層のズレ フォッサマグナパーク

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中山峠から海がみえた。このあたりの塩の道はヤブ漕ぎなので、又蛇がでるといやなので
きれいな並走する舗装道路を歩いた。草刈がお盆にはまにあわなかったのかな。

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フォッサマグナミュージアム 「恐竜のうんこ」

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翠の雫(みどりのしずく)

小滝川で2003年に発見されたヒスイの原石。発見したのは秋元さん、佐藤さん。

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フォッサマグナシンボルオブジェ

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糸魚川の茶店跡。今は歯医者さんだが、遠くからきたからとジュースを2本くださった。
今でも茶店だった。

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塩の道終了!春の塩の道はよかったが、夏の塩の道は虻、ブヨ、蛇に苦しんだ。
昔の歩荷(ボッカ)も夏は虻に悩まされたらしい。


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奴奈川姫と建御名方命の像

ヌナカワヒメ
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奴奈川姫のキャラクター

出雲のオオクニヌシと結婚したヌナカワヒメだが、古代の勾玉のヒスイの産地である糸魚川の
女王だった。二人の間にはタケミナカタノミコトが生まれた。
ところが、ヌナカワヒメは後に捨てられ姫川で入水自殺したという。
息子のタケミナカタノミコトは国譲りに負けて諏訪まで逃げてくる。
なんだか悲哀を感じる親子である。

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駅前海望公園

おまけ 帰りに白馬によった。

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八方池
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第三ケルンあたりでやっと白馬三山が見えた。

ロープ―ウエイやリフトで気楽に登ってしまえるが八方池まで少し散策。200mほどの高度を登る。
途中強い雨で気軽な恰好の人たちはパ二くる。
けが人まで出てしまい、ヘリコプターが救助にやってきた。
足に自信のない人、装備のない人はリフト駅あたりでうろうろしてた方がいいと思う。

「山を甘くみるな」を目の当りにしてしまった。私は装備はちゃんとできてました(^o^)
by gannyan1953 | 2012-08-22 16:56 | 塩の道  | Comments(0)

塩の道 千国街道 松本〜南小谷

歴史と素適なおつきあい番外編                  2012・4.29~5.2

塩の道 千国街道

松本~南小谷 街道歩き

1日目 18キロ  松本~穂高(松本ツーリストホテル泊)
2日目 22キロ  穂高~北大町(ホテル白馬泊)
3日目 23キロ  北大町~ホテル白馬(ホテル白馬泊)
4日目 13キロ  ホテル白馬~南小谷

松本ツーリストホテルは朝食がおいしい。
ホテル白馬は白馬駅から徒歩10分。天然温泉で朝夕バイキング。

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塩を運んだ道で、松本から糸魚川までの道を松本街道、糸魚川街道、千国街道という。

今では「塩の道」といわれている。

三十里(120㎞)の山道で、信州からは、豆、麻、綿、タバコなど運ばれた。

日本海からは塩漬けの魚や、塩が運ばれた。姫川を遡るきつい山道であった。

せまい険しい道には牛が馬より適していたようで、牛は道端の草を食べながら進むので、

餌の手間もなく、塩を運ぶとついでに牛も売って、帰路は身軽に帰ることもあった。

購入する塩は農家ではにがりの多い悪い塩を買い、塩俵を桶の上において

にがりが落ちて、そのにがりで豆腐が作れるという。(塩の道:宮本常一)

フォッサマグナ

フォッサマグナの西境界線にあたる道である。

フォッサマグナにあたる妙高連峰付近は大部分が2500年前の堆積物で覆われているが、フォッサマグナの外側にある飛騨山脈は5億5000年前の地層である。

大規模な地殻変動でできたものである。

その誕生は、日本の海溝は南海トラフと日本海溝の二つだったため日本列島は中央部が二つに折られる形でアジアから離れた。

折れた原始日本列島の間には日本海と太平洋をつなぐ海であった。このころ海の底には新生代の泥や砂が堆積した。

200万年前フィリピンプレートが伊豆半島とともに本州にぶつかるころ、別れていた列島を圧縮。

海が徐々に隆起し、底にあった新生代の堆積物が見られる地層になった。(ウイキぺデイア)


b0228416_1882099.jpg松本から養老峠の道を早速間違えて、芥子坊主とかいう峠まで登ってしまった。駐車場があり、バーベキューをしている人がたくさんいた。誰も養老峠を知らない。が、桜が満開で、常念岳がきれいだった。

松本市さん、道しるべを設置してくださいね。

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加助夫婦惜別の岩

江戸時代、多田加助が年貢軽減を求めて捕まるときに、妻と別れた石でその後処刑された。

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なぜか鳥居が埋まっている

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州波神社
祭神はタケミナカタなので諏訪と同様である。

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穂高神社安曇野市穂高6079(本宮)
祭神: 穂高見神(ほだかみのかみ)、綿津見神(わだつみのかみ)、瓊瓊杵神(ににぎのかみ)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、安曇連比羅夫命(あづみのひらふのみこと)、信濃中将(しなのちゅうじょう)

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泉小太郎

泉小太郎伝説

むかしむかしこのあたりは湖で、竜が住んでいた。犀竜という。

その東に白竜王がおり犀竜との間に子供が生まれた。

泉小太郎といい。松本の城山あたりで、育った。

成長した小太郎は母恋しと会いに行くが、母は竜で、諏訪大明神の変身であることを知った。

母は自分の氏子を繁栄させるため、小太郎を背中にのせ、巨岩を破り下流の岩山も突き破った。

湖の水が落とされ、安曇平という大地ができた。

土地は田畑が拓かれ小太郎の子孫も繁栄した。

「信府統記」より



てるてる坊主
b0228416_9272359.jpgb0228416_9282276.jpg池田町はてるてる坊主の作詞者浅原六朗の生まれた町でてるてる坊主の曲が町に流れる

3番の歌詞は雨が降ったら首をちょんぎるという歌詞である。怖い!

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仁科神明宮

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神明宮本殿中門(前殿)は国宝である。
仁科御厨鎮護のために勧請された。
石坂さん金田一の犬神家のロケ地になった。

    

仁科神社b0228416_9324057.jpg森城跡

仁科氏は信濃の豪族で平貞盛を祖とする説、安部貞任を祖とする説、安部氏を祖とする説がある。

鎌倉時代、後鳥羽上皇に仕えたことで、鎌倉幕府が御家人が上皇に仕えることならぬと仁科氏を処罰した。
これに激怒したのが後鳥羽上皇で、承久の乱の発端といわれる。

その仁科氏の森城跡である。

承久の乱で仁科氏本家は滅ぶが支族はのちのちまで信州に生き残る。

その後小笠原氏の支配となり、一応従属することになるが、旧支配者としての気持ちも持ち続けた。

武田に内通し、小笠原家の排除が成功するが、武田に上杉謙信への内通を疑われ殺害される。
 
信玄は名家仁科氏の名目を必要とし信玄の5男に仁科氏を継がせた。

後に高遠城で信長に攻められ亡くなる仁科五郎守信である。 

その後徳川の旗本となって明治まで続く家柄となる。

この奥に阿部神社があるそうである。石坂さん金田一の犬神家のロケに使われた。



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木崎湖のキャンプ場近く
に弁天島という鳥獣慰霊碑がある突き出た場所がある。そこの祠に円空仏みたいな仏様がいてかわいらしかった。円空さんは穂高に登ったらしいが、木崎湖を訪れてたりして。ちなみに木崎湖は2006年の犬神家のロケ地らしい。石坂さん金田一で、足がにょきっとでている印象的なシーンは青木湖のロケである。

b0228416_1094126.jpgb0228416_10103831.jpg首だけの仏様
西海の口堂というらしい。



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ひたすら続く観音様
それも道は5月なのに雪道だった。

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小谷小学校にあるがこの建物はなんだろう。

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素晴らしい古道である

雨の中、我が夫がカッパを着て歩いていく。駅にいくため山を下りた地名は「雨中」だった。

これで、今回の街道歩きは終了。





 
by gannyan1953 | 2012-05-03 11:08 | 塩の道  | Comments(0)



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