歴史と素適なおつきあい

カテゴリ:新撰組( 1 )

多摩の新選組

多摩の新選組を訪ねて    2004・4・9
                                        

JR日野駅9:50―(宝泉寺)(大昌寺)(八坂神社)-(井上源三郎資料館)(とうがらし地蔵)―

日野宿本陣―ふるさと博物館―土方歳三資料館―(石田寺・とうかんの森)-高幡不動



宝泉寺    
 新選組副長助勤井上源三郎の墓

大昌寺      
新選組後援者佐藤彦五郎と妻ノブ(土方の姉)の菩提寺。
                  
彦五郎は初代南多摩郡長。

八坂神社    

天然理心流剣士たちが剣の上達を願って奉納した額がある。

井上源三郎資料館     

井上源三郎の生家。兄松五郎は八王子千人同心。

とうがらし地蔵  

沖田総司が多摩時代よく参ったといわれる。

日野宿本陣   

日野宿名主佐藤彦五郎邸。長屋門あたりに天然理心流道場があった。
土方が昼寝した部屋、土方の遺品を届けた市村鉄之助が 匿われた部屋がある。
甲州街道で残る数少ない本陣。

土方資料館   

土方歳三生家。
                  
手植えの矢竹、刀の和泉守兼定など遺品や薬の行商をした道具類などを展示 
  
石田寺      

土方歳三の墓がある。
           
とうかんの森   

土方が生まれた元生家があった場所。洪水で、移転。

高幡不動     
殉節両雄の碑、土方の位牌、土方の像がある。
 
碑は明冶21(1888)年新選組 の親戚知己門人らの長い努力により建設。

篆額は会津藩主松平容保、撰文は仙台藩濡者大槻磐渓、
                   
書は元幕府御典医松本良順。



近藤 勇(1834~1868)  上石原村宮川久次郎の3男。4代目天然理心流宗家を継いだ。芹沢鴨暗殺後新選組を掌握し局長となる。池田屋で名を馳せてから政治にかかわり永井尚志に随行、朝彦親王の提言で京洛政治の支柱をなした。墨染で襲撃されけがのため鳥羽伏見の戦いには参戦していない。江戸に帰ってから甲陽鎮撫隊での敗走後五兵衛新田をへて流山に駐屯中官軍に投降。板橋にて斬首。板橋、大阪千日前、京都粟田口にて梟首。

土方歳三(1835~1869)  石田村土方義諄の四男。父は生まれる前に、母は6歳の時に亡くなっているので、兄の喜六夫妻に育てられた。近藤勇の天然理心流入門後、門人と共に新選組を発足、法の番人的役割を厳しく実行。組織の悪役を一手にひきうけ隊内の粛清を行い、妥協を許さなかった。鳥羽伏見で京の新選組崩壊後、新選組を立て直しながら北へ転戦。函館で、弁天台場の新選組同志を救援にむかう途次、攻防戦で壮烈な戦死を遂げた。

沖田総司(1844か1846~1868)  白川藩士沖田勝次郎の子。義兄林太郎は1859年11月まで白河藩に在籍。総司16歳である。9~11歳ころ天然理心流道場の内弟子となりのちに塾頭となる。一番の使い手といわれ活躍するが結核を患い、江戸敗走後新選組から離れ良順のいた今戸から千駄ヶ谷にて病没。

井上源三郎―(1829~1868)八王子千人同心井上藤左衛門3男。次兄松五郎と共に天然理心流3世近藤周助の門人。穏やかな人柄といわれる。鳥羽伏見の戦いで淀千両松の激戦で最後まで踏みとどまり討死。甥の井上泰助が首をもって退却したが重くて果たせなかった。


時代背景
幕末期、徳川幕府はロシア使節ラックスマンをはじめ、あいつぐ異国船来航に手をこまねいている状態であった。その無能ぶりが露呈してしまったのが黒船騒ぎで有名なペリー来航であった。国内は開国か攘夷かと揺れていた。結局幕府は日米和親条約を締結。時の天皇孝明天皇は攘夷論であった。幕府の開国策に反対する攘夷論は尊皇論と結びつきやがて長州、薩摩、土佐などの雄藩を中心とした倒幕運動へと発展していく。日米修好通商条約を締結した大老井伊直弼は反対する尊攘派や幕府改革派を弾圧した。安政の大獄である。井伊直弼の専制政治に対する不満は桜田門外の変を引き起こす。白昼に起こった大老殺害はますます幕府の衰退への転機となる。王城の地京都では尊皇攘夷を唱える志士たちの天誅という言葉のもとに幕府要人や幕府寄りの公暁らの暗殺が横行していた。

*攘夷論 ―開国に反対して外人排斥を主張した意見。 * 日米和親条約―1854 再度来航したペリーが武力を背景に幕
府にせまり締結された。下田、函館の開港、漂流民保護、欠乏品の給与、米領事の駐在など。 * 尊王論―皇室崇拝の思想。 * 尊皇攘夷論―欧米列強との接触により危機意識が高まり1863を頂点とし倒幕派の下級武士を中心に運動は激化。薩英戦争、下関砲撃での経験で攘夷不可能が明白になっても幕府批判の政策として高唱され、維新の実現となった。 * 日米修好通商条約―1858 勅許を待たずに締結された最初の不平等通商条約。国内経済不安定を招き尊皇攘夷論は激化。

新選組結成
文久2(1862)年 将軍警護のため江戸浪士組募集が行われた。14代将軍家茂は攘夷を強く迫る孝明天皇に拝謁し、緩和するために上洛することとなった。そこで治安の悪い京都で将軍の身辺を守ることとなった。文久3(1863)年上洛した浪士組の一部は、提唱者であった清河八郎の裏切りともいえる反幕府の爆弾宣言に反発、壬生浪士組として一部京都に残留する。清河ら東帰した浪士は清河が暗殺されたあと、庄内藩預かりの新徴組になる。
残留した壬生浪士組は京都守護職を拝命していた会津藩を後ろ盾に市中見回りの役にあたることになる。これが新選組の前身である。のち武家伝奏より「新選組」の名を拝名する。「撰」の字で「新撰組」ともいうが、書簡では両方とも使われている。

新選組の活動
新選組として活躍したのは6年間のことである。京都での全盛時代から鳥羽伏見の戦いで敗戦し、関東での戦い、近藤勇を失ってからの東北蝦夷へと新選組は北へ転戦していった。

京都 ―文久3(1863)年2月~明冶1(1868)年1月―

京都守護職お預かりの組織として、京都の治安を守るため壬生に屯所を置いて京都守護職預壬生浪士組として活動。八・一八の政変ののち、武家伝奏方から活躍をたたえられ「新選組」という名を賜った。
最初中心となっていたのは芹沢鴨、近藤勇であったが芹沢の行状が粗暴なため粛清される。ここに多摩出身天然理心流一派が新選組の実権を握ることになった。
池田屋騒動で一躍有名になる。寄せ集めの集団であるため隊の規律を厳しくし、強い集団に仕立て上げるため局中法度という隊規を作りこれにより隊内の粛清も多く行われた。活躍するにつれ、会津藩から離れ幕府直参に取り立てられる。ここまでが新選組全盛時代となる。鳥羽伏見の戦いでは幕府軍、会津軍とともに戦うが敗走。軍艦で、江戸に退却する。


* 武家伝奏―室町幕府から設けた諸家の奏請を朝廷にとりつぐ公武間の重職。
* 天然理心流―近藤内蔵之助が祖で、近藤勇は4代目宗家。神道流の流れと伝わる。3代目周助が市谷に道場試衛館を開き、勇は土方の義兄日野宿名主佐藤彦五郎宅と小野路村名主小島鹿之助宅の道場に出稽古した。通常の3倍の木刀で稽古をしたという。天然理心流と新選組剣法とは違っており、新選組は実戦に強く集団剣法である。
*鳥羽伏見の戦いー1868 薩長の武力倒幕派が徳川慶喜に辞官納地を要求し、江戸の治安を乱し挑発した結果、旧幕府軍、会津、桑名は激怒し鳥羽と伏見の街道から京都に進発、敗退した。倒幕派の計画どおり旧幕府側を朝敵とした。

関東 ―明冶1(1868)年1月~4月―

品川に戻った新選組は恭順を唱える将軍徳川慶喜の警衛にあたる。勝海舟に甲府城奪取を言い渡され甲陽鎮撫隊を編成し甲府に向かうが敗退する。流山で屯集したが、官軍にみつかり近藤勇は投降する。のち、4月板橋で斬首になる。

*恭順を唱える幕府(勝海舟)は抗戦派を江戸から遠ざけたかった。大鳥圭介率いる伝習隊は関東平野を北に、撤兵隊(さっぺいたい)は房総、遊撃隊は箱根、彰義隊は上野で抗戦した。東北では会津、庄内の恭順は受け入れられず奥羽皆敵とされ戊辰戦争に突入していく。
*甲府敗退後永倉新八は靖兵隊を組織し新選組から離れるが、生き残り貴重な資料を残す。

東北・蝦夷 ―明冶1(1868)年4月~明冶2(1869)年5月―

会津如来堂では会津に殉じると願う新選組の一部斎藤一らが戦っている。斎藤はのち生き残り警視庁に奉職。土方歳三はこの後宇都宮、会津で、戦い、仙台、蝦夷と新選組の再編成を繰り返しながら北上、函館で降伏直前に戦死。函館の五稜郭を本拠とした蝦夷共和国では陸軍奉行並という役であったので新選組の隊長ではなかった。脱走軍として新政府軍に降伏後、捕縛された隊士で竜馬暗殺の容疑で刑死、獄死した隊士もいた。

*蝦夷共和国―幕臣榎本武楊が総裁となり作り上げた共和国。幕臣救済目的で蝦夷開拓を朝廷に訴えた。

多摩出身ということ
・武州多摩はほとんどが幕府直轄領
天領「徳川家危急の折には馳せ参ず」比較的税も少なく豊かで質実剛健、おおらかな気風があった。
・剣道好き
多摩は江戸への敵侵入の道筋にあたるため防禦地にあたる。治安を守るためにも武道が
さかんであった。幕末には30~40の道場があったといわれる。
・八王子千人同心の報恩 
八王子千人同心とは日光東照宮の防火見回り、蝦夷地の警備開拓を勤める。武田家滅亡後その遺臣団が中核をなし、平時は農民として暮らした。10人の千人頭に100人の同心を置いた。新選組には千人同心出身者もおり、左幕どおしの交流があった。                  

(余話)蝦夷地開拓のため千人同心80人は1858年七重村に入植した。函館奉行の命で桑を栽培、成功し郡内織を織り出した。ようやく軌道に乗り出したころ、維新がおき千人同心は新政府任命の函館知事の支配下にはいった。榎本軍と戦うため出兵命令がおりたがあくまでも徳川忠誠を叫ぶ数人は榎本軍に合流、同胞合い撃つ非情な戦いになった。(多摩の100年朝日新聞)

・多摩の豪農
近藤や土方は豪農出身で、農民でも豊かな環境に育っている。多摩には豪農が農民を支配し、代官所とも深く結びついていた。1835年伊豆韮山代官江川太郎佐衛門英竜は農民に小銃をもたせたいという意見書を幕府に提出。農民の非武装化は鉄則であったため、却下されたがその28年後1863年江川太郎佐衛門英武が多摩の直轄領で試験的に行うことが許された。幕府は農民層の手を借りなければならないほど追い詰められていた。もともとこのような進言をしていた背景には、多摩の富裕層豪農をとおしての農民支配に自信があったからである。代官所からゲベール銃を渡され農閑期には近代兵器の訓練がなされた。農兵隊結成である。いまでも名主格の家には武具が保管されているところもある。新選組のパトロンとして存在する佐藤彦五郎、小島鹿之助も多摩の豪農であった。農兵隊を指揮するまとめ役でもあった。

(余話)維新の2年前の慶応2年多摩で、武州一揆が起こった。一揆勢は入間郡名栗村から日野まで迫り、日野農兵隊がこの一揆勢を壊滅させた。農民が農民をゲベール銃で撃つ悲惨な事件であった。これは開国をしたためにおきた物価上昇や天災による飢饉で苦しんだ貧農が、外国の脅威から守るために編成された農兵隊にうちとられるという皮肉な結果となった。(多摩の100年 朝日新聞)

会津との関係
新選組は京都の治安を守るための警察隊であった。江戸、京都に浪士があふれ攘夷だ、尊皇だと殺戮が繰り返される世情に浪士を浪士でもって制する幕府の思惑もあった。京都守護職である会津藩のお預かりになったことは当然と考えられるが、東山黒谷に屯集させた会津藩士は1000名にのぼる。それだけの藩士が在京しているのに、なぜたった24人の新選組を預かるのかという疑問がある。
それは初代会津藩主保科正之までさかのぼる。2代将軍秀忠の庶子として生まれたが正室お江与の方に遠慮して江戸城外で育てられた。その養育係が信玄の六女であり、その後信州高遠藩主保科正光に養育された。この保科家は祖父の時代信玄家臣であったころ武田武士の精華ともいうべき一族であった。会津には「高遠以来」という言葉が残るほど会津の名家は武田遺臣団であった。田中玄清、西郷頼母、山川浩、佐川官兵衛の会津4家老はいずれも「高遠以来」の者たちであった。武田の血を受け継ぐ者どおしという関係であったからではないか。(歴史群像シリーズ新選組 中村彰彦)

自由民権運動
なぜ新選組が甲陽鎮撫隊を編成し甲府を守ったか。甲州武田家の血の記憶が甲州に向かわせたのではないか。進軍途中あきれ返るほど、内藤新宿や日野で酒宴を催し戦機を逸したことも故郷回帰の凱旋ムードに浸ったからだろう。
明冶にはいり自由民権運動が盛んになり、その一大拠点が多摩であった。徳川への忠誠心が強かったためか、明冶政府の左翼急進思想となった。小島鹿之助も新選組のスポンサーから、自由民権運動の擁護者となる。ただつけ加えると豪農が擁護する民権はのちに下層農民からのつきあげで行き詰まっていくことになる。(歴史群像シリーズ新選組 中村彰彦)
歴史と素適なおつきあい 東京都「

参考文献    歴史群像シリーズ(新撰組・幕末剣心伝・土方歳三・徳川慶喜)学研
          日本史辞典・「新選組のすべて」新人物往来社・「幕末を駆け抜けた男たち」今川徳三・「多摩の百年」朝日新聞
by gannyan1953 | 2011-06-11 14:58 | 新撰組 | Comments(0)



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