歴史と素適なおつきあい

カテゴリ:丹那トンネル( 1 )

旧東海道線ー御殿場線と丹那トンネル・将門駒形堂

歴史と素適なおつきあい番外編         2011・9・29(木)


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丹那盆地

御殿場線に乗りたくて、横浜駅から御殿場線経由で戸塚駅まで戻り、運賃210円の旅をしてきた。
本当にできるのかドキドキした。
家からは市営地下鉄一日乗車券(740円)を購入、あわせて950円でまわってきた。

ただし、途中の改札はでられない。

コース:市営地下鉄〜横浜駅10:18発〜国府津駅11:08着 
御殿場線国府津駅11:29発〜御殿場線まわりで沼津駅12:59着〜東海道本線沼津駅発13:08発〜戸塚駅14:39着〜市営地下鉄で帰宅


御殿場線


明治から昭和にかけて東海道本線の一部だったが、昭和9年(1934)12月1日に丹那トンネルが開通し、東海道本線は熱海駅経由となって短縮された。国府津駅から沼津駅間は「御殿場線」と名を変えた。戦争中には不要路線とされ単線化された。今でもトンネル、橋桁、線路跡など複線時の遺構が残っている。
鉄道唱歌は、丹那トンネルの開通前にできた歌なので、東海道線としての駅名がある。



「鉄道唱歌」   大和田建樹作歌


12 国府津おるれば馬車ありて 酒匂小田原とほからず
   箱根八里の山道も あれ見よ雲の間より 「国府津駅」

13 いでてはくぐるトンネルの 前後は山北小山驛
   今もわすれぬ鐵橋の 下ゆく水のおもしろさ 「山北小山駅」

14 はるかにみえし富士の嶺は はや我そばに来りたり
   雪の冠雲の帶 いつもけだかき姿にて

15 ここぞ御殿場夏ならば われも登山をこころみん
   高さは一萬数千尺 十三州もただ一目 「御殿場駅」

16 三島は近年ひらけたる 豆相線路のわかれみち
   驛には此地の名をえたる 官弊大社の宮居あり 「下土狩駅」(三島)

17 沼津の海に聞こえたる 星は牛伏我入道
   春は花さく桃のころ 夏はすずしき海のそば     「沼津駅」

今でも歌詞のとおりの景色である。

丹那トンネル
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丹那神社の下を通る丹那トンネル


東海道本線は、御殿場経由は勾配がきつく、登坂専用の補助機関車を連結したり、食堂車をはずしたりしたが、速度低下は避けられず、その上に山間部の土砂崩れも起き、トンネルが必要とされた。

地質


丹那盆地の地質は火山性で、溶岩流層と十分固まっていない礫や砂でできた層がある。そして大量の地下水をためこんでおり、水田、わさびなど作られ豊かな土地であった。
活断層もあり、1930年の北伊豆地震はこの丹那断層が震源となって発生、工事は地下水や地質に悩まされ、難航した。

完成
大正7年(1918)に着手され7年後に完成予定だったが、北伊豆地震、湧水のため、16年後の昭和9年(1934)に、予算の4倍以上の総工費をかけて完成した。犠牲者は熱海口31名函南口36名計67名であった。

湧水


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湧水であふれる工事現場



トンネル全体が大量の湧水であふれかえることもあり、水抜き坑を掘って地下水を抜いた。その量は芦ノ湖の貯水量の3倍とされる。その結果豊かだった地下水が枯渇し、
水田もわさび沢も消失してしまった。住民の水道を引いたり、補償費などに追われることになった。


事故


大正9年(1920)と大正12年(1923)、北伊豆地震の昭和5年(1930)には大規模な崩落事故が発生した。関東大震災はトンネルそのものには甚大な被害はなかった。

地震

北伊豆地震で断層が動き熱海側の地面が函南側に対し北へ2メートルずれたため本来直線のトンネルだったが、わずかにS字型になった。

温泉余土

温泉余土とよばれる湧水をふくむと柔らかくなってしまう緑色の地層に悩まされた。
膨張すると鉄も曲げてしまうので崩壊の危険があった。

工法

これらの難工事からセメント注入法や圧搾空気掘削工法、水平ボーリングなど日本で初めてトンネルでの検討、実用化された工法があった。
しっかり地質がわからないまま遮二無二トンネルを掘ろうとしたことが難工事を生んだことは、これからの教訓となった。

丹那神社 静岡県熱海市西山町43-1
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熱海の梅園の近くに神社があり、丹那トンネルの熱海からの入り口の真上にあたる。神社からは真下に東海道線、横に新丹那トンネルを新幹線が通るのがみえる。
梅園近くで崩落事故があり、全体での犠牲者67名の鎮魂のために祀られた神社である。
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慰霊碑

救命石
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神社の横に救命石とよばれる石がある。崩壊事故の直前、トロッコで残土を運び出すため、じょうごで残土を受け取っていた。そのじょうごに大石がひっかかり、総掛かりで石の取り除き作業をしていた。
その直後崩壊がおこった。彼らはその場に閉じ込められ結局8日間後に救出された。
もし大石がひっかからなかったら、作業は順調に進み崩壊現場にむかっていたら、直撃をうけていたことになる。この石のおかげで救われたと考え救命石と名付けられた。


丹那断層公園 静岡県田方郡函南町畑

北伊豆地震でずれた断層をここでみることができる。断層の説明も詳しい

酪農王国オラッチェ 函南町丹那349−1

明治14年「伊豆産馬会社」を名主であった川口氏が起こした。
いまでは丹那牛乳として知られる。オラッチェでは乳製品、丹那盆地でとれた特産品を売っている。

将門の駒形堂
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軽井沢に駒形堂があり、将門と頼朝のの由来がある。伝承が残るのみである。
もっと山の方の街道のわきにあったそうだが、現在地に移転した。

承平2年(932)、将門が関東に下るとき弦巻山で馬が病になったため観音に祈願した。
ただちに病が癒えたので、弘法大師が刻んだ守り本尊を安置した。

建久4年(1180)には頼朝が富士裾野で巻き狩りをした。
その際に観音堂に参拝すると愛馬摺墨(するすみ)がしきりに嘶いた。
すると遠く離れた場所から馬の嘶く声が返ってきた。

その山を探すと大成池の畔で7尺を超える馬を捕らえて池好(いけづき)と名付けた。

この名馬を得られたので、駒形堂を建立し将門の納めた馬頭観音を本尊とした。
そして秩父の畠山重忠が鏃を使ってかたわらの石に頼朝の騎馬像を刻み駒形権現とした。
弘化4年(1848)に大きく破損したため名主五右衛門らの発案で修復したが、明治維新のころ又破損し、大正6年(1917)この地の人たちが協力して堂を建立した。  

           伊豆国田方郡函南村軽井沢  駒形堂


参考 wiki・丹那神社・酪農王国オラッチェ・函南町・闇を裂く道:吉村昭
by GANNYAN1953 | 2011-09-30 21:15 | 丹那トンネル | Comments(0)



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