歴史と素適なおつきあい

カテゴリ:栃木県の歴史散歩( 11 )

鬼怒川温泉の廃墟とあさや

歴史と素適なおつきあい     2014・3・7

鬼怒川温泉 あさやに泊まった

川を挟んでお向かえは廃墟だった。なんだか悲しかった・・・・
b0228416_18370643.jpg
向こう側は国道121号線
歩いたが歩道も無く崩れそうな廃墟の脇しか歩けず怖い!
あさやの部屋から廃墟ホテルを撮影

b0228416_18430534.jpg
滝見橋から廃墟ホテルを撮影
b0228416_19323225.jpg
廃墟ホテル群からみた「あさや」
平日なのにお客さんでいっぱいだった「あさや」


b0228416_18475428.jpg


b0228416_18493582.jpg
b0228416_18490004.jpg
b0228416_18495539.jpg
全部で7体あるが4体見ることができた

b0228416_18482275.jpg
歩道橋
b0228416_18484928.jpg
b0228416_18483863.jpg
b0228416_18540294.jpg
「あさや」
b0228416_18560157.jpg
「あさや」のパワースポット

富石といって最近パワースポットとして騒がれているらしい。
なぜか居酒屋の前にある
なぜかというとこの石はもともとこの場所の地面にあった
あとから建てられたこの「あさや」の3Fに高さは移動しつつも
経度緯度は変わらない場所に置かれている
動かなかった
強い意思を持った石だったのである
熱さを感じるというので手をつっこんでみたら
ポワンと温かだった
まわりの人たちは気のせいよというが実際温かだった
富石のある場所は「イサベラバード広場」
イサベラバードはイギリスの女性旅行家
「あさや」に泊まったらしい

この「あさや」鬼怒川の老舗で明治のはじめ神職など特別の人しか温泉にはいれなかったそうだが
解禁されてあさやの温泉には庶民もはいれるようになったとか。
ギャラリーがあり、美術書はじめいろいろなジャンルの本があり女子会だったが
全員並んで静かに本を読む時間が流れた


 




by gannyan1953 | 2014-03-30 19:11 | 栃木県の歴史散歩 | Comments(2)

奥州街道踏破 白河へ④の3

歴史と素適なおつきあい番外編    2013・10・4
石切り場の碑
b0228416_1523712.jpg

銷魂碑
これは会津藩の碑である。会津の松平容保の筆である。

とうとう白河にはいった。五街道最後の瞬間である。
しかし会津好きな私は足が重たくなった。

ここは戊辰戦争の激戦地だった。

ここで敗戦したことには大きな意味があり、
奥羽列藩同盟の解体をうながすことになる。

会津藩家老西郷頼母もこの敗戦の将として
ますます立場がむつかしくなり、
西郷家子女の自害につながる。
稲荷山にあった西郷頼母の句が書いてあった。
「うらやまし 角をかくしつ 又のへつ 心のままに 身をもかくしつ」
身を潜めて暮らす頼母の戊辰戦後の心情を詠んだもので、かたつむりが
うらやましいという意味である。


b0228416_15164411.jpg

会津藩士、田辺軍次の墓
白河口の戦いの際、白川領の入口にあたる白坂村の庄屋・大平八郎が、
新政府軍の道案内をし、新政府軍の勝利に貢献した。
大平は、新政府から感状と、白坂の「人馬継立(つぎたて)取締役」に任じられた。
宿場の責任者のような地位である。
この感状は、政府の公的記録である「鎮台日誌」にも記載され、
何かあると大平は、「鎮台日誌を見ろ」と自慢していたという。

旧会津藩士、21歳の田辺軍次は、遺恨を晴らすために、
戊辰戦争後の1870年、移封先の斗南から1ヶ月かけて白坂村にやってきて、
八郎を討ち果たし、自らも切腹した。
斗南での悲惨な暮らしが恨みを強くしたのか、悲しい話である。

もともと会津は京都守護職を任じられてから、
重税を課し民意は藩から離れていた。
そこへ東山軍は、税の半減を唱えていたから、
民衆が、西軍に味方しても仕方ない状況だった。


b0228416_1517836.jpg

b0228416_15171748.jpg




枡形の道の迎えに新政府側の藩士の墓がある
b0228416_15174464.jpg

長州藩と大垣藩の将兵6名の墓である。
明治9年に明治天皇が供養に立ち寄った。

東軍は捕縛され首を切られているのに、
天皇は西軍の墓参りだけをする。


この白河の戦いで、新撰組を率いていたのは斉藤一である。
土方はまだ会津で傷をいやしている。

b0228416_15184197.jpg

b0228416_15185293.jpg

b0228416_1519088.jpg

b0228416_15192080.jpg

稲荷山の権兵衛稲荷神社
斉藤一(新撰組)もお参りしたのだろうか。戦勝祈願なんて言って。

b0228416_15431852.jpg

奥州街道追分

これで五街道を制覇した。
7年前に愛犬を亡くし、供養に四国八十八カ所同行二人で行きたかったが、
孫が生まれ行く暇もなく身近なところで、日本橋から街道歩きを始めた。

五街道をめざすなか、山登りに他の街道(中原街道、八王子街道、大山道などそれから)川を河口から源流まで歩く、
イギリス、アイルランドの遺跡めぐりなど浮気もしたが、
やっとこれで愛犬の供養もできた。

めでたしめでたし。

道が続く限り私はこれからも進むのである。
いつもお留守番させてごめんね!  かわいい柴犬朔太郎!!
b0228416_15523215.jpg
このあと夫はひとりで、盛岡まで歩き続けることになる。トイレも食堂もない旅へ・・・・
これは夫ひとりで達成しよった。
歩きすぎて腰が痛くなり、年末手術に踏み切った

よって・・・・・なかなか街道歩きにでかけられない
青梅街道! 待っててくださいね。

by gannyan1953 | 2013-10-04 15:30 | 栃木県の歴史散歩 | Comments(0)

奥州街道踏破 白河へ④の2

歴史と素適なおつきあい番外編    2013・10・4

4日目 芦野〜白川(白河駅)

b0228416_1673392.jpg

このあたりから白河の関に向かい道が多くなる
義経が平泉に向かった道は伊王野から右の方に行く東山道で
今の奥州街道と別れている。
芭蕉は往古の白河の関を人に尋ねながら探したらしい。
結果白河の関のあった場所をつきとめたらしいが。

b0228416_16125327.jpg

泉田の一里塚
b0228416_16133310.jpg

足尾山の石碑 足の神様らしい。
b0228416_16152912.jpg

初花
初花の清水とある。
 「飯沼勝五郎、初花」夫婦のゆかりの清水という。
夫婦の墓は東海道の箱根の、鎖雲寺という寺にある。
兄の仇の相手を夫婦で追求めて、箱根権現の霊験のおかげで、見事本懐を遂げるという話だ。

この地に二人の足跡があった。
ある時、勝五郎の兄が、佐藤剛助という侍のために、何の遺恨か知らないが闇討ちに合い、
ついに悲痛な最期をとげてしまった。
弟の勝五郎は、我が一命に代えても必ず兄の恨みを晴らしてやると心に誓った。
そして、佐藤剛助の後を追って旅立ちました。
しかし、仇が見つからない。
棚倉領内に宿を求めて領内を隈なく探そうと決意して町内を歩いていると、
北町の行灯屋清兵二で会い、しばらく世話になって仇を捜した。
北町の行灯屋の初花という娘が好きになり夫婦になった。

幸せな生活を送ったが、勝五郎は足腰が立たない躄(いざり)になってしまった。
仇も討たずに暮らしていたことが天罰かと思い。初花は夫の手足となって仇うちに
でかけることになった。
「いざりぐるま」に夫を乗せてその途中ここに少しの間滞在したという。

清水の上に勝五郎が瓢箪の形に彫りつけた岩がある。  
b0228416_21572189.jpg


b0228416_2292582.jpg

b0228416_2293659.jpg

b0228416_2294257.jpg

b0228416_22104416.jpg


寄居大久保 境の明神

b0228416_2223166.jpg

かわごという。
革籠原(かわごはら)の防塁跡」
1300m言ったところに、家康の会津討伐で、上杉景勝軍が陣を築いたところである。
歩くと遠いので行けない。

b0228416_2261358.jpg

金売り吉次の墓
b0228416_2264397.jpg

b0228416_2265391.jpg

義経が吉次の墓参りをして、立ち寄った八幡神社
by gannyan1953 | 2013-10-04 14:17 | 栃木県の歴史散歩 | Comments(0)

奥州街道踏破 白河へ④の1

歴史と素適なおつきあい番外編   2013・10・4

4日目 芦野〜白川(白河駅)

芦野温泉は朝食時間が遅く、出発もゆっくりになってしまった。
9時出発

b0228416_14472077.jpg


芦野宿に入る 那須歴史探訪館方面に行く
b0228416_14474753.jpg

平久江家門
上級家臣にのみ許された格式の高い棟門。
b0228416_14491159.jpg

那須歴史探訪館
とてもきれいで、展示もわかりやすい。

入り口には、勝海舟の言葉が門柱に刻まれている。
小学校の門柱だったそうだ。

「愛惜精神留他日担当宇宙」
精神を愛惜せよ、他日宇宙を担当するにとどめよ

「蹉跎歳月問何時報答君親」
歳月を蹉跎すれば、いずれのときにか君親に報答するを問わん
蹉跎とは不遇、時期を失するという意味

親孝行は生きてるうちにしとけよって意味かな?


b0228416_156781.jpg

庭にあった芭蕉像
b0228416_1564167.jpg

ストーンプラザの入り口
b0228416_1572289.jpg

b0228416_159796.jpg

宿はずれの新町のお地蔵様
b0228416_15101022.jpg

遊行柳に向かう奈良川沿い  どうもこの道が昔の街道らしい
西行や芭蕉が通った道ってことかな
b0228416_15173771.jpg

遊行柳
奥州街道歩きをしていると「奥の細道ですか」と聞かれる。
奥州街道という言葉は聞かない。江戸道だったり街道名が違うこともあるのだろうが、
圧倒的に芭蕉ファンが多い。土地の人も芭蕉の奥の細道という感覚が強いようである。

ここが一番人出がある場所だ。芭蕉の最期の地の大垣より人が多い(笑い)

さて遊行柳とは
室町時代文明3年(1471)時宗19世尊こく上人が芦野を旅して
ここで柳の精の老翁を成仏させた宗教上の伝説がある場所である。
古来から人が集まり、能楽、謡曲、紀行文にも取り上げられる場所である。
元禄の頃芭蕉が訪れ一躍有名になった。
「田一枚植えて立去る柳かな」
芭蕉が西行を想ってしばしその場にいたが、
早乙女たちが田植えを田んぼ一枚が終わったので、
立ち去ったという意味らしい。

b0228416_15175923.jpg

遊行柳の奥にある上の宮温泉神社
b0228416_15341229.jpg

数百年の樹齢のいちょう

b0228416_15193415.jpg

b0228416_15193985.jpg

ベコ石
嘉元元年(1848)道徳振興のため、碑文で3500文字からなる石碑。
はじめの部分に牛首人身の炎帝神農氏が彫られているので、
ベコ石といわれる。
b0228416_1550483.jpg

神農
by gannyan1953 | 2013-10-04 13:37 | 栃木県の歴史散歩 | Comments(0)

奥州街道踏破 白河へ③の2

歴史と素適ないつきあい番外編
b0228416_22234338.jpg


高久靄崖の墓(たかく あいがい)という白い標識がある。
江戸後期の文人画家でこの地、杉渡戸の生れである。

b0228416_2224060.jpg

こんな遠くからお伊勢さん遥拝とは。昨夜は遷宮だったのでここから参拝した。

b0228416_22242755.jpg


b0228416_17364840.jpg

b0228416_17365667.jpg

会三寺(えさんじ)
ここの地蔵堂には 第14代法印旺盛が、当時はしかが流行して幼児の死が多かったのを憐れみ、十余年にわたって111体も彫り上げた地蔵が納められているという。
b0228416_17371945.jpg

余笹川を渡る。
余笹川は平成10年8月に大水害を起し、死者6名もの被害を出したという。
橋も新しく造り替えられ見晴らし公園に水害の碑がある。

b0228416_17421076.jpg

牛の像の畜魂碑
b0228416_1744691.jpg

奈良川
b0228416_17442143.jpg

旧街道にひっそりとあった
b0228416_17453124.jpg


芦野温泉にむかう道で小さな蛇の横断を車にひかれないよう見守った
b0228416_17462116.jpg

芦野温泉は今日のお宿。

はとバスでうわーっと人が集まる温泉。
噂どおり薬湯は臭かったけどよかった。

レストランで、お酒飲みながら夕食をすませ、
翌朝は丁寧に作られた朝食をいただいた。
水素泉もいろいろと講釈があった。
街道歩きの疲れがとれたのでさすが温泉!。
by gannyan1953 | 2013-10-03 16:16 | 栃木県の歴史散歩 | Comments(0)

奥州街道踏破 白河へ③の1

歴史と素適なおつきあい  番外編         2013・10・3

3日目 大田原〜芦野  芦野温泉泊 朝食付き8050円
パインズ温泉を8時出発、大田原宿見学

b0228416_1551113.jpg

那須与一像
b0228416_15512457.jpg

道標

b0228416_09401841.jpg
温泉明神こと大田原神社
b0228416_15542970.jpg
大田原神社の狛犬
これってオオカミだと思う
b0228416_15561659.jpg

大田原神社境内のお稲荷さん

b0228416_15574485.jpg

大田原城址
蛇尾川から眺める
b0228416_1603498.jpg

中田原の一里塚
b0228416_1615520.jpg

樹齢400年のコウヤマキ
b0228416_1641763.jpg

鍋掛の一里塚
b0228416_1652422.jpg

鍋掛神社
b0228416_16172432.jpg

那珂川 昭明橋から
b0228416_16184829.jpg

b0228416_1619548.jpg

b0228416_16194091.jpg

b0228416_16195581.jpg

諏訪湖の万治の石仏を思い出した




2に続く
by gannyan1953 | 2013-10-03 15:35 | 栃木県の歴史散歩 | Comments(0)

奥州街道踏破 白河へ②

歴史と素適なおつきあい番外編

2日目 25、8キロ
氏家〜大田原  パインズ温泉ホテル大田原泊 1泊2食 7350円

宇都宮から朝電車で氏家まで。
西導寺
b0228416_1814987.jpg


西導寺は建久2年(1191)に氏家氏の始祖で勝山城を築いた宇都宮公頼が開いたとされる古寺。
仙禽酒造
b0228416_18224079.jpg



古戦場までコンビニもなく日帰り温泉「早乙女温泉」でトイレを借りた
硫黄のにおいがして入浴したかったが、街道歩きなので我慢。
古い施設だがお湯が自慢とある。ああ残念。

古戦場
b0228416_18241154.jpg

b0228416_18263744.jpg


天文18年(1549)、那須氏、喜連川塩谷氏500余騎と宇都宮尚綱率いる宇都宮軍2000余騎とが戦った古戦場で、激戦の末宇都宮軍は喜連川軍の鮎瀬弥五朗実光に背後から大将の尚綱が射たれ退散したといわれる。
b0228416_18265873.jpg

今日は雨降りなので旧道は歩かない。すべるから・・・・・

b0228416_14525529.jpg

喜連川手前の峠
b0228416_1453867.jpg

喜連川展望台がみえる

龍光寺
b0228416_14563817.jpg


足利尊氏の開基により創建されたと伝えられる。
東勝寺と号し、尊氏とその弟直義が全国に設置した安国寺利生塔のうち
下野国における安国寺に指定されたという。

戦国時代、喜連川城に入った足利頼氏は、豊臣秀吉の軍勢によって焼失したこの寺を再興し、
父頼純の法号から龍光院と改めた。
以後喜連川氏の帰依を得て江戸時代にはその菩提寺となっていた。
第二次大戦後の1953年(昭和28年)寺号が現在の龍光寺と改められた。

境内には、喜連川足利氏第4代昭氏が長寿寺(現鎌倉市)の足利尊氏像を模刻した像と
厨子になっている建物、
築堤をめぐらせた中に60基ほどの石塔、石灯籠があり、
喜連川足利家歴代藩主の墓所(さくら市指定文化財)がある。

b0228416_1581811.jpg


b0228416_159393.jpg

那須与一のトイレ 休憩場
町中・・・・那須与一だらけ・・・   ほかに有名人いないのかなあ・・・・・

正浄寺
b0228416_15104337.jpg

箒川の手前にある寺で
鎌倉時代の健保2年(1214年)宗祖親鸞聖人が佐久山宿の岩井孫八の家へ宿を乞い、
形見に阿弥陀如来の尊像を授与し、その尊像を安置するために孫八が御堂を建立したのが
正浄寺の起源である。形見ってお礼のこと!?

b0228416_15175936.jpg

箒川
b0228416_15181361.jpg

イトヨ生息地近く     わき水のきれいな流れにしばしうっとり
b0228416_1521266.jpg

宇都宮から聖徳太子碑が結構多い


b0228416_15315197.jpg


30キロ以上歩いてへろへろになったが、
思いがけず(ごめんなさい・ここスポーツジムなんです)
おいしい夕食に地酒、温泉と幸せな夜を過ごした。
「パインズ温泉ホテル大田原」
さん、むちゃくちゃリーズナブルな宿泊代で
ありがとうございました。
by gannyan1953 | 2013-10-02 17:51 | 栃木県の歴史散歩 | Comments(0)

奥州街道踏破 白河へ①

歴史と素適なおつきあい番外編           2013・10・1

日光街道を終えて最後の五街道の奥州街道踏破の旅
宇都宮から陸奥白川をめざした。

1日目  宇都宮〜氏家  宇都宮チサンホテル泊ツイン8600円(18キロ)
2日目  氏家〜大田原  パインズ温泉ホテル大田原泊 二食付き7350円(25、8キロ)
3日目  大田原〜芦野  芦野温泉泊 朝食付き8050円(21、4キロ)
4日目  芦野〜白川(白河駅) 新白河から2時間で帰宅!新幹線は早い!(21、4キロ)

1日目宇都宮〜氏家
9:45 宇都宮駅着 (渋谷から宇都宮まで乗り換えなしの電車に乗った)

神社の手前にあった店
b0228416_18154953.jpg


宇都宮二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)
b0228416_18151573.jpg


祭神:豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)
第10代崇神天皇の第一皇子で、天皇の命で東国を鎮めたとされる。
毛野国(のちの下野国・上野国)の開祖とされる。

宇都宮氏は、ここの社家だった。社家とは神職を世襲する氏族のことである。

平将門の乱で、藤原秀郷がこの神社で授かった霊剣をもって将門を討った言われる。
そのときにかぶった兜が神社に伝わっている。
「三十八間星兜」(国の重要美術品に認定)というが、実際には南北朝時代に制作されたものらしい。

屋島の戦いでは、那須与一が船上の扇の的を射る時、

「日光権現、宇都宮、那須の温泉大明神」

と祈ったという。
この先、奥州街道には温泉神社が多くある。

戊辰戦争で焼失し、明治10年に再建された。


宇都宮城
b0228416_18491235.jpg


宇都宮というと土方歳三が思い浮かぶ。
「」としさんが会津の秋月登之助とともに先鋒を努め宇都宮城を陥落させている。
ところが、壬生で敗走、再び宇都宮で戦ったときに足を負傷してしまう。
そして会津に送られ、3ヶ月の療養生活を送ることになった。

という「としさん」が痛い思いをした場所なのだ。

篠原家住宅
b0228416_18583314.jpg


江戸時代から奥州街道口の現在の場所で、醤油醸造業や肥料商を営んでいた。
現在の建物は明治28年(1895)に建てられたもの。

根来塚
b0228416_18494537.jpg

b0228416_1850818.jpg


街道の「31アイスクリーム」を過ぎたら右折し、しばらく行くと神社がある。
白山神社で、白山比羊(しろやまひめ)神社から奉祀した。
 根来塚は神社の裏の林にある。
裏には民家もあり、ずいぶん前に塚の東半分は削られた。
林はあるが塚はわからなかった。

根来塚は殺された根来衆100人の銅塚だと伝わる。

「徳川秀忠が元和7年(1621)、宇都宮城改築のため派遣した根来組同心百人衆を、本多正純が処刑した。
ここに胴塚、首塚、馬塚が築かれたという。」伝承がある。

ほかの説に
元和5年(1619)に28代宇都宮藩主になった本田正純は、
家康から正純の父「正信」に託されていた「三河高橋衆」と「根来組同心」を
自分の家臣団に組み入れ、15万5000石の譜代大名として
宇都宮城に入城した。
という説もあり根来衆は本多正純の家臣だったことになる。


根来衆とは、江戸城守備のため家康に組み込まれた、鉄砲組根来同心百人衆のことである。
高橋衆(高橋組)とは家康が三河を統一したころからの身辺警備をした集団である。
矢作川の豊田市寺部町の出身で江戸出府の時に本多正信、正純父子の組に属したとある。

処刑理由は
宇都宮城郭拡大と町割り工事に伴い、三の丸太鼓門の前に防備強化のため
三日月堀(堀幅約22m、深さ7、6m、三日月形の長さ150m)を設けた。
この工事の使役を幕府から預かっていた、根来衆に命じたところ、
使役に反抗した。

正純は元和7(1621)12月、彼らを全員処刑し、
首と胴を別々に埋め、
根来塚には胴部を埋めたので「胴塚」ともいわれる。

後に本多正純は秀忠の前で、なぜ根来衆を殺したのかと聞かれ、
答えることができなかったという。

なぜ根来衆が反抗したのかがはっきりわからない。

家康側近で力を持ちすぎた本多正純も、家康亡き後は後ろ盾をなくし、
この件で、秀忠の怒りを買っては、持ちこたえられなかっただろう。
宇都宮釣天井事件につながる話となって、本多正純は失脚する。「うつのみやの歴史再発見」より

宇都宮の処刑場・首塚
栃木銀行の裏すぐのところにある。

b0228416_1933777.jpg

b0228416_18501757.jpg

b0228416_18501354.jpg


竹林町にあった土堂原刑場(とっぱら刑場)で、ここに根来衆の首が埋められているという。

宇都宮藩で起きた一揆として知られる籾摺り騒動の首謀者もここで処刑されたとのことである。

後に首と胴体が離れた白骨が多くでたという。

b0228416_11355237.jpg

鬼怒川を渡る
b0228416_11361535.jpg

氏家宿に入った

b0228416_11182459.jpg

将軍地蔵

源義家が奥州征伐にむかったとき、鬼怒川釜ヶ渕の悪蛇が道を塞いだ。
宗円法師の祈りで将軍地蔵が出現し、悪蛇を退散させた。
以後、勝山城を守護する寺院として堂原に将軍山地蔵院満願寺を建てた。

戦国時代に那須勢が攻めてきて、焼き討ちをしたので満願寺は焼けてしまう。
江戸時代、再建されて堂原地蔵堂となり、奥州街道の道中安全のご利益で
遠く秋田・会津の商人たちから奉納された、石灯籠などが残されている。



氏家駅から宇都宮に戻り、チサンホテル宿泊
夕食はみんみんで餃子!
by gannyan1953 | 2013-10-01 14:04 | 栃木県の歴史散歩 | Comments(0)

日光街道踏破 ③最終

歴史と素適なおつきあい番外編 2013・4・29

今市青少年スポーツセンター〜日光東照宮
b0228416_22501951.jpg

宇都宮二荒山神社
b0228416_22505630.jpg

六本木一里塚
b0228416_22511153.jpg

男体山 女峰山
b0228416_22514158.jpg

大人が4人は入れる洞 並木ホテルと呼ばれている
b0228416_22521564.jpg

昔ながらの日光街道 に感動! 慣れないスマホと格闘する我が夫
b0228416_22534464.jpg

高龗神社
b0228416_2354480.jpg

杉並木公園の狛犬かな
報徳という二宮金次郎にちなんだ蕎麦屋で昼食
b0228416_2391785.jpg

官軍が日光を攻撃したときの弾痕
b0228416_23104094.jpg

野口 薬師堂
b0228416_2310987.jpg

b0228416_23103127.jpg

弾痕ではなく男根!
日光には金精峠があるけど、ん?関係あるのかな
b0228416_23133883.jpg

天海さんだ  静岡の久能山から日光東照宮に家康さんを移した人。
でもほんとに遺体をはこんだのかな。
b0228416_23152480.jpg

神橋です。 無事終了!!

このあと東照宮を見学  携帯がおかしくなり壊れた
そこへ、拝観券を買いすぎてしまったから使ってくださいと
2枚もらった。ラッキー!

若いかわいいお坊さんが説明してくれその先は
「ここにしかない」と強調しておまもりを販売しはじめる
うっかりカモになるところだった

世界遺産になるとお寺もテレビショッピングのようになるのかな。
by gannyan1953 | 2013-05-01 22:45 | 栃木県の歴史散歩 | Comments(0)

日光街道 踏破②

歴史と素適なおつきあい番外編   2013・4・28

二日目雀宮〜今市の青少年スポーツセンター

b0228416_22125775.jpg

宇都宮駅でカシオペアをみた。食堂車で朝食をとっている人が手をふってくれた。
向こうからみると私たちどんなふうにみえるんだろうか。

b0228416_22173752.jpg

蒲生さん よくわからないなあ。
b0228416_22181011.jpg

蒲生さん 偉い人なんだろな
b0228416_22203252.jpg


b0228416_22202412.jpg

一向寺参道の碑に誘われ入ったが、寺は廃寺で、お墓とお地蔵さんがあった。
b0228416_2222374.jpg


b0228416_22225926.jpg

鳩舎があった 主人にいわせるとお利口そうな顔をしているらしい。
宇都宮裁判所近くの追分から日光街道に入るところに古民家あり。
現役で不動産を営んでいるらしい
b0228416_22263898.jpg


b0228416_22241064.jpg

大谷石の塀
b0228416_2227561.jpg

お迎えのできたての大谷石ピカピカの会社の建物
b0228416_22274814.jpg

b0228416_2228838.jpg

三峯神社と八坂神社の横が大谷石
b0228416_2230417.jpg

杉並木
b0228416_22314465.jpg

配水塔
b0228416_22454639.jpg

智賀都神社
b0228416_22321167.jpg

リンゴの花 リンゴの香りはしなかった
途中ケーキを買って食べながら歩き今市の青少年スポーツセンターのバス停で終了
50分かけて宇都宮まで戻り今晩はチサンホテル宿泊。
設備は古いが応対もよく、朝食はかなり豪華。
クラブツーリズムの団体がいっしょだったので、気づいたが、
2月に行ったクラブツーリズムのバスツアーのときのホテルの朝食と似ている
クラブツーリズム仕様になっているのかな。
by gannyan1953 | 2013-05-01 22:36 | 栃木県の歴史散歩 | Comments(0)



横浜周辺の歴史散歩
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
> rollingwes..
by gannyan1953 at 14:13
初めまして、ローリングウ..
by rollingwest at 16:31
できればメールでお話しし..
by gannyan1953 at 09:08
新横浜スパインクリニック..
by gannyan1953 at 18:23
読めないんですね。申し訳..
by gannyan1953 at 18:09
> ださぶろうさん ご..
by gannyan1953 at 21:44
楽しんでいただけて大変嬉..
by gannyan1953 at 21:41
長津田の大火の事を調べて..
by shin344 at 21:41
初めまして久し振りで ..
by shin344 at 21:35
コメントありがとうござい..
by gannyan1953 at 21:56
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
海軍道路を歩いた
at 2017-08-12 22:23
柴犬朔太郎 また爆睡
at 2017-08-06 22:24
猿投神社  
at 2017-08-06 21:37
満蒙開拓平和記念館・長岳寺
at 2017-08-06 20:58
神坂(みさか)神社 阿智村
at 2017-08-03 20:45
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧