歴史と素適なおつきあい

カテゴリ:長野県歴史散歩( 15 )

秋山郷⑦

歴史と素適なおつきあい番外編    2015・9・17


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表紙 山の女より 

とねんぼで展示されていた「山の女」が図書館にあった。

山の女 秋山郷・焼畑の谷に生きた女の一生:白日社 1992年発行

想像できないような過酷な暮らしが淡々とあっけらかんと語られており、
女性がたくましく生きていく姿に感動しつつ、一気読みとなった。

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山田ハルエさん
山の女より

大正7年(1918)秋山郷上ノ原に生まれる。
鈴木牧之が秋山郷を訪れたのは1820年ころ、菊地山哉は1932年
それから昭和28年(1953)にようやく屋敷に電気が入り、
切明までの道路が開通したのも昭和28年、見玉までのバスの運行は
昭和38年・・・冬季の運行が始まったのが昭和60年・・・・
東京に出る時は見玉まで歩き津南で一泊したという山田寿章さんの話は本当だった。
雪深いときに東京に行かれたのだろう。

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信越 秋山郷 秘境探訪図より

話は志村俊司差の聞き書きというかたちになっているので
読んでいるうちハルエさんの語る声が聞こえてくる感覚になる。

驚いたこと
幼いとき着物が一枚しかなく洗濯している間
素っ裸でこたつにもぐり乾くまで待った

とにかく手のかかる稗を毎日朝食の為に
イススという道具で挽いてアンボを作る準備をしたこと

出産で、お腹をぶつけて沢山の血がでて意識を
失ながらも、産婆さんの助けで母子とも助かったこと

ご主人が発電所の発破でケガをして片目になってしまい、
それでも猟師を続けたこと

ご主人のケガの間生活が成り立たず民生委員に頼んで
生活保護を受けたが、まだ生活が成り立っていないのに
子供がいじめられ、不憫なので生活保護を断って頑張ったこと

などなど

ところでアンボとは
ソバやヒエで作ったがソバは高級品でおいしかったが、
普段はヒエアンボだった。

ヒエのイススふきは固くてなかなか粉にならず、
殻がとれるだけで薄い皮をかぶったままアンボにするが
食感はザラついてしまう・・・がまずいと言わず食べた


作り方
ヒエ粉をコネ鉢にいれ、お湯を入れて
耳たぶくらいの柔らかさにこねる

手を湿して丸め刻んだ菜っ葉(野沢菜)の漬け物を
中に入れて丸く仕上げる。直径10センチくらい。

それをいろりで焼いて食べる

あんぼとおやきの違い
あんぼは新潟では米で作るが、おやきは小麦粉で作る

ハルエさんの家は米、小麦は作らないのでヒエでアンボを作った。


読み終えて
ハルエさんを見習って、強くたくましくそして前向きに
残りの人生を送ろうと思った003.gif



















by gannyan1953 | 2015-09-03 14:26 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)

秋山郷⑥

歴史と素適なおつきあい番外編   2015・9・3

秋山とさよならして林道秋山線で奥志賀高原へ

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なかなかの立て看板
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もっきりやという民宿があり一泊二食で3000円
どんな所だろうと調べてみると結構いいらしい
 もっきりやのホームページをのぞいてみた
営業してる・・・

どうもオーナーさん頚椎症らしい お大事に

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これって苗場山?

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林道秋山線

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奥志賀高原ホテル到着
なつかしくのぞいてみたが雪のホテルしか思い出せない

イケメンおにいさんが馬車の準備をしていた

ひたすらグングン車は低地にむかい
信州中野から中央道、八王子から圏央道、厚木から東名で帰った
料金が高かった
関越からの練馬の渋滞がいやでそうしたので
渋滞はなかったが・・・・・



by gannyan1953 | 2015-09-03 10:07 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)

秋山郷⑤

歴史と素適なおつきあい番外編     2015・9・2


前倉に進む 国道に戻るがやはり道はせまい

蛇淵の滝に向かおうとすると山源木工の人に呼び止められた
スズメバチにさきほど刺された人がいるという
あえなく退散
木工品をみたが、切り株のスライステーブル・・かっこいいが
テカテカでもう少し渋いのがいいと思った

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そろそろお昼で
へいけ茶屋の山菜そば
山菜てんこ盛り・・美味しかった

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新潟と長野の県境
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のよさの里を通り過ぎ和山へ
佐久間象山が滞在したところで屋敷跡があるらしいが、わからなかった
佐久間荘かなと思ったがあとで聞いたら違うという
佐久間象山は一ヶ月ほど滞在し鉱物を調査したらしいが
見込みがつかず帰ったという

銅山があったところであるが栄村のホームページではミステリーとなっている

時代は進み発電所建設において隧道が切明から18キロ下流の
中津川発電所まであるらしい
廃墟地図
行ってみたいがこれは行けない
ネットで楽しませてもらった
もっきりやについても詳しく探索してあった

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切明の中津川
川原の露天風呂へい行く道・・スズメバチでそうなので又退散

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雄山閣でトイレ休憩
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9月のおたまじゃくし
この雪深くなる秋山で、今頃おたまじゃくしのままでどうするのと心配したが、
そのまま越冬するものもいるという(ツチガエル)

切明は水力発電所がありその工事で昔は賑わい大勢住んでいて
秋山の人も沢山働いたそうである
自給自足だった村に賃仕事がはいったわけである
今は人を見ることもなく静かだった

のよさの里に帰る


by gannyan1953 | 2015-09-02 23:42 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)

秋山郷④

歴史と素適なおつきあい番外編    2015・9・2


大秋山村の生き残り

続いて
屋敷の秋山郷歴史資料館を国道ではない道を北に進むと

大秋山村跡




 
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かなりわかりにくい標識の道を右にはいるが、
車を置いて歩いて入った
どうもタクシーはここの案内は車で入ってしまうらしい

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天明3年(1783)の飢饉で全村餓死したといわれる

この秋山の元村で、秋山郷の名の由来である

全員餓死ということだが、菊地山哉の「別所と俘囚」によると、
一名だけ生き残っている。昭和7年に秋山郷を訪れた時の話である。

この秋山村の奥の屋敷部落の人が雪解けを待ってきた時は
全部の人がた斃れており、その中1人の青年にまだ温かみがあるようなので、
屋敷へ担ぎ込み、手当をしたら蘇生したということで、
この青年はその儘屋敷へ引き取られ、現在その曾孫が居るそうです。

土地の人にもっと聞けばよかったが、返答はすべて
全員餓死という答えだった・・・菊地山哉の本、読んでないのかな・・・・

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途中の道だが、ここをタクシーは走るのだろうか

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国道にもどらずそのまま北に進む
国道より道が奇麗である
国道より整備する手続きが簡単なので広く作れるのだという。






by gannyan1953 | 2015-09-02 23:07 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)

秋山郷③

歴史と素適なおつきあい番外編   2015・9・2

秋山郷歴史資料館

屋敷にある。
屋敷の伝承では頼朝に破れた平家落人
が隠れ住んだところという。

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庚申様掛け軸
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仏壇

二階のギャラリーの絵

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小泉八雲の幽霊滝の伝説か・・・ハズレ
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耳なし芳一か・・・ハズレ

私の絵の推測は見事にハズレたことがわかった
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この方とたまたま、のよさの里でお話することになり・・・・


資料館2階のあの青い絵の画家さんだった
資料館の御子息だった

個性的な色彩感と画風で知られる油彩画家・山田寿章(としあき)さん
だった・・・・

明るい色調のふるさと風景やふくろうの絵で有名らしいが、
私はブルーを基調にした平安貴族のような絵がとても印象的だった

山田さんの話

山田さんの小学校はとても遠く通学が大変で
東京に出る時はバスのある見玉まで歩き津南で一泊してから
行ったという。

昔、切明の全盛期パチンコ屋もあり、人が大勢住んでいたことがある。
発電所の建設があったからだそうだ。


絵は独学だそうだ。

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山田氏の祖母像
この絵は引き込まれるような迫力がある



山田寿章氏は、津南の善福寺のふすま絵を描いているそうだ。

秋山郷と善福寺の関係がまたつながった。(秋山郷②を参照)







by gannyan1953 | 2015-09-02 20:05 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)

秋山郷②

歴史と素適なおつきあい番外編   2015・9・2


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のよさの里近くの天池

小赤沢
苗場山の登山口である。
赤い鉄分の多い温泉に入りたくて、行ってみたが、楽養館は休みだった・・・

秋山郷に貴族がやってきた説

津南町出身の石田吉貞氏の「若き人のために」という本について書かれている。
歴史ロマンを参照

歴史ロマン 

善福寺と貴族と秋山郷について

津南の谷沢赤沢には1000年ほど昔京都から大勢の貴族がやってきた。
およそ300年その地に住み、七堂伽藍を備えた泉秀院という寺があった。
その後上杉氏のころ焼けてしまい本尊は藤木家に安置された。
その後大井平に移され禅宗になり今の善福寺だという。
保元の乱で京都の公家や武士は血族も争い、京都にいられなくなり
新田義貞を頼り赤沢平に隠される。
新田氏が滅ぶことでまた路頭に迷い秋山の渓谷深く隠れ住む事になる。

秋山郷には寺はなく清水川原で鈴木牧之の問いに
「菩提寺は上妻有の善福寺なり。引導様(僧侶の事)のことは
冬、春は深雪の山路難所故、寺へは無沙汰」と答えている。
その代わりに大赤沢の黒駒太子絵像をかざして拝ませるという。
秋山郷と善福寺のつながりがわかる。

市右衛門の家に泊まった時、夫婦の寝床はむしろが垂らされて仕切られていた。
その様子は、御簾のかわりではないか、貴族の名残ではないかという内容であった。

秋山郷の起こりは様々な説がある
平家落人・マタギ・アイヌ・租税から逃げてきた人、そして貴族説であった。
このアイヌと書かれていたのが、俘囚のことを言っているのかと思うのだが、
私は菊地山哉の本を読んで俘囚説も説得力がある。鶴見川の鉄と俘囚
どちらにせよ俘囚説は7世紀ころの話なので起源説ではずっと古い時代になる。

とねんぼ
観光センターというので寄ってみた。
民俗資料が置いてある。

秋山郷の信仰

秋山郷は雪深く、寺もなく人が亡くなると
黒駒太子絵像を亡くなった人にかざし、死者の滅罪による
浄土往生を願った。(大谷学報より)

黒駒は聖徳太子が甲斐の国からもらった黒駒・黒い馬に乗って
富士山に登り信州に行ったという言い伝えがある。
日本書紀には雄略天皇のとき、不実を働いた木工職人を処刑しようと
したが、これを許し甲斐の黒駒を与えたという。
秋山郷の黒駒は木工職人が信仰したというので、
この話から木工職人は太子と黒駒を結んで考えたのだろうか。


秋山郷の信仰は江戸時代に入り長野善光寺の聖たちの
信仰が入ったと思われる。善光寺の宗教は日本の仏教が
諸宗派に分かれる前の寺院で本尊は阿弥陀如来である。
真宗の親鸞は訪れている気配がないが、善光寺は親鸞を
大切にしている。
聖たちは真宗系の聖徳太子信仰を伝えたものと思われる。
秋山郷の宗教は浄土真宗が多い。
もともとは原始宗教で岩や山を信仰したと思われる。
今でも根強くその宗教観は残っている。
秋田阿仁からきたマタギが定住しているが熊への信仰も
あったのではないか。

庚申信仰は長野、越後にはおびただしい石像も残り
盛んだったと思う。


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とねんぼの庚申様の掛け軸
のよさの里では庚申料理が供されるが
庚申信仰が深く信仰されていた
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とねんぼ横の苗場神社と十二社

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保存された民家

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民家の庚申様の掛け軸
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民家の仏壇
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民家のいろり
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民家の展示
鈴木牧之の絵である。
短い期間でよく把握できたと感心する。

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屋敷集落からみた布岩
柱状節理が見える












by gannyan1953 | 2015-09-02 16:47 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)

秋山郷を訪ねて①

歴史と素適なおつきあい番外編                2015・9・1

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鳥甲山(のよさの里より)


長野と新潟の県境、東は苗場山、西は鳥甲山(とりかぶとやま)に囲まれ
約20キロに渡り深い谷が続く

俘囚と秋山郷について語ったブログが鶴見川流域のと鉄と俘囚である。
菊地山哉を参考にした。

長野県秋山郷  結東村・穴藤村 と境村・現在栄村
秋山郷とは新潟の津南町と長野の栄村にまたがる秘境で、昔から中津川結東村は新潟に属す。
長野に属す栄村とつながっているが、昔は里どうしの交際がなく、結婚もしないという関係である。
近年まで積雪のため隔絶されることもあり、何度も飢饉、飢餓は起こり天保、天明の飢饉で村が絶えたこともある。
生活は幕末にようやく稲作が行われ、それでもなお狩猟と焼畑で生活を支えた。
結東村には3軒のみ屋敷があり他は竪穴住居であった。
赤沢部落に十一面観音(白山信仰)、阿弥陀如来、聖徳太子黒駒像は職人が祀るもの、十三塚がある。
江戸時代に良質の銅石が出るというが、栄村の和山に銅の製錬跡が見られるくらいで秘密に行われ未だに謎の銅山といわれる。
赤沢は鉄分の多い温泉がでる。ここが別所であると思われるのは、地勢から中津川流域は越後に属してもいいと
思われるのになぜか分断され、付き合いがないということから栄村の方に数戸の俘囚を配し、
これを管理する長野側と俘囚を嫌った新潟側に別れ、塞がれたのではないかと菊池山哉は考えた。



まず秋山紀行を著わした鈴木牧之の生家を訪ねた。
南魚沼市塩沢の三国街道塩沢宿「牧之通り」にある。

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生家は現在酒屋さん
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牧之がいたころの梁が残る
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牧之記念館は休館だった
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牧之の生家の迎えの脇本陣でここも酒屋さん
八海山の甘酒をいただいた・・・美味しかった
本陣は薬屋さんになっている
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牧之の家の前の神社
この隣の寺に牧之の墓があるが、わからなかった

津南を過ぎて秋山郷に向かうと急に山道になってくる

見玉不動尊
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見玉不動尊から湧き出る滝
飲み水用になっており美味しい
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牧之がお参りにきている

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秋山郷秘境探訪図より


のよさの里 のよさの里

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本家

牧之の宿のよさの里 秋山紀行の風情を演出している。
牧之が泊まった宿ではないが栄村の公社が運営する宿である。

分家といって離れ家が宿泊施設になりいろりがあり独立しているので
気兼ねなく過ごす事ができる。
分家の名は市右衛門・文五郎・三左衛門・助三郎・新左衛門・要次郎・彦八と
鈴木牧之の「秋山紀行」のとき、世話になった人々の名前である。
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玄関脇にある鈴木牧之像
ちょっと目が怖いかも
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熊の敷物
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鈴木牧之の絵
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鈴木牧之の絵

日本酒秋山郷美味しい
 のよさの里の方々、秋山の方々・・・
親切にいろいろ教えていただき、ありがとうございました。
温泉とくに内風呂は気持ちよく
お料理も美味しかったです

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by gannyan1953 | 2015-09-01 23:28 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)

万治の石仏

歴史と素適なおつきあい 番外編   2014・2・9

叔父とご近所の母上が亡くなった。
供養に雪の石仏を作ってみた

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万治の石仏
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wikiより

万治の石仏とは

諏訪の春宮から近い場所に遷座する。
諏訪大社下社春宮に石の鳥居を造るためこの石仏の石を材料にしようと鑿をいれたら
血が出てしまった。
石工は驚いてその石に阿弥陀如来をまつったと伝えられる。
胴には万治3年(1660年)と刻まれており「万治の石仏」と名付けられた。
モアイとよく似た顔をしている。


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ゆきだるまも作った
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ご近所のそり遊び
若かったら私もやりたかった・・・・


by gannyan1953 | 2014-02-09 12:34 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)

象山に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編     2013.10・30

戦争遺跡 松代象山地下壕 松代町松代1460−3 
 
代官町駐車場(無料)を利用史徒歩8分 入場無料 

観光バスで立ち寄る人が多かった。
象山は佐久間象山は「しょうざん 」土地の人は「ぞうざん」という。
松代は佐久間象山の出身地である。

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象山地下壕入り口

太平洋戦争末期、本土決戦最期の地として大本営、皇居、政府機関などをここ松代に移築することに決まった。
皆神山と象山と舞鶴山に地下壕を碁盤の目のように掘削(くっさく)した。

皆神山は崩れが多く断念して、舞鶴山は皇居になり、現在気象庁精密地震観測室になっていて非公開である。
象山には政府機関、日本放送協会、中央電話局が入る予定だったが、80%掘削したところで敗戦になった。
工事は昭和19年11月11日に始まりダイナマイトを使って、9ヶ月の突貫工事が行われた。
かかった費用は当時の金額で1億とも2億円ともいわれている。

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入り口右にある平和祈年碑

工事には、朝鮮人や近所の国民学校の児童をふくむ人々が動員され犠牲者もでたという。
朝鮮人労働は強制労働という暗い影はなく、賃金も支払い、食料も多く供給されたという。
学徒動員された日本人は無償で働いた。

戦後象山地下壕を戦災孤児のために利用しようという動きがあったが
実現はなくそのまま放置された。

松代が選ばれた理由(ウイキペデイア参照)
  1. 本州の陸地の最も幅の広いところにあり、近くに飛行場(長野飛行場)がある。
  2. 固い岩盤で掘削に適し、10t爆弾にも耐える。
  3. 山に囲まれていて、地下工事をするのに十分な面積を持ち、広い平野がある。
  4. 長野県は労働力が豊か。
  5. 長野県の人は心が純朴で秘密が守られる。
  6. 信州は神州に通じ、品格もある。
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取り残されたロッド








by gannyan1953 | 2013-12-11 22:03 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)

皆神山に行ってきた①

歴史と素適なおつきあい番外編              2013・10・30

パワースポットの旅
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皆神山


松代にある標高659メートルの溶岩ドームの山で山頂に皆神神社がある。
松代群発地震の震源地だった。
昭和40年(1065)東京オリンピックの翌年だ。ここから2年間1日に300回から1000回ゆれたという。

皆神山の地下3〜5キロが震源地で火山でもないこの山がなぜゆれるのかわからなかった。
昭和59年(1984)サンデー毎日が皆神山の内部の中心部に
縦3km、横1、6km、深さ400mの楕円形の空間があると報じた。
通産省・地質調査所の調査結果からの報道である。
編集部は自ら地質を専門家に調査依頼した結果、
もろい岩石ばかりで構成され、水源、水脈はないという結果になった。
このもろい岩石がゴロタ石のことである。

第二次世界大戦時には、大本営をここに移すべく、多数の地下壕が掘られた場所でもある。
最初に軍部はこの皆神山に天皇の御在所を作るため掘っていたのだが
崩れが多くあきらめたという。なぜ軍部は皆神山に固執したのか。
古代から霊山と親しまれ何かしら不思議な力を感じる人が推奨したのだろうか。
この山の周辺には神社が多く存在しレイラインも発見されている。

だが、興味をそそられたのは、この山が世界最大のピラミッドといわれているからである。



皆神山はピラミッド!

エジプトのピラミッドではなく、古代に祭祀を目的とした人工の山のことである。
超古代史の本には宇宙との交信基地とまで書いてある。


それがこの説明書である。駐車場にある。
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「皆神山の造山方法はエジプトのピラミッドのように人の労力ではなく初歩的な重力制御技法(部分的干渉波動の抑圧)により、当時長野盆地が遊水湖沼(最後のウルム氷期の終末期で東・南信の氷解水による)となっておりその岸のゴロタ石堆積土砂石を浮揚させ空間移動させるといったダイナミックな方法でした。
この皆神山の盛土的山塊が自重により不均衡凝縮=ねじれ摩擦現象=起電=電流発生といったダイナモ機能山塊となり、電磁波が生じ、この磁力と重力制御(反重力)により物体(電磁反発飛昇体)が垂直に離着陸するようになったのです。古文書に出てくる<天の羅摩船>等がこの飛行体です。
皆神山は,古い古墳時代や弥生時代更に遡っての縄文時代やエジプト・インダス・黄河・シュメール各文明よりずっと古い、今から2~3万年前(浅間山、焼岳ができたころ、飯代、妙高、富士は約九万年前)の超太古ともいうべき遠い旧石器の時代に造られました。(人工造山=ピラミッド、ピラミッドはギリシャ語源で三角型のパンの意。)」
「 この皆神山を造った人間は、古事記に出てくる須左之男命(自然主義的な科学技術者の集団の総称)で現代科学とは全く異質ではるかに優れた高い知的能力をもつ人類でした。(旧人ネアンデルタール人系)」
「 では、何のために造ったかというと、墳墓ではなく地球上の各地や、宇宙空間への航行基地として造られたのです。」
超太古の宇宙航行基地である皆神山の祭神は従って高度の知的能力集団でみんな宇宙航行や宇宙基地に関係する次の四神です。」
「熊野出速男命・・・宇宙船<天の羅摩船>等の航行の技術、管理を引き継いだ最後の集団で、北信地方の開拓祖神」
「少名毘古那神・・・宇宙船で皆神山航行基地を離着した大国主命の参謀集団」
「泉津事解男神・・・皆神山航行基地をはじめ、全宇宙基地を管理した集団」
「速玉男神・・・地球周回軌道の人工衛生(宇宙航行の中継基地)の技術者集団」
「このように皆神山は、神々が活躍した基地であり、宇宙船で現れたり姿を消したりしたので自然人たちは、神聖な山=高天が原として崇め、後世に伝えたものです。


以上看板の内容である。
何度読んでも私には理解できないが・・・・

神社には王仁三郎の碑もある。


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この人物もなかなか面白い人である。

出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)
明治4年(1871)- 昭和23年(1948)年は
新宗教「大本」の二大教祖の一人。
金神(こんじん)という、怖れられていた神を祀る宗教で、その中から
大本教を出口ナオが教祖、その娘婿王仁三郎が立ち上げた。
予言者といわれ、国からの弾圧、内部からの批判などいろいろあったようだが、
この人がこの皆神山は「素晴らしい!」と言っているのである。

信濃國皆神山■

 信濃の國松代町の郊外にある皆神山は尊い神山であって、地質学上世界の山脈十字形をなせる地であり、世界の中心地点である。
四園は山が十重二十重にとり かこんで、綾部、亀山の地勢と些しも違はぬ蓮華台である。
綾部は日本の山脈の十字形をなせる地で、これは又世界的であるだけの違いである。
大石凝眞素美翁 (おおいしごりますみ:言語論、宇宙論、進化論を含む霊学体系と、神秘的な学説によって、古神道復興と神道霊学成立を為した人物。)は、
この地に帝都をおかれたならば萬代不易の松の世を現出することができると主張し、
世界中心遷都論を称へて囹圄(れいご:牢屋のこと)の人となった事実がある。
眞澄翁ばかり でなく他にもそういう説を唱えた人があるが、
最近飛行機が盛んになるにつれて東京は安全の地ではないと云う見地から、
信州遷都論が一時或有志によって伝えられた事があるが、
まったくこの皆神山は蓮華の心(しん)に当って居るのだから、
四方の山々に砲台を据え付けてさへ置けば、如何なる飛行機をもってしても
襲ふことは出来ぬ安全地帯である。

こんな要害のよい所は、世界中他にない。
霊界物語にある地教山は此山である。
素盞鳴命(すさのおのみこと)が高天原なる 天教山より下り、母神の坐(まし)ますこの山に
のぼりたまふた事実も、そっくりあの通り出て来たのである。
私は明治三十一年高熊山にて修行中、神懸りになって、一番につれて来られたのが
天教山の富士山と、この皆神山とである。
霊界で見た山はこれよりもずっと大きく美しかったが、
大体の形は今見る のと些しも違はぬ。眼下に見ゆる大溝地(おおこうち)、あの形に型取って金龍海(大本教内の池)は造ったのだ。
十五丁目から頂上まで僅か三丁(1丁=60 間≒109m)であるけれど、霊界で一里以上(1里=36町≒3.927km)に見え、神界では百里以上に見えた”世界十字に踏みならす”の御神諭も大い に味はふべき事である。神代歴史にある地名は皆此処にある。天孫の降臨地と云ふのはここの事であって、其昔の天教山(今の富士山)は印度(インド)のヒマ ラヤ山(地教山)の三倍以上の高さを持って居た事は嘗て話しておいた。(霊界物語舎身活躍子の巻第一章参照)即ち雲表高く聳えて居たので、ここを高天原と 云うて居たのである。その高地から降って、この地に来られたのを天降られたと云ふのである。
邇邇藝之命(ににぎのみこと)より神武天皇迄は実に百三十六万 年の年月を経過して居るのである。この山は政治地理的に云えば、長野県埴郡豊栄村に属し、御祭神は熊野出速雄の神で、綾部の産土神(うぶすなかみ)と同じである。往昔素盞鳴の命がこの山で比良加を焼かれたのが陶器の初めである。私も帰るとこれを記念に新しい窯を築いて陶器を初めるのである。


という内容で残念ながらちょっと意味不明。
ここにあるレイラインと同じ意味だとは思うが。


カゴメ之宮
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カゴメ之宮とは

「昭和四拾九年一月二三日、旧暦一月元旦、国常大神お立ち上りの神示あり。
諏訪大神より、二月五日節分から信州神業に発てと神示を受け、二月六日大雪の聖山神 社へと向う。

「皆神山へ行け、元の元の大元の大神様のお立ち上りと成りた。コトの大事の秘められ し、その頂上なるの神のご出現じゃ。」と神示あり。

ついで戸隠中社に於いて「この信洲、神の洲と書いて、神洲と読むことを知っているか、皆神山へ参れよ。」
と神示を受け、翌二月 七日積雪の皆神山に初登山をする。

皆神山神前にて午前十時入神状態となる。
大勢の神々参集されたなか、神業は新しい 大神様地上神界天降りを出産の型で示され、戴冠式の形となり全ての神儀終りは正午、こ の皆神山は古代より地球上において、神界で選ばれた唯一の聖地であり、宮も又同じなり。

天地カゴメ之宮は、上に元津御祖大神、また、ヒマラヤから国常立大神の元津神霊を宮 の御大将と迎え、
日之出大神はじめ天地八百万の神々、竜神眷族、モーゼ、キリスト・ギ リシャ神話の神々に至るまで参集され、
現在は伊都能売神業にあり。
此度神々 守護のため宮の建立を許され、ここに謹んでお受け致した次第を印す。」

また意味不明であるが、とにかく不思議な場所で

ドB級スポット推薦!!

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何だろ? 井戸かな?

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底なし沼といわれている。非常に不思議な美しい池である。
道路より上に盛り上がるように水位が高く、目の錯覚なのか全く不思議な沼である。
クロサンショウウオが棲息しているという。

皆神山に行ってきた②へ続く
by gannyan1953 | 2013-12-11 21:59 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)



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