歴史と素適なおつきあい

カテゴリ:山梨県歴史散歩( 3 )

青梅街道 塩山にむかって ④ 終了です

歴史と素適なおつきあい番外編  2017 5月2日


朝お風呂に入って
b0228416_17093252.jpg
さくらちゃん

b0228416_17093513.jpg
すずちゃん


b0228416_17093743.jpg
さとちゃん

欲張って順番にお散歩

さとちゃんは男の子だった


まだ貰い手は決まっていません

飼ってくれる人がみつかりますように・・・・



b0228416_17113403.jpg
雲峰荘のトイレの中

電気が直ぐ消えて真っ暗

何度も手を挙げて振ってみる

ポッとつく

ホッとする

おもしろいトイレ



b0228416_17130007.jpg
宿の中に旧青梅街道


b0228416_17131880.jpg
のどか



b0228416_17132794.jpg
旧青梅街道


b0228416_17134297.jpg
青梅街道では珍しい番所

b0228416_17140781.jpg
番所の上には巨石 山梨ではめずらしくないかな 


b0228416_17143481.jpg
南アルプス

b0228416_17145164.jpg
道祖神


b0228416_17150891.jpg
これって左側にあると思いませんか

手前だったんです


b0228416_17151141.jpg
墓だ


b0228416_17160766.jpg
確かに樋口と書いてある


大正の墓  樋口一葉のご親戚なのかな

一葉の両親は結婚を許されずこの家から
江戸に駆け落ちをしている

同心株など買って
明治5年に一葉が生まれている

父の実家を訪れることはなかったのだろうか


b0228416_17200264.jpg
b0228416_17200501.jpg
b0228416_17200876.jpg
富士山が見えてきた



b0228416_17205781.jpg


b0228416_17295249.jpg
大嶽山信仰なんだ

私はキューピーのような大嶽山は好きだ

ちょっと嬉しい
b0228416_17311165.jpg

b0228416_17315059.jpg



b0228416_17324511.jpg
b0228416_17320543.jpg


b0228416_17322070.jpg

b0228416_17391166.jpg
レトロな写真館

b0228416_17393384.jpg
文化財になっている家

b0228416_17395638.jpg
菅田天神社

甲州市役所そば かんだと読む


b0228416_17420441.jpg
奇麗


b0228416_17421066.jpg
丸い石のこんなのがずっとこれから続く



b0228416_17425946.jpg
山梨市駅
何を見上げているのか


b0228416_17432244.jpg
フルーツいっぱいの塔だった


b0228416_17442687.jpg
景色よし

b0228416_17440595.jpg
遠くから見えるおじさん

b0228416_17434271.jpg
根津さんと言って東武鉄道を作ったらしい


b0228416_17452576.jpg
銅像の周りは堀みたい



b0228416_17455473.jpg
青梅街道はどっちだ



b0228416_17461691.jpg
 
b0228416_17462560.jpg
根津さんの生家かな
近くのお地蔵さん


b0228416_17465907.jpg
丸い石と抱き合った双体道祖神



b0228416_17485885.jpg
麦だ ビール飲みたい


b0228416_17493355.jpg
奇麗な街道になってしまった

旧街道は消えた


b0228416_17500599.jpg
甲州街道と合流し青梅街道はここで終点

お疲れさまでした


b0228416_17504060.jpg
酒折宮の案内


b0228416_17504244.jpg
ヤマトタケルさん


酒折駅の近くにはコンビになく

ビールは塩山まで我慢

15:17塩山行きにのって
塩山のキオスクでビール買って

電車のったら座席が向かい合わせじゃなかった

でも飲んだ


























by gannyan1953 | 2017-05-03 17:54 | 山梨県歴史散歩 | Comments(0)

青梅街道 青梅から塩山に向かって③


歴史と素適なおつきあい番外編   2017年5月1日 

久々の街道歩き 青梅街道完結編

前回のブログ
2年経ってしまった


前日から丹波山に宿泊


b0228416_14161262.jpg
青梅街道の道標や馬頭観音などなど


b0228416_14153359.jpg
朝散歩で見つけた
山田君 おはよう


b0228416_14193089.jpg

宿のおばあちゃんが言うには
ローラー滑り台の下にアイヌが住んで、囲炉裏跡も保存され
・・・見学もできると・・・

調べてみた

縄文中期の遺跡があり水晶もあったという

おばあちゃん縄文遺跡をアイヌが
残したものと言いたかったのだろうか

確かにアイヌ地名っぽいものはある

押垣外 オシガイト




b0228416_14142244.jpg
旧青梅街道
b0228416_14144125.jpg
たちばなの朝食

8時に出発

b0228416_14164551.jpg
朝っぱらから

ちょっとディープな場所
おいらん堂へ

b0228416_14173862.jpg
黒川金山は平安から続く金山だったが、
武田勝頼が長篠の戦いで敗走したとき
金山の秘密を守るため
遊女たちが殺害され
この地に流れ着いたという

おいらんの名称は江戸時代になってからというので
真偽のほどはわからない

心優しい丹波山の人々が
葬り供養した


b0228416_14173529.jpg

木偶(でく)

  
b0228416_14180123.jpg
  
b0228416_14173327.jpg
やっぱりさびしい場所でした

  登るとすぐ141号線へ

b0228416_14183625.jpg
丹波山集落が終わる頃

ゴミ屋敷のような場所にいたわんちゃん

b0228416_14344278.jpg
ずっとずっと渓流を眼下に見ながら進む
遊女たちが流れた川かと思うと
せつない


b0228416_14353246.jpg


b0228416_14353456.jpg
尾崎行雄の碑

東京都の水源の踏査


b0228416_14362905.jpg
歩いていても崩れ、土砂崩れの場所ばかり
新しいトンネルはこんなふうに逃げ道を作る
ひだりにトンネルの入口  工事中



b0228416_14374573.jpg
おいらん渕への道は今は廃道になり
それでもオカルトスポットとして侵入者があり
厳重にとびらが閉ざされ監視カメラがついている


b0228416_14393547.jpg


b0228416_14395066.jpg


ここは神金という村があったらしく地名の由来は
黒川金山からつけられた地名らしい


b0228416_16262197.jpg
一の瀬高原への道が閉ざされている
塩山の方から入ることができると思う

やはり黒川金山関係者が住み着いたのがはじまりだというが

民宿も閉め
住民は少なくなったという

1度訪れたいとおもう
調べてみたら一の瀬高原キャンプ場は健在だった・・よかった

民宿「みはらし」も営業中

b0228416_16452209.jpg
一の瀬高橋の春駒

みてみたいがバスもない高橋集落に冬場は行けないじゃないか・・・
アッ 伝統行事は塩山駅近くで行事は行われていた・・・
そうじゃないと現地に見に行けないよね・・・


b0228416_16495206.jpg
あったあった一の瀬に行く道が


b0228416_16501800.jpg
鶏冠山の途中に黒川金山跡がある

ここも是非訪れたい


b0228416_16510815.jpg
はまやらわという旅館にひたすらついてくる猫ちゃん


わらびもちのお店の横に源流の水飲んだ・・
丹波山の水道の水の方が美味しい・・・うーん
なんで?


つらーいつらーい登り 足がパンパン

b0228416_16524729.jpg
東京都の水道の碑



b0228416_16533911.jpg
うっすら富士山が見えるが写真には写らない

源流の水のコーヒー300円なのに
美味しかった

疲れが吹っ飛ぶ

b0228416_16551174.jpg
峠にも山田君

悪いけどドライブインのコーヒーにしました


b0228416_16560082.jpg
ここからは下る 下る
くねくね道がみえる

さっきは足の腿がパンパン
下りは脛が痛い


b0228416_16580584.jpg
右側に裂石観音


b0228416_16591149.jpg
今日の宿雲峰荘の玄関前 奇麗


お風呂も気持ちいいし
ご飯もものすごく美味しい

写真撮るどころではなかった


宿のわんちゃんのお散歩をして熱燗飲んで
おやすみなさい























by gannyan1953 | 2017-05-03 16:14 | 山梨県歴史散歩 | Comments(0)

甲斐犬の里 芦安の歴史

歴史と素適なおつきあい番外編   2013・8・12

甲斐犬の里で甲斐犬を見た

b0228416_11174656.jpg

甲斐犬のならちゃん(2011年生まれ女の子)

b0228416_1118881.jpg

甲斐犬の血が混ざったでんじろう君 見た目甲斐犬に見えるけど。

芦安村 (現在は南アルプス市)
中央部の夜叉神峠(やしゃじんとうげ)には南北にフォッサマグナ(糸魚川静岡構造線)の断層が走る。
明治になって、御料地となり、近代には乱伐による山林荒廃で水害などが発生。
今でも自然保護対策や災害による道路の寸断など災害が多い。
高度成長期に林業が衰退し、過疎化が進んだ。

昔々、日本武尊が東征の折りにこの地で「水害に襲われた」と伝えられているのをはじめ、
戦国時代には、武田信玄が、甲府盆地の治水工事を行って内政の充実を行ったことは有名である。

武田信玄は、天文10年(1541年)、21才の時に甲斐の国主となり、翌年、御勅使川(みだいがわ)が氾濫して甲府盆地が一面の河原と化した。
そこで信玄は川の氾濫を食い止めるため治水工事を始めた。
信玄堤を始め将棋頭や石積出し等の治水工事を行い、
その工法は、「甲州流河防法」と呼ばれている。

笛吹市の浅間神社社伝によれば、825年(天長2年)に大洪水が発生し、このときに甲斐国司文室秋津が朝廷に勅使下向を要請したという。御勅使川の名もそこからついたという説がある。

翌朝、散歩で夜叉神峠の名に惹かれて車で出かけてみた。

夜叉神峠(やしゃじんとうげ)
昔、峠に夜叉神がいて祟るので、峠に供養の石祠を置いたことに由来する。
芦安村の伝説には、一つ目小僧、龍神様、へび石、極めつけが
朝日さす夕日かがやく木の下の黄金埋蔵伝説がある。

そこで考えた。きっと鉱山があると。
調べてみると近くに芦安鉱山があった。

芦安鉱山
信玄の時代から金、銅を採掘したとある。
大正から戦前まで黄鉄鉱、黄銅鉱などとれたという。
ドノコヤ峠という名を残し、最近になって山道を整備したらしい。
ドノコヤとは銅の小屋である。

大正3年(1914)に大正鉱業が採掘を始め、日立製錬所や尾去沢鉱山に売却された。
鉱山最盛期には250人の従業員、その家族たちが暮らしていた。
地盤はもろく、傾斜地だったので、生活、採鉱にも大変な苦労があったと思われる。
冠婚葬祭、学校などもあり、ひとつの集落を作っていた。
運搬は苦労をともない、50キロの鉱物を人の肩、牛馬によって運搬された。
後に桃ノ木温泉あたりまで索道ができ、平地には車が走れる道が整備された。

戦後は安い輸入鉱石に押され経営が難しくなり、昭和22年(1947)に閉山した。

その後、光鉱業が芦安の鉱業権を得て反対側の奈良田に索道を作って続けたが、採算が合わず
昭和31年(1956)閉山した。

大正鉱業も大きな会社だったが、労働組合との闘争もあり、昭和39年に会社解散となった。

今でもその集落の跡が廃墟として残っている。
山梨には信玄由来の鉱山がたくさんある。



b0228416_13572326.jpg

大正期の砂防堰堤で、当時最大級の高さ、大きさ、及び美しさを持つ、

最初期の練積堰堤群として
堰は文化遺産になっている。

甲斐犬について
大正13年甲斐犬の存在を小林承吉氏が、確認する。
この地特有な犬であると感じ、甲斐犬を大切に増やしていった。

体型より、「鹿犬型」(鹿型犬)と「猪犬型」(猪型犬)のタイプがあったが、
現存する甲斐犬は、「鹿犬型」(鹿型犬)であり、猪の他、カモシカも追っていたとされ、
細身で体が長めで、岩場に適応して垂直に飛び上がる力に優れている。

虎御前の遺跡

芦安物語
Ⅰ. 甲斐の芦安 育ちの御子は
産湯 御勅使川の 姫ごりょう
殿に召されて 鎌倉御殿
あでやかな あああでやかな
   虎御前

2  花の鎌倉 大磯小磯
   舞の頭の 虎御前
   曽我の十郎 佑成さまと
   合舞踊 ああ合舞踊
   打つつづみ

3. 富士の巻狩り 曽我兄弟を
   語り続けて 七百年
   愛の芦安 いこいの温泉
   夢を呼ぶ ああ夢を呼ぶ
   虎御前

虎御前は大磯の長者の娘だったと聞くが、ここ芦安安通の生まれという伝承が残る。
曽我兄弟の兄・十郎の恋人として登場する虎御前は、縁あって大磯にある長者の養女となった。
とても美しく、その御前が身繕いや化粧をするのに鏡を立てた台と伝えられる石が残る。
b0228416_9523439.jpg

b0228416_9524722.jpg


曽我兄弟は父を殺された敵を 富士の巻き狩りで仇討ちに成功した。
しかし、兄十郎は斬殺、弟五郎は捕縛されのちに斬首となった。

大磯で十郎の訃報を聞いた虎御前は、19歳で尼となり、兄弟の菩提をとむらうため信濃善光寺に向かう。
その旅の途中、生まれ故郷の安通村へ立ち寄り、村人から住まいを与えられ、追善供養をした。
芦安の諏訪神社に十郎と虎御前と伝わる2体の木像がある。

虎御前がこの地に縁があるとすると、この地南アルプス市には、曽我兄弟と関係した人々がいた。

その関係者たちーその1御所五郎丸
五郎を取り押さえ、頼朝を守ったのは頼朝を警護していた御所五郎丸という。
曽我物語や吾妻鏡によると、
女の着物を羽織り油断させた五郎丸が後から組み付いた。しかし
女装した事は武士にあるまじき卑劣な行為とされ甲斐に流された。
定かなことではなく脚色された話らしいが流された地は南アルプス市の野牛島(やごしま)であった。
鎌倉御所五郎丸を祀った観音堂が建っている。
江戸期の書物「扁額規範」には「五郎丸は京都比叡山の稚児だった、師匠の仇を殺して都を離れ一條忠頼を頼って甘利荘(現在の韮崎)に住んだが、忠頼が頼朝に殺されたためその後は頼朝に仕えた。75人力の猛者」、としている。

ちなみに横浜市西区の御所山町にも五郎丸の供養墓とされる五輪塔がある
伝承では「曽我兄弟に祐経の館を教えて仇討ちに協力したのが御所五郎丸だ」、としている。
何やら訳がわからなくなってきた。

その関係者たちーその2 小笠原長清

弟の五郎は捕縛され、敵討ちの事情を知った頼朝は生かしてやりたいと思ったらしいが、自分をも襲った五郎を生かしておくわけにはいかなかった。
五郎の尋問に立ち会ったのがこの地櫛形に館があった小笠原長清だった。
虎御前の故郷の人が尋問していたことになる。

いろいろな因縁を感じた。
by gannyan1953 | 2013-08-18 09:53 | 山梨県歴史散歩 | Comments(0)



横浜周辺の歴史散歩
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
> rollingwes..
by gannyan1953 at 14:13
初めまして、ローリングウ..
by rollingwest at 16:31
できればメールでお話しし..
by gannyan1953 at 09:08
新横浜スパインクリニック..
by gannyan1953 at 18:23
読めないんですね。申し訳..
by gannyan1953 at 18:09
> ださぶろうさん ご..
by gannyan1953 at 21:44
楽しんでいただけて大変嬉..
by gannyan1953 at 21:41
長津田の大火の事を調べて..
by shin344 at 21:41
初めまして久し振りで ..
by shin344 at 21:35
コメントありがとうござい..
by gannyan1953 at 21:56
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧