歴史と素適なおつきあい

カテゴリ:愛知県三河の歴史( 9 )

猿投神社  

歴史と素適なおつきあい番外編    2017・7・29


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ヤマトタケルの足跡を追う旅で
ヤマトタケルの兄が亡くなった地を訪れた

猿投神社は祭神が大碓である

兄大碓とは双子という説がある。

碓は臼で穀物に関する名前と考え、豊穣を願う名前ではないか。

大碓は父が召した美濃の女性を迎えに行ったが、

その女性にひとめぼれ・・・父には他の女性を差し出した。

父に対し気がとがめたのか会食にも出なかった。

父は兄の出席を弟の小碓に促した。

ところが大碓はそれからも出席せず天皇が小碓に事情を聞くと、


「兄を捕らえて体をつかみつぶし手足をもいで薦(こも)に包んで投げ捨てた」


と答えた。(古事記)

実は兄は美濃に隠棲し、ヤマトタケルの死後10年後に

三河の猿投山で毒蛇にかまれて亡くなったといわれる。


実はヤマトタケルは兄を殺害していなかった


多治見市の柿野神社は兄を訪ねてタケルが牛でやってきた

という伝承がある。


兄に別れを告げにきたのか、兄は自分の家来を東征に随行させている。

タケルの死後土岐市鶴里柿野に移り住み、タケルの死から

10年後にまた移り住んだ猿投で亡くなったという。


猿投神社は大碓を祀り左利きだったため左利きの鎌が奉納される。

猿投山で42歳のとき毒蛇にかまれ亡くなったという。

父の景行天皇から兄を隠したのか、兄はこの地をタケルの死後拝領したのかわからない。

大碓の妻は景行天皇から奪った姫だとすると、

姫の父は現在の美濃加茂市を拝領しておりそこも近くにある。

妻の実家の援助でこのあたりに隠棲したとも考えられる。

大碓の墓は猿投神社にある。


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黄色の鳥居は珍しい

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猿の親子がかわいい

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自動車関係の会社の奉納が目立つ

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大碓の元の滞在地である柿野の人の奉納があった















by gannyan1953 | 2017-08-06 21:37 | 愛知県三河の歴史 | Comments(0)

松平郷に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編   2017・7・31


岡崎から近いのになかなか訪問できず早朝だったが行ってきた



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東照宮




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徳川家康の先祖が
やってきた地である


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岡崎城で生まれた家康の為に
この井戸の水を運んだという


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産湯の井戸が神様になっている

高月院

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位牌
家康とかお大様(母)とか
初代親氏さんもいたのかな

オープンで中まで入れていただけるのは
感謝感謝だったが
そのため蚊が多くて
早めに退散してしまった

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家康お手植えの松






by gannyan1953 | 2017-07-31 15:54 | 愛知県三河の歴史 | Comments(0)

京ヶ峯 幸田町

歴史と素適なおつきあい番外編   2017・5・28

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三峯神社のヤマトタケル






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https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-166732.html
京ヶ峯頂上の碑

ヤマトタケルの勉強をはじめた
我が家の先祖の住んでいた近くに京ヶ峯がある。
京ヶ峰もあるので間違えやすい

京ヶ峯は里山でヤマトタケル伝説がある
お狐さんの伝説もある
兎さんの伝説もある

1度沼地の低いあたりをうろついたことがあるが
怪談のロケに使えそうな沼があった

そのむこうにヤマトタケル伝説があったなんて知らなかった
きっと岡崎側は暗く
幸田町から登ると清々しいんだ・・・


天翔る白鳥 ヤマトタケル:小椋一葉
愛知の足跡に書いてあった


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山頂付近といっても低山です
写真:山だよねぇからお借りしました

ここに三村神社の奥宮
ヤマトタケルの碑
柳沢出世稲荷の碑があるという
 

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雲母もとれた
すごいねえ


ヤマトタケル伝説

この頂上でヤマトタケルは西の方を見て都をなつかしんだという
息子の鏡別王が祭祀をした
近くに皇子ヶ入 皇子田の地名がある

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写真:手当次第さん

お狐さん伝説
三村神社に仕えていたお狐さんである
幸田町の柳沢出世稲荷の白狐が960歳になった
あと40年で1000歳になってもっと霊力が増すよう
田原の御嶽神社に修行に出た
その間に祠が朽ち果て誰か新しくしてくださいと
村人の夢に出たが、1000歳になるまでに祠は
きれいになったのだろうか  気になる

恵那で1000歳になった三尾の狐さんが神力を得て
霊験を現したという言い伝えもある

無事1000歳を迎えられたなら嬉しいことです


兎さん伝説
にんじん畑を荒らされた村人が
うさぎが悪さをしているのをみつけた
おいかけてみると三村神社にはいって
姿を消した
さがしていると神社の欄間の兎の足に
どろがついている
左甚五郎が彫った欄間だそうだ


墓参りに行って何の気なしに見ていた山
どこにでもおもしろい言い伝えがあって楽しい










by gannyan1953 | 2017-05-28 10:48 | 愛知県三河の歴史 | Comments(0)

岡崎 泰平の祈りプロジェクト

歴史と素適なおつきあい番外編        2015・12・28

墓参りで岡崎に行ってきた
岡崎ニューグランドホテルに宿をとったら、
市制100年を祝って、その日に光の祭典が行われていた
家康の没後400年と12月26日はお誕生日とのこと
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なかなか幻想的
祈りを込めたプラスチックのボールを流したそうだ

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人々で賑わう岡崎ニューグランドホテル
こんな日に泊まれてラッキー

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こんなお城が

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光って
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お城が忙しい
神輿もでた

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屋台は行列
お目当ての八千代という田楽の店は品切れで早じまい
食事するお店が近くになくて
ウロウロしていたら花火が始まった
ラッキー!!

結局居酒屋も満員で
コンビニ弁当に
市の職員と思われる人々は「市長がきた・・・知事がきた・・・」
と話しながら
彼らは居酒屋に予約済で繁華街に消えて行った

お疲れさまでした
素適な岡崎の夜をありがとう

by gannyan1953 | 2015-12-26 21:42 | 愛知県三河の歴史 | Comments(0)

岡崎 みよし灯籠

歴史と素適なおつきあい番外編           2015・3・16

みよし灯籠
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みよし灯籠
岡崎に行ってきた

なんと灯籠を造って岡崎から熱田までの東海道に
設置したという「みよし灯籠」を見に行った

大樹寺
家康の菩提寺である。
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この門を寺から覗くと岡崎城が見える
この写真は岡崎城を後ろに写したので岡崎城は見えない

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代々の松平家の墓が並ぶ
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徳川家康の墓

ある人が
三好村の出で長野の寺に入れられたがなじめず、
次に行ったのが桶川の寺だったが、
そこもなじめず三河にもどり
岡崎の伝馬町で骨董の店「みよし」を開業したら
商売がうまくいった。

随分財産ができたとき
明治になって大樹寺の霊廟が解体されたときの
石垣の石を使って灯籠72基を造った。
「みよし灯籠」と名付けられた。

岡崎から熱田まで東海道に灯籠を置き、近くの家に灯芯や油を買うお金も
渡したという。
それまでの所行を悔い改めるためだったという。

ある人の子孫は映画監督の松山善三氏である。

なぜかそのデザインされた灯籠はモダンだ。

石工団地や岡崎中央公園の恩賜園にあった。

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石工団地
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石工団地の一角

岡崎中央公園 の恩賜園にはたくさんの灯籠が並ぶ
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恩賜園のみよし灯籠

龍海院
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東岡崎駅近くにある龍海院、ここにその人は眠っている

次回は町の中に数基残るというみよし灯籠を探してみたいと思う。






by gannyan1953 | 2015-03-17 22:10 | 愛知県三河の歴史 | Comments(0)

仙丸君裹首布(せんまるぎみかしゅふ)

歴史と素適なおつきあい番外編            2014・8・7

夏の旅行 2日目 ③ 長篠城保存館資料より

長篠城跡保存館で血染めの布の写真を見た。
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人質となり殺されその首を乳母たちが布に包んで盗み出した時の「裹首布」である。
裹は『か』と読みつつむ意味である。

奥平仙丸は奥平貞能(信昌の父)の次男で兄は長篠城主信昌である。
十歳で武田の人質になり、奥平氏が武田から離反し徳川に従属したときに
新城市鳳来寺門谷において殺害された。仙丸十三歳、天正元年(9月21日)のことである。
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晒首になっている首級に乳母は見るに忍びず、一旦岡崎の名ノ内(桜形町)に帰り
僧永順とともに隙をうかがって持ち帰った。
岡崎に持ち帰りたかったが武田の警戒が厳しく乳母の嫁ぎ先の夏山町に向かったらしい。
墓は当時の祐善庵、後に仙洞庵、遊仙寺と改まった。

裹首布は白地の絹で仙丸が人質に出た時、乳母が持って行った四ツ身という子供の白衣だと思われる。
この布は作り替えられ縦108センチ、横120センチの長方形の打敷(仏前の卓上を覆う布)に
仕立てられ、裏地として打掛の小袖が充てられている。その小袖は桃山時代のもので、華麗な花柄を
刺繍してある織物で貴重な文化財となっている。

この白布は岡崎の華蔵院に保存されてきた。明治12年旧中津藩主奥平昌邁(まさゆき)が
墳墓を修理、裹首布を収納する箱を寄進した。
布を入れた桐の箱には
一旦埋めて改めて夏山町殿カイトの遊仙寺に葬ったとある。
父は遊仙寺に十貫文を供養料として寄進している。
守り役として付き添った黒屋重吉も自殺しておりその行跡をたたえた「黒屋氏碑」もある。

現在は痛みが激しく岡崎市美術博物館に保管されている。

奥平家は武田から徳川に寝返ったことで、後々子孫は明治まで生き延びる事になる。
その証が仙丸君裹首布なのである。

岡崎市夏山は意外と鳳来山に近く岡崎中心地と鳳来山の中間あたりの位置だった。
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現在の夏山町  

今晩のお泊まりは、知多半島 内海の魚友 夕食は懐石コース
なんか違う

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私のソウルフードと思って予約したけど
勘違い

私のソウルフードは豊浜のマルハだった
今度行こう!!
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温泉源泉

海の見える露天風呂よろしゅうございました



参考:松坂昇一:仙丸君裹首布 長篠城保存館にてプリント入手









by gannyan1953 | 2014-08-16 15:30 | 愛知県三河の歴史 | Comments(0)

奥平氏

歴史と素適なおつきあい番外編     2014・8・7

夏の旅行 2日目 ②  長篠城保存館資料から

長篠城の城主奥平氏

出身は群馬県甘楽郡吉井町下奥平である。
室町天授年間(1375〜1380)に作手の山崎三郎左衛門を頼ってきたのが、初代貞俊である。
今川、徳川、武田に従属しながら六代まで続いた。
天正3年(1575)若くして21歳で六代貞昌は長篠城主となった。

奥平氏は、2年前に武田に従属していたが、信玄の死を憶測し徳川に寝返った。
徳川の命により元武田配下だった長篠城主となった経緯がある。

武田軍の包囲に長篠城を守り、援軍としてやってきた織田、徳川連合軍が設楽原において
有名な火縄銃の三段撃ちを行い武田騎馬軍団を打ち破ったおかげで生き延びる事ができた。

この功績で信長から名をもらい信昌と改名した。
新城城を築き家康の長女亀姫と結婚する。

その後、天目山、小牧長久手、小田原に参戦し、家康江戸入国時には
故郷上州宮崎(群馬県富岡)に3万石で封ぜられた。
関ヶ原の戦いののち加納十万石の大名となった。

のち領地は宇都宮、古河、山形、宇都宮と変遷し、吉宗の時代に
中津藩10万石となった。
版籍奉還まで続いた。

菩提寺は江戸品川の東海寺塔頭で清光院である。(東京都品川区南品川4−2−3)臨済宗
奥平家墓地は品川区指定史跡で、八十八基の墓碑と囲む土塀、石門が寛永期のものである。

国元は自性寺(大分県中津市新魚町1912)で、新城から中津に移った。

亀姫
永禄3年(1560)家康の長女として駿河に生まれた。
母は築山御前である。2代将軍秀忠、尾張義直、紀伊頼宣、水戸頼房は弟である。

天正4年(1575)に岡崎城から奥平信昌に嫁いだ。
戦国の世の輿入れで危険なので家臣が背負って嫁いだという。

新城で15年間過ごし、四男一女を儲けた。
加納において66歳で逝去。加納御前と呼ばれた。
亀姫は信昌とともに加納で隠居している。






by gannyan1953 | 2014-08-16 14:42 | 愛知県三河の歴史 | Comments(0)

長篠城址・設楽原古戦場

歴史と素適なおつきあい番外編          2014・8・7

夏の旅行 2日目 ①

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長篠の戦い

武田信玄の息子勝頼は、天正3年(1575)5月、1万5千人の兵を率いて長篠城を囲んだ。
城主奥平貞昌(後信長の名をもらって信昌)は500人の兵で持ちこたえた。
織田、徳川連合軍3万8千人が近くの設楽原で有名な馬防柵を使った火縄銃の攻撃で
勝頼は名のある武将を失い力を落としていった。


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みぎの
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右の方の山「舟着山」は写ってない


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長篠のヒーロー鳥居強右衛門
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下の川の対岸が磔場所

鳥居強右衛門(とりいすねえもん)ひとりじゃなかったかも説

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武田軍の猛攻にさらされる長篠城では岡崎に使者を送り窮状を訴えた。
使者に立ったのは鳥居強右衛門である。
夜城をひとり抜け出し信長に窮状を報告し、その帰りに武田軍に捕縛され、長篠城の仲間の
見える所で磔になった。
ここに同行した人物がいるという鳥居・鈴木同行説がある。
遠山信春著「総見記」「織田治世記」「織田軍紀」に

今夜此囲ミ忍ヒ出ハ城ノ向ノカンホウ峠ニテ狼煙ヲ揚ヘシト約束ス
信昌心得タリトテ鈴木金七郎ト云フ水練ノ勇士アリケルヲモ強右衛門ニ
アイソヒケレハ両人タカヒニ心ヲ合セ五月十四日ノ夜城ノ内ヨリシノヒ
出西ノ方ノ岩根ヲツタヒ川ノ中ヘ入タリケル

他に「常山紀談」 「長篠日記」にも同行説がある。

もしホントに同行したならば鈴木金七郎氏のことも
誉め称えなくてはならない。

参考:平成19年発行「郷土」新城地区郷土研究会編集

保存館で気になったもの

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長篠城籠城のときに使われた陣太鼓
血が着いてる

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雑兵のよろい
よくテレビでみる名も無い人たちの格好だ
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金だ!金だ!と喜んだら
残念 複製だった
信玄の金山訪ねて、山梨の山登ったな










設楽原に移動する
馬防柵
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馬防柵
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設楽原の裏手に信玄塚がある


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信玄塚
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by gannyan1953 | 2014-08-16 12:16 | 愛知県三河の歴史 | Comments(0)

鳳来山

歴史と素適なおつきあい番外編    2014・8・6

夏の旅行 1日目 ③

塩の道 酷道152号線を北上、そして佐久間に入る。

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峰の澤橋
青谷ポケットパークにあるのだが、休憩所、駐車場、バス停があり、トイレは大きくてなぜかシャンプー台があった。

うん、寝泊まりできる!
なんて感心した
この橋名は、朝鮮人や中国人が強制労働し、塵肺訴訟の起きた峰の澤鉱山と同じ名で、
渡って北上すると昭和の廃墟が残っているらしい。

鳳来山神社に向かう。長い階段があるので、それを避けて頂上付近の鳳来寺パークウェイのパーキングに駐車する。
階段登らない分、駐車代500円払う。

蚊とアブに悩まされながら東照宮に行く。

うーん 虫がうるさい

鳳来寺に進む
しまっていた。
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絵馬が有名らしい。鏡付きの絵馬が目立つ
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元三太子跡

あまりの虫に写真写すの忘れた
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鳳来山
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夕方の山の景色は美しい

今夜は湯の風はづグループの宿に宿泊
ビール飲み放題コース

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玄関ロビーの熊 添い寝したいくらいかわいい






by gannyan1953 | 2014-08-15 16:37 | 愛知県三河の歴史 | Comments(0)



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