歴史と素適なおつきあい

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芝・増上寺のお江様を訪ねて

歴史と素適なおつきあい 2011・10・14


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東京タワーと増上寺

日時 : 10月14日 (金)  9:50 
集合 : 都営三田線「芝公園」進行方向出口改札口(A4から出る予定)
      「日吉」から東急目黒線「西高島平」方面で三田線につながります。

芝丸山古墳(伊能忠敬碑)~芝東照宮~ペルリ総督の像~万延元年遣米使節記念碑~増上寺
~もみじ谷「如意輪観音」~東京タワー「江展」~メソニックビル(フリーメイソン・グランドロッジ)
~西久保八幡神社~我善坊谷~神谷町  

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A handbook for travellers in Japan(日本旅行案内)

古地図を友人が持参してくれたが、このあたり道筋は江戸時代のままである。

芝公園

明治6年の開園で上野恩賜公園と並び最も古い公園である。
元々は増上寺の敷地の公園だったが、戦後に宗教から分離独立させた。それで、増上寺を囲むような形に公園がある。


芝丸山古墳  港区芝公園4-8



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               古墳の頂上にある伊能忠敬の碑   


都内最大級の前方後円墳で、全長125メートルあるというが、
説明板では全長106m前方部幅40m高さ6m、後円部径64メートル高さ8mくびれ幅22mである。
5世紀築造と考えられ、明治に有名な人類学者の坪井正五郎博士(石器人=コロポックル説を唱えた)が調査した。
出土品は埴輪(円筒・人物)で、古墳の状態は半壊である。
後円部に埋葬されていたらしいが江戸時代にすでに壊されており、遺体や副葬品はない。
まわりにはかつて11基の墳墓があった。古墳の麓に丸山貝塚がある。
多摩川古墳群に先立ったもので、東京湾に面する台地であった。(wiki)
*多摩川古墳群―多摩川に沿って古墳が造られたのが4~6世紀で、
亀甲山(かめのこやま)古墳(こふん)、蓬莱山古墳(中原街道で見学)から
世田谷の野毛古墳(おもいはせのみちで見学)、の4キロほどの間に50もの古墳がある。
その上流にいくと狛江など古墳が続くが。6世紀には大きな古墳は造られなくなる。


芝東照宮  芝公園4-8-10


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祭神は徳川家康。家康は自らを刻ませた寿像を駿府で祀っていたが、
その死後祭祀するための建物を増上寺に建造するよう遺言をした。
そこで社殿を造営し、元和3年(1627)に竣工。
「安国殿」と呼ばれ東照宮の元となった。
その後家光により寛永10年(1633)新社殿ができ、豪奢な社殿となった。
明治になると増上寺から切り離され芝東照宮となった。
戦災で寿像とイチョウ以外は焼け、昭和44年(1969)に再建された。
イチョウは家光のお手植えで、国の天然記念物になっている。(芝東照宮HP)



ペルリ総督の像  芝公園2丁目

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昭和28年、開国100年記念祭でペルリ生誕の地ニューポート市に石灯籠を送ったところ、
お返しにこの像が贈られてきた。
ニューポート市にはペルリに深々とお辞儀をする日本人のレリーフがある。(毎日がレヴューHP)


万延元年遣米使節記念碑 芝公園2丁目


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幕府が日米修好通商条約の批准書交換のために派遣した使節団である。
批准書交換がワシントンで行われるため開国後の最初の公式訪問した使節だった。
嘉永7年(1854)に日米和親条約、安政5年(1858)日米修好通商条約が締結された。
正式な使節は米国海軍のポーハタン号で渡米することになったが、咸臨丸を正使とは別に護衛の名目で派遣した
咸臨丸には勝海舟を頭に福沢諭吉も渡米した。
孝明天皇自身、和親条約の薪水給与なら、「神国日本を汚すことにはならない」との考えだったが、
通商条約は、秩序の変化を心配し拒否していた。
結局勅許を得られないまま八景島で調印が行われ、その後渡米した。使節団が米国訪問中に桜田門外の変が発生した。
条約の内容は不平等なもので、改正されたのは日清戦争に勝利したあとだった。(wiki)


三縁山 広度院 増上寺 芝公園4-7-35 浄土宗大本山


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崇源院霊廟 戦災で焼失 御霊屋は建長寺に移築



増上寺は古くは空海の弟子宗叡が開創した寺でもとは真言宗光明寺と称した。(緑区歴史講座・史跡探訪1988)
明徳4(1393)年に浄土宗酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人の開山。現在の千代田区平河町から麹町にかけての土地であった。家康が入府して徳川家の菩提寺として選ばれ、裏鬼門にあたる芝の地に慶長3(1598)年移転した。
家康の手厚い保護のもと寺は隆盛を極めた。
家康公の葬儀を増上寺にて行うという遺言を残して元和2(1616)年家康は亡くなった。
ところが葬儀は増上寺では行われなかった。
家康を神にするための行いが久能山で行われた。(増上寺HP)

―久能山での儀式―
遺体を久能山に移し、町奉行や大工が先に山に登り仮設の設営をし、吉田流の神道によって遺体を葬った。
遷座のときには全ての燈明を消し、散米、鏡、御幣を持って鈴を鳴らした。
行列をつくり柩とともに弓、矢、盾、鉾を持った役人がつづく。
遷座が終わり、内陣にはいるときお祓いをして柩を納め供物を供え諸臣が参拝して式を終えた。
その後、天海の申し出で日光の奥の院に安置された。(葬祭研究所HP)

その後江戸城の鬼門に造られた天海開山の寛永寺も菩提寺となり、
将軍の墓が設けられるようになった。
増上寺は幕府に不服を訴え交代で埋葬することになった。
増上寺には2代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の墓所がある。
江戸時代の増上寺は、壇林が置かれ、3000人の修行僧がいたといわれる。寺格100万石ともうたわれた。(増上寺HP)

もみじ谷

東京タワーの足元にある、昭和59年に復活した人工の渓谷で、高さ10mの滝もある。
秀忠が江戸城の紅葉山からカエデなどを移植してもみじ山と呼ばれていた。
江戸時代の地形を残している。
下った右上に4体のお地蔵さまがある。
その左淵のお地蔵さまの奥にプラステイック製かと思われる蛇がある。
御利益があるとネットにあった。(都内のパワースポット)
崖上に如意輪観音の堂がある。(公園へいこうHP)


東京タワー

b0228416_1234511.jpg増上寺の敷地内の紅葉山にある、東京地区の集約電波塔で、昭和33年(1958)に完成した。
管理運営はマザー牧場をグループにもつ民間の日本電波塔株式会社である。
地上デジタル移行に伴い平成25年(2013)3月ごろ東京タワーからの送信を
終了する予定であるが、非常時には又使用できるよう契約をしている。
東日本大震災の揺れで先端のアンテナが曲がっている。(wiki)


◆東京タワー「江」展 実施概要◆   
日程:2010年 2月26日~12月25日
場所:東京タワーフットタウン3階


お江  1573~1626

崇源院。江(ごう)、小督(こごう)、江与(えよ)といわれている。
浅井長政の三女で母は織田信長の妹お市である。浅井三姉妹とよばれ、長姉は豊臣秀吉側室の茶々、二女は京極高次正室の初、そして3度目の結婚で二代将軍秀忠正室となったお江である。
三代将軍家光と豊臣秀頼に嫁いだ千姫そして後水尾天皇の女御になった和子(東福門院)の母である。
* 長男家光の乳母である春日局との対立で、悪女の印象が強い。自ら育てた次男忠長の溺愛から次期将軍の座を巡って対立したという話だが、定かではない。忠長の面差しが信長に似ていたともいわれる。
* 戦後、増上寺の墓所発掘で崇源院は火葬されていることが確認され、小柄で華奢な体であったという。徳川一門で荼毘に付されているのは崇源院だけであったため、毒殺説もある。
*霊廟は戦災で燃え、移築されたために現在残っている建物―丁子門(所沢市不動寺)・仏殿と唐門(鎌倉市建長寺)
*天皇家との関係―二度目の結婚で秀吉の甥秀勝との間に完子(さとこ)が生まれている。完子は豊臣の血をひくので、お江が徳川に嫁ぐ時、姉茶々のもとに預けている。その完子が九条幸家に嫁ぎその子孫が大正天皇の妻九条節子につながる。(wiki)
                                         
東京メソニックビル


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外側から撮ったステンドグラスなので逆になっている。

フリーメーソンは石工の組織を借りて主として社会的に影響のある人々の間で、相互扶助や交流を行う団体で1717年イギリス、ロンドンに本部グランドロッジが設立された。
会員同士の親睦を目的とした友愛団体で男性秘密結社である。
シンボルマークのコンパスと定規がかつてこの組織が石工職人のギルドだったことを物語る。
中央のGはGODと幾何学geometryを意味する。
日本のグランドロッジが東京メソニックビルにある。(wiki)


西久保八幡神社  港区虎ノ門5-10-14


祭神:品陀和気命・息長帯比売命・帯中日子命
寛弘年間(1004~1012)源頼信によって創建。頼信の父は多田満仲、兄は源頼光である。
上野介に赴任しているとき、石清水八幡宮から榎坂あたりに勧請したらしい。後に太田道灌が現在地に遷座したと伝わる。関ヶ原の戦いに際し崇源院が戦勝祈願し、社殿を造営している。もとは八幡山普門院と号する天台宗の寺だったが、明治になって神社になった。縄文時代の貝塚がある。(西久保八幡HP)


我善坊谷  港区麻布台1


旧地名は我善坊町で地名の由来はふたつある。
ひとつは座禅をする僧がいて座禅僧といい、座禅僧谷がなまった。
もうひとつは、崇源院の葬儀が増上寺で行われた。
荼毘に付されたのは六本木の深広寺あたりであったが、その道筋にあたる坂下の谷地に
仮御堂(かりみどう・休憩場)が置かれた。それを龕前堂と呼んだ。
2010年10月我善坊坂の片側はマンションが建設されレトロな雰囲気は失われつつある。

我善坊谷は中腹から北西に曲がり崖地にそって虎ノ門5丁目、さらに六本木1丁目に向かって駆け上がる。
石塀に蔦がからまり江戸の風情をかもし出している。
坂の周囲にはお手先組という下級武士の組屋敷と但馬出石藩仙石家、陸奥八戸藩南部家の上屋敷があった。
江戸切絵図と同じカーブをみせている。
坂下を直進すると霊友会釈迦殿の裏側を行く三年坂がある。
この坂で転ぶと三年以内に死ぬという迷信からきている。
寺院や墓地のそばによくつけられる坂名だが、元禄時代この坂上に長音寺という寺があった。
(坂道研究家・山野勝「江戸の坂道散策」)


お江番外編―お江の化粧料地

石川村、王禅寺あたりがお江の化粧料地であった。身分の高い女性の財産、持参金のことをいう。領地と化粧料地の違いは将軍家に対し軍備の提供を化粧料地はしなくてもいいことである。この化粧料地は崇源院死後、増上寺の御霊屋(みたまや)料地となった。徳川家の菩提を弔うための費用を賄うためである。
石川村の地名の由来―早渕川の水が澄んでいて、川底がほとんど岩なので石川と呼ぶようになったという。早渕川は王禅寺が源流である。

山内村の地名の由来―増上寺の御霊屋料地だったことから増上寺山内と呼ばれたことからという。


満願寺 横浜市青葉区あざみ野4-27-6

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平原橋近くあざみ野4丁目の小高い地にある。元和2年(1616)の過去帳に寺主の名があるそうで、
このころには存在したことになる。
ここに二代将軍秀忠の位牌がある。
満願寺が増上寺の裏鬼門にあたり守護の役割があったためと思われる。実際山門は小ぶりながら堂々としている。
江戸時代の石仏もあり、中には康安2年(1362)の板碑もあり、このあたりの土地を支配した有力者の影がみえる。
ところで満願寺と増上寺を直線で結ぶと目黒区の祐天寺が線上にある。
祐天寺も増上寺の裏鬼門であるかもしれない。
祐天寺は享保3年(1718)増上寺の第36世祐天上人の遺志を継いだ弟子祐海が
将軍吉宗の保護で上人の遺跡に開創した寺である。
この祐天寺のある目黒一帯ももとは崇源院の御化粧料地だった。
寛永9年(1632)以降石川村と同じく御霊屋(みたまや)料地となった。


化粧面谷公園(けしょうめんやとこうえん) 川崎市麻生区王禅寺5-42


お江の化粧料地であったことから地名が残った。

琴平神社 川崎市麻生区王禅寺東5-46-15
お江が御祈祷所としたという由緒書きがある。                                   

郷土史研究家横溝潔氏の講演では

「江戸時代、満願寺は石川村にあり、現在の元石川、美しが丘、美しが丘西、あざみ野、荏子田、新石川になります。
寛永3年、お江が亡くなった時、石川村など化粧料地の村々から、お江の棺を担ぐ人々が結集したといいます。
それは子孫にも伝えられ、家康の命日(17日)、秀忠の命日(24日)お江の命日(15日)には精進物を用い、
行事が行われてきたといわれています。」

実際にお江がこの地を訪れた話は伝わっていないが、秀忠が鷹狩りに訪れ、
王禅寺の柿を「禅寺丸」と命名したと伝わっている。

(琴平神社HP・緑区歴史講座・史跡探訪1988・「元石川今昔」・wiki)


当ブログ「増上寺の寺領」参照
by gannyan1953 | 2011-10-16 15:04 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)



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