歴史と素適なおつきあい

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塩の道 千国街道 松本〜南小谷

歴史と素適なおつきあい番外編                  2012・4.29~5.2

塩の道 千国街道

松本~南小谷 街道歩き

1日目 18キロ  松本~穂高(松本ツーリストホテル泊)
2日目 22キロ  穂高~北大町(ホテル白馬泊)
3日目 23キロ  北大町~ホテル白馬(ホテル白馬泊)
4日目 13キロ  ホテル白馬~南小谷

松本ツーリストホテルは朝食がおいしい。
ホテル白馬は白馬駅から徒歩10分。天然温泉で朝夕バイキング。

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塩を運んだ道で、松本から糸魚川までの道を松本街道、糸魚川街道、千国街道という。

今では「塩の道」といわれている。

三十里(120㎞)の山道で、信州からは、豆、麻、綿、タバコなど運ばれた。

日本海からは塩漬けの魚や、塩が運ばれた。姫川を遡るきつい山道であった。

せまい険しい道には牛が馬より適していたようで、牛は道端の草を食べながら進むので、

餌の手間もなく、塩を運ぶとついでに牛も売って、帰路は身軽に帰ることもあった。

購入する塩は農家ではにがりの多い悪い塩を買い、塩俵を桶の上において

にがりが落ちて、そのにがりで豆腐が作れるという。(塩の道:宮本常一)

フォッサマグナ

フォッサマグナの西境界線にあたる道である。

フォッサマグナにあたる妙高連峰付近は大部分が2500年前の堆積物で覆われているが、フォッサマグナの外側にある飛騨山脈は5億5000年前の地層である。

大規模な地殻変動でできたものである。

その誕生は、日本の海溝は南海トラフと日本海溝の二つだったため日本列島は中央部が二つに折られる形でアジアから離れた。

折れた原始日本列島の間には日本海と太平洋をつなぐ海であった。このころ海の底には新生代の泥や砂が堆積した。

200万年前フィリピンプレートが伊豆半島とともに本州にぶつかるころ、別れていた列島を圧縮。

海が徐々に隆起し、底にあった新生代の堆積物が見られる地層になった。(ウイキぺデイア)


b0228416_1882099.jpg松本から養老峠の道を早速間違えて、芥子坊主とかいう峠まで登ってしまった。駐車場があり、バーベキューをしている人がたくさんいた。誰も養老峠を知らない。が、桜が満開で、常念岳がきれいだった。

松本市さん、道しるべを設置してくださいね。

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加助夫婦惜別の岩

江戸時代、多田加助が年貢軽減を求めて捕まるときに、妻と別れた石でその後処刑された。

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なぜか鳥居が埋まっている

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州波神社
祭神はタケミナカタなので諏訪と同様である。

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穂高神社安曇野市穂高6079(本宮)
祭神: 穂高見神(ほだかみのかみ)、綿津見神(わだつみのかみ)、瓊瓊杵神(ににぎのかみ)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、安曇連比羅夫命(あづみのひらふのみこと)、信濃中将(しなのちゅうじょう)

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泉小太郎

泉小太郎伝説

むかしむかしこのあたりは湖で、竜が住んでいた。犀竜という。

その東に白竜王がおり犀竜との間に子供が生まれた。

泉小太郎といい。松本の城山あたりで、育った。

成長した小太郎は母恋しと会いに行くが、母は竜で、諏訪大明神の変身であることを知った。

母は自分の氏子を繁栄させるため、小太郎を背中にのせ、巨岩を破り下流の岩山も突き破った。

湖の水が落とされ、安曇平という大地ができた。

土地は田畑が拓かれ小太郎の子孫も繁栄した。

「信府統記」より



てるてる坊主
b0228416_9272359.jpgb0228416_9282276.jpg池田町はてるてる坊主の作詞者浅原六朗の生まれた町でてるてる坊主の曲が町に流れる

3番の歌詞は雨が降ったら首をちょんぎるという歌詞である。怖い!

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仁科神明宮

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神明宮本殿中門(前殿)は国宝である。
仁科御厨鎮護のために勧請された。
石坂さん金田一の犬神家のロケ地になった。

    

仁科神社b0228416_9324057.jpg森城跡

仁科氏は信濃の豪族で平貞盛を祖とする説、安部貞任を祖とする説、安部氏を祖とする説がある。

鎌倉時代、後鳥羽上皇に仕えたことで、鎌倉幕府が御家人が上皇に仕えることならぬと仁科氏を処罰した。
これに激怒したのが後鳥羽上皇で、承久の乱の発端といわれる。

その仁科氏の森城跡である。

承久の乱で仁科氏本家は滅ぶが支族はのちのちまで信州に生き残る。

その後小笠原氏の支配となり、一応従属することになるが、旧支配者としての気持ちも持ち続けた。

武田に内通し、小笠原家の排除が成功するが、武田に上杉謙信への内通を疑われ殺害される。
 
信玄は名家仁科氏の名目を必要とし信玄の5男に仁科氏を継がせた。

後に高遠城で信長に攻められ亡くなる仁科五郎守信である。 

その後徳川の旗本となって明治まで続く家柄となる。

この奥に阿部神社があるそうである。石坂さん金田一の犬神家のロケに使われた。



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木崎湖のキャンプ場近く
に弁天島という鳥獣慰霊碑がある突き出た場所がある。そこの祠に円空仏みたいな仏様がいてかわいらしかった。円空さんは穂高に登ったらしいが、木崎湖を訪れてたりして。ちなみに木崎湖は2006年の犬神家のロケ地らしい。石坂さん金田一で、足がにょきっとでている印象的なシーンは青木湖のロケである。

b0228416_1094126.jpgb0228416_10103831.jpg首だけの仏様
西海の口堂というらしい。



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ひたすら続く観音様
それも道は5月なのに雪道だった。

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小谷小学校にあるがこの建物はなんだろう。

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素晴らしい古道である

雨の中、我が夫がカッパを着て歩いていく。駅にいくため山を下りた地名は「雨中」だった。

これで、今回の街道歩きは終了。





 
by gannyan1953 | 2012-05-03 11:08 | 塩の道  | Comments(0)



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