歴史と素適なおつきあい

<   2013年 02月 ( 5 )   > この月の画像一覧

伊勢神宮参拝の旅その2

歴史と素適なおつきあい 番外編        2013・2・23

伊勢神宮参拝の旅その2

なぜかフリーメーソン登場!?

b0228416_21323772.jpg

伊勢神宮集合写真のバック
b0228416_1244582.jpg

宇治橋から眺める
b0228416_1247578.jpg

五十鈴川
b0228416_12481341.jpg

ぞろぞろ鳥居をくぐる
b0228416_12484362.jpg

ご神域
b0228416_1249876.jpg

とにかくぞろぞろ参拝する
b0228416_1250042.jpg

あった!  ダビデの星がある 有名な灯籠!!
日本人の祖はユダヤじゃないかと、都市伝説でやっていた記憶がある。
フリーメイソンとも関係してるって。そこで調べてみた。

この灯籠現在では管理者が存在せず倒壊の怖れありと邪魔者にされているらしい
とうとうサミットで倒壊の怖れのある灯籠は2016年2月に撤去された


石灯籠は、昭和28年に伊勢三宮奉賛献灯会が全国の篤志家達に寄進をもとめ三重県知事及び伊勢市長から道路占用を許可され設置したものであり、外宮、内宮、伊雑宮(皇大神宮別宮)を結ぶ三宮を「太陽、月、星」にイメージしてつくられた 団体のマーク として石灯籠に刻んだのが六芒星なのである。(HPミレニアムより)

ということで、昭和作の灯籠で、団体のマークとか。
六芒星、ダビデの星、ユダヤの紋章そして日本ではカゴメ紋!
竹の籠目は何かを封じ込める力があるという。
赤ちゃんを籠にいれる神事や、罪人を籠にいれて輸送したり、
古代から日本では籠目は何か意味ありげである。
話は戻って、
この団体がフリーメーソンなんだろうか。
フリーメーソンは、もとは石工集団である。ますますおもしろくなってきた。

あの紋を入れたのは、二荒(ふたら)伯爵と灯籠を立てた伊勢三宮奉賛献灯会会長の森岡義照氏であった。
二荒芳徳伯爵は、ボーイスカウト日本連盟顧問になっている。芳徳は伊予宇和島藩主伊達家9代目藩主伊達宗徳の九男、伊達九郎として生まれ、二荒芳之伯爵の養子となり改名。二荒家とは北白川宮の分家である。

『日本のフリーメイソン百年史』によると「フリーメイソンはボーイスカウト運動と共に日本にやってきた」とある。
三島通陽は子爵でボーイスカウトの日本連盟初代会長である。
当時の「財団法人伊勢神宮奉賛会」会長佐藤尚武(1953年就任)は、三島通陽とともに1950年1月5日にフリーメイソンに入会したという。現在ではこの伊勢神宮奉賛会は文化庁の組織である。
今回の式年遷宮の中心になっている組織である。

ということで、フリーメイソンと灯籠を作った人は関係していたことになる。

ちなみに籠神社と真名井神社の神紋は六芒星である。
(真名井神社に関しては昔六芒星だったが今はなぜか三つ巴紋に入れ替わっているが。)

籠神社も真名井神社も伊勢神宮の元伊勢にあたり深い関係がある。
まずは地図を見ると
三つの神社は一直線に並んでいる。またもレイラインである。
レイラインとは、古代の遺跡には直線的に並ぶよう建造されたものがあるという仮説のなかで、その遺跡群が描く直線をさす。レイラインが提唱されているケースには古代イギリスの巨石遺跡群などがある。

もっと身近にレイラインがある。
都筑区の剣神社、青葉区の驚神社、神明社 なぜか直線でつながっている。
歴史の会のメンバーに興奮して「一直線なんだよ!すごくない?」
といったら、穏やかに「鎌倉街道でつながってるんだから当然じゃない!」
ミステリーでなくなってしまった・・・・・・

フリーメーソンについては、当ブログ東京散歩芝増上寺のお江様を訪ねてをご覧ください。

六芒星、伊勢神宮、真名井神社、籠神社いつか論じてみましょう。
参考:ウイキペデイア・文化庁

難しいことはさておいて、おいしい場所へ

b0228416_12495280.jpg

おかげ横丁で、伊勢うどん、赤福、はまぐりの塩焼き ちょこっと日本酒

b0228416_12521100.jpg
伊勢湾フェリーからの神島
b0228416_12524342.jpg

伊良子岬灯台近くからの神島
b0228416_12532969.jpg

伊良子岬灯台近くから望む
b0228416_12535910.jpg

夜の東京駅 無事帰宅
by gannyan1953 | 2013-02-28 12:55 | 神様の話 | Comments(0)

伊勢神宮参拝の旅その1

歴史と素適なおつきあい番外編              2013・2・22

その1
JTB旅物語の伊勢神宮参拝の旅、一泊10000円という格安ツアーにでかけた

b0228416_12164519.jpg
早朝の東京駅出発
b0228416_12172558.jpg
伊勢猿田彦神社
b0228416_12174445.jpg
猿の口がある
b0228416_1218518.jpg
猿の口がない
口がない方が正しいのだそうだが、猿田彦の奥様天鈿女命は、ナマコが生意気だと
口を裂いたという話を思い出すと口がないのはなんだか怖い

当ブログ「神様の話・猿田彦」をご覧ください

b0228416_1219387.jpg

購入した鈴をその年の方位に当てている人がいた
b0228416_1220407.jpg

神社の裏にあるご神田
b0228416_1221965.jpg

古い猿田彦大神の石碑
b0228416_12215880.jpg

豊受大神宮

祭神は豊受大神
豊受大神は保食(ウケモチ)神、大気都比売神(おおげつひめ)などの名がある。
豊受大神宮の話は、天照大神が食事の世話をしてほしいと夢枕に現れ、丹波の真名井から呼び寄せた。

ほかに、丹波の真名井で、天女8人が水浴をしていたが、うち1人の羽衣を老夫婦が隠してしまったので天に帰れなくなった。
そのためその老夫婦の家に住んでいたが、十数年後に家を追い出されてしまい、あちこち漂泊した末に竹野郡船木郷奈具の村に至ってそこに鎮まった。
この天女が豊宇賀能売神(とようかのめ、トヨウケビメ)であるという。

保食(ウケモチ)神、大気都比売神(おおげつひめ)の名になると、話は少し残酷で滑稽な話になる。

スサノオがオオゲツヒメに食事を提供されたが用意をする様子をみてしまった。
鼻や口、お尻から食材を取り出して調理していた。汚いことをすると怒ったスサノオは殺害してしまう。
その死体からは、頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれた。これが、五穀豊穣といわれる所以になる。

外宮ではもちろんそんな説明はない。

b0228416_12242667.jpg

手をかざすとあたたかいといわれる三ツ石 
三ツ石とは、四至神(みやのめぐりのかみ)といい、神域の四方の境界を守護する神である。
社殿を持たない神社であり、磐座(いわくら)祭祀の形態を残している。

内宮にもあるが、これは見逃してしまった。
パワースポットブームで大勢参拝されるが、
決してしめ縄で囲まれている場所に触れてはならない。


b0228416_12253435.jpg

二見興玉神社
b0228416_12272837.jpg

夫婦岩 この沖合700mの海中に輿玉神石が沈んでおり、夫婦岩はその石の遥拝所である。
神石は猿田彦の化身といわれるが、横幅200mもある楕円形の島のような石だそうである。
阿邪訶(あざか)松阪の海で比良夫貝に手を挟まれ、おぼれ死んだといわれる猿田彦・・・
でっかい石に化身したのだろうか?
b0228416_12274714.jpg

猿田彦を祀ることから猿田彦は旅の神様なのでカエル
b0228416_1229796.jpg


猿田彦の奥様天鈿女命がこの前でおどったという天の岩戸
b0228416_12303448.jpg

夏至には富士山が浮かび頂上から太陽が昇る
冬至には富士山の頂上から月が昇る
まさにレイライン!!
今晩は、「グランドセレクト伊勢志摩」に宿泊

格安なのに、バイキングの夕朝食ともに美味しかったです。
JTBやるじゃん!

続く
by gannyan1953 | 2013-02-28 12:22 | 神様の話 | Comments(0)

四谷三丁目

歴史と素適なおつきあい   2013・2・8  案内Y氏

四谷3丁目あたりをウロウロした。

津の守坂通り(つのかみさかどおり)
b0228416_11331740.jpg
策の池・弁財天

江戸時代この界隈に美濃高須藩・松平義行(摂津守)の屋敷があったことに由来する。
高須藩は木曽三川に囲まれ、洪水に悩まされる土地であった。
そして川底よりも低い土地を水から守るための高須輪中が作られた。

江戸の荒木町はすりばち状の土地で策(むち)の池にたつと四方が崖や急斜面で地の底にあると感じる。
高須藩の役割はこの地形と、水害を守る技術を買われ、ここに上屋敷を賜った。
それはもしもの時将軍が甲府に逃れるための退去路を守ることであった。
近くを流れる紅葉川をせき止め池を作り、戦の際、堤を決壊させ水で敵を防御するという。
その堤も高須藩の技術だった。
もともと上屋敷の敷地には、池と高さ4mの滝があり、徳川家康が馬の策(むち)を洗ったという逸話があり、
策の池の地名の由来である。明治になると池を囲むように茶屋ができ滝見客でにぎわった。
そして花街ができあがっていった。路地巡りには面白くいろいろな店がある。
ちなみにお昼は600円で金目鯛の煮付け定食だったが、おかみさんは垢抜けていた。

高須藩というと幕末の会津城主松平容保が有名である。高須藩は男の子に恵まれ桑名藩主、尾張藩主も松平容保の兄弟である。

お岩稲荷
b0228416_11334994.jpg

お岩稲荷は、江戸時代初期に江戸の四谷左門町で、健気な一生を送った田宮岩という女性が大切にしてきた田宮家の屋敷社である。
お岩は御家人田宮家の娘で夫は伊右衛門といい、ふたりは仲睦まじく幸せであった。
ただ家計は苦しくお岩は商家に奉公し毎日かかさず屋敷社を信仰した。そして少々の蓄えもでき、田宮家はかつての盛んな時代に戻ることができた。
これが評判になり、屋敷社をお岩稲荷といって信仰するようになり、田宮家ではとうとう他家の人々の参拝を許可した。
家内安全、商売繁盛、厄よけなど人気を集めたことが、のちのち四谷怪談のお岩様の名に使われた。
鶴屋南北は、江戸では善人で有名なお岩様の名前を使ってどぎつい内容の脚色で「東海道四谷怪談」が作られ、怨霊のお岩様になってしまった。
四谷には甲州街道は通っているが、東海道は通ってない。鶴屋南北はお岩稲荷と無関係にするつもりだったろうが、四谷を使ったことで、四谷お岩稲荷とお岩様は怨霊にされてしまった。

歌舞伎の四谷怪談が大評判になって、事故など増えると祟りとされて、役者が祟りがあってはと参拝するようになり、四谷は芝居小屋から遠いからと、明治になって中央区新川にお岩稲荷神社として勧請された。
それで、現在二つのお岩稲荷がある。

田宮神社

b0228416_11333964.jpg


お岩様の美徳を祀った神社である。
田宮伊右衛門・お岩夫妻の子孫が代々の宮司を務めているとのことである。
現在は、十一代目である。

須賀神社
b0228416_11335329.jpg


江戸初期より四谷の鎮守とされる。
神田明神よりスサノオノミコトが勧請され江戸時代には牛頭天王社といわれていたが、
明治になって出雲の八岐大蛇退治のときに「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と
言われたことから須賀神社になった。

須賀は鉄を意味する。

社殿に鏝絵(こてえ)があった。私は伊豆松崎の伊豆の長八の鏝絵をみてから鏝絵が好きである。
ここのは長八の弟子吉田亀五郎が描いたものであるという。

b0228416_11335919.jpg

b0228416_11335552.jpg


b0228416_13104878.jpg
伊豆の長八作・井上靖寄贈
井上靖が叔父からもらった絵でその経緯を小品「土の絵」に書いている。

鏝絵とは日本で発展した漆喰を用いて作られるレリーフのことである。左官職人がこてで仕上げていくことから名がついた。

歩きながら鏝絵を神社や民家の壁などから見つけることは楽しい。


参考:田宮神社のパンフレット・とんかつ鈴新パンフレット・ウイキペデイア・須賀神社HP
by gannyan1953 | 2013-02-16 10:42 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)

篠原城

歴史と素適なおつきあい番外編


篠原城は、新横浜駅すぐにある、中世の山城である。2011年に発掘されたらしい。
調査されていないなんて知らずに、
私は2007年に行ってみたことがある。

娘が結婚し篠原町に新居を構えた。孫に会いに行くのでいい散歩道はないかと歴史を調べたら、
中世の城があるという。
早速ベビーカーをひっぱって出かけた。結局ベビーカーでは進めない道だったが。

エー!!ここ?という小道を登っていくので、ドキドキしながら、行くとまわりは草が生い茂り、民家もあり洗濯物が干され侵入する気にはならなかった。

そのとき発掘もされず、埋もれた古城とは知らなかった。奇跡的に残っているとしか思えない。

篠原城は、小田原北条家の拠点であった小机城配下の城であったと考えられるそうだ。
北条家の家来筋の金子出雲という武士によって治められ金子城ともいわれた。

「金子出雲と薬師如来」長福寺によると、金子出雲は元成田衆で小机衆に属すという。
成田衆は武蔵忍城主成田長泰の一族がもともと後北条氏以前から小机周辺に住んでいて、
その配下に金子氏がいたという。

忍城って「のぼうの城」のことで、映画がおもしろかった。
昨年篠原城も「まぼろしの篠原城」という舞台になって上演されている。
こ、これも、見逃した。
by gannyan1953 | 2013-02-06 11:13 | 神奈川県の歴史散歩 | Comments(0)

無添加の梅干し


歴史と素適なおつきあい番外編    2013・2・2

小田原に梅干しを買いに!

2年前、曽我丘陵を歩いた帰りに立ち寄ったお店を探しにだかけた。
梅干しを購入したが、塩分18パーセントの自然な梅干しで主人がはまってしまった。

下曽我駅近くにみつかった。

市川商店  ☎ 0465−42−0141  小田原市曽我谷津623

b0228416_184956.jpg
つぶれ梅1000円
b0228416_1845944.jpg
しょうが梅酢つけ300円
b0228416_1855191.jpg
シソふりかけ200円
b0228416_1865637.jpg
桜の塩漬け200円

あとゴールデンオレンジという小さいみかんもおいしかった。

来る途中小田原厚木道路小田原パーキングに立ち寄った。
パーキングのおみやげの梅干し
b0228416_18191839.jpg
500円
この梅干しより市川商店のほうがより自然な味でした。
ここで出会ったあじの天丼 おいしかった。
丼大賞で受賞したらしい。また食べたい。

b0228416_18570348.jpg
600円




帰宅途中 国府津の「とおりゃんせ」の天神様の細道はここです!という菅原神社に立ち寄った。
孫の入学祝いのお守りと、鯛のおみくじを購入 宮司さんがいっしょになって選んでくれた。

b0228416_18244866.jpg
一年安泰の願いを込めた鯛でめでたいな! しっぽにおみくじがはいってました。

大磯の吉田茂像を見によったら、工事中で非公開。
b0228416_18272755.jpg
吉田邸の裏の海

城山公園
b0228416_1828862.jpg
展望台
残念だが富士山はうっすらで写真はとれない
本来でっかい富士山が拝める。
大磯城山公園には縄文時代の遺跡、土器、横穴墓、鎌倉古道など発掘された。
この城に立てこもったのは長尾景春の被官「越後五郎四郎」を太田道灌が破った。

明治になって三井財閥の所有となり、古材で、建物を造った。今では、建物はほかに移り、土地の大部分が放置されていたが整備され公園となった。
by gannyan1953 | 2013-02-03 18:09 | 神奈川県の歴史散歩 | Comments(0)



横浜周辺の歴史散歩
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
> rollingwes..
by gannyan1953 at 14:13
初めまして、ローリングウ..
by rollingwest at 16:31
できればメールでお話しし..
by gannyan1953 at 09:08
新横浜スパインクリニック..
by gannyan1953 at 18:23
読めないんですね。申し訳..
by gannyan1953 at 18:09
> ださぶろうさん ご..
by gannyan1953 at 21:44
楽しんでいただけて大変嬉..
by gannyan1953 at 21:41
長津田の大火の事を調べて..
by shin344 at 21:41
初めまして久し振りで ..
by shin344 at 21:35
コメントありがとうござい..
by gannyan1953 at 21:56
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧