歴史と素適なおつきあい

<   2013年 07月 ( 2 )   > この月の画像一覧

関東の穢多頭「弾左衛門」

歴史と素適なおつきあい番外編
浅草弾左衛門
b0228416_827141.jpg


江戸時代の穢多頭で、幕府から関八州、伊豆、甲斐都留郡、駿河駿東郡、陸奥白川郡、三河設楽郡の被差別民を統括した。浅草が本拠だったので、浅草弾左衛門といわれる。

摂津の火打村から鎌倉極楽寺辺に移り、江戸日本橋に出たという。時代は家康開府の100年ほど前で、このあたりは尼店(あまだな)と呼ばれていた。今の室町である。日本橋の北に小高い丘があり沢山の穢多が置かれたという。なぜここに住んでいたのか。
①太田道灌が奥州への街道警備のために配置したという説。
②後北条のころ室町(日本橋本町4丁目)に処刑場があった。処刑場、牢屋の維持に穢多が必要だったからという説。

弾左衛門は江戸が開府されたとき、関東の穢多の頭の座を、太郎左衛門と競り合うことになった。
太郎左衛門とは、小田原で北条に仕えていた穢多頭である。
そして家康は江戸にいた弾左衛門を選んだ。
理由は北条に仕えた太郎左衛門は、避けたということだと思われる。

 慶長8年(1590)日本橋ができたころには処刑場、牢は伝馬町にあった。今の十思公園である。
このため、弾左衛門は浅草鳥越(聖天町近く)に移った。
そこが振袖火事で焼けてから新町(現在浅草高校)に弾左衛門役宅が作られた。

穢多とは、主に皮革に関わる仕事で、武器や馬具、羽織、下駄や雪駄の鼻緒などに使われた。
特徴は定住性があることで、弾左衛門の配下である。

非人とは刑場の仕事、屍体の処理などで、土地などの財産をもたず、車善七の配下だった。
後に車善七は、仕事の権益をめぐり、弾左衛門を訴えるが敗訴してしまう。
その後非人も長吏頭(弾左衛門)配下になった。

助六と弾左衛門

歌舞伎の「助六」の悪役「意休」のモデルは弾左衛門だという説がある。

塩見鮮一郎氏の「弾左衛門の謎」によると、宝永5年(1708)に傀儡師(くぐつし・人形まわしのこと)の小林新助に弾左衛門に興行妨害されたと訴えられ、弾左衛門は敗訴してしまう。これは、それまで歌舞伎などの興行を弾左衛門が支配していたとみられ、敗訴により、その支配権を失うことになる。
歌舞伎界では弾左衛門の支配を脱した喜びから、意休のモデルは弾左衛門で、嫌われ者の悪役に仕立てたという。

身分は士農工商からはずされ最下位の身分であったが、皮革加工、灯芯、竹細工の製造販売に対し独占的な支配をもち、大きな富を得、権勢を誇った。幕府からは様々な特権も与えられていた。

弾左衛門は由緒書きを持ちそれには、秦から渡来した秦氏を祖先に持ち、平正盛の家人であった。平正盛とは平清盛の祖父にあたる。藤原弾左衛門頼兼といい、長吏の頭になり、源頼朝の朱印状を得て中世における被差別民の頭の地位を確立したといわれる。
しかしその由緒書きの確証はない。

弾左衛門の屋敷は浅草新町といわれまわりを寺社や塀で囲いまわりから見られない構造になっていた。中には長屋式の住まい、皮革関連の作業場、寺や神社、商店もあり常時300人(塩見氏説)が暮らしていたという。佐伯修氏は200人という。屋敷内で生活はできたが、塀の外の庶民と交流はなく隔絶された場所であった。

幕末の13代弾左衛門は、関東、伊豆などで10万人を従え、金銭も多く蓄え、一説には弾左衛門は大名のようだったという。しかし弾左衛門は兼ねてから身分の引き上げを願っていた。
そこで幕府のために、幕府の兵力の増強に力を貸し、長州征伐、鳥羽伏見の戦いに兵隊として差し出している。先代弾左衛門の病気のおりに、御典医松本良順が診察したことで、良順そして新撰組とつながり、甲陽鎮撫隊にも出兵している。
このとき新式の銃、資金1万両をつけて200人を参加させているという説もある。

慶応4年(1868)に幕府への功労により平民となり、明治維新を迎えて名字を弾とし、「弾直樹」又は「弾内記」と改名した。
平民となった弾は喜んで皮革製造の工場「弾製靴所」を建てた。
外国人技師を招き皮革技術を教える伝習所も作った。
それまで蓄えてきた多くの財産を投資した事業だった。
が、解放令とともに、皮革産業自由化により挫折する。
解放令とともに牛馬の死体処理の権利まで失い、原料入手に困難だったことが理由にあげられる。
しかし日本の近代皮革産業を発展させたのは、弾左衛門たちの努力が貢献していると思われる。

解放令とは賤民制廃止を唱え四民平等の人権回復の法令であった。
ところが明治政府は戸籍に新平民と記し、本当の意味での身分をなくしていない。

そして江戸時代まで住んでいた土地を奪われ、特権だった税金免除もなくなり、独占してきた皮革処理の権利も剥奪された。解放令以前より、生活水準が低下することになったのが現実だった。

参考 ウイキペディア・徳川将軍家の謎:別冊宝島
   弾左衛門の謎:塩見鮮一郎
   江戸の弾左衛門:中尾建次
by gannyan1953 | 2013-07-07 08:25 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)

港北ニュータウンのオオカミの護符の話

歴史と素適なおつきあい番外編      2013・7・4


都筑区のオオカミの護符
b0228416_1318348.jpg


牛久保西の農家、私の隣家の元農家には毎年張り替えられたオオカミの護符があるので、伺って聞いてみた。
今でも宮司さんの姿で御嶽山から御師(おし)さんが来られて護符を届けてくださるという。
護符は、畑や台所に張る。そのときは、初穂料「2千円」を用意する。
牛久保の農家では大山講が続いており2年に一度大山の下社に参拝する。
牛久保の鎮守である天照皇大神神社の氏子は、伊勢神宮にも代表者が参拝する。
今でも昔ながらの信仰が続いているようだ。
オオカミ信仰について詳しくは秩父の歴史をご参照ください。
by gannyan1953 | 2013-07-04 13:19 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)



横浜周辺の歴史散歩
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
> rollingwes..
by gannyan1953 at 14:13
初めまして、ローリングウ..
by rollingwest at 16:31
できればメールでお話しし..
by gannyan1953 at 09:08
新横浜スパインクリニック..
by gannyan1953 at 18:23
読めないんですね。申し訳..
by gannyan1953 at 18:09
> ださぶろうさん ご..
by gannyan1953 at 21:44
楽しんでいただけて大変嬉..
by gannyan1953 at 21:41
長津田の大火の事を調べて..
by shin344 at 21:41
初めまして久し振りで ..
by shin344 at 21:35
コメントありがとうござい..
by gannyan1953 at 21:56
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
海軍道路を歩いた
at 2017-08-12 22:23
柴犬朔太郎 また爆睡
at 2017-08-06 22:24
猿投神社  
at 2017-08-06 21:37
満蒙開拓平和記念館・長岳寺
at 2017-08-06 20:58
神坂(みさか)神社 阿智村
at 2017-08-03 20:45
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧