歴史と素適なおつきあい

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港北ニュータウン 山田村の地名

歴史と素適なおつきあい番外編      

都筑郡山田村の地名
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山田神社
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  弥兵次谷の碑

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字名

打越(オッコシ)山を越えるところ
長瀬山(ナガセヤマ)だらだらした山
下根(シモネ)山の麓
日面(ヒオモ)日当りがいいところ
荒井坂(アライザカ)荒井庄兵衛屋敷があった
城山(ジョウヤマ)山田城跡(4200坪)で、鎌田正清の居城という
鎌田屋敷(カマタヤシキ)鎌田正清の居館があった
道中坂(ドウチュウザカ)中原街道にあり鎌田堂が坂の途中にある
徳持(トクモチ)共同開墾地
        江戸初期に徳持村があって小泉一族により開墾された
        山田村の小泉氏は経歴が定かではないが、
        家紋が立沢瀉紋であることから清和源氏土岐氏島田流
        の小泉氏である可能性が高い
殿谷(トノヤト)鎌田正清の居館があった一帯の集落
        東山田公民館
羽場根(ハバネ)崖の裾。羽場は間々と同意で崖の意。根は麓。
二注連谷(ニシメヤト)境界。西メ、二メとも書く。のっちめともいわれ
           ニがノに変化したか、ノッチは丘陵の切れ目をいい、
           Vになる場所で、地形からの地名かもしれない。
           シメは村境の標木に注連を張り外部からの疫病、
           悪霊を防ぐ行事である。
           諏訪神社の鳥居が一のシメ、二のシメと呼び、
           ここに二のシメがあったという説もある。
百石橋(ヒャッコクバシ)水音のドドからつけられた。等々力のトド。
            水害地だった。
松崎(マンザキ)崖の端につけられる。
        松(マン)は崖、間の転化で、狭間。崎は突き出た場所で、
        同意は前、先、岬。
日影谷(ヒカゲヤト)日当りの悪い場所。開発が遅れているという意味もある。
五十俵(ゴジュッペー)富士谷から流れる小川をせき止めた場所。
           五十俵の土嚢が必要であった。
           五十盃と書かれた文書がある。
滝谷(タキヤト)滝は切立った崖。崖が多い場所。タキギヤトともいう。
二十歩谷(ニジュウブヤト)共同開発地で一人当たり20坪の配分があった場所ではないか。
             二十歩はハタブともいい、畑生、端生とも書く。
             二十野(ハタノ)・埼玉、安政の石仏に二十分谷とある。
尻無谷(シリナシヤト)行き止まり
芝生(シボウ)芝草、加賀、荒毛(コウゲ)といい、採草地。
中井坂谷(ナカイザカヤト)昔坂の途中に井戸や泉があった。
田向(タムカイ)田と向かい合ったところ。
稲荷谷(イナリヤト)稲荷社に由来。中川五ヶ村には21社あった。
富士谷(フジヤト)富士塚に由来。太子堂山といい、聖徳太子を祀った。
富士塚(フジヅカ)富士信仰で富士登山できない人のために造られた。
         明治になって禁止され各宗教に分散し、
         中川には神道修正派の行者小野兵助知明(豊前国)
         の墓石が残る。
         山田村の渡辺、酒井、川島氏の名がある。
権現堂(ゴンゲンドウ)子の神権現に由来。付近を権現山といい、
           元蔵の持ち山であった。
十代(ジュウダイ)古くは重代谷。台地が重なる地形からで重台〜重代〜十代
網笠谷(アミガサヤト)編み笠状の地形
二十三谷(ニジュウサンヤト)二十三夜の月待ちをした場所。
              陰暦の月の3日から29日までの夜に日を定め
              月待ち行事をする。本尊は勢至菩薩で、
              講中が集い勤行し、精進料理で飲食を共にし
              歌舞の宴を催す。この夜は同衾を忌みこの夜に
              妊娠するとか片輪の子が生まれるといわれた。
クズカ堤(クヅカツツミ)崩箇といい、洪水で堤がきれ田畑に被害があり
            収穫が悪くなった場所。
            租税の減税を申し立て箇は収穫高の数をいう。
神無(シンナシ)コム、カムから呼び方をかえた。険しい場所。 
        コムは籠、込の字が当てられることが多い。
        籠場(ロウバ)籠谷(ロウヤト)の地名もある。
裏谷(ウラヤト)丘陵の背面、北側の場所。
堀ノ内(ホリノウチ)豪族の屋敷があったという。城のそばとは限らず
          開墾地名の墾ノ内(ホリノウチ)もある。
宮ノ下(ミヤノシタ)山田神社の下にある。山田神社はもとは妙見社で
          明治43年に山田神社になった。
弥兵次(ヤヘイジ)漆原弥兵次(寛政〜文化)の名から







      

by gannyan1953 | 2014-01-30 20:12 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(2)

鎌倉七福神めぐりに行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編          2014・1・29

鎌倉七福神

北鎌倉〜浄智寺〜鶴岡八幡宮〜宝戒寺〜妙隆寺〜本覚寺〜長谷寺〜御霊神社

11時北鎌倉ー16時半鎌倉 徒歩

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浄智寺ー布袋
おん まいたれや そわか
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鶴岡八幡宮ー弁財天
おん そらばていえい そわか
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宝戒寺の写真を撮ることを忘れてしまった
宝戒寺が管理している北条腹切りやぐら

今日は晴れてていいけど鎌倉を訪れ始めたころここに来た。
天気は曇りで、ドヨドヨしていた。
あまりの怖さにしばらく鎌倉にきたくなかった原因となった場所である。
今じゃすっかりオドロオドロしい場所に慣れてしまった
といいながら遠巻きにしか写真がとれなかった
よろしければ当ブログ「鎌倉の歴史」参照
オドロオドロしい鎌倉の闇が見える!

宝戒寺は「はぎ寺」といわれているが、今の時期すいせんの香りでいっぱい
宝戒寺ー毘沙門天
おん べいしら まんだや
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妙隆寺 寿老人
おん じゅろうそんてん そわか
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本覚寺ー恵比寿
おん いんだらや そわか
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長谷寺ー大黒天
おん まきゃらや そわか
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御霊神社ー福禄寿
おん ふくろくじゅそん そわか
面掛行列のお面のひとつに福禄寿がいる

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御霊神社から海岸伝いに鎌倉駅まで
犬の散歩が多い
早く帰って柴犬朔太郎の散歩をしてあげなくては・・・
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朔太郎

by gannyan1953 | 2014-01-30 13:06 | 鎌倉の歴史 | Comments(0)

鎌倉七福神にいってきた

歴史と素適なおつきあい番外編          2014・1・29

鎌倉七福神

北鎌倉〜浄智寺〜鶴岡八幡宮〜宝戒寺〜妙隆寺〜本覚寺〜長谷寺〜御霊神社

11時北鎌倉ー16時半鎌倉 徒歩

浄智寺ー布袋
おん まいたれや そわか
鶴岡八幡宮ー弁財天
おん そらばていえい そわか

宝戒寺の写真を撮ることを忘れてしまった
宝戒寺が管理している北条腹切りやぐら

今日は晴れてていいけど鎌倉を訪れ始めたころここに来た。
天気は曇りで、ドヨドヨしていた。
あまりの怖さにしばらく鎌倉にきたくなかった原因となった場所である。
今じゃすっかりオドロオドロしい場所に慣れてしまった
といいながら遠巻きにしか写真がとれなかった
よろしければ当ブログ「鎌倉の歴史」参照
オドロオドロしい鎌倉の闇が見える!

宝戒寺は「はぎ寺」といわれているが、今の時期すいせんの香りでいっぱい
宝戒寺ー毘沙門天
おん べいしら まんだや
妙隆寺 寿老人
おん じゅろうそんてん そわか
本覚寺ー恵比寿
おん いんだらや そわか
長谷寺ー大黒天
おん まきゃらや そわか
御霊神社ー福禄寿
おん ふくろくじゅそん そわか
面掛行列のお面のひとつに福禄寿がいる

御霊神社から海岸伝いに鎌倉駅まで
犬の散歩が多い
早く帰って柴犬朔太郎の散歩をしてあげなくては・・・
朔太郎

by gannyan1953 | 2014-01-30 09:42 | 神様の話 | Comments(0)

港北ニュータウン 山田村 

歴史と素適なおつきあい番外編              

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山田神社

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都筑郡山田村は明治になって統合で中川村になった。
文禄3年(1594)の文書に「山田の郷」とあるが、寛文5(1665)には「矢股村」になっている。
古くは矢股であったかもしれない。
矢は湿地帯の意で、字に○○谷、ヤやヤトが多く付く。
股は本流に支流が合流するところで山田は牛久保境を流れる小川と
村内富士谷から流れ出す小川が合流している。

旧家
亜雁、芥生、安藤、飯田、飯塚、石原、市川、伊東、今西、岩崎、植田、内田、漆原、遠藤、大島、
小沢、男全、織茂、金子、川島、川田、栗原、小泉、斉藤、酒井、鈴木、高野、田辺、田丸、出川、
徳江、西内、長谷川、原木、宮本、八木、吉田、渡辺

山田神社は山田城址で城主は鎌田正清である。

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鎌田堂

鎌田堂都筑区東山田1393

正清の住まいの跡である。

 「堂の背後に鎌田兵衛正清の館ありし故 土人 鎌田堂と云う。
 二間に三間なり。
  印子の観音を安置しありしが奪われ、 霊元天皇、 寛文十三年、 現在の石地蔵建立さる。
 寛永の頃 佛誉常心止住とどまりてすむ 。
 以来 安政の頃迄 念佛道場として繁栄 道場坂の名を残す。
 尚、子育地蔵 、諸願成就の地蔵として庶民の信仰厚き聖地なり。」



鎌田正清(1123〜1160)
通称鎌田次郎佐兵衛という。
藤原鎌足から8代、藤原秀郷の後裔で源家累代の重臣だった。
正清の祖父 須藤助道は源頼義、父の通清は源為義の側近だった。
正清は源義朝と同い年で乳兄弟である。
義朝は京都六条堀河の源氏の館で育ち13歳で鎌倉に下向し、
亀ヶ谷の源氏館に入った。
そのとき行動を共にしたと思われる。
祖父は三河の国、父は駿河の国に所領があった。
正清が都筑に所領を得たのは鎌倉下向後と思われる。
義朝は嫡男悪源太義平に関東をまかせた。
義平は長男だが遊女の子とされ正当な跡継ぎではなかったようである。
勇猛な武士で強いという意味で悪という名がついた。
のちのち石山寺に逃げ込み発見され20歳にして六条河原で打ち首になった。
義朝が京都に戻るとやがて源平合戦がはじまった。
平治の乱で大敗を喫し東国に落ちた。
途中正清の舅、長田忠致のいる尾張の国知多郡内海荘に立ち寄った。
忠致は恩賞に目がくらみ義朝主従を襲い、義朝、正清ともに38歳で
殺害された。

正清の所領は山田村他10カ所に及ぶという。
この都筑で落ち着くことはなかっただろう。
山田城南に熱田社がある。
義朝の妻は熱田神宮大宮司藤原秀範の娘であることと関係しているのだろうか。
今では山田神社に合祀され石宮が残る。

鎌田正清黄金伝説

正清の黄金伝説が愛知県南知多町豊丘字本郷の地に残る。
義朝の命でこの地に館を築き一族郎党が暮らしたという。
現在も山田の地名が残る。
その縁で内海の長田忠致の娘と縁付いたと思われる。

この地で館から800m南の山に軍資金を埋めたという伝説である。
「朝日が最初に当たり夕日が最後までさすところ、金千貫、銀千貫を埋め、大きな松があるという。
未だ発見されていない。」 「おっさんがゆく」より (この方正清の子孫らしい)

どの文献からの話なのかわからないが、地図でみると昔は豊丘という丘だったようだ。
今では役場や畑になっていて少し山林は残っている様子。
正清の黄金伝説のこと知っている方、教えて欲しい!!
しつこく調べたら、「正清黄金伝説」は岩手県田老町にあった。(ミヤペディア真崎海岸正清伝説より)
この話と混同されているのだろうか?!

八王子千人同心

江戸時代中川5ヶ村は旗本領だった。
山田、大棚は八王子千人同心の所領であった。
八王子千人同心は武田の家臣がお家滅亡後家康の命により八王子に住んで
甲州口警備に当たった人々である。

千人頭は千人を10にわけ100人を1組とした。
千人頭は旗本、同心は御家人身分となった。

北山田長泉寺に寛政元年(1789)建立の万霊供養塔に、千人頭河野松蔵、志村造酒之助の名が残されている。

志村氏は清和源氏義光流小笠原支流で、伴野六郎時長の庶流という。
出身地は信濃国志村で武田に仕えた。3代貞昌のとき千人頭になった。

河野氏は伊予国越智氏末流で、武田信虎に仕え、4代通次のとき千人頭となった。

千人頭に慕われた松姫

信玄の娘松姫は、武田滅亡の折信盛、勝頼、小山田信茂(町田の大泉寺)の娘を
引き取り八王子に落ち延びていた。
家臣たちは姫を慕っていたので八王子にきた千人同心たちの心の支えになった。

松姫は織田信長の子信忠と婚約しており政略結婚ではあったが、文もかわす仲であったが、三方ヶ原の戦いで
織田家と武田家は敵対し、婚約解消となった。
その後信忠との婚姻が再び整う矢先、本能寺の変で信忠は亡くなり、八王子の心源院で出家し、引き取った姫たちを
育てながら、武田家、信忠の供養をした。
会津初代藩主保科正之もこの松姫が育てたという。











by gannyan1953 | 2014-01-24 11:39 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(2)

港北七福神

歴史と素適なおつきあい番外編    2014・1・1

2016年1月9日(土)開催します
参加ご希望の方は中川歴史ウォーキングでお申し込み下さい


新年早々七福神めぐりにでかけた
高田駅まで電車〜新横浜から電車で帰宅   その間12キロくらいあるのじゃないかと思う 

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新羽にある石材店に並ぶ七福神
「写真をとっていいですか」と聞くと「魂ははいってないけどねー」とやさしかった。
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港北七福神「ひろたりあん」より抜粋

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興禅寺
興禅寺(福禄寿)  天台宗   高田駅徒歩15分

853年(仁寿3年)に創建され、本尊は十一面観音。現在の本堂は1806年(文化3年)に建立。
雅楽会が有名。


福禄寿
南極星の化身、幸福・財産・長寿の神

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金蔵寺
金蔵寺・寿老人  天台宗  日吉本町駅徒歩5分

平安時代の貞観年間(859年~876年)に清和天皇の勅願により智証大師が創建したと伝わる。

寛永寺の末寺として栄え、敷地面積は2万坪を誇る。
徳川将軍家の庇護の元、江戸幕府初代と二代将軍である徳川家康・秀忠父子により梵鐘が寄進され現存している。


寿老人 

不老長寿の神


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東照寺

東照寺・布袋    曹洞宗  綱島駅徒歩3分

慶安2年(1649年)に大曽根の大乗寺の三世生外意鉄大和尚によって開かれた。
本山は永平寺と総持寺で九州鹿児島の薩摩藩主、島津公の信仰が厚く、本堂内に島津斉宣公のかかれた額がある。
歴代の住職も薩摩藩の武士の出身が多くいた。
江戸の商人たちの信仰も厚く、境内にその人たちの名を刻んだ石の手洗いがある。

布袋
慈恵(いつくしみ)と和合の神、予知と金運の神

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地名の由来の庚申様
                          途中新羽近くの庚申堀を通った


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西方寺


西方寺・恵比寿   真言宗  新羽駅徒歩5分
  
1195年(建久6年)鎌倉に創建された寺で、1495年(明応―めいおう―4年)に現在地に移転。
本尊は阿弥陀如来。かやぶきの山門や本堂が美しい。
恵比寿
田の神、かまどの神、商売繁盛の神

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菊名池弁財天
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菊名池


菊名池弁財天・弁財天  日蓮宗  妙蓮寺駅徒歩3分

平安時代より灌漑(かんがい)用水として大切にされてきた。池には龍神伝説がある。


菊名池弁財天の七福神

弁才天 (弁財天)
弁天さま、女神、音楽の神、芸事の神、財宝の神


弁財天が祀られたのは夢を見て祀ったそうだが。この菊名池の龍神伝説を調べても内容がわからない。

ところがだいだらぼっちが菊名池を作った。かっぱも大蛇もいたという話がでてきた。(大倉精神文化研究所のサイトから「押尾寅松さんの昔話」より)

趣のある池で、埋められて小さくなってしまったことが残念だった。

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昔の菊名池


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蓮勝寺



蓮勝寺・毘沙門天  菊名駅徒歩3分 浄土宗    
1315年(正和4年)に開山したとされ、山号の「菊名山」が菊名の地名の由来となったともいわれる。
本尊は阿弥陀如来。毘沙門天王像は鎌倉時代の仏師運慶の作とも伝えられる。
地震を予見するといわれる石猿がある。

毘沙門天
勝負事の神、戦闘の神

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正覚院

正覚院・大黒天 曹洞宗  新横浜駅徒歩5分  


足利時代の末、天正元年、暁堂元龍(ぎょうどうげんりゅう)大和尚により創建された。

本尊は十一面観世音菩薩。
現在の本堂は1961年(昭和36年)の建立。境内の裏山には金子出雲守の出城(篠原城)跡がある。


大黒天
穀物の神、商売繁盛の神


篠原城


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現在の篠原城址



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説明板
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2010年に訪れたときは道も人が歩くのがやっとで、洗濯物など干してあって写真にとれなかった。
現在中には入れなくなったがこうして案内板が立てられていた。
まぼろしの城でなくなったのは残念だが公開日にはぜひみてみたい。

篠原城は、小田原北条家の拠点であった小机城配下の城であったと考えられるそうだ。
北条家の家来筋の金子出雲という武士によって治められ金子城ともいわれた。

「金子出雲と薬師如来」長福寺によると、金子出雲は元成田衆で小机衆に属すという。
成田衆は武蔵忍城主成田長泰の一族がもともと後北条氏以前から小机周辺に住んでいて、
その配下に金子氏がいたという。

忍城って「のぼうの城」のことで、映画がおもしろかった。
昨年篠原城も「まぼろしの篠原城」という舞台になって上演されている。
こ、これも、見逃した。


参考:しちふくじん・ひろたりあん・港北区区民利用施設協会の七福神案内図・金子出雲





by gannyan1953 | 2014-01-01 22:51 | 神様の話 | Comments(0)

都筑七福神あったらいいな

歴史と素適なおつきあい番外編       2014元旦
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都筑七福神あったらいいな003.gif003.gif003.gif

港北七福神をまわったとき七福神がなぜ都筑区にないのかなと寂しく思った。
すぐ設置決行と思い調べてみた。

徒歩で4キロなら誰でもまわれそう
スタンプを設置してスタンプリーにすると楽チン
一体8万円くらいで購入 設置費はわからない
魂入れを僧侶や宮司さんにお願いするといくらかな

100万円近く費用は入りそうだ・・・・

①まずお寺、神社をリストアップ・・・・面倒だと断られる

②緑道に設置ー宗教がらみの像は設置不可だそうだ

③じゃあ個人の土地に設置をする

これって大変なこと

で、・・・・・・・あきらめた^-^ dahahaha・・・・・・
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by gannyan1953 | 2014-01-01 20:58 | 神様の話 | Comments(0)

都筑七福神

歴史と素適なおつきあい番外編     20141・1

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新羽の石材店
都筑七福神あったらいいな003.gif003.gif003.gif

港北七福神をまわったとき七福神がなぜ都筑区にないのかなと寂しく思った。
すぐ設置決行と思い調べてみた。

徒歩で4キロなら誰でもまわれそう
スタンプを設置してスタンプリーにすると楽チン
一体8万円くらいで購入 設置費はわからない
魂入れを僧侶や宮司さんにお願いするといくらかな

100万円近く費用がかかりそうだ・・・・

①まずお寺、神社をリストアップ・・・・面倒だと断られる

②緑道に設置ー宗教がらみの像は設置不可だそうだ

③じゃあ個人の土地に設置をする

これって大変なこと

で、・・・・・・・あきらめた^-^ dahahaha・・・・・・
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by gannyan1953 | 2014-01-01 17:59 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)



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