歴史と素適なおつきあい

<   2014年 07月 ( 1 )   > この月の画像一覧

倭姫御巡行のロマンに魅せられて

歴史と素適なおつきあい  講座                   2014・7・11

なぜアマテラスは皇祖神になったのか?
なぜアマテラスは倭姫と彷徨したのか?

b0228416_18420224.jpg
倭姫宮

伊勢神宮を語る前に

伊勢神宮の祭神はご存知のとおり天照大神である。
あたりまえのことだったが、いろいろ疑問を感じだしたら「なぜ?!」が多すぎる事に気づいた。


古代の信仰とは
古代では、人々は自然の神を信仰してきた。
太陽をめぐり磐座(いわくら)、山などがご神体とされ、太陽の動きとともに祈りを捧げるストーンサークル、拝み岩などの祭祀遺跡が多く発見、そして残されている。

時が経ち神は天皇の祖先になるために、擬人化が進み、食もすれば衣服も着るように変化していった。

私は対馬の神様が日本の神々の原点であるという気持ちが一層強くなった。(ブログ「対馬の神様」参照)
神には水平型(海)と垂直型(天)がある。

水平型

天はアマと読む。海もアマと読む。
水平線が天とも海とも境目がなく茫洋としたとき、海の民は神々の国、また黄泉の国と思い、漂着したものを神と考えた。
折口信夫が称した客人(まれびと)信仰である。
客人は経済効果、優性学で考えると閉鎖的な島の人にとって有難いことで、神がやってきたと考えた。沖縄のニライカナイもそのひとつである。縄文信仰である。


b0228416_22365858.jpg

海神神社近くの玄界灘を望む

b0228416_225033100.jpg
対馬の内院の浜 ここは多久頭魂神社の近くで入定した天道法師の母がうつろ舟でたどり着いた場所
雰囲気があってとても静かな浜である
雪が舞っている



垂直型

山岳からやってくるものは、降臨という考えになった。
柱に依る神、高木神である。北方ユーラシアの始祖神話、朝鮮の建国神話が基になりタカミムスビという神になって伝わってきた。弥生信仰である。


b0228416_22382061.jpg

多久頭魂神社 祭神は現在アマテラスだが、本来は摂社の高御魂神社の祭神タカミムスビではないか
ここでは、タカミムスビが天道法師の父となっている
本殿裏手にあるクスノキのご神木の大きさが半端じゃない
対馬の祖霊=わだつみ=天道神=日の神だと思われる。



対馬のタカミムスビ神

b0228416_2241396.jpg
阿麻氐留(アマテル)神社

対馬に阿麻氐留(アマテル)神社がある。
阿麻氐留は天照(アマテル)で、本来この地方の神名である。
アマテラスの子アメノオシホミミはタカミムスビの娘と結婚し、ニニギが生まれている。
ということは、タカミムスビはニニギの祖父である。
豆酘(つつ)の伝承に「タカミムスビはうつろ舟に乗ってやってきた」とある。
まさしく客人神(マロウドカミ)である。
タカミムスビは八百万の神で天地の諸霊に君臨する日本神話の最高神である。
対馬は皇室と同じ神(天照魂アマテルタマと高皇産霊タカミムスビ)を昔から祀っていたのである。

アマテルと天照大神は同一なのか?

永留久恵氏は「海童と天童」でアマテルとアマテラスの関係を述べている。

「天照大神は別名大日孁貴(おおひるめのむち)という。貴は敬称で日孁は日の神の妻である。
その子孫が日子(ひこ)彦であり、日女(ひめ)は姫である。

天照大神という皇祖神は大日孁をモデルとして哲学的に作られた女神である。
新嘗の田を営み、忌服屋(いみはたや)で神の衣を織る女の姿は神女のことである。
その神女は神妻となり、日子の母となった。
そして伊勢の大日孁は天武天皇の時代やんごとなき身分となり天照大神となった。」

以上のことを知った上で伊勢神宮の神の話になる。


伊勢神宮の起こり

b0228416_22414491.jpg



伊勢神宮は天皇家の祖神を祀る、天皇のための神社である。
だからお賽銭はいらない。いやァ・・知らなかった

「私幣禁断」といって、長らく天皇以外のお供えは許されなかった。

拝殿の前にある白い布は、それでもお賽銭をだしてしまう庶民のために、お金が聖域の地面にあたっては地面が汚れるので仕方なく布を広げたそうである。
そして個人の願い事をしてはいけない。国家安泰とか世界平和を願う。

(そういえば賽銭箱なかったかも?!白い布はあんまり沢山お賽銭がくるから大風呂敷に構えたのかと思っていた。一万円札もゴロゴロあった。まさか地面が汚れるとは!?ちなみに遷宮後は賽銭箱が備えられた。)

歴代天皇は参拝していない!!

ところが歴代天皇で参拝したのは持統天皇のつぎは明治天皇である。
いったい伊勢神宮と天皇の間に何があるというのか?!
アマテラスは祟る!といわれる所以である。

紀元477年、雄略天皇の時代に内宮・荒祭宮の地に、太陽神タカミムスビを祀る祭祀場を開いたのが、
実際の伊勢神宮の創祀と考えられている。

なぜ皇祖神がタカミムスビではいけなかったのか?!

時は壬申の乱、勝利した大海人皇子、後に天武天皇の時代のこと。
天武天皇は現人神になろうとした。その根拠に皇祖神が必要になった。
朝鮮半島からやってきたタカミムスビでは、血のつながりがなく証明できない。
そこで弥生時代から日孁(ヒルメ)として根をおろしていたアマテラスが、皇祖神に抜擢された。

心の御柱(しんのみはしら)の秘密

伊勢神宮の正殿(しょうでん)の下にある心の御柱(しんのみはしら)は建築物ではなく地中に一部出た状態で埋もれている。
そもそもタカミムスビは高木神とよばれ柱、大木に神が降臨するといわれている。

心の御柱はタカミムスビのことではないのか!

アマテラスを抜擢し、もともとの祭神を丁重に隠し祀っているのかもしれない。
心の御柱の長さは天皇の身長だという。
実在の危ぶまれる神武天皇は「吾はタカミムスビを祀り自らタカミムスビになろう」と語ったそうである。
御柱と天皇は今でも一体なのだろうか?!

アマテラスは日女、そしてタカミムスビに仕えた神だったのではないか。
地面に隠すように埋められているのが心の御柱、その上に覆い被さっておるのが神殿。
女上位の位置にあり、心の御柱に直接お祈りができないようになっている。


倭姫御巡行について


昔々、大王に仕える豪族たちは、自分たちが拝する祖先神をそれぞれが祀っている(国津神)ので、大王の祭祀にまだ統一性がなかった。

日本書紀によると、
崇神(すじん・3〜4世紀)天皇の時代に国が疲弊し、そのころ大和で祀っていた大國魂神(オオクニタマノカミ)の御杖代(ミツエシロ=斎宮)になっていた渟名城入(ヌナキイリ)姫が、荒れる神を鎮めることができず髪が抜け、痩せこけてしまったとある。

現在大国魂神は天理市の大和(おおやまと)神社に祀られている。(大国魂は大国主と同一という説もある)

そこでいっしょに祀られていたアマテラスとタカミムスビを都の外に出し、国津神である大物主神(オオモノヌシ)を祀ることになる。

ここからアマテラスの彷徨がはじまる。

最初にアマテラスを豊鍬入姫(トヨスキイリヒメ)に托し、大和の笠縫邑(かさぬいむら)に祀った。

そして堅固な石の神籬(ヒモロギ・神の降臨される聖地)を造った。
その後年老いたトヨスキイリヒメからヤマトヒメに託し、倭姫御巡行の話になる。

倭姫の国覓ぎ(くにまぎ・住みやすい土地を探すこと)、御巡行は「倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)」に詳しい。

倭姫命世記は伊勢神宮大神主の御気(みけ)が書写したものである。

御気は天武天皇の時代の人でこの書の成立は飛鳥時代だという。
命世記は神道五部書(鎌倉時代に成立)の四書にあたり文学というより伊勢神道の教典になる。
内容は倭姫の一代記であるが最初の斎宮トヨスキイリ姫の巡行もあり、伊勢神宮の創始にかかわる事柄が書いてある。

多くの学者が古代の成立を疑い中世に伊勢神宮の重要さを示すための書物だといい、御巡行などなかったという人もいる。

ロマンに駆り立てられ調べてきたわけだが、興味はつきないので続ける。

天武天皇が皇祖神を立て天皇という地位を確立したいと願い国書となる古事記、日本書紀を作らせた。
アマテラスを最高神に仕立てるため壬申の乱の進軍コースと逆コースを倭姫が御巡行する。
巡行の目的は行く先々で国名を尋ねるとその地の長(おさ)は国を表す枕詞と国名を答える。

それはその国の神がアマテラスに帰属したことになり、伊勢神宮に寄進する行為にもつながるのだという。

例えば

「飯野の高宮より、伊蘓宮(いそのみや)に遷幸(みゆき)なりまして坐(ま)さしたまひき。時に大若子命(おおわくごのみこと)に問ひ給はく、『汝がこの国の名は何ぞ』とのたまふ。白(まを)さく『百船度会(ももふねわたらいひ)の国、玉ひろふ伊蘓の国』と白(まお)して・・・

これは「アマテラスの彷徨」ではなく「アマテラスのパレード、進軍」である。政治的要素が高い。

倭姫命世記の文章は歌うようにリズミカルで心地よい。一部抜粋する。

次に尾張の国の中嶋宮に遷り座(ま)しまして、倭姫命国保伎(くにほき)し給ふ。時に美濃の国造等、舎人市主(とねりいちぬし)、地口の御田(ちのくちのみた)を進る(たてまつる)。並びに御船一隻を進りき。同じ美濃の県主(あがたぬし)、角鏑(つのかぶら)を作り、御船(みふね)二隻を進る。「捧ぐる船は天の曽己立(そこたち)、抱く(むだく)船は天の御都張(みとはり)」と白して(まをして)進りき。采女忍比売(うねめおしひめ)、また地口の御田を進る。かれ忍比売の子、継ぎて天平瓮八十枚(あまのひらかやそひら)を作りて進る。

言葉の説明
中嶋宮ー愛知県一宮市の北に比定、はっきりわからない。国保伎ー国を誉め称える、言霊信仰に基づく呪術儀礼。
地口ーその土地で耕しやすく近い場所。角鏑ー矢の種類。曽己立・御都張ー船の褒め言葉。采女は未婚なのでその子はおかしい。平瓮は祭祀に使用する土器。

倭姫命世記は、鎌倉時代、外宮の度会氏が内宮より外宮を格上げするために書かれたと言われており度会神道を広めるために読みやすく謡唱したのではないか。

元寇のとき神風が吹いた。このとき外宮は3日にわたり鳴動したという。
この時期伊勢神宮を支援していたのは東国武士たちで、外宮の伊勢神道は武士階級の信頼があった。

「神は人の敬いに依りて威を増し、人は神の得に依りて運を添う」と「御成敗式目」にある。

神社仏閣を修理し大切にせよと一番始めに書かれている。
その後戦国時代120年も遷宮をしなかった時期がある。困った外宮はお札を配り御師によるトヨウケビメの宣伝をおこなった。そのおかげで江戸時代には60年周期でお伊勢参りが流行したという。

ロマンに駆られた倭姫御巡行だったが、神威を高めるため、アマテラスがなぜ伊勢神宮に遷座したのか話を創作し、疲弊した伊勢神宮を営業力で立て直す、ちょっとがっかりしたが、今の伊勢神宮はどんなに人が多くざわざわしていても、荘厳な雰囲気を醸し出し、やっぱり立派である。

西行が伊勢神宮を訪れたときの句がある。

「何事のおわしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる」

その通り!!

いつか豊鍬入姫や倭姫が訪れたという元伊勢や斎宮地を訪れてみたいと思う。

いままで訪れた神社でよかったのは元伊勢といわれる檜原(ひばら)神社である。山辺の道沿いにあり大神神社を過ぎて気持ちのいい小道を進むと現れる。三輪山をご神体にしているので拝殿はない。
眼下に箸墓古墳、遠くに二上山が見え、三輪山は日が昇る山、二上山は日の落ちる山、とても気持ちのいい古代ロマンあふれる場所である。



b0228416_2257058.jpg
倭姫行程地図


笠縫にある御室嶺上宮(みむろのみねかみのみや)(三輪山)でトヨスキイリヒメから倭姫は交代した。
そのとき「吾日足りぬ」と言った。なぜ交代したのかわからないが・・
それから宇田秋宮(宇陀)佐々波多(宇陀)隠(名張)穴穂(伊賀)敢都美恵(旧上野・伊賀上野)柘植(伊賀上野)
そして北にむかい甲賀に至り、美濃に進む倭姫。
大海人皇子は伊賀の加太から東の鈴鹿を越えて亀山市関に着いた。

b0228416_22571688.jpg
壬申の乱行程地図



参考ネット
ウイキペディア
伊勢神宮
中西正矢ブログ
伊勢神宮豆知識
日本人の1%しか知らない伊勢神宮の7つの秘密

参考図書
伊勢神宮の謎を解く:武澤秀一
倭姫命世記注釈:和田嘉寿男
アマテラスの変貌:佐藤弘夫
伊勢神宮の暗号:関裕二
アマテラスの深みへ:斎藤英喜
海童と天童:永留久恵
日本の神々:鎌田東二
日本のまつろわぬ神々:斎藤英喜他
伊勢神宮と三種の神器:新谷尚記
ヤマト国家成立の秘密:澤田洋太郎
by gannyan1953 | 2014-07-12 12:00 | 神様の話 | Comments(0)



横浜周辺の歴史散歩
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
> rollingwes..
by gannyan1953 at 14:13
初めまして、ローリングウ..
by rollingwest at 16:31
できればメールでお話しし..
by gannyan1953 at 09:08
新横浜スパインクリニック..
by gannyan1953 at 18:23
読めないんですね。申し訳..
by gannyan1953 at 18:09
> ださぶろうさん ご..
by gannyan1953 at 21:44
楽しんでいただけて大変嬉..
by gannyan1953 at 21:41
長津田の大火の事を調べて..
by shin344 at 21:41
初めまして久し振りで ..
by shin344 at 21:35
コメントありがとうござい..
by gannyan1953 at 21:56
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
海軍道路を歩いた
at 2017-08-12 22:23
柴犬朔太郎 また爆睡
at 2017-08-06 22:24
猿投神社  
at 2017-08-06 21:37
満蒙開拓平和記念館・長岳寺
at 2017-08-06 20:58
神坂(みさか)神社 阿智村
at 2017-08-03 20:45
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧