歴史と素適なおつきあい

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旭山動物園に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編   2015・11・25


オオカミの遠吠えを聞きに旭山動物園に行ってきた

私はオオカミと森で出会いたくはないが・・・好きである
オオカミ信仰

童話が壁画になっていた  飼育員だったという「あべ弘士」さんの作品である

エゾオオカミ物語

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エゾオオカミものがたり

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むかし ここほっかいどうの だいちには
オオカミが たくさん すんでいた

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オオカミは むれで かりを する
えものは エゾシカだ

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はる あかちゃんが うまれる
やわらかくなった にくを
くちから もらって おおきくなる
よくたべ
よくあそび
よくねて
そして いろいろなことを おぼえて
そだっていく


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オオカミは このだいちに すんでいた アイヌの 
ひとたちと とても よい きょりかんを たもって
ともに すごしていた


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ところが ないちから ひとびとが わたってきて
ほっかいどうに かいたくが はじまると
ぼくじょうの うしやうまを まもるためにと
オオカミは ころされ
とうとう いっとうも いなくなった
たった 100ねんほどまえの ことだ



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いま エゾシカは どんどん ふえつづけている
そしてもりや そうげんや はたけが あらされている
エゾシカを がいじゅうに したのは だれ?



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もう とおぼえは きこえない

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そんな れきしが ほっかいどうの
だいちに あった
おわり

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by gannyan1953 | 2015-11-28 11:39 | 北海道 | Comments(0)

旭川に行ってきた④

歴史と素適なおつきあい番外編   2015・11・27

グランドホテルをチェックアウトして

小学生のとき朝の新聞が待ち遠しいほど
読んだ「氷点」の作者三浦綾子さんの記念館へ
もちろん氷点橋を渡った
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氷点橋

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見本林
氷点の舞台となった
雪がどさどさ落ちてきて森に入ることはやめた

三浦綾子記念文学館

二階に三浦綾子さんの本がどっさり
最後の旭川は雪が降り、飛行機の時間まで
本を読むことにした

「泥流地帯」「塩狩峠」を大急ぎで読んだ・・目を通したの方かな

泥流地帯・・十勝岳の大正時代の噴火について
塩狩峠・・献身的な男の人の話で自分を犠牲にして鉄道事故を防いだ

小学生のときに読んだ「氷点」でキリスト教はかっこいいかもと思った
時期があった
それもほんの一時期でサイボーグ009とかゲゲゲの鬼太郎
もっと夢中になったのはカムイ伝・ガロ・・・今でもかなり影響が残っている
などと考えたりしていた


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旭川駅に寄って
待望の「ジュンドッグ」海老
を食べた
なんだか名古屋の天むすに似ているような・・・

                   




by gannyan1953 | 2015-11-27 22:02 | 北海道 | Comments(0)

旭川に行ってきた③ 上川離宮

歴史と素適なおつきあい番外編   2015・11・26


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明治2年5月、函館に立てこもる旧幕府軍が降伏し、
新政府は同7月開拓使を置き北海道の開拓と整備に乗り出した。

 まだまだ内陸の旭川は開拓されていない

明治5年北海道の中心の上川(旭川)を開拓すべきで
そこから四方へ開拓しようという動きがあった

岩村通俊(土佐出身)は肥沃で平坦な土地で森林にも
恵まれた上川を開発すべきと痛感した

そして北京の地を目指した
これはペキンではなくホッキョウである

 岩村は永山武四郎屯田司令長官とともに視察し
素晴らしいと感動している

後岩村は外されてしまうが、永山は北京計画には賛同していた


初代長官岩村の意をよく継ぎ、上川開発の施策をすすめていた永山は
明治22年9月27日神楽岡に登り
「上川の清き流れに 身をそそぎ 神楽の岡に 幸行仰がん」

「畏みし 神のまします位山 民仰ぐべき 御幸をぞまつ」

  と詠み、永山長官の手書きされた二首は、上川神社社宝として伝えられている。

永山は、北海道への移住が進まない中、真夏に天皇が訪れ健康を保ったことから
天皇が夏の間旭川に滞在すれば 移住が進展するという提案をした。

 鎮座地は現上川神社一帯を予定地とし旭川村造りが始まった。
 
しかし明治25年 4代目の北垣長官は造営に反対。
札幌で大火があり復興も進んでいない。
造営は札幌にした方がよい。
札幌の経済人は旭川にはう移らないという。
そして日清、日露戦争が起こり北京計画・・・離宮計画は消えた。
 
大正13年上川神社がその地に社殿が建てられた。

(上川神社 鎮座地神楽岡についてより)

正式に中止になったわけでもなく立ち消えてしまった離宮計画があったことを
今回はじめて知った。

 
by gannyan1953 | 2015-11-26 19:55 | 北海道 | Comments(0)

旭川に行ってきた③青い池

歴史と素適なおつきあい番外編    2016・11・26

3日目

青い池

友人のおにいさんの車で美瑛 青い池めざして・・

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夏に来ると全部青いけど少し見られてよかった
夜はライトアップされる

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しらひげの滝

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美瑛川

お兄さんが黙って進むのでついて行ったら

286段の階段・・

何があるんだ!!

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十勝岳砂防情報センター

ビデオを見て十勝岳噴火のお勉強

三浦綾子の「泥流地帯」は大正噴火の時の話である
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昭和37年6月30日午後5時30分
美瑛からの撮影

大正15年(1926年)の噴火では、主に融雪型泥流により144名が、
また、昭和37年(1962年)の噴火では、火山岩塊の落下で5名が死亡しており、特に火山噴火防災対策を必要とする火山でそうだ。(美瑛町 噴火の歴史より)



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明治の頃硫黄採取をしていた 噴火口近くの作業で危険を伴った

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防災センターからの景色

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美瑛の丘からの景色

美瑛神社

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明治時代、和歌山から入植した熊野の団体により旧官幣大社熊野坐神社から『家都御子命』の御分霊を受け小祠建立したことが始まりの神社。

十勝連峰からの気をふんだんに受けたスピリチュアル関係の人達に絶賛の神社だそうだ
参考:パワースポットで金運アップ





by gannyan1953 | 2015-11-26 12:41 | 北海道 | Comments(0)

旭川に行ってきた②北海道護国神社

歴史と素適なおつきあい    2016・11・25

2日目  11月25日

旭山動物園

旭川駅からバスで待望の動物園へ

入園を待つ間「パクりパクリ」という警備の方の
話を聞き楽しかった

しばらくしてわかったのだがパクリは行動展示の
パクリのことだった・・・
やっぱ真似されたくないのかな!?

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動画なのだがアップできない002.gif

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自販機のモニュメント

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お目当てのオオカミ
遠吠えは午後3時以降だという・・・残念

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展示写真

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展示写真

オオカミの話

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空飛ぶペンギン



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ぬっと現れるアザラシ



お昼は旭川ラーメンじゃなく旭山ラーメンを食べた
ホントは旭川ラーメンと間違えた・・・
でも美味しかった


北鎮記念館

自衛隊の敷地内にある記念館

北海道の開拓や防衛に携わった屯田兵や、
旧陸軍第7師団の歴史を物語る資料、北海道スキー発祥の地となった
旭川について記した資料などが展示されている。
ガイドが楽しいという館長さんにはお会いできなかったので
静かに鑑賞・・・

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横須賀海軍カレーより絶対おいしいという自衛官のお言葉に
「北鎮カレー」をおみやげに

確かに美味しかった・・・Amazonで購入できます


ちょっと怖い話
友人のおにいさんからちょっと怖い話を聞いた
第七師団から行ったガダルカナルの戦いで亡くなった兵隊さんが
沢山いるそうだ。
戦いが終わったあとここ旭川の大勢の人が
兵隊さんの足音を聞いた・・・帰還されたんだとみんな思った
ところが帰還されたと見られた兵隊さんたちの姿はなく
あとからガダルカナルで戦死したことを知ったという
母親から聞いた話だそうだ

この第七師団は屯田兵から始まり、東北からの人が多かったらしく、
昭和になっても朝敵といわれ厳しい前線に向かわされたという。



北海道護国神社  北鎮記念館前

ひたすら美しかった

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感動していたら日が沈み始めた



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雪の中は歩かないという旭川人の友人を
無視して石狩川を渡った
旭川のシンボル「旭橋」からの月である
やっぱ歩いてよかった
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旭川グランドホテルの部屋から市役所側の景色








by gannyan1953 | 2015-11-25 23:38 | 北海道 | Comments(0)

旭川に行ってきた①川村カ子ト記念館

歴史と素適なおつきあい番外編       2016・11・24

宿泊:旭川グランドホテル

1日目 旭川着13:40  11月24日
降雪のため空港整備でじばらく上空を旋回した
旭川空港は雪が多いのだが冬の北海道ではダントツ
就航率が高い。なぜかというと山が降雪を減らす
地形と除雪体制がよくできているからだそうだ。
ただ維持費が大変高い。この日は千歳は閉鎖になったらしい。


川村カ子トアイヌ記念館 
北海道旭川市北門町11丁目  500円
旭川電気軌道バス 24番「北門町21丁目行き」「アイヌ記念館前」下車。
除雪されておらず参ったが、ベネトンの雪靴と
モンベルのダウンで快適!

上川アイヌの長で、旧国鉄の測量技手(ぎて)。
国鉄退職後は川村カ子トアイヌ記念館の館長、
旭川アイヌ民族史跡保存会長、旭川アイヌ民族工芸会長などを務めた。
弟に川村才登、妹・コヨの夫が貝澤藤蔵である。
旭川永山町(現旭川市永山)キンクシベツに生まれる。
父は上川アイヌの長、7代目イタキシロマ。母はアベナンカ。
小学校卒業後、鉄道人夫として測量隊の手伝いをするなかで測量を学び、
やがて測量技手試験に合格し、鉄道員札幌講習所を卒業後、
北海道各地の線路工事の測量に携わる。
難しすぎて引き受け手の無かった天竜峡~三河川合間の測量を
アイヌ測量隊をひきいて敢行。
現場監督も務めて難工事を完成させた。
なお、「アイヌに使われるのはもうごめん」という理由で、
土木作業員より殺されかけたこともあった 
急峻な山岳地帯を通過するルートで、非常な難工事であったが、
アイヌ出身の測量士で山地での測量技術に長けた川村カ子ト等が
招聘されて建設にあたり、ようやく完成した。
これをもって、豊川鉄道の最初の区間が開業してから40年後
現在の飯田線である吉田(現在の豊橋)~辰野間は全通を見たの である。(飯田線の項より)
三信鉄道開通後は、樺太や朝鮮半島での測量にも従事するが、
1944年(昭和19年)に引き揚げる。
戦後は、視力の衰えで測量の仕事を離れ、川村カ子トアイヌ記念館の館長を務めた。
1960年(昭和35年)4月には、三信鉄道における貢献を縁として、信州に招かれている。
1977年(昭和52年)1月、死去。83歳。 

大雪地ビール館でジンギスカン料理。
ペラペラのラム肉しか食べたことがなく
ここのは厚くておいしかった・・・
by gannyan1953 | 2015-11-24 23:25 | 北海道 | Comments(0)

港北ニュータウンにかつてあった風車

歴史と素適なおつきあい番外編    2015・11・8

都筑区に風車があったと聞いていたが詳細がわからなかった

「横浜をめぐる七つの物語」に載っていた

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見辛いが 写真右上に丸い風車が見える
都田小学校からの風景だった

             外国人も時々訪れたがこの風車が目印になったという。

グランさんというデンマーク人が港に造船所をつくり
そこから見えるフェリスの風車に親しみを持っていた。
風速33mの台風でとうとう風車は壊れてしまった

グランの奥さんは日本人で都田出身であった
その関係で都田村の池辺(いこのべ)村の高台に
家を建てた
佐藤春夫の小説「西班牙犬の家」(スペイン犬)として書いている
田舎に異人館があり、趣が違うと・・・

そこに壊れたフェリスの水車を譲り受け
その風車でくみ上げた水を薪の火であたため
台所 洗面所 風呂にお湯を供給した

1900年生まれのグランの長女は
「風車のおかげで生活に潤いがあった」
と述べている
後日 訪れてみようと思う

参考 横浜をめぐる七つの物語:大西比呂志

2015・11・19
風車の回る異人館  金子勤著
この本によるとグランさんは亡くなるまでこの家に住んでいた。
故郷デンマークの家を再現しながら日本に骨を埋めた。
素適な人物だったんだろうなと思った。




by gannyan1953 | 2015-11-08 10:12 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)



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