歴史と素適なおつきあい

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岡崎 泰平の祈りプロジェクト

歴史と素適なおつきあい番外編        2015・12・28

墓参りで岡崎に行ってきた
岡崎ニューグランドホテルに宿をとったら、
市制100年を祝って、その日に光の祭典が行われていた
家康の没後400年と12月26日はお誕生日とのこと
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なかなか幻想的
祈りを込めたプラスチックのボールを流したそうだ

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人々で賑わう岡崎ニューグランドホテル
こんな日に泊まれてラッキー

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こんなお城が

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光って
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お城が忙しい
神輿もでた

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屋台は行列
お目当ての八千代という田楽の店は品切れで早じまい
食事するお店が近くになくて
ウロウロしていたら花火が始まった
ラッキー!!

結局居酒屋も満員で
コンビニ弁当に
市の職員と思われる人々は「市長がきた・・・知事がきた・・・」
と話しながら
彼らは居酒屋に予約済で繁華街に消えて行った

お疲れさまでした
素適な岡崎の夜をありがとう

by gannyan1953 | 2015-12-26 21:42 | 愛知県三河の歴史 | Comments(0)

大山阿夫利神社を訪ねて

中川歴史ウォーキング⑳    2016・2・20(土)


5月21日(土)に開催します。
参加ご希望の方は中川歴史ウォーキング
でお申し込みください



江戸時代「大山詣」で賑わった神社はそのころ石尊(せきそん)大権現と言われていた
ケーブルカーで下社へ

切符の購入:丹沢大山フリーパス「中央林間」で購入 1760円
実際ケーブル片道でも往復1980円かかりますので、フリーパスの方がお得です
購入方法:自動券売機で「フリーパス」にタッチ、そして「丹沢大山フリーパス」にタッチで購入できます


集合:小田急線「伊勢原駅」北口 9:45

伊勢原駅北口4番「鶴巻温泉」行きバス乗車10:05発・・神戸下車・・比々多神社・・道灌の墓・・「道灌塚」大山ケーブル行バス乗車・・良弁の滝下車・・とうふ坂・・昼食・・ケーブル駅(1、2キロ)ケーブル乗車・・下社下車 参拝後解散 ケーブル・バスで帰宅

OPー徒歩で下山・・目型石・・大山寺・・(大山寺からケーブルにも乗れます)・・バスで伊勢原駅



伊勢原
北西に大山1251、7mを頂点に相模川の沖積地になっている。
2万8千年前から人が住み着いたといわれ、気候のよい地域である。
江戸時代家康は戦国時代から僧兵、山伏の巣窟となっていた大山寺の武力を一掃し
再興に資金を与えた。春日局がたびたびお参りしている。
江戸中期になると大山参りが流行し大山道も整備され
門前町として栄えた。

比々多神社 三ノ宮1468
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祭神:トヨクムネノミコト  
社宝:うずら甕 大化元年(645)酒解神(サカトケノカミ=オオヤマツミノカミ)を合祀した際奉納された

創建は神武天皇6年(紀元前654年)大磯に上陸した人々が大山を神体山とし国土創建の神として
祀った。崇神天皇庚寅7年(紀元前91年)神戸(ごうど)を奉られた。
大化元年(645)酒解神二神を合祀、
持統天皇朱鳥6年(692)木彫狛犬一対が奉納された。
天平15年(743)武内宿禰の末裔孫を初代宮司に迎え荘園を賜る。
淳和天皇天長9年(832)に相模国総社冠大明神の神号を賜った。
醍醐天皇(897〜930)延喜式神名帳に登載され「比比多神社」となった。
一之宮寒川神社・二之宮川匂(かわわ)神社・三之宮比々多神社・四之宮前鳥(さきとり)神社・五之宮平塚八幡宮
で相模五社とした。南北朝の時代戦渦により17000坪の社領の大部分を失った。
徳川家康に庇護され社運を持ちかえした。現在は4000坪である。明治になって郷社となった。

この神社は古代文化の発祥といわれ周辺には360基の古墳があった。
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環状列石
ストーンサークル

東名高速道路建設の際古代遺跡「下谷戸環状列石」と縄文住居跡が発見された。
1万年以上前から人々が住んでいたことがわかる。
比々多の地名は日日田と思われ良き田に恵まれたという意味にとれる。



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関東最古の狛犬といわれ木彫りである
三ノ宮郷土資料館(入館料200円)


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隠れ初日の出スポットである
能万寺


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大山道の道標



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三の宮橋を渡って切り通しの道を道灌塚にむかう。



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道祖神




太田道灌の墓
下糟谷の大慈寺に首塚がある。道灌が鎌倉からここに移し、開山は道灌の叔父である。
道灌持仏の聖観音がある。今回は訪問しない。

太田道灌の胴塚



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洞昌院 伊勢原市上糟谷1160 曹洞宗
蟠龍山洞昌院は道灌が中興開基した寺の門前にある

道灌は室町時代の文明18年(1486)扇谷(おうぎがやつ)上杉定正の糟谷にあった居館に招かれた。
そして道灌は定正の手の者に殺され、享年55歳だった。
子孫の伝えた話では風呂場で刺客に襲われ
「当方滅亡」と叫んだという。
道灌は江戸城、川越城の築城者として有名で足軽戦法の先駆者といわれる。
扇谷上杉の家宰(家長に代わり家を収める役職)だった。

殺害された理由

主君の上杉定正は

①28年に渡る享徳の乱が収集し扇谷上杉の格をあげた道灌に
上杉定正は下克上の怖れを抱いた。

②扇谷上杉の力が強くなりすぎて山内上杉が陰謀を謀った。
 「道灌が各地に城を築いているのは両上杉家を滅ぼそうとしている」
  と山内上杉家が讒言したため、怖れを持っていた主君定正は、道灌を殺してしまった。
③北条早雲の陰謀

道灌によって戦乱が鎮まっていた関東に再び戦乱が起こり扇谷上杉と山内上杉が戦ったが
北条早雲により両上杉とも滅ぼされた。

遺体は荼毘に付され宝篋印塔が建てられた。ただ亡くなった年と時期が異なるらしい。
墓前の松の切り株は四十九日の法要に歌人で禅僧の万里集九(ばんりしゅうく)が植えたと伝わる。


七人塚
道灌がおびきだされた上杉館には道灌討ち死にの際
敢然と戦った家臣7名を祀った七人塚が残る。   (いせはら文化財サイト・神奈川県歴史散歩)


良弁の滝
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大山阿夫利神社に参拝する人が身を清めた滝で、大山寺創建の良弁にちなんでつけられた。
良弁は東大寺を開山した人である。
持統3年(689)〜宝亀4年(774) 柒部氏(ぬりべし)=漆部氏=漆を塗る職業の出身。
別説で近江の百済氏の出身で野良作業の母が目を離した隙に鷲にさらわれ奈良の二月堂の杉の木に引っかかっているのを義淵(ぎえん)に助けられ僧として
育てられた。東大寺の前身金鐘寺に住み、後全国を探し歩いて我が子を探していた母と30年後に再開したという伝承がある。
この話は別人ではないかともいわれており史実かどうかはわからない。
義淵に学んだことは事実で聖武天皇の目にとまり大仏建立の功により、東大寺初代別当となった。
石山寺建立に関わり、相模の大山寺を建立したといわれる。
師の義淵の弟子に、玄昉、行基、隆尊、道鏡、良弁が門下だった。(Wikipedeia)


大山阿夫利神社
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2200余年前の十代崇神天皇のころの創建といわれる。
関東総鎮護の霊山として崇敬があった。
山頂には縄文遺跡があり、上社のご神体「石尊大権現」は光り輝く石といわれ
拝観は誰ももできない。
古くは死後の山ともいわれ亡くなった人が依る山といわれた。

祭神はオオヤマツミノカミ・タカオカミノカミ・オオイカヅチノカミである。
大山祗大神は富士山の祭神木花咲耶姫の父で山の神・水の神である。
高龗神は水神で雨を降らせたり止ませたりする神で小天狗といわれる。
大雷神は火災、盗難除けの神で大天狗といわれる。


そして、大山は別名あめふり山と呼ばれ大山に雲や霧が生じ、雨を降らすことから
起こったという。そのため雨乞い信仰の山になった。雨降りの木が頂上にある。


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①頂上にはいつも雲がかかり雨が降る アメフリからアフリになった。
②アイヌ語のアスプリは偉大なる山という意味でアスプリがアフリになった
③古代死後の山といわれたことで葬る=ほふる=はふるからアフリになった
という説がある(画展243号より)

阿夫利神社は明治になってからの名称で古くは石尊大権現と呼ばれ
中腹の大山寺とともに大山信仰の対称となった。

海からも神奈備型の山は目立ち航行の目印になったため
漁師たちからも信仰された。

源頼朝、徳川家康も信仰し武運長久を祈願した。
江戸から眺める山容も富士山と並び愛され
講を組織し年間数十万人が参拝した。(大山阿夫利神社HP)


目型石
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触ると眼病に効くと言われる石。
超古代遺跡としてとらえると
この石には線状に彫られた跡があり
ペトログリフといわれる石である。
4通りの神代文字が刻まれているという。
神代文字で「父なる太陽よ」と書かれているという。
女坂の七不思議の7番目の石である。(日本超古代文明のすべてより)

大山寺
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天平勝宝7年(755)東大寺初代別当の良弁が開山した。
雨降山大山寺(アブリサンタイサンジ)という。
徳一(奈良時代から平安時代にかけて法相宗の僧)の招きにより、大山寺第三世として弘法大師が当山に入り、
数々の霊所が開かれた。大師が錫杖を立てると泉が湧いて井戸となり、また自らの爪で一夜にして岩塊に地蔵尊を
謹刻して鎮魂となすなど、現在は大山七不思議と称される霊地信仰を確立した。
古代信仰を大切にするようにという大師の言葉で頂上の石尊大権現が祀られた。
大師が訪れたという寺は多くあるが、住職を務めたという寺は稀なことである。
文永11年(1264)に荒廃した寺を憂い本尊となる大山不動明王
及び二童子像が鎌倉大楽寺の願行上人により造られた。
以後関東の武士たちの信仰も深かった。
明治の廃仏毀釈で寺は壊されたが不動明王像は壊しにきた人々を
威圧し近寄れなかったという。
明治まで現在の下社の位置にあったがその上に寺は移された。
(大山寺HP)

参考:神奈川県の歴史散歩・山川出版

下見の日天気がよく上社まで登ってみた

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 途中で見えた富士山





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上社裏手に富士山がみえる

見晴し台に寄ってから下社にもどる




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二重滝




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呪いの杉がどれかはわからなかったが1人だったので怖かった




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無事下山  終了
















by gannyan1953 | 2015-12-08 22:04 | 神様の話 | Comments(0)

港北七福神めぐり

中川歴史ウォーキング⑲             2016.1.9(土) 

終了しました

集合:9・45 グリーンライン「高田駅」改札出てベンチのある休憩所
昼食:綱島駅 多くの飲食店あり


興禅寺(福禄寿)・・金蔵寺(寿老人)・・電車(日吉本町から綱島)・・東照寺(布袋)・・電車(綱島から妙蓮寺)・・菊名弁財天(弁財天)・・蓮勝寺(毘沙門天)・・正覚院(大黒天)・・電車(新横浜から新羽)西方寺(恵比寿)歩行距離約8キロ 他にも移動に電車利用する場合あり

興禅寺・福禄寿 南極星の化身、幸福・財産・長寿の神       
                         天台宗 高田駅徒歩15分
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圓瀧山光明院と号し慈覚大師円仁が仁寿3年(853)開山。本尊は円仁自ら刻んだと言われる十一面観音と勝軍地蔵尊である。十一面観音は安産の仏様と親しまれてきた。たびたびの戦渦で伽藍を失ったが元応2年(1320)当時の領主桃井播磨守直常により再興され文化3年(1806)22世證淵和尚によって密教造りの本堂に改築された。明治はじめ「高田学舎」を設立、多くの人が学んだ。境内の石幢(せきどう)について「新編武蔵風土記稿」に、「六面に地蔵尊の刻があり」とある。考古学者は石の幢の一部で石幢であるという。鎌倉時代文保二年直常公寄進による。堂内には本尊十一面観世音菩薩、聖観世音菩薩、阿弥陀三尊、薬師如来、不動明王、地蔵尊、十王像、七福神等、多くの仏像が安置されている。山門の高梁には七福神の彫刻がある。雅楽会は有名で明治時代から続く。(境内掲示参照)
高田天満宮の由来
正中二年(一三二五)五月二十五日夜当地申酉の方より光物が現れ、しきりに震動した。夜に至るも四方昼の如く明るく、光物は遂に当地の山中に鎮り昼夜雷光 乱れ飛び、人々近づくことが出来なかった。時に小蛇梅の若木の下に現れ、異香を放って正く天神に観音の垂迹と思われた。これこそ衆生済度の方便、大慈大悲の誓なりとて、興禅寺弁珠法印先達となり榊の枝を取って前に置くと、小蛇は榊枝の上に留まった。時に領主桃井播磨守直常近く之を見聞し信心止みがたく遂に社を建立せしめ、当所一帯の氏神と仰いだという。大正六年神饌幣帛料供進社に指定された。(神奈川県神社誌より)

金蔵寺・寿老人 不老長寿の神                 
                       天台宗 日吉本町駅徒歩5分
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平安時代の貞観年間(859年~876年)に清和天皇の勅願により智証大師が創建したと伝わる。 寛永寺の末寺として栄え、敷地面積は2万坪を誇った。徳川将軍家の庇護の元、江戸幕府初代と二代将軍である徳川家康・秀忠父子により梵鐘が寄進され現存している。日吉は川崎市と横浜市港北区にまたがる地名で、世間では慶応義塾が日吉校舎の在地として通っている。幕末から明治前半にかけてこの地には駒林、駒ヶ橋、矢上、箕輪、鹿島田、小倉、北加瀬、南加瀬、苅宿、木月の十部落があった。明治22年町村制でひとつの村名を決めかねた末、東の三井寺といわれた駒林金蔵寺の裏山に霊験あらたかな日吉山王権現が鎮座され当寺第31代漢学者岩村真道師により日吉村と名づけられた。昭和14年横浜市神奈川区に編入、昭和16年港北区となり日吉村は消えた。境内にキリシタン灯籠がある。これは織部式灯籠ともいわれ、同じものなのか定説はない。全国に多く存在する。織部は戦国武将で千利休の弟子で「織部焼き」を残した人物。織部式灯籠も織部が作らせたものといわれているが、織部がキリシタンであったかどうかも定かではない。織部式灯籠がキリシタン灯籠と言われるようになったのは、大正12年(1923)頃からで、静岡の宝台院の一基に人物像があることから静岡の教会のフランス人司祭に見せたところカトリックの聖人像でローマ法王の法服と似ていると言ったことからキリシタン灯籠といわれるようになったらしい。

東照寺・布袋 慈恵(いつくしみ)と和合の神、予知と金運の神    
                       曹洞宗  綱島駅徒歩3分
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慶安2年(1649年)に大曽根の大乗寺の三世生外意鉄大和尚によって開かれた。 本山は永平寺と総持寺で九州鹿児島の薩摩藩主、島津公の信仰が厚く、本堂内に島津斉宣公筆の額がある。 歴代の住職も薩摩藩の武士の出身が多くいた。江戸の商人たちの信仰も厚く、境内にその人たちの名を刻んだ石の手洗いがある。

菊名池弁財天・弁財天 女神、音楽の神、芸事の神、財宝の神     
                       日蓮宗 妙蓮寺駅徒歩3分
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菊名池


平安時代より灌漑(かんがい)用水として大切にされてきた。池には龍神伝説がある。弁財天が祀られたのは夢を見て祀ったそうだが、この菊名池の龍神伝説を調べても内容がわからない。ところが「だいだらぼっち」が菊名池を作った。かっぱも大蛇もいたという話がでてきた。(大倉精神文化研究所のサイトから「押尾寅松さんの昔話」より)鶴見川周辺の製鉄を伺わせる伝説だと思う。

蓮勝寺・毘沙門天 勝負事の神、戦闘の神    浄土宗 菊名駅徒歩3分 

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1315年(正和4年)に開山したとされ、山号の「菊名山」が菊名の地名の由来となったともいわれる。本尊は阿弥陀如来。毘沙門天王像は鎌倉時代の仏師運慶の作とも伝えられる。地震を予見するといわれる石猿がある。



正覚院・大黒天 穀物の神、商売繁盛の神 
              
                     曹洞宗 新横浜駅徒歩5分 
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足利時代の末、天正元年、暁堂元龍(ぎょうどうげんりゅう)大和尚により創建された。本尊は十一面観世音菩薩。現在の本堂は1961年(昭和36年)の建立。境内の裏山には金子出雲守の出城(篠原城)跡がある。

篠原城
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2010年に訪れたときは道も人が歩くのがやっとで、洗濯物など干してあって写真にとれなかった。現在中には入れなくなったがこうして案内板が立てられていた。まぼろしの城でなくなったのは残念だが公開日にはぜひみてみたい。篠原城は、小田原北条家の拠点であった小机城配下の城であったと考えられるそうだ。北条家の家来筋の金子出雲という武士によって治められ金子城ともいわれた。「金子出雲と薬師如来」長福寺によると、金子出雲は元成田衆で小机衆に属すという。
成田衆は武蔵忍城主成田長泰の一族がもともと後北条氏以前から小机周辺に住んでいて、その配下に金子氏がいたという。


西方寺・恵比寿 田の神、かまどの神、商売繁盛の神          
                     真言宗  新羽駅徒歩5分

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1195年(建久6年)鎌倉に創建された寺で、1495年(明応4年)に現在地に移転。本尊は阿弥陀如来。頼朝が東大寺の別当の僧勝賢に帰依し勝賢は鎌倉の笹目(鎌倉大仏の東あたり)に西方寺を創建した。その後極楽寺の近くに移され新田義貞の鎌倉攻めのとき新羽に移されたという。鶴見川は満潮時になると船も速く新羽までくることがたやすく、鎌倉との交流も便利だった。この地は昔観音の山と呼ばれ十一面観音があった。それをしのぶ観音堂がある。かやぶきの山門や本堂が美しく、四季の花もみられる。


参考:しちふくじんHP・港北区区民利用施設協会の七福神案内図・金子出雲 お寺のHP

次回 2月20日(土)9:45 小田急線「伊勢原駅」 北口に集合
   「大山阿夫利神社を訪ねて」

by gannyan1953 | 2015-12-06 23:53 | 神様の話 | Comments(0)



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