歴史と素適なおつきあい

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東国三社めぐりに行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編  2016・4・29

四季の旅のバスツァーで東国三社めぐりの旅

息栖神社
香取神宮


鹿島神宮に行ってきた
     



神宮は皇室ゆかりの神社につけられる
創建は神武天皇で
BC600年ころ

祭神は武甕槌大神(タケミカヅチノカミ)

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一の鳥居


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二の鳥居

実は東日本震災で大谷石の鳥居は倒壊した

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御手洗池のそばに笠木に使われた木株があった

今度は木造の鳥居が再建された

鳥居をくぐると

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遥拝所

坂戸神社 祭神はアメノコヤネで藤原氏の祖
沼尾神社 祭神はフツヌシノカミでタケミカヅチに同行した

この二つの神社は鹿島神宮とともに

鹿島天大神

と称されていた


まわりに摂社が多くある

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津東西社 たかおかみ・くらおかみ

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 祝詞社 ふとだまのみこと


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熊野社  いざなぎのみこと


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須賀社 すさのおのみこと

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これはハート

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これはミッキーマウス

ハート模様は古来からの文様で猪の目(イノメ)という
ミッキーマウスもイノメ

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確か明治神宮にも金色のイノメがあった
写真は鹿島神宮


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楼門は寛永11年(1634)徳川頼房寄進
徳川頼房は水戸家藩主で水戸黄門のお父さん

日本三大楼門のひとつ

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拝殿

徳川秀忠の寄進で北向き

なぜかというと鹿島神宮は蝦夷征伐の拠点になり、
蝦夷威嚇のため北を向く
本殿では祭神は東を向いている

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本殿の後ろに大きな木がよりそう

ここに鏡石といって磐座があるが
見学不能

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鹿島神宮のサイトより


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高房社 タケハヅチノカミで拝殿の前に拝むとされる
もう遅い・・・さっき拝殿拝んでしまった

タケミカヅチが派遣した神


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修理のとき神様をお遷しする借殿

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5月1日の流鏑馬準備中の参道

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さざれ石

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鎌足由来の桜

ここで藤原鎌足が登場する
教科書にのる有名人だが、出自ははっきりしない
蘇我氏を失脚させるため皇室内の人々を物色、
中大兄皇子を選んでそのブレーンになる。
乙巳の変(いっしのへん)を起こし蘇我入鹿を宮中で殺害、
父の蘇我蝦夷は自刃

つい最近明日香に行ってきたばかりだ
確か藤原鎌足の生誕地もあった・・・・

この鹿島も生誕地といわれている

こんな風にどっからきた人かもわかっていない

その藤原氏が奈良に鹿島の神様を勧請した
春日大社である



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鹿さんは奈良の春日大社遷宮の折1年かけて
神様をお遷ししたのだという

奈良の鹿せんべい大好きな鹿さんの先祖


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けなげな鹿だねえ

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かなりかっこいい奥宮

ドラマ「あおによし」で最初にでてきたところ

あのドラマ大好きで鹿島神宮と春日大社まで
ロケ地めぐりに行ってしまった・・・

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鯰をふみつけるタケミカヅチ


そうだ・・今日ここを訪れたのは

熊本の地震が少しでもいい方向に向かってほしく
お参りにきた


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要石


地震を起こす鯰の頭を押さえ込んでいる石

こっちは凹

香取が凸でしっぽを押さえる


中央構造線が鹿島を通っているのではと考えるので

構造線のずっとさきっぽが
熊本にあたる

それで鹿島にお参りにきた訳


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奥宮に戻ると・・・気持ちいい・・・


坂をずんずん下りて行く

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御手洗池にかぶさる龍のような樹


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湧き水
ぼのぼの(マンガ)のしまっちゃうおじさんの
石組みに似てる
孫を湯船にいれてしまっちゃうよとふたをすると
無茶苦茶喜ぶ
昭和のマンガがわかる孫である




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出典 blogs.yahoo.co.jp



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大黒社


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御手洗から入ることができその鳥居の跡かな

つぎは

息栖神社



























by gannyan1953 | 2016-04-30 10:37 | 平将門・鉄・秩父・神社 | Comments(0)

秩父に行ってきた

歴史と素適なおつきあい     2016年4月7・8日(木・金)



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羊山公園は桜が満開


女子6人旅 ついついきゃぴきゃぴして

電車などご迷惑かけたことと思います・・・

桜がとてもきれいで雨があがると幻想的な

霧がでて秩父を満喫しました 


費用:ジャンボタクシー2日貸し切り  一人分10800円

   ホテル 8050円

   夕食各自だったが私は3800円 飲み過ぎたかな・・・

   交通費 特急使って往復4400円

   その他みやげや昼食2回分で5000円 くらい


秩父錦の霞という季節限定の日本酒ゲット!

       


集合:西武秩父駅 4月7日(木)11:00


7日(木)

秩父銘仙館(9時〜16時・200円)・・(丸通タクシー)聖神社

・・和同開珎・聖神社・・・宝登山神社・・道の駅龍勢会館・井上邸・秩父事件(200円)

・・(椋神社)・・・音楽寺・・・羊山公園


ホテル「ルートイン秩父」1人8050円(税込み)

8日(金)

8:30ホテル出発(丸通タクシー)

栃本関所・・・三峯神社・・(九十九神社・・桔梗塚・・・酒づくりの森



7日

西武鉄道の遅れで予定より遅く始まったが

丸通タクシーさん頑張って回ってくれた


お昼は西武秩父駅近くの天ぷらやさんで

ごま油であげた天丼海老もあるのが500円!!


美味しゅうございました




ちちぶ銘仙館  ちちぶ銘仙館

秩父の織物、銘仙など民俗学的に貴重な資料を収集、保管している。




聖神社   聖神社

慶雲5年(708)に自然銅が発見され、和銅改元と和同開珎鋳造の契機となった神社。

銅の献上を喜んだ元明天皇はここに金山彦尊を祀った。


この神殿がのちに聖神社となった。


神宝は銅の蜈蚣(むかで)である。


社殿は市内の今宮神社から移築したもので彫刻がある。

発見採掘者は渡来人といわれている。


日下部宿禰老(くさかべのすくねおゆ)・

津島朝臣堅石(つしまのあそんかたしわ)

金上元・金上旡(こんじょうがん・・こんじょうむ)

という名が残る。

和銅山の主峰蓑山には知知夫国造の故事が伝わる。

雨が続き祈晴祭を国造がこの山で行い蓑を置いたことから

蓑山と名付けたという。

和銅とは精錬を必要としない自然銅のことでニギアカガネ(熟銅)と呼ばれ、

和銅山には100mを超す二条の断層面があり、当時の露天掘りの跡である。



この和銅で唐の開元通宝を模して「天地和銅」「万物和銅」などの言葉をもとに

和同開珎」が誕生した。

秩父駒で奈良の都へ銅を運んだ羊太夫の話、銅産出地特有の植物「花筏」、

一葉羊歯(ひとつ葉のシダ)が和銅山にあるという話が伝わる。



宝登山神社   

宝登山神社
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道の駅龍勢会館

龍勢とはその昔,宇宙に魅せられた山の民が英知と感性で考案し、

27流派により脈々と守り伝えられた手作りロケットである。


井上伝蔵邸  秩父事件

映画「草の乱」で復元された井上伝蔵邸を秩父事件の資料館として公開されている。

明治代秩父の生糸出が盛んになった。

代半ばから秩父が好だったが、幕末になり、生糸が出されるようになってから
秩父も生糸出に参加し、世界につながるに大きくわった。
フランスの蚕の病で一に日本の生糸が多く出されることになったからである。
秩父は信州などと比べ生糸出に偏っており、

もともとフランス市とのびつきがく、秩父最初の小学校はフランスの援助で建てられている。
幕末にフランス式兵法を取り入れたとき、算もフランス式を取り入れていた。

明治になって、小学校の算もフランス式であったという。

そのためフランス大使書記官が秩父をれているほどで、

小学校のフランス式算をみて感していたという。フランスとの取引が多かったため、

1882年リヨン生糸取引所の生糸 大暴落の影をよりくうけることになった。
家は生糸のり上げをあてにして借金をし、

設備や当面の生活に充当していたので、生糸の暴落はすぐに生活の困を深め、

状につけんだ行、高利しがさらに生活を悲惨な状にした。
例えば100万借金すると二分切りで、手取り80万、さらに1年後は金利275%で

220万の借金になった。えたところで、行や高利しは工をして、

悪徳なやり方だと裁かれることはなかった。
税については、明治になり、地租改正で税を金でめることになったので、

作物を金化してめた。政府は西南争の出うため税を税した。

そして秩父の新道建せられ、ひとときでもかな思いをしてきただけに

生糸の暴落、借金返税は秩父の人々の身にこたえた。これが秩父事件につながっていく。

「恐れながら 天朝 するから しろ」 

明治17年11月1日、自由民を唱え民が蜂起!秩父事件という。
秩父市下吉田の椋神社に3000名が集し、大を目指して進軍始したが・・・

要求は借金返の延期だったが、められなかったからである。

真っ先に高利しを文を却している。
彼らは11月1日、椋神社で困民二大成、五ヵ条の律を定め、

一般の住民に危害を加えることをしく戒めた。

2日、大に入って郡役所を占、3日荒川河畔でと交して退、

4日5日上州金屋と粥仁田台兵と交したが破れ、本は解散した。
だが、一は十石をこえて信州に、9日の東馬流の戦闘を最後に走した。
蜂起参加者は最盛8000人とも1万人ともいわれるが、

有罪判を受けた者3390人

(最高部は死刑か役)、

調書に名を残した者4200人である。
明治政府は、この戦闘で死亡したり負傷したりした人や警察官の遇にあたって、

これを西南の役にずる「争」としてい、その末の告は

大政大臣から明治天皇のもとにまで届けられている。
この武装蜂起で発揮された秩父民の天性や高したエネルギ

それと、より良い未来をめざした志は、今もなお多くの人々に感をあたえている。

(秩父会吉田町支部HP



秩父事件が起こる前、全国で数々の暴がすでに起きており、

政府も焦燥感を募らせていたので、秩父のへの対応しいものになった。

反や律を守るためのが派遣されており、

政が明治政府の国のあり方だったのかといわれている。
困民党は鉄砲隊、竹槍隊から成っており、

鉄砲といっても(ほとんど火)で、200丁弱だった。

山の中で火っても政府からえてしまい、は50mだった。

する政府は明治13年に作られた国の新式村田は1800m

火力の差は然としていた。


後、天朝に逆らった逆として秩父はく口をざすことになる。



椋神社 (吉田)

祭神:猿田彦大神槌命津主命屋根命
景行天皇の、日本武尊征の、矛を杖にして山路を越え、

この吉田町の赤柴まで来ると、矛が光を放ってんでいった。

尊は不思に思って光が止まったところまで行ってみると、

井ののムクの木から猿田彦命がれ道案内をしたというから、

尊は持っていた矛を神体として猿田彦命を祀ったことに始まる。

井椋様(いくらさま)と呼ばれしまれていたが、

ムクといわれることが多くなり「むくじんじゃ」となった。


神社としては和3年(710)に社殿が造されたのを始まりとしている。


国時代、秩父神社と同に永禄12年(1569)に

武田信玄によって失した。天正3年に形城主北条氏邦によって再建。

本殿は永4年に修理された。
明治17年の秩父事件を起こした秩父困民党の集結地になった。

龍勢が奉納される。戦国期ののろしの名残ではないかといわれる。(秩父の古社巡り)



芝桜の丘  羊山公園

秩父のシンボルともいわれる武甲山(1,304m)の麓にある羊山丘陵の斜面を利用して

々な色の芝み合わせて植えられ、

文字通りの「花のパッチワク」といわれる。

植作が行われ、さは17,600平方メトルにがり、

ピンクや白、紫色など9(ハナシノブ科フロクス属)40万株以上となる。

来週から芝桜のお目見え・・・まだぼちぼちの芝桜だったが

桜がすごい!



音楽寺   音楽寺

秩父札所23番で小鹿坂峠の中腹にある。

縁起には天長年間(824〜834)慈覚大師が当地に霊異を感じ堂宇を建立、

観音像を刻んだという。

秩父事件では椋神社に集結した3000人の民衆が武装蜂起し2日目にここに集結、

梵鐘を打ち鳴らし大宮郷に乱入した。

峠を登ると13体の地蔵が並び十三塚といわれる。

武甲山を背景に秩父観光のポスターによく使われている。


秩父神社   秩父神社

崇神天皇の時代、知知夫国造の知知夫彦命が祖神の

八意思兼命(ヤゴコロオモイカネ)を祀ったことが始まりとされる。

祭神は八意思兼命・知知夫彦命・天之御中主神・秩父宮雍仁の4柱である。

学業成就と縁結びにご利益があるとされる。

見所は、神社の東北(表鬼門)を守護する

青龍(つなぎの龍)・三猿・子育ての虎・北辰の梟(ふくろう)。

おみくじには水占と繭みくじがある。


秩父を舞台にしたアニメがあり、アニメの絵馬が多くみられる。

あの日た花の名前を僕達はまだ知らない・心が叫びたがってるんだ)





8日 8時半タクシーで出発



麻生加番所跡 秩父市大滝1316

栃本関所だけでは警備が手薄になるとここも加えた。

現在その時の関番の千島家が住んでいる。




栃本関所   栃本関所

小田原北条氏が秩父に進出してきたことを武田信玄は警戒し関所をおいたのが始まりである。

ここは急峻な道なので小鹿野から十国峠を越える道を利用したので、

結局戦いなど行われることはなかった。(秩父往還道)

江戸時代に入ると、武州から甲州、信州方面へ通じる秩父往還の最奥に設けられた関所で、

慶長19年(1614)に関東郡代伊奈氏が、

この地に逃れ住んでいた武田勝頼の家臣大村忠昌を関番に起用した。

以来明治維新まで250年余り、大村家が関番を勤めた。(じゃらん旅行ガイド)


秩父往還は日本の道100選に選定されている。




三峯神社   三峯神社

祭神は伊弉諾尊(イザナギ)・伊弉冉尊(イザナミ)である。

景行天皇の時代、日本武尊が東征し、甲斐から上野そして碓井峠へ向かう途中、

ここに立ち寄り、この地の清々しさに宮を造ったことがはじまりである。


文武天皇の時代、役小角(えんのおづぬ)が伊豆を往来しこの地の修験道が始まった。

淳和天皇の時代、弘法大師がやってきて十一面観音を刻み、

宮の脇に本堂を建てた。神仏習合の始まりである。

鎌倉武士に崇拝されていたが、新田義興が足利氏を滅ぼすため、

ここに身を隠した。新田が滅びたので足利氏に社領を奪われ衰退した。

1533年天台修験の関東総本山となって隆盛した。

江戸時代になるとオオカミ信仰が流行し三峯講が栄えた。

見所は、30基に及ぶ御眷属、三ツ鳥居・ご神木・本殿左の石畳に浮かぶ龍・遥拝所など。

博物館には三峯講の資料やオオカミの毛皮がある。



桔梗(埼玉秩父市大大血川部落)桔梗塚 九十九神社



国道140号を太寺に向かう途中、左に高い位置に民家、畑がある。

将門の妾だった桔梗姫が自害した所である。



九十九神社(きゅうじゅうきゅうじんじゃ)(埼玉秩父市大
国道140号を太禅寺に向かう途中、秩父源流水の工を過ぎ、

すぐの小道にある。
道路からはみえない。

の妾桔梗は将亡き後一族をれてこの地まで逃れてきたが

追手の探索に逃げられないと悟し自害した。

の妾たち、家来、付き人たちが九十九人次々と自害したので、

川は七日七血に染まった。それからこの川を大血川と呼ぶようになった。



酒づくりの森
ここは八尾氏が代々やっている酒造で
近江商人の出自である

お客様にもやさしく酒造りの大切なお米を
飢饉のときには供出したので
秩父事件の困民党はこのお店は焼討ちなどしなかった

すごいですね・・・

締めはやはり「秩父事件」でした







by gannyan1953 | 2016-04-25 11:50 | 平将門・鉄・秩父・神社 | Comments(0)

洞村

歴史と素適なおつきあい番外編  2016・4・23

奈良県の旅の途中
洞という地名を見た気がした
橿原のどこかにあるのだろうか・・・・

本が思い出せない・・・沢史生さんの本じゃなかったか

洞は「ほうら」といい、明治まで神武天皇の墓守をしてきた人々が
住む村だったという

被差別部落といわれ 畝傍山の中腹にあった

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ウイキペデイアより



明治になって建国の祖神武天皇陵を比定するにあたり
天皇陵の近くに被差別部落があるのはよからぬことと
移転した

この移転が強制だと騒ぎになったらしいが
実際の所天皇陵は畏れ多いと
自ら移転したという


 そのほうらの地名の由来が
畝傍山の上から「ほうら」「ほうら」と
まつろわぬ人(従わない人)を
投げた
という記憶が蘇ってきた

キャー!怖い

ホントの所は
屠る ほふる 動物の供え物
 葬る ほふる 葬ること 
祝る はふる 神職のこと
などから訛って
ほうら じゃないかと
 
もうひとつ
神武天皇が崩御し洞に入って殉死した
その後裔が
洞村の人々だった



そもそも天皇陵というのは
明治になって誰天皇の墓はここかな?
と決めていったらしい

ここも洞村があった丸山と
ミサンザイと迷ったあげく
ミサンザイになったらしい

守ってきた人たちのそばにある
丸山の方が天皇陵っぽい
気もするが・・・・

文献を思い出したら追記します



by gannyan1953 | 2016-04-24 15:26 | 奈良県の歴史散歩 | Comments(0)

明日香に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編    2016・4・13

橿原神宮駅から明日香周遊バス「赤かめ」に乗って石舞台へ・・・
チケットはバスでは買えず近鉄窓口で購入・・650円

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明日香の大堂
石舞台
蘇我馬子の墓といわれている
方墳で盛り土がなくなっているのでこの姿なのだ
私が小さい時(小学生・・・50年前)は上に登ってお弁当食べた気がする

そして
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中には蛇がいた

今やお食事どころもあり、人が次から次へと
訪れる

蛇さんゆっくりしていられない・・・

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ここに蘇我馬子の名はない
墓の主は馬子らしい・・・だからだろうか


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バス停からの景色で遠くに二上山が見える
前からこの山の風景が好きで夕日の二上山はとても美しい


二上山について
聖徳太子が古墳はあの山の向うにしようと
以降古墳は二上山の向うに造られた
あの山には最古の官道があり「竹内街道」という
シルクロードから大和に続く道といわれる
司馬遼太郎の「街道をゆく」
五木寛之の「風の王国」ではサンカが山登りをする様がすごい

大津皇子の悲しい物語もあり頂上に確かではないが墓がある
会ったこともないのに美しい皇子だったのではないかと想像し
以前墓参りもした
折口信夫の「死者の書」は古代へのロマンを掻き立てられ
それから奈良が大好きになった

明日香に戻らなくては・・・・

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 聖徳太子の誕生地「橘寺」へ

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聖徳太子の愛馬「黒駒」

昨日歩いた今井町に聖徳太子が
黒駒のために掘った井戸があった・・・

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本堂

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怖い顔
悪面・・ゆがんだ顔
といわれる

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笑う顔
善面
なんかこれも怖い・・・


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合体して二面石


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歌人会津八一の碑があった
彼は斑鳩に魅せられ聖徳太子の黒駒に会いにきたのか

橘寺は聖徳太子誕生の地といわれる

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バス停さがしていたら川原寺跡にきた
かわらじという

天智天皇建立と伝わる


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亀石にむかう途中の天王社


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かわいい
亀が好き
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2月29日に22歳のピースケが亡くなった
この旅から帰って一週間後
かわいいピースケが我が家にやってきた

まだ2センチくらい
ちょっと元気がなくなって
困っている・・・


食事できる店がなくてバスで石舞台に戻った

夢市茶屋

古代米のお膳が美味しかった

近鉄で京都にもどり
新幹線にすぐ乗らず
近鉄構内の喫茶店で駄弁る駄弁る
駄弁まくって・・・
帰宅

楽しかったなア





















by gannyan1953 | 2016-04-24 14:06 | 奈良県の歴史散歩 | Comments(0)

橿原神宮に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編   2016・4・12

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八咫烏・・神武崩御2600年のイベント

さて橿原神宮とは

日本建国の祖「神武天皇」は天照大神のひ孫にあたり
西(九州)にいること
179万2470余年経っているのに
充分統治されていないと言って
東に向かい苦難の末
畝傍山南東に橿原の都を作った
紀元前660年に即位した


明治になって建国の祖を祀るため
明治23年橿原神宮が造営され鎮座した


橿原神宮には

過去2回きているが、いつも早朝
靄がかかって幻想的なのだが、今回は夕方
人も多い

東京から来た観光協会関係の方が
話しかけてきた
奈良県の観光パンフレットを
準備しているところで
いろいろもらった
すべて立派なもので旅に誘われる
その方がいわれるには奈良は閉鎖的で
この観光資源を売り込む気が少ない
残念だと・・・

全く同感ですが
京都に比べて不便だけど
人が少なく文化遺産は魅力的
私的にはこのままでいいかな・・・
静かな奈良県だから訪れるのに

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深田池に浮かぶモニュメント
夜になると燈がつくらしい



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長山稲荷

暗い!

すごい雰囲気で友人は「やだというが、
引き込まれるように入って行く・・・

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少し明るくなってきた

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長山稲荷は橿原神宮ができる前から
この畝傍山のふもとに鎮座していた

いわば地主神だ

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帰り道も明るい

とっても気持ちよかった

強力パワースポット認定




夜はホテルでグダグダ・・・・
せっかくの神武天皇崩御2600年の行事やっていたけど
でかけずホテルでグダグダ

続く
明日香に行ってきた









by gannyan1953 | 2016-04-24 12:59 | 奈良県の歴史散歩 | Comments(0)

今井町に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編   2016.4.12

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朝がきた
ロケ地

今井町とは・・・

平安時代今井荘からはじまり
戦国時代信長と敵対する一向宗布教の拠点となり
明智光秀の取りなしで武装解除
秀吉の頃今井町となった

秀吉も訪れている
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東に飛鳥川が流れ
聖徳太子が名馬黒駒とともに通い
水を飲んだ場所がある

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井戸が残っている

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こん大きな榎がある

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屋根に小さい建物が見える
いろりやかまどの煙出しである。

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突然
あさちゃん登場

びっくりした

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この建物は今井家

あさちゃんは今井家の出だけど、
三井家が本当だから
語呂合わせ?

でも楽しかった

ちょっと一言
ホームページでお食事のお店の休みの日もチェックしたのに・・・

軒並み休み!

順番に休んで欲しい
食べる所なくて飢えた友人に
悪かった・・・

続く
橿原神宮


by gannyan1953 | 2016-04-14 21:28 | 奈良県の歴史散歩 | Comments(0)

桔梗塚

歴史と素適なおつきあい 秩父旅行

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桔梗塚(埼玉県秩父市大滝大血川部落)

国道140号線を太陽寺に向かう途中、左側に高い位置に民家、畑がある。桔梗塚の標識あり。
桔梗が自害した場所。

幸島家(埼玉県秩父市中津川)(210号線中津川キャンプ場近く)
大滝村落合は荒川と中津川の合流点で将門残党を追った追討軍は中津川から流れてきた大きなわらじをみて捕らえられたのが猿島一族でのち生き残った一族は幸島という名に変えて土着した。
のちに平賀源内が鉱山開発のため当家に立ち寄ったという。


九十九神社(きゅうじゅうきゅうじんじゃ)(埼玉県秩父市大滝)

国道140号線を太陽禅寺に向かう途中、秩父源流水の工場をすぎてすぐの小道にある。

道路からはみえない。

将門の妾桔梗姫は将門亡き後一族を連れてこの地まで逃れてきたが追手の探索に逃げられないと覚悟し自害した。
将門の妾たち、家来、付き人たちが九十九人次々と自害したので、川は七日七晩血に染まった。それからこの川を大血川と呼ぶようになった。


by gannyan1953 | 2016-04-09 15:48 | 埼玉県の歴史散歩 | Comments(0)

羊山公園

歴史と素適なおつきあい  秩父旅行


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4月7日夕方

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4月8日早朝

ホテルから徒歩25分くらい
ひたすら登る


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羊山に向かう道

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帰り道
秩父の町はまだ霧の中

by gannyan1953 | 2016-04-09 15:12 | 埼玉県の歴史散歩 | Comments(0)

音楽寺

歴史と素適なおつきあい  秩父旅行


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秩父事件
困民党はここの梵鐘を鳴らし
大宮郷(秩父神社あたり)に向かった

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好きな場所
今回お地蔵様の帽子が古くわびさびありすぎ

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将門を訪ねてときは赤い帽子だった・・





by gannyan1953 | 2016-04-09 15:04 | 埼玉県の歴史散歩 | Comments(0)

秩父神社

歴史と素適なおつきあい  秩父旅行

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説明のない石が気になる

江戸時代からあるらしく

大きな石が近くにあったので
運んだ・・・

でももっと気になる

「神降石」

「御降臨石」

「生き石」

という名があった

立派な名ではないか

一番気になったということは
この石がパワーの源ってところでしょうか






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諏訪神社が摂社にあるのだが、ここには一柱しかない
諏訪大社に倣い例大祭に登場する

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そしてちちぶまつり会館へ

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道案内の神様
猿田彦

なんか好きだな

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昔の武甲山

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御旅所の亀様





by gannyan1953 | 2016-04-09 14:57 | 埼玉県の歴史散歩 | Comments(0)



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