歴史と素適なおつきあい

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アラハバキ

歴史と素適なおつきあい番外編     2016・7・29

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お墓参りの帰りに愛知県三河の本宮山に行ってきた
車で登れる
スカイラインは無料である

砥鹿神社奥宮がある

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本宮山の伝説

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山頂は岡崎市、新城市、豊川市の市の境で
アンテナがすごい

最近どこにいっても神様の山に崇敬がない

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末社になっているアラハバキ神が本当の祭神だった・・

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かなり大きい

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樹齢千年といわれる杉のご神木

このあたりに山登りの人々が到着するので
人が多い

トイレはちょっと怖いどぼんトイレだったのでパス

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奥宮

この横に神職の方々がおられ
なぜ現在アラハバキ神ではないのかと聞いてみたが、
元の神様はアラハバキです!と繰り返し言われた

今あるアラハバキ社は大きなものすごく大きな岩にあり、全体を見るには
その裏に行くといい・・・

とあとで聞いた

もう一度戻ることも1人ではなかったので
あきらめた

残念

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気の向うにみえる岩

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アラハバキ社



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山中にある岩
これも磐座なのか?


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山頂


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山頂からの景色


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下山して里に下りた砥鹿神社


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境内の外にあるアラハバキ神社

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戦争の爆撃跡が残る鳥居

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この鳥居は奥宮遥拝の場所だった












by gannyan1953 | 2016-07-29 18:42 | 神様の話 | Comments(0)

ぐるり吉田新田

歴史と素適なおつきあい番外編  2016・7・27

吉田新田一周を孫と挑戦! 約4時間歩行

吉野町9:10・・三ノ宮日枝神社・・堰神社・・山王橋9:30・・
太田橋9:44・・黄金橋9:45・・長者橋10:00・・長者橋渡って日ノ出橋裏山の石碑
・・長者橋もどってローソン裏手の井戸10:35・・関内11・00・・
昼食「ゆで太郎」でソバ昼食11:05〜11:30
・・石川町で中村川に沿って右へ・・吉野橋12:45・・山王橋12:47


コースは少し間違えており横浜スタジアムや市役所はまだ海の中で
長者橋から次の桜橋で右に行くべきだったと思う

根岸線をくぐってしまうとそこは海・・・だった
ランチは海の上でしたことになる


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「マイナー史跡めぐり」より
   
吉田新田は江戸時代前期に吉田勘兵衛により
新田開発のために埋められた
当時は入江になっていて歩いてみると左右には
高台があり地形がわかる

吉田勘兵衛は明暦の大火のあとの
復興で材木を扱い資金を作った


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三ノ宮日枝神社

吉田勘兵衛が作った

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創建当時の手水鉢


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堰神社

堰を守るための神社だが、今では咳の神様


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山王橋

日枝神社は昔山王様といわれた


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 日ノ出町裏山にある埋めるための土を
とった場所


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 こんなに高い

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進むともっと高い
ここが頂上

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長者橋にもどりローソンあたりが
吉田勘兵衛旧宅跡
まわりこむとビルの谷間に井戸がある
その井戸は水が清らかだったという


ここから桜橋に向かうが
線路はくぐってはいけないが
くぐってしまった

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向うの陸橋が関内駅
あのむこうを歩かなければいけなかった・・・

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石川町にむかう途中

ここは海の中

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大好きな製鉄所

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亀の橋
中村川にやっとついた

ここを右に曲がる

ここからは途中道がとぎれたりして橋を渡ったりして
道が少し面倒


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ぬれ地蔵


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三吉橋にあるレトロな商店街

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三吉演芸場


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赤い鉄骨の橋
水道橋


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 埋蔵文化センター
無茶 廃墟風

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吉野橋

終了

感想は

日ノ出町からは歓楽街で大人の町

全体に道はゴミが多く

孫の感想は道が汚なかった・・・・








by gannyan1953 | 2016-07-27 15:37 | 神奈川県の歴史散歩 | Comments(0)

曙橋 刑場

歴史と素適なおつきあい番外編  2016・7・23

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富久児童公園の片隅にある慰霊塔


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階段をあがったところが余丁町児童公園
ホームレスがたむろしている
もうすぐ盆踊りが行われる

余丁町と富久町の公園が隣接していることになる

碑は弁護士会によって建てられており
その場所が刑場だったという

この公園をふくめ道路建設予定地となっている
碑の場所は動かないかもしれないが


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地元の人は10年前から建設すると聞いたが
説明もなく土地が確保されるのかどうかもわからない

永井荷風亭跡の前の道路ももっとせまく
(放射路6号線)
店が多く並んでいたが、
店は道路の拡張のためになくなって
なんにもない道になっちゃった・・・・

とのこと




このあたり監獄があった。
明治8年(1875)に小伝馬町から市ヶ谷谷町監獄が移転してきた。

明治36年(1903)に八重洲の鍛冶橋にあった監獄が
東京駅をつくるためここに移転してきた。

市ヶ谷監獄と東京監獄が並んであったことになる。

後に市ヶ谷刑務所となり昭和12年(1937)まであった。
その後刑務所は巣鴨に移り戦後GHQに接収され
巣鴨プリズンとなった。

市ヶ谷監獄では高橋お伝が処刑されている。
東京監獄では明治44年(1911)に幸徳秋水ら
大逆事件の人々が処刑されている。
甲州街道を歩いた② 大逆事件

刑場跡といわれる場所の
富久児童公園に慰霊塔がある。


青峰観音 市谷台町13−2

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曙橋から抜け弁天にむかう道にある
坂をもう少し登ると旧永井荷風邸がある

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かわいい観音様であるが、慰霊のための観音様といわれる

高橋お伝は最後の打ち首になった処刑者で
毒婦といわれた
これも調べてみると事実ではなく
脚色された話らしい

ちょっと男運が悪かった

四谷怪談のお岩さんもほんとは
お化けになるような人物ではない

ちょっとディープな四谷散歩 
お岩稲荷の項参照

マスコミは怖い・・・

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高橋お伝
なかなか美しい人である







by gannyan1953 | 2016-07-24 17:08 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)

ゼニガメ ピーちゃん

歴史と素適なおつきあい番外編  2016・7・17

新しくゼニガメ ピーちゃんがやってきました。
2016年6月生まれで国産です


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病気にならないよう細心の注意をはらって
育ててます

by gannyan1953 | 2016-07-17 10:21 | ゼニガメ ピーちゃん | Comments(0)

荏田村の地名

歴史と素適なおつきいあい番外編

荏田宿

江戸時代初め宿駅がおかれた。

文久3年(1863)に3軒の旅籠と30軒ほどの商店が
あったという。


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残念なことに明治になって大火があり宿は焼失した。

この常夜燈が唯一の名残である

文久元年(1861)に
小泉伝次郎が再発願者となり寄付を受けて
つくられた

番小屋跡・大橋跡

大山道の旧道は大橋を渡って向こう岸を荏田宿に向かっていた
現在大橋はないが、そこには
生麦事件のあとに設置された番小屋があった。
外国人を守るための関所である。

番小屋ではなく番所は川崎宿から保土ヶ谷宿までの間に
20カ所設けられたという。

ここの記録はまだ見つけられない。



渡辺華山の来宿

渡辺華山は天保2年(1831)藩主の母「お銀様」を訪ねるため
大山道を歩き「游相日記」を著わした。
有馬の山のオオカミの話もある。中川の大山道

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真福寺


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開創年代は不明。
創建当初は現在地の北方3.4kmにあったが、
大正11年に本堂の老朽化のため観音堂があった現在地に移転。
当初の本尊・薬師如来と釈迦堂の釈迦如来(重文)はその時に客仏となった。

本尊の千手観音立像は本堂にある。
平安末期の作で前面は頭から裾まで一本の木で彫られ、
天冠、頭髪はていねいに彫刻されている。
一部に彩色が残る。
もとは彩色され見事な姿だったと思われる。

12年に1度の子の年に開張される。


釈迦如来立像は、
昭和8年国の重要文化財に指定される。
京都清涼寺本像を模刻した像で
頭髪は縄を巻いたような形で
首まで衣が覆っている。
衣文は美しく彫りだされ、
やさしい表情をした
清涼寺式釈迦と呼ばれるものである。

毎年4月8日と8月17日に開張される。

真福寺の盆供養

もとは毎月17日に観音講があった。
今では8月17日に釈迦如来が公開される。
観音講なのに釈迦如来公開なのだろうか?
今度でかけてみて、確認したい。

17日は家康の忌日でそれに関係すると思われる。

群衆が殺到したという。

渡辺華山が桝やから聞き書きしたものを
「游相日記」に書いている。

観音講といふありて馬の売買をなす。
近きまわりはいふもさらなり。

遠き国よりも、馬もてるかぎりは、
牽ききたりて、売買
せるなり。
おのが持てる馬にあき、又は、畜かたき馬なぞは
よき馬のようにこしらえなして、互いに見極めて買ふなり。

この馬市は2月17日に行われたらしい。
明治になると8月17日だけとなった。
法要が行われ、双盤念仏が行われるという。

参考:江と石川村:横溝潔




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港北百話より
大山道

下方大きく曲がっているところが
荏田宿にはいる鍛冶橋がある


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国土地理院の昭和48年航空写真
右下が荏田宿


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横浜市歴史博物館の古地図


荏田村
武蔵国都筑郡荏田村だった。
港北区、緑区、青葉区など変遷し
分化して青葉区荏田町となった。
由来は荏胡麻が生産された
荏田の荏は湿をあらわし湿田があった
という説がある。

昭和54年 荏田町の長者原で都筑郡衙が発掘され奈良から
平安時代にかけての手がかりが得られた。
その後の記録はしばらく見当たらず、鎌倉時代に戸数12軒と伝えられる。
鎌倉道、大山道(古代の東海道)が交差し、中世の城「荏田城」も
存在し、交通の要衝であった。


江戸時代大山道は大山詣でにぎわい宿場ができた。
新編武蔵風土記縞に
「北の境に道細く所によってはあとかたもなく
畑になりし所もあり」とある。

真福寺手前からふたつに別れ本道は早淵川の橋を渡り
大棚宿ノ入で再び甲乙に分かれ
甲は東の大坂を登り、乙は西のウトウ坂を登って
尾根上で合流し有馬に入った。

一方真福寺で分かれた道は北に進み
釈迦道を通って石川に入った。

荏田村は山が多く他村に比べ開発が遅れたようである。

小田原北条時代、曽根采女介の所領だったが、
家康入府後は2代将軍秀忠の正室崇源院崇源院 お江様
の御化粧料地化粧料地となった。

崇源院逝去後は増上寺に寄付され明治に至った。

崇源院
戦国時代浅井長政と織田信長の妹のお市の方の三女である。
再々婚の末秀忠の正室となり家光の母である。
村内心行寺は崇源院の時代に建立された寺で
徳川家にゆかりのある寺である。

江田源三(1161〜1185)
新編武蔵風土記稿に
「按(あんず・調べる)に江田源三は源義経につかへし人にて
源平盛衰記の書にもその名がみえたり。
しからは此の所の人なりへし。
社の背後にその人の居住の跡と云ありされは
源三か矢の根なりと云ことまさしきにや
この八幡社ももと源三か守護とせし像なりという。」
堀川御所の義経暗殺のとき討ち死にした。
25歳であった。
息を引き取るとき「親は信濃の国に・・・」
と言っていることから、出身地は信濃国埴科郡英田(あがた)郷とみられる。

他説に「柿生文化」(柿生郷土資料館)によると源三は近江の人で
このころこの土地は都筑氏、石川氏の本拠なので江田源三が居城したとは
考えられないとある。

そうは言い切れないと思う。

源三は1185年堀川にて土佐坊昌俊に討たれた。
それ以前にもう源三は江田にはいない。
石川氏が頼朝の石清水八幡随行の供をしたという年は1195年で、
10年後のことが文献に残る。
1185年といえば鎌倉幕府ができた年である。
そのころには石川氏が江田に勢力をのばしていても
おかしくはないと思う。
江田源三は美濃と近江の境で「寝物語」にもでてくる。
義経の母常磐御前が義朝を追ってここで会ったという
言い伝えである。

余談だが美濃は金本位制で美濃言葉、近江は銀本位制で近江言葉、
溝を境に違う里という面白い場所である。


小黒谷の八幡社は祭神は一尺ほどの木造で、社の下に酒瓶のようなものがあり
矢の根を盛ると風土記にある。源義家あるいは江田源三のものともいう。
この八幡は源三が守護した像であるという。

荏田城  中川の老馬について


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大山道はこの城の向う側にある
この場所は江田記念病院裏手の東名高速道路の跨線橋の深坪橋手前から
跨線橋はこのさき私有地なので侵入禁止である


荏田城は連郭式の丘陵城郭で中世12〜16世紀に築かれた。
帯郭がめぐらされ後北条氏独特の縄張りである。
後北条氏によって築かれた小机城、榎下城にもこういう施設がある。
後北条氏によって築かれたことがわかる。
荏田城のそれ以前はどうだったかというと
広島県尾道の浄土寺に残る文書から荏田の字がある。
鎌倉の御家人山内通範、通綱が、自分の所領を浄土寺に寄進した。
寄進する所領の一部は鎌倉の善宝院が持っていた。そこに
「武蔵国江田郷内堀内赤田之田畑」と記載されていた。
日付は康永2年(1343)である。
この江田郷は荏田と思われる。

武蔵国・・江田・・赤田が一致するからである。
堀内の地名がわからないが、堀ノ内、根古屋で城の
存在を意味する。荏田城の南には堀内があった。

このことから中世の中頃の荏田城の存在がわかり、
もう少し遡り江田源三、多田行綱(茅ヶ崎城)のような
伝説がこの時期の館と無縁ではないかもしれない。
(坂本彰氏)


旧家

青木、石渡、井上、内野、大久保、大矢、加瀬
金子、神原、小泉、佐藤、鮫島、志村、下山
鈴木、高橋、椿、寺島、徳江、土志田、林、古山
松沢、宮田、森、横山

地名

荏田 エダ
湿田。分村の説があり大棚からの分村ではないかと思われる。
理由として大棚村は荏田村と同じ師岡荘で荏田の中心だった
柚木谷(権現谷)に近接し荏田の有力者大久保一族が
大棚村の街道沿いに分布していること
それから
一族の菩提寺が大棚の東善寺、牛久保村の長徳寺であることがあげられる。


築地土手 ツイジノドテ?ツキジノドテ? 
早淵川の荏田と石川の境に作られた土手
くわしくは築地の土手

関根 セキネ
国道246号線沿いの場所で関根橋の北。堰のふもと。
観福寺があるある。観福寺については中川からお江様ゆかりの満願寺を訪ねて

講釈谷 コウシャクヤト
小黒谷にあった。伝承がなく不明。

虚空蔵山 コクウゾウヤマ

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アルスあざみ野の西側にある墓地の奥

観福寺の裏山。古くは虚空蔵菩薩が安置された。
現在でも虚空蔵菩薩はある。アルスあざみ野が建てられている。
中川からお江様

大六天 ダイロクテン
観福寺境内にあった。地名として残る。
除災招福の神仏である。

釈迦道 シャカンドウ
真福寺と満願寺を結ぶ道。

敵見塚 テキミヅカ
虚空蔵山の上にあった。

赤田谷 アカダヤト
地質が赤い土。荏田北部 遺跡も多い

深坪 フカツボ  
深坪橋がある
東名高速道路の跨線橋で荏田城址にかかる橋
荏田城址は私有地なのでこの橋は渡れない。
いつか橋を渡って城址をみてみたいが
畑になっているそうだ
壊されるよりいいのかもしれない

関耕地 セキコウチ
堰ちかくの農耕地。下宿から矢崎までの平地か。

原根前 ハラネマエ
山裾。真福寺がある。

上宿 カミシュク
京都よりの大山街道沿い。


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中宿の常夜燈


下宿 シモシュク
江戸よりの大山街道沿い 
今は下宿一帯を宿とよぶ

小黒谷 コクロヤト
黒は墾。小は狭い。神明社、八幡社があったが、大正3年に
劔神社に合祀された。

池尻 イケジリ
水源地。尻は尻尾。水野出発点。風土記に大塚ありという。

管絃堂 カンゲンドウ
神社の祭礼に用いる楽器の保管、練習場か
真福寺の南の裏山にあった。

柚木谷 ユノキヤト
ユズの木があった。荏田村の中心地。

榎木谷 エノキヤト
榎木があった。劔神社がある。
大正3年に赤城社、八幡社、熊野社、十二社の五社を
合祀した。
今でも熊野社は愛和幼稚園と最近できた墓苑の間の
谷戸に残っている。

劔神社の社伝に
「昔陸奥国の炭商人が長年にわたり鎌倉の鍛冶のもとへ炭を運んでいた。
鍛冶はその恩を謝し、自ら鍛えた太刀一振を炭商人に贈った。
帰り道、荏田村の和泉谷付近で休憩中喉が渇いたので
その辺の清水を手ですくって飲んだところ
酒に酔ったように気持ちがよくなって寝てしまった。
ところがかたわらの松の木より大蛇が下りてきて炭商人を
呑み込もうとした。
そのとき鍛冶より贈られた太刀が自ら抜け出して大蛇を斬殺した。
炭商人は危うく命を落とすところを免れたのでその太刀を
当地に祀ったのが当社である。」

明神前 ミョウジンマエ
劔神社の門前。劔神社は劔大明神ともよばれた。
主神はスサノオモミコト。

権現谷 ゴンゲンヤト
権現社があった。旧鎌倉街道脇にあり
家康入府のころ大久保一族が土着した。

大日前  ダイニチマエ
大日堂があり王禅寺の影響で真言宗の念仏講が各村にあり、
大日堂が各地に建てられた。ここには二基の石塔がある。

稲荷谷 イナリヤト
稲荷社があった。祭神はウカノミタマノミコト

長谷 ナガヤト
道路沿いの集落。

大入り オオイリ
山間の入り込んだ地

富士塚 フジヅカ
富士信仰の人口の塚
山真講という講が北山田、上谷本、大場、早野などにあった。
江戸時代に盛んだった富士信仰の講のひとつで
昭和9年に最後の富士登山をした。(都筑の民俗)
江田第三公園の南20mくらいのところにあったが、
団地建設のため撤去され現在は第三公園に東急建設がつくった。
富士山ぐるり 浅間神社参拝

猿田谷 サルタヤト
崖の多い土地。サルはザレで崩れる意味

拝戸 ハイト
長者丸の近くにあり月待ちの二十六夜の月を拝んだ

袖振 ソデフリ
山の端を下りた地。袖は端、振りは下りること

十三塚 ジュウサンヅカ
十三の石仏があった

日向 ヒナタ
日当りのいい場所

田辺 タナベ
棚辺か。狭い山あいや境界の意味もある。
近くに長者丸があり郡衙が発見されているので
屯倉(みやけ・大和王権の直轄地)に属す農民の
住居地ではないか。

山口 ヤマグチ
山や森林の入口。田辺の近く。

和泉谷 イズミヤト
清水の湧き出るところ

田向 タムカイ
田とむかいあう地。水田とは限らずただ向きあうときだけのこともある。

双六峠 スゴロクトウゲ
曲がりくねった坂を登りつめた頂上。

矢羽 ヤバネ
山裾で川に近い。矢は山あり、谷あり。羽は場。根は裾。

矢崎 ヤサキ
崎は前。

山崎 ヤマザキ
山の前。

渋沢谷 シブサワヤト
湿地。渋沢は渋る沢。渋は水が濁り流れにくく水はけが悪い。
沢は草木の生える湿地。
ここには法道寺と心行寺がある。
また十二社があったが劔神社に合祀された。

池田谷 イケダヤト
池のある地。他に埋めることを埋けるという。

折田谷 オリタヤト
山から下りた地。下りには折、織の当て字が使われる。

牛谷戸 ウシヤト
山の裏、日陰の地。牛はゴ(牛頭や牛蒡)と読み後のこと。


参考文献
荏田の地名:吉野孝三郎
鶴見川流域の考古学:坂本彰
新編武蔵風土記稿
横浜市博物館ニュース
都筑の民俗:港北ニュータウン郷土史編纂委員会
公益財団法人 大倉精神文化研究所(港北七富士めぐり)




























by gannyan1953 | 2016-07-15 15:42 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)

フェルトの柴犬朔太郎

歴史と素適なおつきあい番外編   2016・7・15


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柴犬朔太郎の毛があんまり抜けるので
100円ショップでフェルトの針を買ってきて
作ってみた

駄作だが・・・血まみれになって作った・・・

以外と臭くなかった
キューティクルがあれば犬の毛でも
作れるとわかった
でも毛色が地味すぎる・・・・


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朔太郎の毛は茶、白、グレー、黒のグラデーションで
茶色は先っぽに少し
ほぼ中の方の毛は黒かグレー

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7月末に20歳を迎えるニャンニャン

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熟睡していて写真撮っても
気づかない

お食事はかなり贅沢になったが、
気に入るまで
いろいろ用意する

現在も我が家で君臨し続ける

20歳の誕生日は大好きな
ショートケーキでお祝いする

by gannyan1953 | 2016-07-15 10:24 | 前足 湾曲 柴犬朔太郎 | Comments(0)



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神坂(みさか)神社 阿智村
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