歴史と素適なおつきあい

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海軍道路を歩いた




歴史と素適なおつきあい番外編   2017・8・12

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上和田と瀬谷のサバ神社めぐりをした帰り
瀬谷の海軍道路を歩いてみた
小田急に戻らず田園都市線の「南町田」をめざす
海軍道路は日本海軍が使用しいざとなれば滑走路に
使用できるよう3キロ直線に作られた道路である
戦後2015年まで米軍が使用していた
英語の標識が多く今なお痕跡を残す

瀬谷駅を右に見ながら今回約2、7キロ歩いてみた

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桜並木は片方だけ


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米軍と農業


ここからラーメン屋さんと和食レストラン、コンビニ二軒はあった・・・


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こんなにカッコいい道路になったが飲食店なし


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日本にもどされた土地があった


このあたりで南町田にむかおうとスマホでルート検索

なぜか畑に誘われ
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左手むこうが海軍道路の桜並木

素適な道だけど1人じゃ怖い


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馬頭観音あった

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この三叉路を左折という



やっと普通の道路に出て

また街道のような細い道を行く

やっと飲食店あった

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なごみ庵 恵  突如住宅街に現れ、そば屋かと思って入ったら創作料理のお店だった

なごみランチを食べた  
今日はひとりなのに贅沢した・・・美味しかった

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246号線の歩道橋銀河橋を越えたら
日本ではじめての水道管がなぜか置かれていた

南町田はアウトレットモールがなくなり
再開発中

白い塀の続く街だった

あとで調べたら米軍使用時、1960年代に
ゲイの兵隊さんがいた。
まだアメリカでは社会的にゲイが認められておらず
迫害を怖れソ連に亡命したという
亡命した二人は国家安全保障局の存在をソ連に話してしまった

軍ではこれがきっかけでゲイを条件付きで認めたという

1969年にストーンウォールの反乱とかが起きて
社会問題になっていって2015年やっと
アメリカ全土で認められた

瀬谷がゲイさんたちを認めるきっかけになったということか
瀬谷はゲイの聖地!



















by gannyan1953 | 2017-08-12 22:23 | 神奈川県の歴史散歩 | Comments(0)

柴犬朔太郎 また爆睡

歴史と素適なおつきあい番外編   2017・8・1


柴犬朔太郎は8月1日生まれ
10歳になりました
おめでとう!
目開いて寝るのやめてくれる?

なんか怖い・・・

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by gannyan1953 | 2017-08-06 22:24 | 前足 湾曲 柴犬朔太郎 | Comments(0)

猿投神社  

歴史と素適なおつきあい番外編    2017・7・29


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ヤマトタケルの足跡を追う旅で
ヤマトタケルの兄が亡くなった地を訪れた

猿投神社は祭神が大碓である

兄大碓とは双子という説がある。

碓は臼で穀物に関する名前と考え、豊穣を願う名前ではないか。

大碓は父が召した美濃の女性を迎えに行ったが、

その女性にひとめぼれ・・・父には他の女性を差し出した。

父に対し気がとがめたのか会食にも出なかった。

父は兄の出席を弟の小碓に促した。

ところが大碓はそれからも出席せず天皇が小碓に事情を聞くと、


「兄を捕らえて体をつかみつぶし手足をもいで薦(こも)に包んで投げ捨てた」


と答えた。(古事記)

実は兄は美濃に隠棲し、ヤマトタケルの死後10年後に

三河の猿投山で毒蛇にかまれて亡くなったといわれる。


実はヤマトタケルは兄を殺害していなかった


多治見市の柿野神社は兄を訪ねてタケルが牛でやってきた

という伝承がある。


兄に別れを告げにきたのか、兄は自分の家来を東征に随行させている。

タケルの死後土岐市鶴里柿野に移り住み、タケルの死から

10年後にまた移り住んだ猿投で亡くなったという。


猿投神社は大碓を祀り左利きだったため左利きの鎌が奉納される。

猿投山で42歳のとき毒蛇にかまれ亡くなったという。

父の景行天皇から兄を隠したのか、兄はこの地をタケルの死後拝領したのかわからない。

大碓の妻は景行天皇から奪った姫だとすると、

姫の父は現在の美濃加茂市を拝領しておりそこも近くにある。

妻の実家の援助でこのあたりに隠棲したとも考えられる。

大碓の墓は猿投神社にある。


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黄色の鳥居は珍しい

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猿の親子がかわいい

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自動車関係の会社の奉納が目立つ

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大碓の元の滞在地である柿野の人の奉納があった















by gannyan1953 | 2017-08-06 21:37 | 愛知県三河の歴史 | Comments(0)

満蒙開拓平和記念館・長岳寺

歴史と素適なおつきあい番外編    2017・7・30

阿智村に行ってきた

ヤマトタケルの史跡めぐりだったが、
中国残留孤児の父といわれる山本慈昭さんが
阿智村で活動していたことを知った

現在満蒙開拓平和記念館
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2013年に開設された

非常にわかりやすく展示されている

阿智村では昭和20年5月に阿智郷開拓団として
多くの人が満州に渡った

満州の北東に位置し未開の原野に入植した

他地域との交流もなく、すぐにソ連侵攻にあい、
逃避行となった

100人近くがこの地で死亡、
団員190人のうち帰国できたのは47人


山本慈昭さんは教師として
終戦間近の満州に渡り
逃避行のあと、シベリアに抑留され
昭和22年に帰国したが、
妻たちが帰国していないことに
愕然とする



昭和39年遺骨収集の目的で国交断絶していた
中国訪問をしたが、遺骨収集はできなかった

帰国した老人から本当は子供たちの何人かが
残留していることを知り、政府にかけあうが
うまくいかなかった。
残留孤児からの手紙が政府に届いていても
調査もしていなかったという。

山本のことを知った残留孤児から手紙が届き
孤児たちの肉身探しに奔走し
「残留孤児の父」と呼ばれた

娘が残留孤児となっていることもわかり
のちのち再会できた

満州国とは
13年存在した国で日本の傀儡政権の国だった
日本から27万人が入植した

満蒙開拓団は20町歩の地主になれるというスローガンで
夢を持って次男、三男など土地をわけてもらえない人々も
参加した

満蒙開拓青少年義勇軍は
16歳から19歳の健康な少年が参加したという


長岳寺



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山本慈昭さん

ここは武田信玄の終焉の地といわれている
根羽村にも終焉の地の言い伝えがある
広拯(じょう)山 長岳寺は
最澄が創建

武田信玄を火葬した寺である
信玄は野田城攻めの最中に
肺を患い、三河から信州伊那に戻る際
亡くなり
駒場の山中で落命したという


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信玄供養塔












by gannyan1953 | 2017-08-06 20:58 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)

神坂(みさか)神社 阿智村

歴史と素適なおつきあい番外編    2017・7・30

ヤマトタケルの足跡の旅にでた



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昼神温泉の奥に神坂神社はある

標高1070mくらいである

道は中央道の恵那山トンネルと並行しているが
険しい峠道である

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我が夫がハーイをしてまるでヤマトタケルの
銅像のようなポーズをとるので
驚いた

本人は銅像のポーズを知らない


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手水鉢

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ヤマトタケルの腰掛け石
大きい 座りごこち悪そう

ヤマトタケルはこの峠を昼神温泉から登った
悪しき鹿がいてノビルを噛んで目に当てたら
鹿は倒れた

それから通る人はノビルを噛みながら登ったという




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貢馬は「くめ」と読む


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かっこいい道である
神社の駐車場に車を置いて富士見台を往復をする
人たちがいた

古代から中世まで東山道を行き来するのに
この峠は死ぬ覚悟で登ったという

そのおまもりが近くの遺跡から出土している

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巨木に囲まれた社がとても素適だ

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少し下りると

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帚木にむかう道
登ってみたかったが時間がなかった

久しぶりに素適な神社にこれた























by gannyan1953 | 2017-08-03 20:45 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)



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