歴史と素適なおつきあい

江戸吉原 おいらん道中を見に行った

歴史と素適なおつきあい番外編   2017・4・8


おいらん道中を見に浅草に出かけた。

ところが特別公開ので伝法院の入口にむかう途中
ホッピー通りを見た
いつも並んでいるのに朝11時すぎ・・・空いてる・・・

朝からホッピー通りで飲むことに
「もつくし」に入ってまずはビールと
塩味牛モツ煮込み  すごく美味しかった
鯵のなめろうは小田原で食べた品よりおいしい。

b0228416_08451394.jpg
つきだしのウズラ  もつくし

気持ちよくなったところで伝法院へ

絵馬は写真がとれないが見応えあるものだった

b0228416_08450461.jpg

b0228416_08462209.jpg
静かな庭で美しい


つぎはおいらん道中
13時からとあったが
13時半出発になったもよう


b0228416_08471771.jpg

b0228416_08472014.jpg

1人目の花魁



b0228416_08472387.jpg
b0228416_08472761.jpg
二人目の花魁

b0228416_08473008.jpg
助六


b0228416_08473349.jpg
吉原の狐舞い

江戸時代吉原で大晦日に狐さんが門付をしたという

b0228416_08473966.jpg
吉原の狐舞い
なかなかかわいい

かわいい!と声かけたらじっと止まってくれた

b0228416_09402239.jpg
Amazonで売ってるベビーメタルのお面
いやぁ・・・怖いな

b0228416_09420814.jpg
BABYMETAL

外国人はこの狐面がお好きらしい
浅草も外国人がいっぱい



b0228416_08474585.jpg
終わり
小雨の中 ご苦労様でした
見ることができ・・ほんとに良かった

b0228416_08474807.jpg
見物人に囲まれる犬たち
着物がよく似合う

待乳山聖天によって、花見をして


アモールへ

昭和レトロな喫茶店
地元の人も多い

b0228416_08475166.jpg

おいしいチョコレートパフェでした


おしまい

















# by gannyan1953 | 2017-04-09 08:56 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)

境川・和泉川流域のサバ神社めぐり

中川歴史ウォーキング   2017予定

相模のサバ神社めぐり


境川流域にあるサバ神社群
ここだけにある神社で柳田国男も注目したという
12社めぐりは20キロ以上あるので
湘南台から高座渋谷までの神社めぐり

b0228416_11540150.jpg
佐はすぐ変換できるが婆はばばあと入れるとすぐ変換できる
ちょっと複雑・・・


集合:ブルーライン湘南台駅改札口



左馬、佐波、佐婆、鯖,左間など様々な当て字表現だが、
もとは左馬(さめ・さま)ではないか・・
祭神が源義朝源満仲で両者とも左馬頭(さまのかみ)
左馬助(さまのすけ)の官位をもっていた。
そこで軍神として祀ったのではないかといわれる。
源満仲を祀っているのは和泉地域の三社である。


源義朝
八幡太郎義家の孫、源頼朝、源義経の父である。
平治の乱で敗走中愛知県野間で討たれた。
このとき随従した家来が
鎌田正清といって都筑区の山田神社が山田城跡で
その城主と伝わる。義朝の一番の家来だった。
少年だった金王丸(こんのうまる・この近くの渋谷庄の出自で
現在は渋谷の金王神社に祀られる)で、
彼はかろうじて逃げ、頼朝の母である常磐御前に
訃報を知らせている。


義朝を殺害した人は長田忠致(おさだただむね)で
鎌田正清の妻の父つまり舅である。
野間に本拠地ち、このとき平家の恩賞目当てに義朝を殺害した。

敗走した頼朝を匿う振りをして、風呂に入ったところを
殺害した。
木刀でもあれば・・・と無念だったろう。
亡くなった野間の野間大坊には今でも義朝に木刀を捧げる塚がある。


②今田鯖神社
b0228416_11345180.jpg
祭神 源義朝
元禄15年当地井上瀬兵衛発起造立

境川を向いて神社がある。湘南台から神社は見えども
ぐるりとまわりこまないと入り口が見つからなかった

③鯖神社 下和泉


祭神 源満仲
慶長年間(1596〜1615)この地の郷士清水、鈴木両氏が氏神として
勧請。
神社のすぐ下に清水製糸場があった。工場の遺構は天王森公園に移築された。
(泉区HP)

和泉には和泉小次郎や巴御前の伝説がある。
和泉だけに祭神が源満仲であることと
無関係と思えない。

和泉小次郎は和泉に打倒北条のときに城を築いた。
木曾義仲の愛妾巴御前を木曽に帰すための道を
確保したという伝承があり信濃源氏に思いを込めていた。
源満仲は信濃源氏に近く左馬助に任じられている。


④左馬神社 下飯田1389
b0228416_11381002.jpg

祭神 源義朝
以前は鯖神社といった。

飯田郷の飯田五郎家義が勧請したと伝わる。

また小田原北条の頃下飯田の川上藤兵衛が武運を祈願したといわれる。

天正18年(1590)の領主筧助兵衛為春は鎮守として信仰、

社殿を修復した。境内の木々は繁茂し名木古木もある。

鎌倉道(上の道)に面していたが農道整備で参道は分断されている。

(泉区HP)

b0228416_11421403.jpg
b0228416_11415089.jpg
b0228416_11392742.jpg
鎌倉街道らしく道祖神、道標などある


⑤七ツ木神社


b0228416_11492598.jpg

祭神 源義朝

文禄年間(1593〜1596)渋谷義重が崇敬したという。

相模風土記に七ツ木鯖神社とある。明治7年に七ツ木に改称。


b0228416_11492938.jpg

b0228416_11500321.jpg
コンクリートの賽銭箱はじめてみた
このあたり治安が悪いのか・・・


b0228416_11510382.jpg

⑥佐婆神社 
b0228416_11535949.jpg

祭神 源満仲
創建は不明。寛文年間(1661〜1672)に伊予河野氏の子孫石川治右衛門が
来住・・奉斎したとある。
「和泉往来」(明治11年)には勧請は慶長年間(1596〜1615)とある。
当時の字名は神田というので神領田があったと思われる。


b0228416_11540150.jpg
b0228416_11540534.jpg

飯田神社までクネクネ歩く



⑦飯田神社 上飯田 
b0228416_11575672.jpg


祭神 源義朝・ウカノミタマ・オオヤマクイの三柱

古くは中村でこの地の中心だったと思われる。
新編武蔵風土記縞に飯田明神社・鯖明神ともいうとある。

延応(えんのう)元年(1239)飯田三郎能信が地頭になり
報弊したという。
また小田原北条のころ領主だった平山源太郎も崇敬した。

寛文12年(1672)に字新田に移転したと伝わる。


ま寛政12年(1800)北野天満宮の別当が戸塚宿で「飯田明神」の護符を

上飯田村の役人に渡した。

文化13年(1816)には神祇官領が京都からきて飯田大明神に幣帛したとある。

京都の公家、神祇官領の人々を招くことができる人物がいたと思われる。



b0228416_11575476.jpg
七観音

b0228416_11583834.jpg







⑧左馬神社 下和田
b0228416_12035798.jpg

祭神 源義朝
新編相模風土記縞に鯖明神社とある。

# by gannyan1953 | 2017-04-03 12:09 | 神奈川県の歴史散歩 | Comments(0)

境川流域のサバ神社群

歴史と素適なおつきあい番外編   2017・4・2

b0228416_11340396.jpg

町田を源流とする境川、大和を源流とする引地川
この流域に12のサバ神社がある。
左馬、佐波、佐婆、鯖,左間など様々な当て字表現だが、
もとは左馬(さめ・さま)ではないか・・
祭神が源義朝源満仲で両者とも左馬頭(さまのかみ)
左馬助(さまのすけ)の官位をもっていた。
そこで軍神として祀ったのではないかといわれる。
源満仲を祀っているのは和泉地域の三社である。


源義朝
八幡太郎義家の孫、源頼朝、源義経の父である。
平治の乱で敗走中愛知県野間で討たれた。
このとき随従した家来が
鎌田正清といって都筑区の山田神社が山田城跡で
その城主と伝わる。義朝の一番の家来だった。
少年だった金王丸(こんのうまる・この近くの渋谷庄の出自で
現在は渋谷の金王神社に祀られる)で、
彼はかろうじて逃げ、頼朝の母である常磐御前に
訃報を知らせている。


義朝を殺害した人は鎌田正清の妻の父長田忠致(おさだただむね)で
野間に家があり敗走した頼朝を匿い、風呂に入っているところを
殺害した。刀があれば・・・と無念だったろう。
亡くなった野間の野間大坊には今でも義朝に木刀を捧げる塚がある。

参考:資料



長田忠致の子孫がのちにこのあたりに配属され
祀ったサバ神社もある。
瀬谷の左馬神社らしい。
家康の家臣に長田忠勝という人が瀬谷を領地として拝領した。
藤沢市葛原んも長田氏の史跡がある。
忠勝は義朝を殺害した忠致の兄で殺害に関与はしなかったという。
拝領した土地は川の氾濫で作物がとれなかった。
そこで勧請して神社を建てたが祭神は罪滅ぼしか御霊の気持ちで
源義朝にしたのかもしれない。


源満仲
多田満仲のことで多田源氏である。
900年代の人で父源経基は、平将門と揉めた人物である。
満仲が文献に出てくるのは将門の子が入京し
その探索を命じられた武士のひとりとしてである。
兵庫県川西市あたりの多田荘を開拓し、武装集団をつくった。

その子源頼光は坂田金時(金太郎さん)や渡辺綱
(東京三田に足跡あり:綱坂がある ちょっとディープな三田の歴史散歩)を
従えた。左馬助に任じられている。


①佐波大明神
祭神 源義朝
この神社・・パワースポットになっていて
丑の刻参りの藁人形が効果があるとか・・
恐ろしや・・・・

②今田鯖神社
b0228416_11345180.jpg
祭神 源義朝
元禄15年当地井上瀬兵衛発起造立

境川を向いて神社がある。湘南台から神社は見えども
ぐるりとまわりこまないと入り口が見つからなかった

③鯖神社 下和泉


祭神 源満仲
慶長年間(1596〜1615)この地の郷士清水、鈴木両氏が氏神として
勧請。
神社のすぐ下に清水製糸場があった。工場の遺構は天王森公園に移築された。
(泉区HP)

和泉には和泉小次郎や巴御前の伝説がある。
和泉だけに祭神が源満仲であることと
無関係と思えない。

和泉小次郎は和泉に打倒北条のときに城を築いた。
木曾義仲の愛妾巴御前を木曽に帰すための道を
確保したという伝承があり信濃源氏に思いを込めていた。
源満仲は信濃源氏に近く左馬助に任じられている。


④左馬神社 下飯田1389
b0228416_11381002.jpg

祭神 源義朝
以前は鯖神社といった。

飯田郷の飯田五郎家義が勧請したと伝わる。

また小田原北条の頃下飯田の川上藤兵衛が武運を祈願したといわれる。

天正18年(1590)の領主筧助兵衛為春は鎮守として信仰、

社殿を修復した。境内の木々は繁茂し名木古木もある。

鎌倉道(上の道)に面していたが農道整備で参道は分断されている。

(泉区HP)

b0228416_11421403.jpg
b0228416_11415089.jpg
b0228416_11392742.jpg
鎌倉街道らしく道祖神、道標などある


⑤七ツ木神社


b0228416_11492598.jpg

祭神 源義朝

文禄年間(1593〜1596)渋谷義重が崇敬したという。

相模風土記に七ツ木鯖神社とある。明治7年に七ツ木に改称。


b0228416_11492938.jpg

b0228416_11500321.jpg
コンクリートの賽銭箱はじめてみた
このあたり治安が悪いのか・・・


b0228416_11510382.jpg

⑥佐婆神社 
b0228416_11535949.jpg

祭神 源満仲
創建は不明。寛文年間(1661〜1672)に伊予河野氏の子孫石川治右衛門が
来住・・奉斎したとある。
「和泉往来」(明治11年)には勧請は慶長年間(1596〜1615)とある。
当時の字名は神田というので神領田があったと思われる。


b0228416_11540150.jpg
b0228416_11540534.jpg

飯田神社までクネクネ歩く



⑦飯田神社 上飯田 
b0228416_11575672.jpg


祭神 源義朝・ウカノミタマ・オオヤマクイの三柱

古くは中村でこの地の中心だったと思われる。
新編武蔵風土記縞に飯田明神社・鯖明神ともいうとある。

延応(えんのう)元年(1239)飯田三郎能信が地頭になり
報弊したという。
また小田原北条のころ領主だった平山源太郎も崇敬した。

寛文12年(1672)に字新田に移転したと伝わる。


ま寛政12年(1800)北野天満宮の別当が戸塚宿で「飯田明神」の護符を

上飯田村の役人に渡した。

文化13年(1816)には神祇官領が京都からきて飯田大明神に幣帛したとある。

京都の公家、神祇官領の人々を招くことができる人物がいたと思われる。



b0228416_11575476.jpg
七観音

b0228416_11583834.jpg

b0228416_11593006.jpg
b0228416_12012184.jpg
樹齢500年


下和田神社の手前のけやきは立派。迎えにかわいい祠とお地蔵様
読み取れないし、なぜか狭い道に車がつぎつぎ来るので
写真撮るのに苦労した
結局渋滞を引き起こした
スーパーオーケーに訪れるのか・・・
b0228416_12015852.jpg


⑧左馬神社 下和田
b0228416_12035798.jpg

祭神 源義朝
新編相模風土記縞に鯖明神社とある。

b0228416_08061944.jpg
高座渋谷駅近くのお肉屋さんモニュメント
高座豚 特徴は鼻が短い

豚さんの形の手作りソーセージがかわいい
写真撮るの忘れました



⑨左馬神社 上和田
祭神 源義朝・アマテラス・神武天皇・スサノオ

新編相模風土記稿に佐馬明神社とある。
かつて鐘楼があったが軍に供出した。


⑩左馬神社 瀬谷区
祭神 源義朝
新編相模風土記稿に左馬明神社とある。
かつて鐘楼があったが軍に供出した。

⑪中之宮左馬神社
祭神 源満仲
源家龍勢の頃の勧請と伝わる。
新編相模風土記稿に鯖明神社とある。
寛永2年(1625)領主能見松平昌吉が崇敬、祈願所とした。
本殿は総欅造で彫刻が美しい。

⑫佐馬大明神
祭神 源義朝
神社庁に列せられていない私有地にある神社である。





# by gannyan1953 | 2017-04-01 15:35 | 神奈川県の歴史散歩 | Comments(0)

豊国神社に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編


b0228416_11401523.jpg
豊国神社


山本屋の味噌煮込みを食べに名古屋駅の裏の方に行った

昔母に駅裏には行かないようにと言われていたので
あまり出かけたことがない

今行ってみると,戦争で焼け残ったのか、レトロな家が多い

昭和 昭和してて楽しい
ほとんど長屋で昔の風景が残っている

大門本店という店だったと思う

漬け物も味噌煮込みも堪能し

中村公園があったことを思い出した

中村公園の中に豊国神社はある

b0228416_11401914.jpg

b0228416_11410716.jpg
秀吉さんここで生まれた 感動


b0228416_11421306.jpg
常泉寺

豊国神社の隣


b0228416_11413429.jpg

b0228416_11414255.jpg
b0228416_11415151.jpg
b0228416_11420146.jpg
b0228416_11425459.jpg
b0228416_11425728.jpg
 





# by gannyan1953 | 2017-03-30 11:43 | 愛知県尾張の歴史 | Comments(0)

名古屋城に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編   2017・3・29


前に訪れたときより本丸御殿の建設が進んでいた

多くのスタッフが並びそちらの方が騒然


私は幼い時から名古屋城のお堀で
よく遊んだ

日曜になると朝早く
兄と配達された牛乳瓶を自転車のかごにのせ
あちこちでかけた

現在の放浪癖は
このころからだった・・・

b0228416_11211061.jpg
明治12年 立派なお城

b0228416_11214386.jpg
昭和15年

b0228416_11220845.jpg
戦争で焼けたシャチホコの金を使って
作った釜

返還の意味がわからず調べてみたら
焼け残った金の塊をGHQが持って行った・・
のちに返還されこの塊じゃどうしようもないので
茶釜を作ったということだった

シャチホコは明治になり3度も盗難にあったそうだが
なかなか換金はできず
お縄になったという

b0228416_11281512.jpg

b0228416_11282453.jpg


b0228416_11283467.jpg
直径30センチくらいあったかと・・


b0228416_11291092.jpg

空襲中


b0228416_11293344.jpg
現在のお城を写真撮るの忘れた











# by gannyan1953 | 2017-03-30 11:32 | 愛知県尾張の歴史 | Comments(0)



横浜周辺の歴史散歩
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
> rollingwes..
by gannyan1953 at 14:13
初めまして、ローリングウ..
by rollingwest at 16:31
できればメールでお話しし..
by gannyan1953 at 09:08
新横浜スパインクリニック..
by gannyan1953 at 18:23
読めないんですね。申し訳..
by gannyan1953 at 18:09
> ださぶろうさん ご..
by gannyan1953 at 21:44
楽しんでいただけて大変嬉..
by gannyan1953 at 21:41
長津田の大火の事を調べて..
by shin344 at 21:41
初めまして久し振りで ..
by shin344 at 21:35
コメントありがとうござい..
by gannyan1953 at 21:56
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧