歴史と素適なおつきあい

神坂(みさか)神社 阿智村

歴史と素適なおつきあい番外編    2017・7・30

ヤマトタケルの足跡の旅にでた



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昼神温泉の奥に神坂神社はある

標高1070mくらいである

道は中央道の恵那山トンネルと並行しているが
険しい峠道である

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我が夫がハーイをしてまるでヤマトタケルの
銅像のようなポーズをとるので
驚いた

本人は銅像のポーズを知らない


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手水鉢

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ヤマトタケルの腰掛け石
大きい 座りごこち悪そう

ヤマトタケルはこの峠を昼神温泉から登った
悪しき鹿がいてノビルを噛んで目に当てたら
鹿は倒れた

それから通る人はノビルを噛みながら登ったという




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貢馬は「くめ」と読む


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かっこいい道である
神社の駐車場に車を置いて富士見台を往復をする
人たちがいた

古代から中世まで東山道を行き来するのに
この峠は死ぬ覚悟で登ったという

そのおまもりが近くの遺跡から出土している

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巨木に囲まれた社がとても素適だ

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少し下りると

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帚木にむかう道
登ってみたかったが時間がなかった

久しぶりに素適な神社にこれた























# by gannyan1953 | 2017-08-03 20:45 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)

松平郷に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編   2017・7・31


岡崎から近いのになかなか訪問できず早朝だったが行ってきた



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東照宮




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徳川家康の先祖が
やってきた地である


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岡崎城で生まれた家康の為に
この井戸の水を運んだという


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産湯の井戸が神様になっている

高月院

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位牌
家康とかお大様(母)とか
初代親氏さんもいたのかな

オープンで中まで入れていただけるのは
感謝感謝だったが
そのため蚊が多くて
早めに退散してしまった

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家康お手植えの松






# by gannyan1953 | 2017-07-31 15:54 | 愛知県三河の歴史 | Comments(0)

麻布十番から歴史散歩

歴史と素適なおつきあい番外編    2017・7・23


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ハリスさんがヒュースケンとアメリカ行使館として入った善福寺


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とてもわかりやすい


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越路吹雪さんと岩谷時子さんの碑

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福沢諭吉の墓

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逆さイチョウ

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仙台坂近くの山田君自販機

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仙台藩邸の湧き水がこの喫茶店で見ることができる

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日向(ひゅうが)坂


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三井倶楽部


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簡易保険の建物らしいが使用されていなそう・・

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イタリア大使館
ここは赤穂浪士が切腹した場所で
ムッソリーニが赤穂浪士に深く感銘し、
当時の大使により碑が建てられている
(見学不能)


以下ことらを参照
コースが同じなので





























# by gannyan1953 | 2017-07-26 10:21 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)

くさぶえのみちにネズミがいた

歴史と素適なおつきあい番外編    2017・7・12



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ネズミが水を飲んでいた

正面から撮れなかったがかなりかわいい顔をしていた

大きさ7センチくらい


# by gannyan1953 | 2017-07-18 22:13 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)

ヤマトタケル

歴史と素適なおつきあい 室内学習       2017・7・14
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三峯神社 ヤマトタケル像

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上村松園



ヤマトタケルは天皇だったのか


ヤマトタケルは第12代景行天皇の息子として生まれた。

時代は推定3世紀末から4世紀前半の話である。

古事記では「倭建命(ヤマトタケルノミコト)・

倭男具那命(ヤマトオグナノミコト)」、

日本書紀では「日本武尊」と表記される。

若くして勇敢だった皇子が、非業の死を遂げる伝承が英雄叙情詩として

語られ、人々に強い印象を与える。

だがヤマトタケルは天皇だったともいわれる。

それは古事記に幸(いでます)・崩(かむあがる)・

詔(みことのり)など天皇に対する敬語表現があることと、

常陸風土記や阿波国風土記に倭建天皇(すめらみこと)とあることからである。

大和の権力を広げていった英雄が夭折し皇子のまま悲劇を迎えたことがより印象深く、

古事記や日本書紀に皇子のままになったかもしれない。

息子は仲哀天皇、その妻が実在を疑われる神功皇后だということから実在も疑われている。

私自身、神功皇后は伝説の人物と思っていたが、

福岡の香椎宮(かしいぐう)を訪ねたときその空気から

仲哀天皇も神功皇后も実在したのではないかと感じた。

特に仲哀天皇行在所の空気は重く寂しく長くはいられない気がした。

重い空気は神のご信託を信じなかったため神に誅された天皇だからか。



ヤマトタケルとはどんな人だったのか


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天皇の本より




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猿投神社蔵




第12代景行天皇の子で小碓(おうす)という。

兄大碓とは双子という説がある。

碓は臼で穀物に関する名前と考え、豊穣を願う名前ではないか。

大碓は父が召した美濃の女性を迎えに行ったが、

その女性にひとめぼれ・・・父には他の女性を差し出した。

父に対し気がとがめたのか会食にも出なかった。

父は兄の出席を弟の小碓に促した。

ところが大碓はそれからも出席せず天皇が小碓に事情を聞くと、


「兄を捕らえて体をつかみつぶし手足をもいで薦(こも)に包んで投げ捨てた」


と答えた。(古事記)

実は兄は美濃に隠棲し、ヤマトタケルの死後10年後に

三河の猿投山で毒蛇にかまれて亡くなったといわれる。


父は小碓を怖れ、遠ざけるように九州の熊襲の平定を命じた。

ヤマトタケルは女装して熊襲に近づき、熊襲を討つ。

熊襲建は死ぬまぎわ勇敢な小碓に自分の名を与え、


「これからヤマトタケルと名乗るように」


と言い残した。


ここにヤマトタケルの名が誕生した。

以後タケルということにする。

九州から帰ると今度は東国遠征を命じられた。

さすがにタケルは叔母である倭姫に泣きついた。


「天皇はきっと自分に死ね」


と言っているのだろうと。倭姫は伊勢に天照大神を奉じた人物である。





倭姫はタケルに草薙の剣(天叢雲剣)と火打石を「万一の時に備えるように」と手渡した。


相武に来たとき、国造に謀られ火攻めに会う。

剣で草を刈り払い、火打石で迎え火をつけて難を逃れた。



三浦の走水では妻のオトタチバナヒメが海の神の怒りを

鎮めるため入水して嵐を鎮めた。

尾張に戻りミヤズヒメと結婚、草薙の剣は妻に預け、


伊吹山鎮圧に向かい死を迎えることになる。




ヤマトタケルの足跡

❶静岡



①萱津神社: タケルがおいしいと言った漬け物の話が伝わる。

村人が土地でとれた野菜と海の塩を祠にお供えしたところ

いい塩梅の現在でいうところの漬け物となった。

ヤマトタケルに献上したところ「薮に神物」(こうもの)と言われ、

それが香の物といわれるようになった。今でも熱田神宮に奉納されている。


氷上姉子神社:ミヤズヒメが祭神でタケルから

草薙剣を預かり奉斎した場所と伝わる。


その地は「熱田神宮縁起」に武稲種命の居館があり

妹のミヤズヒメはヤマトタケルの死後剣を守ってきたが、

年老いたため熱田社を創建したという。


祀られた草薙剣は天武の時代に新羅の僧によって盗まれ、

発覚したあと天武帝は熱田に返却せず、

ヤマトタケルではなくスサノオノミコトの剣として石上神社に祀ったという。

結果天武帝は具合が悪くなり熱田に返却することになる。

この時の熱田の喜びが酔笑人神事(えようどしんじ)として残る。

オホホ祭といわれるがオホホではなくアハハだった。

30秒ほどの間隔で「ミレファー♯ソー↓」の笛が鳴ると

『あははははははー』と笑いながら暗闇を行進するという奇祭である。


清水港で上陸

富士川から大井川に渡る当時庵原(いおはら現在いはら)という地を視察。

大井川から10キロほどの焼津で火難にあったことになっている。

焼津とは毛人がユクート(鹿沼)と言い、

駿河の語源も毛人のスルグラ(トリカブト)であるという。

タケルの時代三河から物部系が進出、毛人は山に後退した。


⑦日本平:タケルが駿河を制定し四方を見回した場所。

ここでは相模原の火難の地は省くことにする。


⑧山宮浅間神社富士山本宮浅間神社の元宮):

富士山遥拝所として世界遺産になったパワースポット。


⑪比比多神社(伊勢原

縄文の頃からある古社でストーンサークルがある。


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比比田神社




❷神奈川千葉

 

②走水神社:オトタチバナヒメと侍女10人を祀る

海が荒れ出航できない兵たちが苛立ち、士気が下がることを怖れ

出航したが、海上は想像以上の荒れた海で、

妻のオトタチバナヒメが「使命を果たして下さい」と侍女とともに入水した。


「さねさし さがむのおぬに もゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」


焼津の火難でオトタチバナヒメを気遣ったことへの感謝の言葉を最後に残した。

さがむとあるが焼津辺りも相武ではないかと言われている。


⑥鹿野山:ここで戦い首長阿久留を討った。

亀山に逃げた毛人は亀を食いつくし亡くなったという。


⑧玉崎神社:九十九里の飯岡、玉之浦から出航。

ここで武稲種軍と合流。


❸東北


⑦遠流志別石(おるしわけいし)神社(石越町)

ヤマトタケルがアマテラスを奉じ、叔母の倭姫から

授かった明珠(めいしゅ・透明な石又は光り輝く石)を埋めた。

和銅2年タケルを祀る建部氏が神官となった。


平泉に白山神社があり磐井川北辺にあったが、

今は中尊寺北にある。


このあたりで足跡が消え祀られている神社はあるが

後の坂上田村麻呂が創建したものである。


⑪都都古別(つつこわけ)神社(福島県)

祭神はアジスキタカヒコネで、八溝の戦いで加護をもたらしたからという。


⑫八溝嶺神社(茨城):まだ毛人が多かったという。


⑬吉田神社(水戸)

近くの朝日山で眺望した。

藤蔓(つる)を使って船をつないだことから藤柄町という地名が残る。


21 鳥越神社(台東区):滞在地である。

昔は海に面しており奥州征討の源義家は白鳥に導かれ

浅瀬を進むことができたという。

江戸になって神社のあった台地は削られ埋め立てに使われ

社地は武家屋敷になった。

それでも宿営地として今でも残るのは伝承の力なのか。


22武蔵御嶽神社(青梅)

国宝の赤糸縅大鎧(あかいとおどしおおよろい)がある。

畠山重忠の所有だが製作に、この神社にあったヤマトタケルの鎧をモデルにしたと伝わる。


❹山梨埼玉栃木


①大嶽神社(桧原村)

大嶽山はキューピーの頭のような形をした山でかわいい。

オオカミの護符がある。

古くから祭神がオオナムチとスクナヒコで

ヤマトタケルは登山をしている。


②軍刀利(ぐんだり)神社(上野原町原・ゆずりはら)

草薙剣を三国山山頂で神実(かむざね・神の実態・神のエネルギー)として

祀り神社には刀のモニュメントがある。

グンダリとは密教の軍荼利明王のこと。

古事記の道は相模にまわり足柄峠から甲斐に行くとある。

しかし甲州街道を進んだと思われる。


⑦酒折宮(甲府市)この地で宿営した。


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青梅街道、甲州街道の合流点にある
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タケルが部下に


「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」


と問いかけると火を焚く老人が


「かが(日々)なべて夜には九夜日には十日」


と答えヤマトタケルは感動し老人を東国造に任じたと伝わる。


連歌発祥の地となった。


この老人塩梅足尼(しおみたるに)といい、

神社を多く創建、信玄隠し湯で有名な身延の下部温泉の発見者である。


ここで建稲種は海路で帰ることになる。そこで


「あゆちがた ひかみあねこは われこむと とこさるらむや あはれあねこを」


と詠んだ。「とこさるらむ」は「所在なげに」という意味ではないかと思う

とこさるは所在ないもの  らむは推量だそうな


(病気で寝込んでしまっているのかと思った・・・・なんだかんだと

女性と縁があるように見られるが婚約者が気になっていたんだ・・・

遠征中で知り合った女性はやはり恭順のあかしに娘をさしだしているのかな)


⑨武田八幡神社(韮崎)

タケルの子武田王がのちにこの地に

封ぜられ亡くなったという居館跡。

武田王とは尾張の丹羽氏の祖でミヤズヒメとの子。

のちに信玄の祖がこの武田姓を名乗り

300年後信玄が生まれた。



⑪教来石(へてこいし・きょうらいいし・白洲町)

といって腰掛け石である。


⑫三峯神社(秩父)


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ヤマトタケル社

タケルは山犬に導かれており、

江戸時代にはお犬様、狼信仰の三峯参りが流行する。


⑬椋神社(吉田町・秩父騒動の最初の集合地)


⑭宝登山神社:山火事にあい犬があらわれ鎮火した。

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金鑽(かなさな)神社(神川)

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倭姫から授かった火鑽金(ひきりがね・火をおこす道具)を納めた。

宝登山の火事がよほど怖かったからか。


⑮城峰神社(神泉村・将門ゆかりの地)


❺群馬長野愛知


①武尊山

麓の片品村でタケルに討たれた盗賊の妻が逃げ、

力尽きて石に憑依し、その石に花が咲いた。

それから災厄が絶えず花咲明神として祀られた話が伝わる。

現在花咲の地名が残る。


③子持神社(子持)上妻(かみつま)・吾妻(あがつま)姫の話が伝わる。

この地は古くからトヨキイリヒコ一族が治めていた。

その娘がタケルの子を生んだ。

トヨキイリヒコは崇神天皇の十番目の子で、

アマテラスを最初に奉じたトヨスキイリヒメとは同母である。

東国経営にむかい、上毛野(かみつけぬ)下毛野(しもつけぬ)の祖となり、

赤城神社の祭神である。

タケルが長く滞在したのは北にある沼田の干拓に取り組んでいたと伝わる。


ここから

碓氷峠を越えるといわれているが草津に足跡が残るため北上する。

古事記は足柄峠、日本書紀は碓氷峠となっているが

草津から嬬恋村、鳥居峠越えの道を行く。



④白根神社(草津)

タケルが草津の湯を発見。

ちなみに他説は行基、頼朝の発見となっている。


嬬恋村の名は鳥居峠で吾妻者耶(あづまはや)と言ったことから

嬬恋の名になった。

書記には碓日坂とある。


昔嬬恋村からの峠は碓日坂と言われており

軽井沢辺りまで碓氷郡だった。

いつしか長野県民がこの坂を鳥居峠という名にしたのであって

嬬恋村では古代からの碓氷峠はこの鳥居峠だという。

嬬恋村の説は説得力がある。


ヤマトタケルと命を捧げて守ったオトタチバナヒメの話を

英雄伝説にするためには上妻姫との恋愛話は伏せたかったのかもしれない。

そしてこのあたりの神社の祭神はなぜかオトタチバナヒメが多い。


坂城神社(埴科郡)

ここで部下の吉備武彦が越に赴いた。

戸隠から越にはいった。

このためその道にはタケルを祀る神社が多い。


タケルは三州街道を行く。


⑨大御食(おおみけ)神社(駒ヶ根赤穂)

ここで里の長の娘の押姫と出会った。


「二夜三夜 二人寝哉 飽哉 美少女 愛哉 立廻 愛哉」

(ふたよみよ ふたりねしかも あかぬかも うつくしをとめ 

はしけやし たちまわり はしけやし)


大御食神社に伝わる神代文字社伝紀の伝承である。


昼神温泉はヌルヌルしたいい温泉であるが名の由来は、

タケルが鹿に襲われ蒜(ノビル)を噛んで鹿に投げつけたら

鹿の目に当たり死んだからである。

それから峠を越えるときには蒜を噛みながら行くと安全だといわれた。


阿智村はオモイカネノミコトが降臨したといわれる。


⑩神坂(みさか)神社:難所の神坂峠を越える。

ここは縄文の頃からの道があり祭祀遺跡も残る。

この峠を越えた防人の歌がある。


「ちはやぶる 神の御坂に 幣(ぬさ)奉り 斎(いわ)ふ命は 母父が為」


⑪恵那神社:恵那の語源はアマテラスの胞衣を埋めた伝説から。


内々(うつつ)神社(春日井市)

建稲種の従者が早馬でかけつけ悲報を届けた場所である。


武稲種命(たけいなだ)は副将軍としてヤマトタケルに随行し、

尾張水軍としてタケルの大きな助けとなったといわれる。

尾張の首長として妹ミヤズヒメとの政略結婚も考えにいれていた。

駿河の海でタケルに献上するミサゴ(野)を捕らえようとしたが

波がくなって船が沈没、自らも水死したという

ヤマトタケルをねらう密害されたというがある。


衣服が流れ着いたのが知多半の先にある羽豆神社、

体は吉良に流れ着き幡豆神社に祀られたとされる。


知らせを受けたタケルは絶句

「ああ、哉」「ああ、うつつなりうつつなり」


とつぶやき、魂のため建命の社をたてたことがはじまりである。


内津峠の名の由来となった。




武稲種の妻は犬山にある大県神社の祭神である大荒田の娘である。

夫の死後この実家に戻り領国経営と子育てをした女性の鑑といわれる。

小牧の田県神社にその玉姫が祭神となっている。

両神社は天下の奇祭といわれ有名である。


豊年祭で大県神社:女性を示すおかめの神輿

田県神社男性シンボルをの神輿で、

戦前はもっとリアルだったという。


考えると祭神は親子の関係でいぶかしく思ったが女性は

玉姫、男性は夫の武稲種だそうでお互い夫婦であった。

驚いたことに両神社の接触はなく全く別の祭という。


⑭尾張戸神社 東谷山(とうごくさん)にあり、古代の磐座が多くある。


⑮岩作(やざこ)長久手市


⑯熱田神宮

ミヤズヒメと結婚し、しばらく名古屋に滞在したタケルは精力的に動いている。


知立神社(知立市)矢作神社(岡崎市)矢を矧(は)いだ)


菅生神社(岡崎市):矢を小川に吹き流した)。


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このむこうに京ヶ峯がある
この場所不思議なのだが地図に名前がのっていない
神社がある
神明社だったと思うが
この近くに皇子ヶ入や皇子田の地名が残る



京ヶ峯はヤマトタケルが都を偲んだ小山である


蘇美天神社・三村神社(幸田町)成石神社(半田市)は、功績のあった者に与えた。


法蔵寺(岡崎)は泉が湧き家康は賀正水といわれたその水で墨をすった。

行基開基と伝わり、近藤勇の首塚がある。


白鳥神社(作手(つくで)村)



❻ヤマトタケルの最期


尾張に滞在中、伊吹山の荒ぶる神の話を聞いたヤマトタケルは

早速草薙の剣も持たずに出かけた。


⑤七所社(名古屋中村区の神社)から船で行く。

一宮市戸塚の砥塚(とぎづか)、巨岩が多く刀を磨いたという。

羽島には八剣神社が五社ある。

坂井の霊泉で休息とある。

のちにオトタチバナヒメの稚武彦が宮を造ったという。


⑥八剣神社(岐南町)、瑞穂市(旧巣南町)


⑦白鳥神社(呂久)は倭姫も休憩している。


⑧白鳥(揖斐川西の池田町)で下船した。


⑨雲雀山(小谷山手前)に陣をおく。


⑱磯崎神社(米原)はヤマトタケルが亡くなった地であるという伝承がある。

この地は鉄の生産がさかんで息長氏の領地である。

伊吹山の荒ぶる神とは鉄の争奪戦のことか・・


伊吹山から離れている場所なので最期の決戦が伊吹山だったのか。

あと薬草の多い地で古代からこのあたりは

トリカブトを鏃の先に塗ったという。


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ウイキペディア



⑩伊吹山の神の氷雨に正気を失い、

重体のヤマトタケルは玉集落にひとまず引き上げる。


⑪居醒の水で正気をとりもどし


⑫白鳥神社(養老町桜井)にいく。

水が甘いので桜井となった。

このあたりで多度まで船でいったかもしれない。


⑬尾津神社(多度の戸津)で下船。


⑭平群神社(桑名志知)


⑮杖衝坂で足が三重になるほど疲れ血の付いた石を積んだ血塚社がある。


⑯加佐登神社ではタケルの陵墓といわれる白鳥塚古墳の横にあり

最期まで所持したという笠と杖が祀られる。

白鳥塚古墳は本居宣長が、ここが陵墓と提唱した。

しかし明治になって亀山の能褒野が比定された。


最後に

ヤマトタケルの残虐な伝承を否定する場所がある。

多治見市の柿野神社は兄を訪ねてタケルが牛でやってきた

という伝承がある。


兄に別れを告げにきたのか、兄は自分の家来を東征に随行させている。

タケルの死後土岐市鶴里柿野に移り住み、タケルの死から

10年後にまた移り住んだ猿投で亡くなったという。


猿投神社は大碓を祀り左利きだったため左利きの鎌が奉納される。

猿投山で42歳のとき毒蛇にかまれ亡くなったという。

父の景行天皇から兄を隠したのか、兄はこの地をタケルの死後拝領したのかわからない。

大碓の妻は景行天皇から奪った姫だとすると、

姫の父は現在の美濃加茂市を拝領しておりそこも近くにある。

妻の実家の援助でこのあたりに隠棲したとも考えられる。

大碓の墓は猿投神社にある。


参考:天翔る白鳥ヤマトタケル・伝承が語るヤマトタケル:小椋一葉 

    青銅の神の足跡:谷川健一

    神社に秘められた日本史の謎:新谷尚紀 天皇の本:学研













# by gannyan1953 | 2017-07-18 14:58 | 神様の話 | Comments(0)



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