歴史と素適なおつきあい

ちょっとディープな目黒歴史散歩

中川歴史ウォーキング 30         2017・3・18(土) 

3月18日(土)開催します
詳しくは  中川歴史ウォーキング3月

 

 
桜にはちょっと早いけど・・江戸時代の観光地目黒を巡ります
美しくなりたい方おしろい(今ならパウダーファンデーション)ご持参で・・
14歳の円仁さん、夢にでてきたお不動さんを上手に彫ってしまった・・
お不動さんは酉年守護の仏さま
秘仏だけど酉年の秋にオープン!予定・・・酉年最強スポットへ

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目黒不動境内(目黒不動尊サイト)



集合:目黒駅・・行人坂・・大円寺・・太鼓橋・・蟠龍寺・・海福寺・・五百羅漢寺・・成就院・・目黒不動尊・・大鳥神社・・寄生虫博物館

権之助坂 
由来は①権之助さんが年貢の取り立てに苦情を訴え刑に処せられた  
②行人坂のこう配がきついので少しゆるやかな坂道を許可なく開き、刑に処せられたと伝わる。
いずれにせよ悲しい話である。

行人坂

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 大円寺で修行する修験道の行者が往来した坂で、
目黒不動の参詣道になり寺社参りが盛んになると町並みができ坂の中程には
「富士見茶屋」がつくられていた。

この坂は明和の大火と天和の大火と二つの大火と関係していることが
印象的である。

大円寺
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寛永年間(1624〜44)に湯殿山の修験僧大海法印が大日如来を祀り
道場を開いたことがはじまりである。
江戸の三大大火の一つ明和の大火(行人坂大火)の火元である。
ここに五百羅漢の石像がある。
大火の犠牲者の供養のために当時つくられた。
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西運の碑

釈迦堂には鎌倉初期清涼寺式の釈迦如来立像がまつられている。

本堂には藤原期の十一面観音、山手七福神の大黒天、
阿弥陀堂には西運上人像がある。


西運は天和の大火の八百屋お七が恋をした吉三郎であるといわれている。
隣の明王院(廃寺)に住し、行人坂の改修、橋の架設を行った。
吉三(きちざ)はお七の供養に明王院から浅草まで往復約40キロを、
鉦をたたき念仏を唱えながら参る「一万日の業」を27年5ヶ月で成し遂げたといわれる。
おかげでお七が夢枕にたち成仏したと告げたので「お七地蔵尊」をつくった。

江戸の火事について

明和の大火
   江戸三大大火
明和9年(1772)大円寺の寺僧による本堂の放火から
江戸市中628町(934町とも)が燃えた。
死者1万4700人、行方不明4000名という惨事だった。

行人坂の大火ともいわれる

寺僧とあるが無宿僧による放火といわれる。
江戸に出てきて職もなく無宿僧となり、
やけになり火事場泥棒を企てたという。
真秀といい、火付盗賊改長官の長谷川平蔵の父により
捕縛され小塚原で処刑された。


火元の大円寺は76年再建を許されなかった。
幕末になって島津氏の菩提寺となりようやく再興された。

天和の大火


天和2年(1683)に駒込の大円寺から出火、死者は3500名と伝わる。

八百屋お七火事ともいわれる。
この大火で焼けだされたお七の一家は本郷の寺に避難したが
ここで寺の小姓と恋に落ちる。
家が再建され寺から戻っても忘れられず
もう一度家が焼けたら小姓に会えるかもしれないと
自宅に火をつけた。

お七は捕縛され鈴ヶ森刑場で火あぶりの刑に処せられた。
お七が本当に火をつけたかどうかはわからない。
井原西鶴の話にでてくる女性で実在していないかもしれない。

ただ凛とした態度で刑に処せられたことが伝わる。

長津田にも「お七稲荷」がある
ここは処刑に関係したお役人が供養したものである
長津田の歴史探訪


明暦の大火
    江戸三大大火
明暦3年(1657)江戸の大半を焼失する大きな火事になり
三カ所から順に燃え、火元のひとつは本郷の本妙寺だった。

別名「振袖火事」ともいわれ、
ある娘が寺の小姓に一目惚れ、恋煩いで寝込んでしまった。
両親は娘が哀れと思い、小姓がきていた着物の柄だった
荒磯と菊柄の振袖を仕立ててやった。

このころの小姓は娘のような派手な柄の着物をきていた。

ところがじき娘はなくなり、両親は棺桶に振袖をかけてやった。

当時は埋葬する寺男たちがそれをもらい、
それを売る習慣があり振袖は他の娘の手に渡った。

ところがその娘は病で亡くなり、次に手に入れた娘も亡くなり、
さすがに寺男たちも気になって供養に振袖を焼くことになった。

ところがたちまち強風が吹き、火のついた振袖は空高く舞い上がり
それが火事の原因になった。

この話は小泉八雲も小説(振袖)にしているがどうも真実ではなかったらしい。

明暦の大火の真実

実際のところ火元は本妙寺ではなく、
隣接した老中の阿部家であったといわれている。

老中宅が火元では、幕府の威信失墜になると、
本妙寺が罪をかぶったというのである。
本妙寺は大火から3年後に再建され、
関東大震災まで阿部家から明暦の大火の供養料として
260年に渡り奉納されていたことから推測されている。



文化の大火
    江戸三大大火

文化3年(1806)に芝から出火神田浅草まで530町に燃えひろがり
翌日降雨によって鎮火した。
家屋の焼失12万6000戸、死者1200人、
町奉行所は被災者救済のため救出小屋や炊き出し、被災者に御救出銭を与えた。

雅叙園
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雅叙園の前にお七の井戸があった

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おひな様が百階段に飾られるイベント開催中

雅叙

雅叙の前にお七ゆかりの井がある。西運がお七の菩提を念じながら水垢離をした井戸だという。雅叙園の創始者は細川力蔵という人で、銭湯に奉公し芝で銭湯を開き、不動産業で財産を築き料亭を開いたことが始まりである。国内最初の総合結婚式場である。





太鼓橋

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明和6年(1769)に石造りの太鼓の形の橋がつくられた。

つくった人は諸説ある・・・

① 西運といわれている。

② 木喰上人が1700年代につくられたといわれている。

橋は大正9年(1920)に豪雨で流された。
明王院、大円寺一帯は夕日の岡といわれ紅葉、桜の名所で
江戸の清遊の地であった。歌川広重の名所百景の浮世絵がある。


蟠龍寺
 浄土宗
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霊雲山と号し宝永6年(1709)に称明院から増上寺の僧により改名された。
弁才天は山手七福神の弁天様である。

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この中にある
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弁天様
江戸の裏鬼門で、表鬼門は不忍池の弁天様で対をなし江戸を護る弁天様である。
岩窟に石像があり、江戸時代の人気は高かったそうである。
本堂の阿弥陀如来は藤原期の寄木造で秀作である。(目黒区文化財サイト)

以前は金属の阿弥陀如来もあったらしいが、
明治初期にフランスに渡りバラバラにされた体はロダンの鋳造家によって再現され
ウィーン万博(1873)で展示された。
現在パリのチェルニスキー美術館にある。蟠はわだかまる・とぐろをまくという意味がある。龍のとぐろ?


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美しくなりたい方
このお白い地蔵に自分のファンデーションを
塗って自分も塗るときれいになれる



調べてみたら蟠龍とは


今にも飛びたとうとする龍の姿・・屋根瓦に使われるとのこと
伝説 蟠龍の北の国のお話


甘藷先生の墓
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青木昆陽の墓で享保20年(1735)に「蛮薯考」を著わし
さつまいもを飢饉の時の備荒作物とすることを
大岡忠相の援助により目黒で試作
全国に普及させた。

海福寺 黄檗宗


明から来朝した隠元隆琦(いんげんりゅうき)が万治元年(1658)に
深川に開創した寺で、明治43年(1910)に移転してきた。

本尊の釈迦牟尼仏は平安末期の作である。

隠元はインゲン豆を日本に伝えたので豆の名になったと伝わるが、
関西ではインゲン豆は藤豆のことをいい、いわゆるインゲン豆のことではないという。

隠元の教えは日本の禅宗に大きな影響を及ぼし、
豆は普茶料理に利用された。

山門前に永代橋が落ちた時犠牲になった人々の供養碑がある。
文化4年(1807)に富岡八幡宮の祭礼に人出が多く橋が落ちる事件があり
1400人が亡くなった。

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供養塔

「わぁ 橋が落ちた」
「危ない」
「押すな 押さないでくれ」

怒号も悲鳴も、はるか後方に犇めく大群衆の耳には届かない。
つかえていた前が急になめらかに動きだしたのに勢いづいて、
やみくもに寄せてくる。

押し出された心太さながら、
とめどなくこのために人が落下した。

橋杭の根元は泥深い。

あとからあとから落下してくる人体に、先に堕ちたものは押しつぶされ、
泥に埋まって窒息したし、

かろうじて泳ぎだした者も八方からからみつかれ、
動きがとれなくなって共倒れに沈んだ」。     杉本苑子著「永代橋崩落」


天和3年(1683)の梵鐘がある。
中国と日本の鐘の特徴があり珍しいものだという。


五百羅漢寺


元禄8年(1695)鉄眼禅師が開山、京都の仏師松雲元慶が木彫した。
現在305体の羅漢が安置されている。
五百羅漢を中心に深川に開創された寺で
洪水のため明治41年(1908)に移転してきた。

この寺は戦中から戦後にかけ桂太郎の愛妾お鯉が妙照尼として守った。

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お鯉(写真)とは本名安藤照という美しい芸者で、
歌舞伎役者市村羽左衛門と結婚するも花柳界のしきたりが面倒で離婚、
のち桂太郎の妾になった。

伊藤博文ら政治家たちの歴史的な事柄など身近でみてきた女性だった。
日露戦争の賠償にまつわる決定がなされ、それを不服とみなした人々が決起した
「日比谷焼討ち事件」では桂邸とともにお鯉邸も狙われたという。

桂の死後カフェを経営し政治家たちのサロンともなった。
その後帝人事件関係の小山松吉(法律家)の収賄罪で小山の収賄の証言をし、
それが偽証だとされ偽証罪に問われた。

事件後尼になりこの寺を守ったという。

成就院 天台宗 蛸薬師
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本尊がタコに支えられていることから蛸薬師とよばれる。

境内に保科正之の聖母お静の方が我が子のための
大願成就のお礼に奉納したお静地蔵がある。

保科正之は2代将軍秀忠の子だが、
嫉妬深いといわれた正室お江様から隠され、
保科家の養子になって育てられ、のち会津の大名となり
家光や幕府を支えた人である。

目黒不動尊参道は
店で賑わい
幕末には志士の隠れ家となった。

名物は筍飯で、今でも縁日の28日は賑わう。

比翼塚
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正面手前に白井権八、小紫の比翼塚がある。

白井権八は平井権八といい、お金に困ったあげく
辻斬りを働き捕縛されて鈴ヶ森刑場で磔刑になると

遊女小紫はあとを追った。

歌舞伎「鈴ヶ森」で上演され有名になった。


目黒不動尊 泰叡山瀧泉寺 天台宗


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大同3年(808)慈覚大師円仁開創と伝わる。

不動尊が夢に出てきて夢の像を彫り、
のちに中国修行中よく似た不動尊をみて
帰朝後いち早くこの目黒にきて開創したという。

湧水があり古くから不動信仰の霊地になった。

元和元年(1615)にほとんど焼失したが、
三代将軍家光の帰依で復興造営された。

家光は迷子になった鷹が戻るよう祈願したら
鷹が戻り大喜び。

目黒のさんまの話が残るほど目黒好きである。
そしておかげで江戸時代の参拝行楽の地として栄えた。

戦災で焼失し再建されたが開創以来という不動明王像は
本堂に秘仏としてまつられている。

酉年に御開張される。

戦災を免れた前不動堂、勢至堂は江戸中期の仏堂建築を残している。

弁天、恵比寿、愛染明王など数多くの仏を祀る。

独鈷の滝は湧水で水垢離し祈願成就を祈る。

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大鳥神社
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目黒の総鎮守である。

景行天皇の時代国常立命(クニノトコタチ)を祀った社があり
その子日本武尊(ヤマトタケル)が立ち寄り東夷祈願をした。

その後日本武尊の霊が白鳥となってこの地におり鳥明神となって、
大同元年(806)に社殿が建てられ、それから主祭神は日本武尊になった。

寄生虫博物館

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こんなのがお腹にいたら・・・

三田用水

江戸の6上水のひとつで寛文4年(1664)に開削、
玉川上水から分水し給水した。

明治になると水車利用や海軍の火薬工場、
明治23年恵比寿にヱビスビールを製造する日本麦酒の工場が建てられた。

開設当時は給水をめぐり周辺農家とトラブルもあった。
昭和49年(1974)に利用が少なくなり廃止された。


目黒の自衛隊駐屯地に三田用水の一部が残されており
当時の水が残っているとブラタモリにあった。

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ウイキペディアより
緑の長い屋根の建物に水路がある

田道(でんどう)

目黒村の小字で新編武蔵風土記は傳道とある。
平将門が決起するときに目黒氏を味方に誘ったが
それを断った。
その配下に田道源吾という名が出ており
田道の由来かもしれない。

あと水田の道と言う説もある。




目黒川を池尻大橋まで歩き途中西郷山公園まで
歩いた。15キロは歩いた気がするが
昔ながらの古本屋・・・おしゃれな古本屋など
興味深いお店などあり飽きさせない








参考 東京との歴史散歩:山川出版
   TOKYOパワースッポトを歩く:鈴子
   東京ディープ散歩:町田忍
   目黒区役所
   世田谷区役所


# by gannyan1953 | 2017-01-25 19:03 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)

国府宮に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編  2017・1・19



愛知県稲沢の国府宮駅近くに尾張大國霊神社がある
おわりおおくにたまじんじゃという

府中の大国魂神社と読みはいっしょだが
祭神も違う


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楼門 ウイキペデイアより
室町時代の門である




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大國魂神社拝殿



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別宮 大御霊神社


尾張開拓した祖先が祀られている。
古代祭祀の神社で本殿後ろに磐座がある。

磐座を見に行ったのだが裸祭り(平成29年2月9日開催)の準備か
プレハブが建っており後ろを覗くことができない。
普段なら隙間からみえるのだそうだ。
ちゃんとみるにはご祈祷を申し込んで拝殿に上がれば見られるという。
時間がなかったので残念だが
公開してくれればいいのに・・・

この近くに尾張の国府(国衙)があり 駅名が国府宮となっている。
祭神は尾張大國霊神・境内別宮の大御霊神社(大国御魂神)・
宗形神社(田心姫命)の三神で国府宮三社という。

大國霊神社

ホームページに磐座の写真がある

尾張の国府(国衙)はこの神社のまわりにあったと推定されている


尾張の国府に赴任した国司が
納税者(配下に百姓がいる)から悪い国司だよと
朝廷にちくられたことで有名になった
藤原元命(もとなが)がいる。

江戸時代岐阜県で郡上一揆があり
大名を首にしたことがある
中部地方のの住民強し!

藤原元命が何をしたかというと

「術つきて東寺門にて乞食をしけるが、終いには餓死したりけり」
『地蔵霊験記」

料地の農民が一生懸命努力したが食べていかれず結局死んだ
とある

悪政を行った
ほかに

元命は地獄沢に氷が張って渡れず
近くの卒塔婆を橋にして渡った
そこには地蔵菩薩が掘ってあり
地蔵を踏みつけた

その後尾張の百姓に憎まれ・・・

と尾張の鳴海にある頭護山如意寺の由来にある

具体的にはわからないが訴状が残ってしまった
他国でも訴えは多くあったけど
元命の訴状文だけが全部残ってしまった

古文書として大切にされた

なので今でも悪人と伝わる

尾張国郡司百姓等解文という
大須観音所蔵


結局・・・職から追われた

 歴史に悪名を残した不運な人である

その後・・・また尾張に・・・
有名人がやってきた

百人一首で赤染右衛門という人を
ご存知だろうか

女性歌人で


やすらはで 寝なまじものを 小夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな

を歌った

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赤染右衛門のご主人は、文章博士の大江匡衡(まさひろ)

夫婦で文系ってこと・・

夫の仕事も支え、子の任官にも努力し
教育ママぶりも発揮

平安時代の良妻賢母である

このような人たちが

尾張の国司だった















# by gannyan1953 | 2017-01-20 12:02 | 愛知県尾張の歴史 | Comments(0)

高尾山にまた行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編   2017・1・14


今日は稲荷山コースで登って 琵琶滝の第6コースで下山
せせらぎに足を入れる感じで下りるので
スニーカーじゃ無理な道

でも面白かった

寒波がきているので

山頂は寒かった
おにぎりと熱いみそ汁食べて
ビジターセンターで少し暖まってから下山

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琵琶滝

滝行したい人がいて
ちょっと見てみたかった
まあまあの水量

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岩屋のお地蔵さん


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 登山口にある道標





# by gannyan1953 | 2017-01-14 17:39 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)

柴犬 朔太郎

歴史と素適なおつきあい番外編


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爆睡中
# by gannyan1953 | 2017-01-12 08:27 | 前足 湾曲 柴犬朔太郎 | Comments(1)

劔神社 港北ニュータウン

歴史と素適なおつきあい番外編   2017・1・7

劔神社に初詣

中川からセンター南
参照


地図
劔神社に初詣

 まずは中川駅から早淵川にむかって 
階段上がると
 
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矢羽根不動尊

義経の家来が矢を放ち
羽根が落ちたところという伝説がある
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以前お堂の中をみせてもらった


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本堂の右にはお稲荷様


柚木台地にでて
高地からの景色を堪能したら

あすなろ老人ホームの方に
下山
柚木谷戸を横断し

あいわ幼稚園の下の谷戸にはいる

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左手に熊野社

たしか動かすと祟るといわれ
劔神社に合祀されるも
今でもここに鎮座


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谷戸の突き当たりを登ると富士山がよく見える

あいわ幼稚園の大きい駐車場手前右の道を
降りて行く
この細い道は鎌倉街道といわれる

すぐに劔神社におりる


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劔神社の社伝

むかし陸奥の国から炭を売る商人が長年にわたり
鎌倉の鍛冶に炭を運んでいた
鍛冶はお礼に自ら鍛えた刀を一振
炭商人に贈った
その帰り道荏田村の和泉谷付近で
休み、清水を飲んだら酒酔いの気分になって
眠くなり眠ってしまった

そのとき木の上にいた大蛇が
炭商人をひとのみにしようと下りてきた
とっさに刀が勝手にぬけて
大蛇を斬った

炭商人は命を助けてくれた刀を当地に
祀った

八岐大蛇伝説みたいで
おもしろい

この神社はこの辺りに多い杉山神社とは違う

ただ宮司さんは共通のようだ
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劔神社

ちょっと近くの真福寺に立ち寄った
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真福寺の左の道を登って行くと

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お稲荷様があった

今回の新発見








# by gannyan1953 | 2017-01-07 17:09 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)



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