歴史と素適なおつきあい

タグ:パワースポット ( 15 ) タグの人気記事

ちょっとディープな目黒歴史散歩

中川歴史ウォーキング 30         2017・3・18(土) 

3月18日(土)開催します
詳しくは  中川歴史ウォーキング3月

 

 
桜にはちょっと早いけど・・江戸時代の観光地目黒を巡ります
美しくなりたい方おしろい(今ならパウダーファンデーション)ご持参で・・
14歳の円仁さん、夢にでてきたお不動さんを上手に彫ってしまった・・
お不動さんは酉年守護の仏さま
秘仏だけど酉年の秋にオープン!予定・・・酉年最強スポットへ

b0228416_18540868.jpg

目黒不動境内(目黒不動尊サイト)



集合:目黒駅・・行人坂・・大円寺・・太鼓橋・・蟠龍寺・・海福寺・・五百羅漢寺・・成就院・・目黒不動尊・・大鳥神社・・寄生虫博物館

権之助坂 
由来は①権之助さんが年貢の取り立てに苦情を訴え刑に処せられた  
②行人坂のこう配がきついので少しゆるやかな坂道を許可なく開き、刑に処せられたと伝わる。
いずれにせよ悲しい話である。

行人坂

b0228416_18561822.jpg



 大円寺で修行する修験道の行者が往来した坂で、
目黒不動の参詣道になり寺社参りが盛んになると町並みができ坂の中程には
「富士見茶屋」がつくられていた。

この坂は明和の大火と天和の大火と二つの大火と関係していることが
印象的である。

大円寺
b0228416_22370357.jpg

寛永年間(1624〜44)に湯殿山の修験僧大海法印が大日如来を祀り
道場を開いたことがはじまりである。
江戸の三大大火の一つ明和の大火(行人坂大火)の火元である。
ここに五百羅漢の石像がある。
大火の犠牲者の供養のために当時つくられた。
b0228416_22374224.jpg



b0228416_22375991.jpg

b0228416_22381402.jpg
西運の碑

釈迦堂には鎌倉初期清涼寺式の釈迦如来立像がまつられている。

本堂には藤原期の十一面観音、山手七福神の大黒天、
阿弥陀堂には西運上人像がある。


西運は天和の大火の八百屋お七が恋をした吉三郎であるといわれている。
隣の明王院(廃寺)に住し、行人坂の改修、橋の架設を行った。
吉三(きちざ)はお七の供養に明王院から浅草まで往復約40キロを、
鉦をたたき念仏を唱えながら参る「一万日の業」を27年5ヶ月で成し遂げたといわれる。
おかげでお七が夢枕にたち成仏したと告げたので「お七地蔵尊」をつくった。

江戸の火事について

明和の大火
   江戸三大大火
明和9年(1772)大円寺の寺僧による本堂の放火から
江戸市中628町(934町とも)が燃えた。
死者1万4700人、行方不明4000名という惨事だった。

行人坂の大火ともいわれる

寺僧とあるが無宿僧による放火といわれる。
江戸に出てきて職もなく無宿僧となり、
やけになり火事場泥棒を企てたという。
真秀といい、火付盗賊改長官の長谷川平蔵の父により
捕縛され小塚原で処刑された。


火元の大円寺は76年再建を許されなかった。
幕末になって島津氏の菩提寺となりようやく再興された。

天和の大火


天和2年(1683)に駒込の大円寺から出火、死者は3500名と伝わる。

八百屋お七火事ともいわれる。
この大火で焼けだされたお七の一家は本郷の寺に避難したが
ここで寺の小姓と恋に落ちる。
家が再建され寺から戻っても忘れられず
もう一度家が焼けたら小姓に会えるかもしれないと
自宅に火をつけた。

お七は捕縛され鈴ヶ森刑場で火あぶりの刑に処せられた。
お七が本当に火をつけたかどうかはわからない。
井原西鶴の話にでてくる女性で実在していないかもしれない。

ただ凛とした態度で刑に処せられたことが伝わる。

長津田にも「お七稲荷」がある
ここは処刑に関係したお役人が供養したものである
長津田の歴史探訪


明暦の大火
    江戸三大大火
明暦3年(1657)江戸の大半を焼失する大きな火事になり
三カ所から順に燃え、火元のひとつは本郷の本妙寺だった。

別名「振袖火事」ともいわれ、
ある娘が寺の小姓に一目惚れ、恋煩いで寝込んでしまった。
両親は娘が哀れと思い、小姓がきていた着物の柄だった
荒磯と菊柄の振袖を仕立ててやった。

このころの小姓は娘のような派手な柄の着物をきていた。

ところがじき娘はなくなり、両親は棺桶に振袖をかけてやった。

当時は埋葬する寺男たちがそれをもらい、
それを売る習慣があり振袖は他の娘の手に渡った。

ところがその娘は病で亡くなり、次に手に入れた娘も亡くなり、
さすがに寺男たちも気になって供養に振袖を焼くことになった。

ところがたちまち強風が吹き、火のついた振袖は空高く舞い上がり
それが火事の原因になった。

この話は小泉八雲も小説(振袖)にしているがどうも真実ではなかったらしい。

明暦の大火の真実

実際のところ火元は本妙寺ではなく、
隣接した老中の阿部家であったといわれている。

老中宅が火元では、幕府の威信失墜になると、
本妙寺が罪をかぶったというのである。
本妙寺は大火から3年後に再建され、
関東大震災まで阿部家から明暦の大火の供養料として
260年に渡り奉納されていたことから推測されている。



文化の大火
    江戸三大大火

文化3年(1806)に芝から出火神田浅草まで530町に燃えひろがり
翌日降雨によって鎮火した。
家屋の焼失12万6000戸、死者1200人、
町奉行所は被災者救済のため救出小屋や炊き出し、被災者に御救出銭を与えた。

雅叙園
b0228416_22392503.jpg
雅叙園の前にお七の井戸があった

b0228416_22393805.jpg
おひな様が百階段に飾られるイベント開催中

雅叙

雅叙の前にお七ゆかりの井がある。西運がお七の菩提を念じながら水垢離をした井戸だという。雅叙園の創始者は細川力蔵という人で、銭湯に奉公し芝で銭湯を開き、不動産業で財産を築き料亭を開いたことが始まりである。国内最初の総合結婚式場である。





太鼓橋

b0228416_18563216.jpg




b0228416_22403770.jpg
明和6年(1769)に石造りの太鼓の形の橋がつくられた。

つくった人は諸説ある・・・

① 西運といわれている。

② 木喰上人が1700年代につくられたといわれている。

橋は大正9年(1920)に豪雨で流された。
明王院、大円寺一帯は夕日の岡といわれ紅葉、桜の名所で
江戸の清遊の地であった。歌川広重の名所百景の浮世絵がある。


蟠龍寺
 浄土宗
b0228416_22435151.jpg

霊雲山と号し宝永6年(1709)に称明院から増上寺の僧により改名された。
弁才天は山手七福神の弁天様である。

b0228416_22435508.jpg
この中にある
b0228416_22412758.jpg
弁天様
江戸の裏鬼門で、表鬼門は不忍池の弁天様で対をなし江戸を護る弁天様である。
岩窟に石像があり、江戸時代の人気は高かったそうである。
本堂の阿弥陀如来は藤原期の寄木造で秀作である。(目黒区文化財サイト)

以前は金属の阿弥陀如来もあったらしいが、
明治初期にフランスに渡りバラバラにされた体はロダンの鋳造家によって再現され
ウィーン万博(1873)で展示された。
現在パリのチェルニスキー美術館にある。蟠はわだかまる・とぐろをまくという意味がある。龍のとぐろ?


b0228416_22464695.jpg
美しくなりたい方
このお白い地蔵に自分のファンデーションを
塗って自分も塗るときれいになれる



調べてみたら蟠龍とは


今にも飛びたとうとする龍の姿・・屋根瓦に使われるとのこと
伝説 蟠龍の北の国のお話


甘藷先生の墓
b0228416_22500981.jpg

青木昆陽の墓で享保20年(1735)に「蛮薯考」を著わし
さつまいもを飢饉の時の備荒作物とすることを
大岡忠相の援助により目黒で試作
全国に普及させた。

海福寺 黄檗宗


明から来朝した隠元隆琦(いんげんりゅうき)が万治元年(1658)に
深川に開創した寺で、明治43年(1910)に移転してきた。

本尊の釈迦牟尼仏は平安末期の作である。

隠元はインゲン豆を日本に伝えたので豆の名になったと伝わるが、
関西ではインゲン豆は藤豆のことをいい、いわゆるインゲン豆のことではないという。

隠元の教えは日本の禅宗に大きな影響を及ぼし、
豆は普茶料理に利用された。

山門前に永代橋が落ちた時犠牲になった人々の供養碑がある。
文化4年(1807)に富岡八幡宮の祭礼に人出が多く橋が落ちる事件があり
1400人が亡くなった。

b0228416_23034919.jpg
供養塔

「わぁ 橋が落ちた」
「危ない」
「押すな 押さないでくれ」

怒号も悲鳴も、はるか後方に犇めく大群衆の耳には届かない。
つかえていた前が急になめらかに動きだしたのに勢いづいて、
やみくもに寄せてくる。

押し出された心太さながら、
とめどなくこのために人が落下した。

橋杭の根元は泥深い。

あとからあとから落下してくる人体に、先に堕ちたものは押しつぶされ、
泥に埋まって窒息したし、

かろうじて泳ぎだした者も八方からからみつかれ、
動きがとれなくなって共倒れに沈んだ」。     杉本苑子著「永代橋崩落」


天和3年(1683)の梵鐘がある。
中国と日本の鐘の特徴があり珍しいものだという。


五百羅漢寺


元禄8年(1695)鉄眼禅師が開山、京都の仏師松雲元慶が木彫した。
現在305体の羅漢が安置されている。
五百羅漢を中心に深川に開創された寺で
洪水のため明治41年(1908)に移転してきた。

この寺は戦中から戦後にかけ桂太郎の愛妾お鯉が妙照尼として守った。

b0228416_09142785.jpg

お鯉(写真)とは本名安藤照という美しい芸者で、
歌舞伎役者市村羽左衛門と結婚するも花柳界のしきたりが面倒で離婚、
のち桂太郎の妾になった。

伊藤博文ら政治家たちの歴史的な事柄など身近でみてきた女性だった。
日露戦争の賠償にまつわる決定がなされ、それを不服とみなした人々が決起した
「日比谷焼討ち事件」では桂邸とともにお鯉邸も狙われたという。

桂の死後カフェを経営し政治家たちのサロンともなった。
その後帝人事件関係の小山松吉(法律家)の収賄罪で小山の収賄の証言をし、
それが偽証だとされ偽証罪に問われた。

事件後尼になりこの寺を守ったという。

成就院 天台宗 蛸薬師
b0228416_22491222.jpg
本尊がタコに支えられていることから蛸薬師とよばれる。

境内に保科正之の聖母お静の方が我が子のための
大願成就のお礼に奉納したお静地蔵がある。

保科正之は2代将軍秀忠の子だが、
嫉妬深いといわれた正室お江様から隠され、
保科家の養子になって育てられ、のち会津の大名となり
家光や幕府を支えた人である。

目黒不動尊参道は
店で賑わい
幕末には志士の隠れ家となった。

名物は筍飯で、今でも縁日の28日は賑わう。

比翼塚
b0228416_22490394.jpg

正面手前に白井権八、小紫の比翼塚がある。

白井権八は平井権八といい、お金に困ったあげく
辻斬りを働き捕縛されて鈴ヶ森刑場で磔刑になると

遊女小紫はあとを追った。

歌舞伎「鈴ヶ森」で上演され有名になった。


目黒不動尊 泰叡山瀧泉寺 天台宗


b0228416_22520106.jpg
大同3年(808)慈覚大師円仁開創と伝わる。

不動尊が夢に出てきて夢の像を彫り、
のちに中国修行中よく似た不動尊をみて
帰朝後いち早くこの目黒にきて開創したという。

湧水があり古くから不動信仰の霊地になった。

元和元年(1615)にほとんど焼失したが、
三代将軍家光の帰依で復興造営された。

家光は迷子になった鷹が戻るよう祈願したら
鷹が戻り大喜び。

目黒のさんまの話が残るほど目黒好きである。
そしておかげで江戸時代の参拝行楽の地として栄えた。

戦災で焼失し再建されたが開創以来という不動明王像は
本堂に秘仏としてまつられている。

酉年に御開張される。

戦災を免れた前不動堂、勢至堂は江戸中期の仏堂建築を残している。

弁天、恵比寿、愛染明王など数多くの仏を祀る。

独鈷の滝は湧水で水垢離し祈願成就を祈る。

b0228416_22495531.jpg


大鳥神社
b0228416_22522347.jpg

目黒の総鎮守である。

景行天皇の時代国常立命(クニノトコタチ)を祀った社があり
その子日本武尊(ヤマトタケル)が立ち寄り東夷祈願をした。

その後日本武尊の霊が白鳥となってこの地におり鳥明神となって、
大同元年(806)に社殿が建てられ、それから主祭神は日本武尊になった。

寄生虫博物館

b0228416_23014375.jpg
こんなのがお腹にいたら・・・

三田用水

江戸の6上水のひとつで寛文4年(1664)に開削、
玉川上水から分水し給水した。

明治になると水車利用や海軍の火薬工場、
明治23年恵比寿にヱビスビールを製造する日本麦酒の工場が建てられた。

開設当時は給水をめぐり周辺農家とトラブルもあった。
昭和49年(1974)に利用が少なくなり廃止された。


目黒の自衛隊駐屯地に三田用水の一部が残されており
当時の水が残っているとブラタモリにあった。

b0228416_19010395.jpg
ウイキペディアより
緑の長い屋根の建物に水路がある

田道(でんどう)

目黒村の小字で新編武蔵風土記は傳道とある。
平将門が決起するときに目黒氏を味方に誘ったが
それを断った。
その配下に田道源吾という名が出ており
田道の由来かもしれない。

あと水田の道と言う説もある。




目黒川を池尻大橋まで歩き途中西郷山公園まで
歩いた。15キロは歩いた気がするが
昔ながらの古本屋・・・おしゃれな古本屋など
興味深いお店などあり飽きさせない








参考 東京との歴史散歩:山川出版
   TOKYOパワースッポトを歩く:鈴子
   東京ディープ散歩:町田忍
   目黒区役所
   世田谷区役所


by gannyan1953 | 2017-01-25 19:03 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)

滝原宮に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編   2016・11・7(月)

b0228416_18313129.jpg
 エクシブ鳥羽から1時間

伊勢神宮別宮といわれる瀧原宮についた

伊勢神宮に負けないほど神聖な場所である・・・



人は少ない

穴場・・・・である


b0228416_18313639.jpg
こんな巨木がいっぱいある


b0228416_18314288.jpg
御由緒

倭姫はここが気に入ったのだが
のち今の伊勢神宮の場所に移った

元伊勢ではなくなぜか別宮といわれる


b0228416_18433892.jpg
倭姫とマナコさんとの出会い
恋ではなく
増水のため川を渡れず困っていたところ
マナコさんに助けられ
渡ることができた


b0228416_18434148.jpg

近くの峠でいい場所ねと語り合い
ここに滝原宮を作った






b0228416_18453806.jpg
昔のガラスの駐在所


静かな参道を行くと川に降りて行く場所があり
川で清める

御手洗である







b0228416_18505118.jpg
建物の並び順と、お参り順は違う
気をつけてほしい


b0228416_18504577.jpg
一  瀧原宮

b0228416_18522808.jpg
二 瀧原竝宮(たきはらならびのみや)
天照大神の荒御霊


b0228416_18573340.jpg
三 若宮神社
倭姫が使用した船が祀られている


b0228416_18573920.jpg

四 長由助(ながゆけ)神社
瀧原宮の御贄を司る
神様がいただくお食事のこと
伊勢神宮の外宮にあたる


ここは分杭峠のような零磁場だという

共通点は分杭峠、伊勢神宮、瀧原宮は中央構造線上にある

b0228416_19371844.jpg
伊勢神宮と同じように遷宮が行われる

この地は新御敷地(しんみしきち)
遷宮から6ヶ月後までは古殿地(こでんち)といわれる




b0228416_19265129.jpg
参拝後、脇の道がとても素敵で
行って見た

この道熊野古道だった

ずっとずっとさきに進むと倭姫とマナコさんの
出会った三瀬坂峠に続く












by gannyan1953 | 2016-11-08 19:47 | 神様の話 | Comments(0)

石神さんに行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編     2016・11・6

b0228416_21215903.jpg

最近人気の石神さんに行ってきた

鳥羽から狭い道をくるくる走ると海辺に近いところに出てきて
石神さんの矢印をたどっていくと
相差(おうさつ)海女文化資料館にくる
なかなか「おうさつ」とは読めない難読地名だ

資料館に駐車してすこし歩いて神明神社にいく
その摂社が「石神さん」とよばれる
昔から海女さんたちが大切にしてきた神さんである

女性の願いをひとつだけ叶えてくれると
最近脚光を浴びている

b0228416_21220809.jpg
本殿の前にある大きな木

b0228416_21221941.jpg
同じく 大きな木


b0228416_21222506.jpg
神明神社本殿

ピカピカ

b0228416_21223827.jpg
 
お勉強
叔母が甥と結婚したことになる

姉トヨタマヒメは出産の姿を夫に見られ
(姿がワニだったので見られたくなかった)
それで
キレて実家に帰るが

妹タマヨリヒメを息子の養育係として遣わした

タマヨリヒメは
養育した甥っ子ウガヤフキアエズと結婚し
初代天皇神武天皇を生む

発祥、開運、再生の神様である


b0228416_22024437.jpg
人の絶えることのない
石神さん

石は扉がしまっていて
みることはできない
中には石がある
b0228416_08090405.jpg
お守り

b0228416_08053483.png
セーマン・ドーマンとよばれ

左はセーマン・・・安倍晴明の家紋・五芒星である

右がドーマン・・・九字(くじ)の呪文といわれる
(臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前)

陰陽道の安倍晴明・蘆屋道満に由来するともいわれ、
強い念をかんじられる由来だ
ここでの蘆屋道満は物語にでてくる悪役ではなく
不思議な力を持ち、人々・・特に庶民を守るために尽くした
安倍晴明は朝廷の陰陽師なので要となる朝廷を守るために尽くした

お守りは海女さんの手作りで
海女さんは海に潜る時の道具や手ぬぐいに
この護身用の印を自分で描くという





今晩のお泊まりは

エクシブ鳥羽アネックス

アネックスはバスでお風呂に行くのが面倒
前は本館だったので便利だったが・・

よかったのは海がとてもきれいで
景色がよかった









by gannyan1953 | 2016-11-07 22:04 | 神様の話 | Comments(0)

東国三社めぐりに行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編 2016・4・29

香取神宮

祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)

大国主に国譲りを迫るため
高天原から派遣された神

フツは剣を振り下ろした時の音からつけられた

生まれはカグツチを斬った剣からししたたり落ちた血が高天原の岩となり
それが祖だという

他にその岩からイワサク ネサクの神が生まれ
そこからイワツツノオ、イワツツノメが生まれ
その子


国ゆずりを成功させたのが

鹿島のタケミカヅチと香取のフツヌシである(日本書紀)






b0228416_11170202.jpg

b0228416_11201519.jpg



b0228416_11174641.jpg
楼門
結婚式のお色直しの撮影だろうか

b0228416_11315302.jpg




b0228416_11181644.jpg
拝殿



b0228416_11192600.jpg
本殿

b0228416_11321438.jpg
 ご神木


b0228416_11205628.jpg
摂社 このはなさくや姫
b0228416_11211220.jpg

摂社 鹿島新宮

b0228416_11371781.jpg
ウイキペディアより

側高神社(そばたか)
香取の神様が側高神に陸奥の神から馬を奪い
育てろという命令を下した
蝦夷征伐と関係すると思われる



b0228416_11213361.jpg

三本杉

b0228416_11295134.jpg
立砂

神が降臨される神山をかたどったもので
上賀茂神社だと左右に陰陽を表し
二つある

ここにも二つあったのかな・・・確認しなかった


b0228416_11325027.jpg
宝物館(300円)に入った
自衛隊の船に香取があるので
海外に行った時のおみやげが奉納され
それがおもしろい

海獣葡萄鏡は見応えあり

b0228416_11420418.jpg
諏訪の神様

b0228416_11424918.jpg
奥宮に向かう途中にあった

聖武天皇の時代ここで雨乞いが行われた

b0228416_11435570.jpg
いい雰囲気の奥宮


b0228416_11441320.jpg
奥宮の後ろに寄り添うようになタケノコがかわいい


b0228416_11445543.jpg


b0228416_11452320.jpg




b0228416_11450964.jpg
要石



b0228416_11454855.jpg
香取神社は落ち着いた雰囲気で
拝殿もモダンな感じで美しい

パワースポットは,何と言っても「奥宮」

これは鹿島神宮も同じ

きらびやかな装飾の拝殿、本殿より
私は神がおわす気がして好きである

















by gannyan1953 | 2016-05-02 11:46 | 平将門・鉄・秩父・神社 | Comments(0)

東国三社めぐりに行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編    2016・4・29


息栖神社


b0228416_09502352.jpg


b0228416_09503952.jpg
本殿

久那戸神とは
来るなという意味で邪気を払う意味だと言う
岐神(ちまたのかみ)など別名が多い
道の神として猿田彦と同じにされることも多い  猿田彦

製鉄とかかわりありとみる


b0228416_09520066.jpg
b0228416_09521845.jpg

b0228416_09523245.jpg
オガタマノキ

招霊(おぎたま)からついた名である
精霊宿る木とされ
アマテラスが天岩戸に隠れたとき、ウズメノミコトが
踊った際に持っていた木の枝がオガタマノキである

b0228416_09564570.jpg
神社の奥は歩けるようになっている
小さな神社なのでぐるりとすぐにまわれる

こういう場所は落ち着いていて好きである

b0228416_09580986.jpg
お稲荷さん

b0228416_09582459.jpg
狛犬だろうか
足がなくて伏せてしまっているのかわからないが
とてもかわいい
後ろは力石


b0228416_09593618.jpg



b0228416_10003032.jpg

b0228416_10005382.jpg
忍潮井

b0228416_10013880.jpg
男の瓶だと思うが

いかん!

ひと顔になっている・・・・怖


b0228416_10023207.jpg

鳥居の足元の白く丸いのが瓶(甕)だと思った・・・・
が甕は鳥居の真ん中にあるらしく
これは違う
むかしむかし
平城天皇のころ(809)
下流にあったこの神社を遷したとき
取り残された男女の瓶が寂しくて
泣いてしまった

とうとう自力で一の鳥居の下にやってきた
ところが
元の場所がなつかしく
また泣き続けたという

泣き声からボウボウ川や
瓶立ち川の名もある

b0228416_10084220.jpg

今ではこんな大きな利根川である


b0228416_10091073.jpg
利根川河畔から


b0228416_10092980.jpg
一の鳥居と利根川の間に
大きな家がある


b0228416_10102449.jpg

写真とって失礼

猿田氏である

猿田彦と関係あるのかな

オガタマノキはアメノウズメの持った枝だというし・・・・

そこで調べた

まず移されたのは延暦18年(799)の津波で元の地日川から
移されたこと

松の木が多く芭蕉が江戸時代の祭神は気吹戸神であったという

息栖、気吹戸神は 風の神そして製鉄神とみる
茨城はもともと製鉄の地で鹿島神宮、香取神宮も製鉄にかかわると
いわれる

川には砂鉄が多く、塩を作るのに鉄の釜があれば
楽に塩ができる

鹿島神宮もすごく大きな刀が宝物殿にある
息栖神社から筒井の中間にたたらがあったという

燃料に火力の強い松が使われた

この地には出雲から来た人たちがいたという
出雲は製鉄の地である
技術を学んだのだろうか

東国三社のレイラインは直角三角形
息栖が日川にあったときは
正三角形に近いという

この三社は富士山ともつながるレイラインがある
富士山からみると日野でのとき太陽がこの東国三社から
現れる
 

つぎは

香取神宮





by gannyan1953 | 2016-05-02 10:53 | 平将門・鉄・秩父・神社 | Comments(0)

秩父に行ってきた

歴史と素適なおつきあい     2016年4月7・8日(木・金)



b0228416_09385773.jpg
羊山公園は桜が満開


女子6人旅 ついついきゃぴきゃぴして

電車などご迷惑かけたことと思います・・・

桜がとてもきれいで雨があがると幻想的な

霧がでて秩父を満喫しました 


費用:ジャンボタクシー2日貸し切り  一人分10800円

   ホテル 8050円

   夕食各自だったが私は3800円 飲み過ぎたかな・・・

   交通費 特急使って往復4400円

   その他みやげや昼食2回分で5000円 くらい


秩父錦の霞という季節限定の日本酒ゲット!

       


集合:西武秩父駅 4月7日(木)11:00


7日(木)

秩父銘仙館(9時〜16時・200円)・・(丸通タクシー)聖神社

・・和同開珎・聖神社・・・宝登山神社・・道の駅龍勢会館・井上邸・秩父事件(200円)

・・(椋神社)・・・音楽寺・・・羊山公園


ホテル「ルートイン秩父」1人8050円(税込み)

8日(金)

8:30ホテル出発(丸通タクシー)

栃本関所・・・三峯神社・・(九十九神社・・桔梗塚・・・酒づくりの森



7日

西武鉄道の遅れで予定より遅く始まったが

丸通タクシーさん頑張って回ってくれた


お昼は西武秩父駅近くの天ぷらやさんで

ごま油であげた天丼海老もあるのが500円!!


美味しゅうございました




ちちぶ銘仙館  ちちぶ銘仙館

秩父の織物、銘仙など民俗学的に貴重な資料を収集、保管している。




聖神社   聖神社

慶雲5年(708)に自然銅が発見され、和銅改元と和同開珎鋳造の契機となった神社。

銅の献上を喜んだ元明天皇はここに金山彦尊を祀った。


この神殿がのちに聖神社となった。


神宝は銅の蜈蚣(むかで)である。


社殿は市内の今宮神社から移築したもので彫刻がある。

発見採掘者は渡来人といわれている。


日下部宿禰老(くさかべのすくねおゆ)・

津島朝臣堅石(つしまのあそんかたしわ)

金上元・金上旡(こんじょうがん・・こんじょうむ)

という名が残る。

和銅山の主峰蓑山には知知夫国造の故事が伝わる。

雨が続き祈晴祭を国造がこの山で行い蓑を置いたことから

蓑山と名付けたという。

和銅とは精錬を必要としない自然銅のことでニギアカガネ(熟銅)と呼ばれ、

和銅山には100mを超す二条の断層面があり、当時の露天掘りの跡である。



この和銅で唐の開元通宝を模して「天地和銅」「万物和銅」などの言葉をもとに

和同開珎」が誕生した。

秩父駒で奈良の都へ銅を運んだ羊太夫の話、銅産出地特有の植物「花筏」、

一葉羊歯(ひとつ葉のシダ)が和銅山にあるという話が伝わる。



宝登山神社   

宝登山神社
b0228416_15194111.jpg

b0228416_15195584.jpg






道の駅龍勢会館

龍勢とはその昔,宇宙に魅せられた山の民が英知と感性で考案し、

27流派により脈々と守り伝えられた手作りロケットである。


井上伝蔵邸  秩父事件

映画「草の乱」で復元された井上伝蔵邸を秩父事件の資料館として公開されている。

明治代秩父の生糸出が盛んになった。

代半ばから秩父が好だったが、幕末になり、生糸が出されるようになってから
秩父も生糸出に参加し、世界につながるに大きくわった。
フランスの蚕の病で一に日本の生糸が多く出されることになったからである。
秩父は信州などと比べ生糸出に偏っており、

もともとフランス市とのびつきがく、秩父最初の小学校はフランスの援助で建てられている。
幕末にフランス式兵法を取り入れたとき、算もフランス式を取り入れていた。

明治になって、小学校の算もフランス式であったという。

そのためフランス大使書記官が秩父をれているほどで、

小学校のフランス式算をみて感していたという。フランスとの取引が多かったため、

1882年リヨン生糸取引所の生糸 大暴落の影をよりくうけることになった。
家は生糸のり上げをあてにして借金をし、

設備や当面の生活に充当していたので、生糸の暴落はすぐに生活の困を深め、

状につけんだ行、高利しがさらに生活を悲惨な状にした。
例えば100万借金すると二分切りで、手取り80万、さらに1年後は金利275%で

220万の借金になった。えたところで、行や高利しは工をして、

悪徳なやり方だと裁かれることはなかった。
税については、明治になり、地租改正で税を金でめることになったので、

作物を金化してめた。政府は西南争の出うため税を税した。

そして秩父の新道建せられ、ひとときでもかな思いをしてきただけに

生糸の暴落、借金返税は秩父の人々の身にこたえた。これが秩父事件につながっていく。

「恐れながら 天朝 するから しろ」 

明治17年11月1日、自由民を唱え民が蜂起!秩父事件という。
秩父市下吉田の椋神社に3000名が集し、大を目指して進軍始したが・・・

要求は借金返の延期だったが、められなかったからである。

真っ先に高利しを文を却している。
彼らは11月1日、椋神社で困民二大成、五ヵ条の律を定め、

一般の住民に危害を加えることをしく戒めた。

2日、大に入って郡役所を占、3日荒川河畔でと交して退、

4日5日上州金屋と粥仁田台兵と交したが破れ、本は解散した。
だが、一は十石をこえて信州に、9日の東馬流の戦闘を最後に走した。
蜂起参加者は最盛8000人とも1万人ともいわれるが、

有罪判を受けた者3390人

(最高部は死刑か役)、

調書に名を残した者4200人である。
明治政府は、この戦闘で死亡したり負傷したりした人や警察官の遇にあたって、

これを西南の役にずる「争」としてい、その末の告は

大政大臣から明治天皇のもとにまで届けられている。
この武装蜂起で発揮された秩父民の天性や高したエネルギ

それと、より良い未来をめざした志は、今もなお多くの人々に感をあたえている。

(秩父会吉田町支部HP



秩父事件が起こる前、全国で数々の暴がすでに起きており、

政府も焦燥感を募らせていたので、秩父のへの対応しいものになった。

反や律を守るためのが派遣されており、

政が明治政府の国のあり方だったのかといわれている。
困民党は鉄砲隊、竹槍隊から成っており、

鉄砲といっても(ほとんど火)で、200丁弱だった。

山の中で火っても政府からえてしまい、は50mだった。

する政府は明治13年に作られた国の新式村田は1800m

火力の差は然としていた。


後、天朝に逆らった逆として秩父はく口をざすことになる。



椋神社 (吉田)

祭神:猿田彦大神槌命津主命屋根命
景行天皇の、日本武尊征の、矛を杖にして山路を越え、

この吉田町の赤柴まで来ると、矛が光を放ってんでいった。

尊は不思に思って光が止まったところまで行ってみると、

井ののムクの木から猿田彦命がれ道案内をしたというから、

尊は持っていた矛を神体として猿田彦命を祀ったことに始まる。

井椋様(いくらさま)と呼ばれしまれていたが、

ムクといわれることが多くなり「むくじんじゃ」となった。


神社としては和3年(710)に社殿が造されたのを始まりとしている。


国時代、秩父神社と同に永禄12年(1569)に

武田信玄によって失した。天正3年に形城主北条氏邦によって再建。

本殿は永4年に修理された。
明治17年の秩父事件を起こした秩父困民党の集結地になった。

龍勢が奉納される。戦国期ののろしの名残ではないかといわれる。(秩父の古社巡り)



芝桜の丘  羊山公園

秩父のシンボルともいわれる武甲山(1,304m)の麓にある羊山丘陵の斜面を利用して

々な色の芝み合わせて植えられ、

文字通りの「花のパッチワク」といわれる。

植作が行われ、さは17,600平方メトルにがり、

ピンクや白、紫色など9(ハナシノブ科フロクス属)40万株以上となる。

来週から芝桜のお目見え・・・まだぼちぼちの芝桜だったが

桜がすごい!



音楽寺   音楽寺

秩父札所23番で小鹿坂峠の中腹にある。

縁起には天長年間(824〜834)慈覚大師が当地に霊異を感じ堂宇を建立、

観音像を刻んだという。

秩父事件では椋神社に集結した3000人の民衆が武装蜂起し2日目にここに集結、

梵鐘を打ち鳴らし大宮郷に乱入した。

峠を登ると13体の地蔵が並び十三塚といわれる。

武甲山を背景に秩父観光のポスターによく使われている。


秩父神社   秩父神社

崇神天皇の時代、知知夫国造の知知夫彦命が祖神の

八意思兼命(ヤゴコロオモイカネ)を祀ったことが始まりとされる。

祭神は八意思兼命・知知夫彦命・天之御中主神・秩父宮雍仁の4柱である。

学業成就と縁結びにご利益があるとされる。

見所は、神社の東北(表鬼門)を守護する

青龍(つなぎの龍)・三猿・子育ての虎・北辰の梟(ふくろう)。

おみくじには水占と繭みくじがある。


秩父を舞台にしたアニメがあり、アニメの絵馬が多くみられる。

あの日た花の名前を僕達はまだ知らない・心が叫びたがってるんだ)





8日 8時半タクシーで出発



麻生加番所跡 秩父市大滝1316

栃本関所だけでは警備が手薄になるとここも加えた。

現在その時の関番の千島家が住んでいる。




栃本関所   栃本関所

小田原北条氏が秩父に進出してきたことを武田信玄は警戒し関所をおいたのが始まりである。

ここは急峻な道なので小鹿野から十国峠を越える道を利用したので、

結局戦いなど行われることはなかった。(秩父往還道)

江戸時代に入ると、武州から甲州、信州方面へ通じる秩父往還の最奥に設けられた関所で、

慶長19年(1614)に関東郡代伊奈氏が、

この地に逃れ住んでいた武田勝頼の家臣大村忠昌を関番に起用した。

以来明治維新まで250年余り、大村家が関番を勤めた。(じゃらん旅行ガイド)


秩父往還は日本の道100選に選定されている。




三峯神社   三峯神社

祭神は伊弉諾尊(イザナギ)・伊弉冉尊(イザナミ)である。

景行天皇の時代、日本武尊が東征し、甲斐から上野そして碓井峠へ向かう途中、

ここに立ち寄り、この地の清々しさに宮を造ったことがはじまりである。


文武天皇の時代、役小角(えんのおづぬ)が伊豆を往来しこの地の修験道が始まった。

淳和天皇の時代、弘法大師がやってきて十一面観音を刻み、

宮の脇に本堂を建てた。神仏習合の始まりである。

鎌倉武士に崇拝されていたが、新田義興が足利氏を滅ぼすため、

ここに身を隠した。新田が滅びたので足利氏に社領を奪われ衰退した。

1533年天台修験の関東総本山となって隆盛した。

江戸時代になるとオオカミ信仰が流行し三峯講が栄えた。

見所は、30基に及ぶ御眷属、三ツ鳥居・ご神木・本殿左の石畳に浮かぶ龍・遥拝所など。

博物館には三峯講の資料やオオカミの毛皮がある。



桔梗(埼玉秩父市大大血川部落)桔梗塚 九十九神社



国道140号を太寺に向かう途中、左に高い位置に民家、畑がある。

将門の妾だった桔梗姫が自害した所である。



九十九神社(きゅうじゅうきゅうじんじゃ)(埼玉秩父市大
国道140号を太禅寺に向かう途中、秩父源流水の工を過ぎ、

すぐの小道にある。
道路からはみえない。

の妾桔梗は将亡き後一族をれてこの地まで逃れてきたが

追手の探索に逃げられないと悟し自害した。

の妾たち、家来、付き人たちが九十九人次々と自害したので、

川は七日七血に染まった。それからこの川を大血川と呼ぶようになった。



酒づくりの森
ここは八尾氏が代々やっている酒造で
近江商人の出自である

お客様にもやさしく酒造りの大切なお米を
飢饉のときには供出したので
秩父事件の困民党はこのお店は焼討ちなどしなかった

すごいですね・・・

締めはやはり「秩父事件」でした







by gannyan1953 | 2016-04-25 11:50 | 平将門・鉄・秩父・神社 | Comments(0)

橿原神宮に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編   2016・4・12

b0228416_08414787.jpg
八咫烏・・神武崩御2600年のイベント

さて橿原神宮とは

日本建国の祖「神武天皇」は天照大神のひ孫にあたり
西(九州)にいること
179万2470余年経っているのに
充分統治されていないと言って
東に向かい苦難の末
畝傍山南東に橿原の都を作った
紀元前660年に即位した


明治になって建国の祖を祀るため
明治23年橿原神宮が造営され鎮座した


橿原神宮には

過去2回きているが、いつも早朝
靄がかかって幻想的なのだが、今回は夕方
人も多い

東京から来た観光協会関係の方が
話しかけてきた
奈良県の観光パンフレットを
準備しているところで
いろいろもらった
すべて立派なもので旅に誘われる
その方がいわれるには奈良は閉鎖的で
この観光資源を売り込む気が少ない
残念だと・・・

全く同感ですが
京都に比べて不便だけど
人が少なく文化遺産は魅力的
私的にはこのままでいいかな・・・
静かな奈良県だから訪れるのに

b0228416_08473122.jpg


b0228416_08475371.jpg

深田池に浮かぶモニュメント
夜になると燈がつくらしい



b0228416_08470456.jpg
長山稲荷

暗い!

すごい雰囲気で友人は「やだというが、
引き込まれるように入って行く・・・

b0228416_08520880.jpg
少し明るくなってきた

b0228416_08524732.jpg
長山稲荷は橿原神宮ができる前から
この畝傍山のふもとに鎮座していた

いわば地主神だ

b0228416_08515763.jpg
帰り道も明るい

とっても気持ちよかった

強力パワースポット認定




夜はホテルでグダグダ・・・・
せっかくの神武天皇崩御2600年の行事やっていたけど
でかけずホテルでグダグダ

続く
明日香に行ってきた









by gannyan1953 | 2016-04-24 12:59 | 奈良県の歴史散歩 | Comments(0)

三峯神社

歴史と素適なおつきあい 秩父旅行

訪れたら
例大祭の日だった
とてもよかった

b0228416_11240696.jpg
三柱鳥居
b0228416_11244818.jpg


b0228416_11242574.jpg
随神門


b0228416_11254691.jpg
拝殿




b0228416_22221482.jpg
拝殿左にある最近出現したという


みんなが水をかけるので最初から
出現していた・・・


例大祭が始まった
春になると田植えのために
神が里に降りられる
その神事である

b0228416_11274203.jpg


b0228416_11453415.jpg


b0228416_11273745.jpg



b0228416_11280430.jpg
ここで神事が行われた
そして拝殿へ

黒いスーツの人がいっぱい拝殿に座っている

その奥に金ピカのお犬様

ひとが多すぎて写真は控えました





b0228416_11463365.jpg
国常神社
摂社が工事中で
ここに天照大神と摂末社の神様が遷られている





b0228416_11470398.jpg
水舎



b0228416_11474724.jpg
日本武社



b0228416_11482165.jpg
ハーイをする日本武尊像

この地を訪れその清々しさに社を建てたことがはじまり

オオカミが案内したことから
お犬様となって御眷属になられた





b0228416_12224448.jpg
根元がつながる杉
賽銭箱もあり
夫婦仲睦まじく添い遂げられますように
とお祈りしました


b0228416_12251134.jpg
遥拝殿
奥宮は正面の頂きにある

アッ先ほど神様は拝殿に
遷られたんだった・・・



b0228416_12553967.jpg
遥拝殿からの景色





御眷属様たち

ほんの一部ですが・・・


b0228416_12270223.jpg



b0228416_12270570.jpg




b0228416_12270918.jpg




b0228416_12271337.jpg




b0228416_11433094.jpg




b0228416_12524999.jpg



b0228416_12550359.jpg



b0228416_12200058.jpg













by gannyan1953 | 2016-04-09 12:56 | 埼玉県の歴史散歩 | Comments(0)

富士山ぐるり 浅間神社参拝 東口本宮冨士浅間神社

歴史と素適なおつきあい番外編   2016・3・26


b0228416_15525410.jpg

信しげの滝

b0228416_15513684.jpg
不二山
二つない素晴らしい山の意味の鳥居


b0228416_15523030.jpg
獅子の子落としの狛犬

b0228416_15523558.jpg
b0228416_16005276.jpg
そしてお父さん狛犬
うーーん・・普通


b0228416_15514068.jpg
本殿

宝永の噴火後の建物で修繕は繰り返している

b0228416_15515997.jpg
b0228416_15520984.jpg
祖霊社

b0228416_15521502.jpg
根上がりの松 縁結びの木

b0228416_15530240.jpg
鎌倉道
楽しみにしていた
舗装されており・・・短かった



b0228416_15524548.jpg
ハルニレはこの辺りでは珍しい木だそうだ
もっとあったかい土地の木だそうだ


b0228416_15525110.jpg

宝永火山からの湧き水

じっと待つと・・・・


b0228416_15524889.jpg

シャワシャワ・・・・シャワシャワ・・・

5カ所くらいからいっせいに

シャワシャワーー

感動!


ここには入口付近に資料館がある

到着が5時頃
はなからあきらめていたが、ちょっと後悔
頼んだらあけてもらえたかも・・・・

夕方のせいか、ここも静かで
泉がいっせいにシャワシャワしたのは


パワースポット認定!

富士山ぐるり 浅間神社参拝の旅終了

よき1日でした













by gannyan1953 | 2016-04-03 16:12 | 神様の話 | Comments(0)

富士山ぐるり 浅間神社参拝 富士山本宮浅間大社

歴史と素適なおつきあい番外編  2016・3・26

b0228416_08473495.jpg

b0228416_08581478.jpg
朝霧高原で富士山やっと見えた
見えない時はコノハナサクヤ姫が美人と認定してくれた
ことなので、見えてしまったら美人じゃない認定!
なかなか拝めなかったから半美人認定された・・・

タモリさんが訪れた場所である

社伝によれば
第7代孝霊天皇(BC200年ころ)の時代富士山噴火
そこで11代垂仁天皇(BC27年ころ)
の時代浅間大神を麓に祀った

第12代景行天皇40年(110)
ヤマトタケルが山宮浅間神社(6キロ北)に遷し
51代平城天皇大同元年(806)
坂上田村麻呂が現在地に遷した

現在山宮浅間神社は一番古い浅間神社といわれる
山宮という地名があり、穏やかな丘にある
今回は訪れていないが近くまでバスは行ってくれた

b0228416_10362107.jpg
山宮と富士山本宮大社を矛が往来した鉾の渡御がお行われていた


ここ富士山本宮浅間大社は総本宮といわれる

本殿は家康が建立
三間社流造の2階建ては珍しい
富士山の8合目以上は境内だという
これはすごい

b0228416_10393340.jpg
b0228416_10395302.jpg
b0228416_10400882.jpg
このあたりブラタモリで訪れた場所

b0228416_10551855.jpg



b0228416_10411996.jpg
この湧き水をペットボトルで持ち帰ることができる(200円)

b0228416_10412267.jpg
水屋神社


b0228416_10464956.jpg

駿州赤心隊の碑

富士重本(しげもと)は富士氏44代目の当主でここ浅間大社の神職だった
幕末有栖川宮に随行し、官軍として駿州赤心隊を組織した
その後旧徳川幕臣が静岡入りしたことで
徳川幕府のだったため
故郷に帰ることができなくなった
靖国神社の前身招魂社の住職、区長などして東京に住んだという

b0228416_10555172.jpg
社殿の奥が歩けるというので行ってみた

穏やかな気持ちのいい場所だ

b0228416_10555455.jpg
天神社の裏にでる

訪れる人が少なく神社らしい空気が漂う

b0228416_10560306.jpg
この忠魂碑山になっていて参道のようになっている
富士塚かと思った

b0228416_10560616.jpg
駐車場に帰るとき見つけた

b0228416_10561116.jpg
駐車場前の宮に似合うお家

b0228416_10562117.jpg
 
広島県からご苦労様
八岐大蛇が目立つ

静かな神社が好きなので
私にはこの賑わいは疲れる

と調べてみたら・・・
ここは富士山からの龍脈パワーがとどまる場所
富士山をバックに湧玉池の水は東に流れ
南に平地・・・西に甲州への道
四神相応の地だそうだ
だから凛とした空気じゃなく
穏やかな明るい気なのだそうだ

いわれてみればそんな感じが・・・
社殿を寄進した家康が気に入りそうな場所・・・
ここに遷したのは坂上田村麻呂だった
彼の作った清水寺もいつも人がいっぱい
そういえば明るい雰囲気だ


対する北口本宮浅間大社は諏訪の神と武田信玄寄進の社殿
そして凛とした雰囲気

北と南で空気がかわるのは面白い!!



つづく 村山浅間神社



















by gannyan1953 | 2016-03-28 09:00 | 平将門・鉄・秩父・神社 | Comments(0)



横浜周辺の歴史散歩
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
> rollingwes..
by gannyan1953 at 14:13
初めまして、ローリングウ..
by rollingwest at 16:31
できればメールでお話しし..
by gannyan1953 at 09:08
新横浜スパインクリニック..
by gannyan1953 at 18:23
読めないんですね。申し訳..
by gannyan1953 at 18:09
> ださぶろうさん ご..
by gannyan1953 at 21:44
楽しんでいただけて大変嬉..
by gannyan1953 at 21:41
長津田の大火の事を調べて..
by shin344 at 21:41
初めまして久し振りで ..
by shin344 at 21:35
コメントありがとうござい..
by gannyan1953 at 21:56
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧