歴史と素適なおつきあい

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満蒙開拓平和記念館・長岳寺

歴史と素適なおつきあい番外編    2017・7・30

阿智村に行ってきた

ヤマトタケルの史跡めぐりだったが、
中国残留孤児の父といわれる山本慈昭さんが
阿智村で活動していたことを知った

現在満蒙開拓平和記念館
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2013年に開設された

非常にわかりやすく展示されている

阿智村では昭和20年5月に阿智郷開拓団として
多くの人が満州に渡った

満州の北東に位置し未開の原野に入植した

他地域との交流もなく、すぐにソ連侵攻にあい、
逃避行となった

100人近くがこの地で死亡、
団員190人のうち帰国できたのは47人


山本慈昭さんは教師として
終戦間近の満州に渡り
逃避行のあと、シベリアに抑留され
昭和22年に帰国したが、
妻たちが帰国していないことに
愕然とする



昭和39年遺骨収集の目的で国交断絶していた
中国訪問をしたが、遺骨収集はできなかった

帰国した老人から本当は子供たちの何人かが
残留していることを知り、政府にかけあうが
うまくいかなかった。
残留孤児からの手紙が政府に届いていても
調査もしていなかったという。

山本のことを知った残留孤児から手紙が届き
孤児たちの肉身探しに奔走し
「残留孤児の父」と呼ばれた

娘が残留孤児となっていることもわかり
のちのち再会できた

満州国とは
13年存在した国で日本の傀儡政権の国だった
日本から27万人が入植した

満蒙開拓団は20町歩の地主になれるというスローガンで
夢を持って次男、三男など土地をわけてもらえない人々も
参加した

満蒙開拓青少年義勇軍は
16歳から19歳の健康な少年が参加したという


長岳寺



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山本慈昭さん

ここは武田信玄の終焉の地といわれている
根羽村にも終焉の地の言い伝えがある
広拯(じょう)山 長岳寺は
最澄が創建

武田信玄を火葬した寺である
信玄は野田城攻めの最中に
肺を患い、三河から信州伊那に戻る際
亡くなり
駒場の山中で落命したという


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信玄供養塔

先日NHKスペシャルで「告白〜満蒙開拓団の女」という特集を
放映していた

岐阜県の黒川村(白川村)の開拓団の話だった

終戦時に中国人から守ってもらう為に
ソ連軍に援助を求めた

ソ連軍の要求は女性の接待だった

自決する集団が続く中で
大変な決断だったと思う

帰国してから
もちろん女性たちは恥ずかしいし、
決定した男性たちは申し訳ないと思うし

みんなに開拓団を守ったことを感謝されることもないまま
年を重ねた

決然とある女性はその頃のことを話し始めた

この満蒙開拓平和記念館で話された

勇気ある女性に敬礼!













by gannyan1953 | 2017-08-06 20:58 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)



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