歴史と素適なおつきあい

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歴史と素適なおつきあい番外編   2018・7・16


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この3日間・・ブログがおかしくなった
画像でないし・・・字体まで変!

パソコンマックが古くなってバージョンアップされないからか、
プラウザアップデートの意味がわからんし・・・
スマホではちゃんとでてくるので、パソコン本体の問題かも
とわかったが

仕方なく散歩に出たらパソコンに詳しい方に
偶然出会った

ブツブツ事情を話したら
今のプラウザを変えてみたら?
と言われた

今朝早速サファリからFirefoxに切り替えた

ちゃんとブログが元通りに表示された

「きつねの話」の講義をしたあとだったので
やっぱりキツネかと思った

きつねさん ありがとうございました103.png










# by gannyan1953 | 2018-07-16 10:17 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)

きつねの話

きつねの話


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わたしはごんぎつねが大好きだ



狐は縄文時代すでに人の近くに棲息していた。
縄文の遺跡から骨のペンダントが見つかっている。
日本は北海道がキタキツネ、本州から南がホンドギツネで、
定かではないが、沖縄、佐渡に狐はいないらしい。
ただ伝説はあるので稲荷の狐として話が伝わったらしい。

狐というと

狐憑き・人をばかすなどいい話があまりないが
ツンとした鼻先や機敏な動作がずるがしこく思われてしまうらしい。

日本では古代から農耕の神様として考えられていた。
のちに仏教が伝わり稲荷の化身、使いとなった。

キタキツネ・ホンドギツネは北半球に棲息するアカギツネの亜種である。
砂漠からツンドラまで広い範囲に棲息し人との接触が多いので
世界中に狐の民話がある。

ヨーロッパは日本と比べてずるがしこいイメージが強い。
日本では化けてだます狐、美しい女性に化けて子までなす狐
今でも毒を出し続ける狐もいてこれは怖い


野生の狐の生態

狐はネコ目イヌ科イヌ亜科、狭義でキツネ属だそうだ。
毛色が似ている柴犬との違いは尖った鼻、
体重は5キロくらいで柴犬より
かなり小さい。
大きな三角の耳、猫のような瞳、
しなやかな動きができる。
あのしなやかさは順応性があるということだという。


食べ物はネズミを良く食べるが、秋には実も食べる。
獲物を見つけるとすぐに襲いかからず
自分の尻尾を追いかけたりしてくるくるまわり
苦しそうに転げ回ったりするので
狙われている獲物もつい見入ってしまう。
こうして徐々に近づき獲物を捕るという。
なかなか頭がいい。

YouTubeに雪原の狐が、
雪の中にいる獲物を雪の上から居場所を定め
思い切りジャンプして雪の中に
真上からまっすぐ飛び込み獲物を捕らえる姿があった。

かなりカッコいい。
生物学者の研究でわかったことだが
突っ込む方角は北東が成功率が高いという。
ちなみに犬はほぼ北を向いて排泄する。
家の柴犬朔太郎も90%は北を向く。
狐も犬も磁気がわかるらしい。

ふだん巣穴で生活していると思われがちだが
実際巣穴は出産、子育てに利用され
木に巣を作ることもあるという。(野生犬の百科)

西洋の狐感

イソップ物語はずるがしこい狐の話が多い。
(からすときつね・きつねとつるのごちそう・ずるいきつね)

狩猟民や遊牧民などの
狩りの対象はルネッサンスのころまで鹿や狼だったが、
減少したので多くいた狐になった。

13世紀には英国王室専用の「狐の狩人」と猟犬を所有していた。
貴族たちの毛皮にも喜ばれた。

17世紀には貴族の狩猟場として城の近くに狩場を作った。
ロンドンのハイドパークである。

農村では家畜の鶏やアヒルが食べられ、嫌われる存在となった。
畑のネズミ退治に薬が使われ極端にきつねは減少した。
(もっと知りたい野生動物の歴史:江口保暢(のぶ))


日本の狐感
日本人は狐に対し古来から霊力をもつと思っていた。
日暮れ時深い闇夜が訪れる頃・・コンコンと鳴き
朝早く靄のたちこめる畑に出る頃、道端で出会うこともあった。
夜は怖く、朝は幻想的である。
そういう時間帯に出会う狐は妖しげな動物としてとらえていた。

先日蓼科で早朝に狐が訪れた写真をみた。(2018年6月)
写真は2015年6月のことで是非お会いしたく
私も早朝さまよってみたが、
出会ったのはかわいいバンビから大人になりかけた
鹿の兄弟だった。

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日本の狐は比較的愛情を持って接し、神として扱い
親密な関係を感じている。

アイヌはキタキツネを「チロンヌプ」といい、
災難の予兆を伝える神とされる。

狐感推移

弥生時代 
稲作がはじまりネズミを食べてくれる益獣となる。
そして豊かなしっぽを稲の穂に見立て豊穣の神となる。


古墳時代
朝廷による中央集権が強まり権威に抵抗するアニミズム信仰の民を
狐とよんだ。朝廷はまつろわぬ民に動物名をつけたころがあり
土蜘蛛と同じような意味で使われた蔑視語である。
後半にはいると山神や神の使いと狐が同一視され、昇格した。

飛鳥時代
仏教の伝来があったがまだ狐は登場しない。
「多武峯(とうのみね)縁起絵巻」に藤原鎌足は生まれた時
どこからか狐が鎌をくわえて現れ、鎌足の足元に置いた。
それで「鎌子」と名づけられた。旧姓は中臣鎌子。
鎌足を祀る談山(たんさん)神社では鎌狐のおまもりが授与されている。

お守りは買うとはいわず
一体授与する、授与されるという
一体は神様のことである


奈良時代
中国から怪異、妖狐が伝わる。

平安時代初め
密教が伝わりアヌビス=ジャッカル(エジプトの冥界の神)が
伝わったが日本にいない動物なので狐となった。

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ジャッカル

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ホンドキツネ



インドの荼枳尼(ダキニ)は人肉を食べる神で邪神である。
そしてヒンズー教の神である。





荼枳尼は大黒天(盧遮那仏)に調伏されてから
日本では荼枳尼天と「天』がつき
願いを叶えてくれる神となった。
大黒天はヒンズー教のシヴァ神と同一である。


荼枳尼天は裸身で白狐にまたがる姿で登場する。
白狐は瑞兆とされた。
狐が人に変身、特に狐との婚姻がある。
狐憑きもはじまり、病気の原因とされた。

きつねの語源

①日本霊異記から
欽明天皇(6世紀)のころ美濃に住む男が嫁探しの旅に出た。
きれいな優しい女性と出会い、故郷で結婚した。
その嫁が男の子を産みそのころその飼い犬も出産した。

生まれた子犬がなぜか嫁にうなり声をあげる。
とうとう歯をむき出して追いかけられ、
きつねの姿にもどってしまい、逃げ出した。

夫はきつねでもいいからそばにいて欲しいと願った。
夜になると嫁が夫のそばに戻るので
帰って来て寝るから「きとね」・・岐都禰(きつね)
息子の名は岐都禰となった。

岐都禰は足が速く力もあったという。
岐都禰の曾孫の女性も力強く
泥棒退治の話がある。

②新井白石の説
狐のキは臭いという意味でツは助詞、
ネは犬の訛りであるという。(1719年)
このころ狐は臭かったのか・・・
このころお犬様といわれた生類憐れみの令が
あったから犬より臭いと思ったのか・・


③ミケツ神から
御食津神・御饌津神・三狐神と書く。
ミケツとは食事の神様である。
ミケツがケツネ・・キツネになったという。
昔狐はケツ・キツとよばれた。ケツケツと鳴くからだという。
子供を呼ぶときはコンコンと鳴くという。
ケツに神の尊称ネがつけられケツネ・・キツネとなった。
万葉集にはキツとあるが、平安時代の和名類聚抄にあることから
すでにキツネと呼ばれていたと思われる。

ミケツ神は
大気都比売(おおげつひめ)・保食神(うけもちのかみ)
倉稲魂神・宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)などの
神のことである。



民話の狐

狐がきれいな女性に化ける話は中国由来である。
百才で北を拝礼して女性となり
千才でしっぽが九つに分かれる。



①狐火
狐火は夜中に妖しく飛ぶ火で、
科学的には放電や燐が燃えるとされる。
狐火は証明はされていないが、
光の屈折説もある。
関東で狐火の有名なところは王子稲荷で、
王子の狐の行列が復活した。
大みそかに関東の狐が榎木の下で装束に着替え
王子稲荷を参拝するという言い伝えがある。

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②九尾の狐
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玉藻前は藻女(みきずめ)という名前で
子に恵まれない夫婦に育てられた。
18歳で宮中にあがり鳥羽上皇に寵愛され
玉藻前と呼ばれた。上皇が健康をそこねたとき
陰陽師に玉藻前の仕業といわれ、真言を唱え調伏された。
すると九尾の狐に変身、脱出した。
その後那須にあらわれ婦女子をさらうようになった。
上皇の命令で討伐隊がだされ苦戦するも殺害した。
その後石になり近づくと、人が死んでしまうようになり
「殺生石」と名づけられ怖れられた。


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南北朝の時代源翁(げんのう)和尚が石を砕き
各地に飛散したという。金槌の語源である。
那須の殺生石は有名だが硫化水素、亜硫酸ガスを発生し、
地表近くにたまっているといわれる。
とくに犬や子供は地面に近いので危険である。
那須では5月に狐のお面をかぶり
九尾の狐のお祭りが行われている。
九尾の狐が神様になっている。

玉藻前の経歴は中国古代にさかのぼり
殷の紂王(ちゅうおう)の妃(妲己・だっき)で
王を惑わし酒池肉林にふけり武王に処刑された。

妃は三つに割れ飛散、奈良時代にそのひとつが吉備真備の
遣唐使船に「若藻」と名乗り乗船、日本にやってきたという。

③葛葉の狐

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葛葉稲荷神社は和銅元年(708)に創建された。
白龍が現れたことから、ご神木の化身とされたという。
通称信太の森といわれるところである。
平安時代中頃、阿部保名が家の再興を願いに神社を訪れた。
お参りの帰り白狐が走り寄った。
狩人から逃れてきたのだった。
保名は白狐を草むらに隠し、狩人たちと戦うはめになり
傷を負い、気を失った。気がつくと
美しい女性が介抱してくれており名を「葛の葉」と名乗った。
数日後保名の家に見舞に現れ2人は恋に落ち結婚した。
かわいい男の子が生まれたがその子が5歳になった秋、
添い寝をするうち神通力が失われ姿を男の子に見られてしまった。
「もうこれまで」と葛の葉は口にくわえた筆で

「恋しくは 訪ねきてみよ 和泉なる 信太の森の 恨み葛葉」

と歌い、去っていった。

母を慕って泣く子とともに信太の森にやってきた保名は
妻の名を呼んだ。
すると以前はなかった葛の葉が社の一面に茂り
悲しそうに葉の裏をみせながらざわめいたという。
男の子はのちの「安倍晴明」であった。
保名は後に清明のライバルといわれる蘆屋道満と
天文学を学ぶ弟子仲間だった。

④伝わる行事
狐の悪さを押さえるため狐狩りと称し、わらで作った狐を
村境で焼く行事

⑤古今和歌集に
藤原基経が狐を助け、見返りに大火があったとき
(多分基経の家が)焼失しなかった。

⑥人間の頼みを聞く狐
ある男が出先で急な来客を招くことになり、
家にいる妻に知らせるため
帰宅途中に出会った狐に、
来客の準備を妻に伝えるよう頼んだところ、
狐は妻にとりつき主人が帰宅する頃には支度が整っていたという。

⑦あめりか狐
安政5年コロリが流行り、いわしに病毒があるとか、アメリカ人が置いていった
狐から移ったといわれた。

イワシの値段は暴落し、玉川上水の水に毒があると
毒消しのお守りも売れたという。
あめりか狐から守るため、
手足の親指をしばると狐が取り憑かない、
コロリに罹った人のからだから狐を追い出すのはなぐるしかない
とか、とんでもない事態が起こった。
結局8万人ほど亡くなったという。

⑧越生の狐
越生(おごせ)駅の東の山吹の里に耕地の稲荷という
字があり、稲荷があった。
明治40年に越生神社に合祀されたところ、
近所に住む吉野さんの家の周りが騒がしくなった。
何かが走り去るような音が夜中になると聞こえてきて
家族は怯えていた。
ある晩夢に狐がでてきて稲荷の森がなくなって
住む場所がないという。
吉野さんは庭先に稲荷の祠を作ってあげた。
それからは元のように静かな夜になったという。

小さい頃山吹の里の上の方に灯りがいくつか見えた。
祖母は「今日は狐の嫁入りだ。いいことがあるよ。」
と言っていた。「山の怪奇」:山村民俗の会


戦争中越生に地下工場を造る事になり、
労働者たちは食事も少なく
風呂に入る暇もなく働いた。
ある晩若者が「いい湯だ いい湯だ」と
裸で歩きまわる事件があった。
朝になると正気にもどり訳を聞くと
覚えがないという。
正気をなくした日の夕方
お稲荷さんに祀ってあった食べ物を
お腹がすいてつい食べてしまったという。
お稲荷さんが同情してお湯につかる夢を
みせてくれたかもしれない。
「山の怪奇」:山村民俗の会

⑨愛宕山
愛宕山に住む狐は夜騒いだり灯りをつけたり
人々に怖れられていた。ある人が麓の土手を
上がろうとしたら、火の玉がゴーッと音をたてて
迫りあわてて逃げ帰った

⑩郵便配達
郵便配達をしていたら狐にあった。
「私は郵便を配達するもので、
怪しい者ではありません」といったら
狐は去っていった。

⑪事実の行方
山形県のある人が土地を買った。
火事になり床の間が焼け残った。
壁に狐様が浮き出ていた
調べたら買った土地はお稲荷様があったという。


稲荷と狐

稲荷と言えば伏見稲荷が本社である。

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京都深草に和銅4年伊奈利神が降臨した。

いわれは
富裕だった秦伊侶巨(はたのいろぐ)は
餅を的にして矢を射った。
すると的が白鳥になり飛んで
山の峯に舞い降りた。その場所に行ってみると
子を産んでいた。
「稲なり生いき」と言う。そこに社を造った。

後に子孫は先の過ちを悔いて
社の木を抜いて自宅に植え
生きれば福
枯れれば福あらずとした。

先の過ちとは大切な餅を的にしたバチがあたり、
その後不作が続いたと思われる。
これが和銅4年(711)初午の日となった。
(山背(やましろ)国風土記)


のちに空海が平安京の鎮護として
東寺、西寺を建立するがその木材を稲荷山から
供給することになった。
ところが当時の淳和天皇が病になり
稲荷山の祟りと占いにでた。
天皇は従五位下(じゅごいげ)を与え
天皇の快癒を祈った。
稲荷明神:松前健の「稲荷明神」によると
この話は東寺の密教僧による作り話であるという。

それから東寺と伏見稲荷は稲荷祭でずっと
親密な関係にある。

狐は眷属として認められたのは平安時代で
ミケツ神からの語呂合わせのようである。
命婦神(みょうぶしん)は5位以上の婦人の敬称で
奥宮の白狐社のことである。
個々の祭神は狐である。
後三条天皇(1071)が稲荷の老狐に命婦の位を与えた。

稲荷信仰のランクングは神社数では八幡、伊勢、天神についで稲荷は4位である。
参詣人数では明治神宮についで2位である。

近年朱の鳥居に魅せられた外国人に
大変好まれるお稲荷さんである。

仏教と稲荷

密教により荼枳尼の恐ろしさも加わり
御霊信仰と似通っていると思うが
豊川稲荷の本尊は千手観音であり、
荼枳尼天は山門の鎮守としたことがはじまり

8世紀ころ順応天皇第三子の寒厳禅師が宋に渡る時
白狐にまたがる荼枳尼天を拝んだことから始まり
戦国時代に豊川に6代目の弟子が創建した。

曹洞宗の寺でここでは神様ではないので
お参りの仕方が変わる。
ノウマク・サマンダ・ボダナン・キリカ・ソワカだそうだ

狛犬ルーツ

メソポタミア文明(紀元前25世紀から)で王位の権威を現す象徴として
使われ、獅子狩りは王家の強さを現すものだった。
大英博物館にある獅子狩りのレリーフが残っている。
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エジプトのツタンカーメン(紀元前14世紀)の玉座は獅子が彫られている

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そしてスフィンクスがある。

ギリシャではミケーネ(紀元前15世紀)のし獅子門がシュリーマンによって
発掘されている。


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このようにメソポタミアから伝えられ日本には飛鳥時代に仏教とともに入ってきた。

古墳の副葬品に獅子をかたどった太刀があり日本の獅子では最古のものである。
5月の節句の兜も獅子が多い。
日本では宮中に使われる鎮子(ちんす)といって御簾や几帳をが風であおられないようにする
重しのことでそれが獅子像であった。






しだいに穢れを祓うものとして神社に使われるようになった。
阿吽は仏教の影響である。
最初は口を開け咆哮しているのが獅子で
角があり口を閉じているのは霊獣だった。


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獅子


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霊獣

今では両方が獅子で同じ種類の動物である。



伏見稲荷のお狐様は玉(ぎょく)と鍵がある。
玉は穀霊の象徴で
鍵は米蔵の鍵である。
他に宝珠、稲穂、鎌、巻物などくわえている。


参考
稲荷明神:松前健
稲荷大神:中村陽
しぐさの民俗学:常光徹
神様になった動物たち:戸部民夫
事実の行方:阿部八郎
神・人間・動物:谷川健一
日本全国狛犬物語:上杉千里
伏見稲荷大社:三善和義
民俗信仰の神々:大島建彦
狐の日本史:中村禎里
ウイキペディア

神社・仏閣のHP
































# by gannyan1953 | 2018-07-13 15:56 | 神様の話 | Comments(0)

効率よく一日で歩く鎌倉十三仏めぐり 

歴史と素適なおつきあい番外編   2018・6・30

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海蔵寺


6月最後の土曜日 暑いけど風があるので
スポーツウエアを着て鎌倉に出かけた

かなりの人出で行きの電車も満員 遅れ・・・

みんな明月院や長谷寺に向かうらしい

効率のいいまわり方

条件:御朱印なし

北鎌倉駅から

① 浄智寺  6番 
② 円応寺  5番 建長寺の向かえにあるのでさきにまわった方がいい
③ 海蔵寺  7番 円応寺から来た道戻って亀ヶ谷坂・・つきあたり右
④ 寿福寺  9番 
⑤ 浄光明寺 4番 鶴岡八幡宮を通り抜ける
⑥ 来迎寺 10番
⑦ 覚園寺 11番
⑧ 浄妙寺  2番 
⑨ 明王院  1番
⑩ 報国寺  8番
⑪ 本覚寺  3番
⑫ 虚空蔵堂12番
⑬ 極楽寺 13番

極楽寺駅
江ノ電で鎌倉駅にもどる

約17キロ
所要4時間半
休憩 30分2回

  
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小町通にあった・・寄ってみたいけど時間がない
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鶴岡八幡宮 ハス

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ベンチで人と一緒にハスを見る鳩

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報国寺は竹だけじゃなく入口の苔もきれい

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ほんとはこの下をとおる極楽寺坂を歩くのだが
この景色がみたくて・・・

ヨン様もきた成就院


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前回は遅くなりもう門が閉まっていた極楽寺










前回義理の姉の供養にでかけたものです










# by gannyan1953 | 2018-06-30 22:48 | 鎌倉の歴史 | Comments(0)

御座石神社に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編   2018・6・18





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牛さんかわいかったなあ

蓼科に宿泊した帰り道・・これも偶然だが
御座石神社があり

めでたく立ち寄った

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ヌナカワヒメの足あとが残る石


あとの石はよくわかりませんが
石への信仰が好きです

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マーガレットがどこかしこにいっぱい咲き誇り
好きな花である

大阪の地震にびびり
早く帰宅した








# by gannyan1953 | 2018-06-28 11:47 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)

蓼科 鳴石

歴史と素適なおつきあい番外編  2018・6・17


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鳴石

どれほど大きいかというと


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古代の東山道にあり、
軽くたたくと鈴のような音がする・・・そうだ

昔・・・強くたたいた人がもだえ苦しんだためか
近寄れない

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むちゃくちゃおいしい
もしかしたら今までで一番美味しい
ソフトクリーム

食べながら標識見つけた

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もうもうさんから3分ほど
この道を歩く
ワクワク・・・

古代の勉強しているときにこの石のこと
知ってた
偶然の出会いだ

「もうもう」に感謝!








# by gannyan1953 | 2018-06-28 11:37 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)



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