人気ブログランキング | 話題のタグを見る

歴史と素適なおつきあい

仁田館に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編 2025・11・6
仁田館に行ってきた_b0228416_15232026.jpg
仁田氏は伊豆の豪族工藤氏の一族です。
頼朝が挙兵した時は
平氏追討で、西国や奥州で
戦っています。
仁田館に行ってきた_b0228416_15235382.jpg
仁田館に行ってきた_b0228416_15292680.jpg
仁田忠常兄弟の五輪塔が守られています。
兄2人は石橋山の戦いで亡くなっていますので、
中央が四郎忠常、
左が五郎忠正、
右が六郎忠時の
五輪塔です。

3男がいませんね!?

忠常は
建久4年(1193)富士の巻狩りで
曾我十郎祐成を討ち取りました。
頼朝を守るためでした。

頼朝が亡くなると、北条氏に翻弄されます。

比企の乱では
北条時政の命令で比企能員を殺害し、
今度は
源頼家から北条時政を討つように命じられ、
謀反人とされてしまいます。

建仁3年(1203)に加藤景廉によって
討たれました。
ちょっとかわいそうです。

頼家に仕えていたころ
頼家に富士の人穴探索を命じられます。

ここからは
人穴探検に行った時の
ブログに詳しいです。


命じた頼家は瀕死状態になっている
忠常のお見舞いに行ったそうです。

このとき忠常の妻は
三島神社に回復の願いに
出かけましたが、
渡し船が嵐で転覆し、
亡くなったそうです。

仁田氏は新田ともいいますが、
新田義貞とは無関係のようです。

いずれにせよ、
鎌倉幕府成立に貢献した人ですが、
夫婦ともに普通の亡くなり方では
ないので
人穴の祟りだったのでしょうか149.png

仁田館に行ってきた_b0228416_15281416.jpg
仁田館に行ってきた_b0228416_15282040.jpg
仁田館に行ってきた_b0228416_15331380.jpg
仁田館に行ってきた_b0228416_15333054.jpg
水が流れています。
堀です。



函南遺産より
発掘調査の結果、
後北条氏の築城術として知られる畝堀がありました。
ところが室町以前の遺物がみつからなかったため、
仁田忠常の居館だったのかは
まだ決められていません。
仁田館に行ってきた_b0228416_15430641.jpg
居館といわれている場所の民家ですが、
風情のある素適な家でした。

来光川の土手があります。
仁田館に行ってきた_b0228416_15451215.jpg
仁田館に行ってきた_b0228416_15454007.jpg
向こうの橋が「仁田橋」
その向こうが沼津アルプス・・

あの山を縦走したことがあり、
今でも絶対行きたくない山で、
辛い思い出しか残っていません。

沼津アルプス・・すまん🙇‍♀️


仁田館に行ってきた_b0228416_15452140.jpg


慶音寺をめざし、
お寺に駐車させていただきました。

鎌倉時代より続く仁田家の菩提寺です。

先祖の仁田四郎忠常公は
鎌倉幕府初代将軍 源頼朝公の
信頼厚く重要な任務を度々任されていました。
(慶音寺のサイト)










# by gannyan1953 | 2025-11-10 05:30 | お城に行ってきた | Comments(0)

火雷神社

歴史と素適なおつきあい番外編 2025・11・6
火雷神社_b0228416_13532254.jpg
丸山城(田中城)から行きました。
車とのすれ違いは
ギリギリという道で、
山越えして里に出たところに
ありました。
ほっと一息です。
里の広がる空間は
丹那断層なんだそうです。

火雷神社_b0228416_13515046.jpg
函南町にある神社で
1930年に丹那断層で発生した
北伊豆地震(M7.3・震度7)によって、
神社の石段と鳥居の間に約1mの横ずれが生じました。



丹那断層は、
フィリピン海フレートの先端の沈み込みにより、
数十万年前から活動しており、
その間の地震の繰り返しにより、
累積で水平1Km/垂直に100mほどのずれが
生じたと考えられています。

函南遺産より
丹那断層は、活動繰り返し期間が
700~1000年ということと、
“1000年あたりの平均的なずれの量が
2m前後”であることから、
A級の活断層(日本には、100ほどある)と
認定されています。


神社境内に生じた
この「ずれ」は
町の天然記念物として保存されて
います。


左の石柱を残して、
右の石柱と鳥居の笠木、貫などは壊れて、
下に落ちた状態で保存されています。
鳥居と石段の間に断層が走り、
鳥居の中心と石段の中心が約1.4mほどずれています。
(昭和57年には神社の裏山が崩れて、
鳥居の台石まで埋まってしまったそうです。
尚、社殿と古い石段の中心がずれていますが、
元々ずれていたようです)

火雷神社_b0228416_13560368.jpg
元の鳥居がよくわかります。
もっと右側にあったのが、
左にずれています。

今は治されている
当時の村の道です。
もともとまっすぐだった道だそうで、
うまくカーブしていますので、
いわれなきゃわからないです。
火雷神社_b0228416_13582881.jpg

目の前は田代メルヘンの里です。
火雷神社_b0228416_14010400.jpg
向こうに見える山は
田代城址です。
また後ほど。


上空から見た丹那断層です。

火雷神社_b0228416_19020304.jpg



函南遺産を参考にしました。


丹那盆地は特に好きな場所です。

再訪できて嬉しいです。
時々「函南の湧き水」表示があり、
アッ湧き水だ・・より・・
ちょっと悲しくなります。

でも今でも湧き水があることを、
喜ばなくてはいけません。



# by gannyan1953 | 2025-11-10 05:28 | 静岡県の歴史散歩 | Comments(0)

函南の田代城址に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編 2025・11・6
函南の田代城址に行ってきた_b0228416_14124659.jpg
城主は田代信綱です。

函南の田代城址に行ってきた_b0228416_14010400.jpg
田代城址遠望です。
コスモスの向こうの山が田代城址になります。
田代メルヘンの里といって
火雷神社から遠望できます。

民地なので、
山にはいることはできません。
函南の田代城址に行ってきた_b0228416_14131125.jpg

20メートルの高さに堀切があり、
多分入り口あたりに館があったのではないかと
いわれています。


麓の家の方が教えてくださいました。

鈴木さんという方の土地だそうですが、
山には入れないよと。

いいんです!
熊が出るかもしれないし103.png

函南の田代城址に行ってきた_b0228416_14125600.jpg

田代信綱とは

蛭ヶ小島に流刑になっていた
頼朝に仕えていた人です。

石橋山の戦いにおいて
源頼朝挙兵時に参加しています。

前田青邨の「洞窟の頼朝」の
ひとりです。
函南の田代城址に行ってきた_b0228416_14491316.jpg



石橋山の戦いで敗れて逃れる中で、
肥満だった育ての親・工藤茂光は、
足手まといになるのを嫌い、
孫の田代信綱に
介錯してもらったともいわれています。

一の谷、屋島の戦い、源義仲追討にも
参加しましたが、
義経郎党となり、
同時に頼朝から破門されます137.png

平家滅亡後、
田代信綱は改めて、
狩野荘・田代郷の地頭を
安堵されています。




伊豆の田代氏はこの信綱から
始まるそうです。
伊豆の田方郡田代郷を拠点とし、
代々「綱」がつく名前です。

承久の乱で北条得宗家に
仕え、戦功をあげ、
和泉国の地頭職を得ます。


末裔の田代顕綱
南北朝の戦いの時、
北朝の足利直義につき
南朝の北畠顕家を撃破しました。
その戦功で足利家の奉公衆に
加えられました。

亡くなった北畠顕家が好きなので、
逃げ若の画像を。

北畠顕家
岩津(現在堺市)の戦いで亡くなりました。
北朝足利尊氏の部下高師直兄弟でした。
顕家は後醍醐側の公家です。
父は北畠親房・『神皇正統記』の著者です。
函南の田代城址に行ってきた_b0228416_08483073.jpg
逃げ若ではとてもかっこいいです。
学識、武力、そして心のある武将です。



田代三喜は信綱の8代あとの子で
室町から戦国時代の人です。
明に渡って学び、医聖といわれる
高名な医師となりました。

末裔も立派です。




大昔になりますが、
1966年の大河ドラマ「義経」
中村吉十郎2代目が
田代信綱役をしています。

第26回「あずさ弓」

<あらすじ>

正月十二日、
院の御所へ召された義経と
軍奉行の田代信綱は、
あらためて法皇から
平家追討の院宣を賜った。


義経は戦いに勝つことのほか、
いまだ平家の手に守られている
三種の神器を都へ迎えねばならぬ
苦しい立場にあった。

その夜、田代信綱ら百五十騎が
ヤミにまぎれ都を出立した。

あくる日、義経はじめ五十騎は
人びとに気づかれぬよう
野がけに行くような身軽ないでたちで
都を出て、摂津国・渡辺の里へ入った……。










# by gannyan1953 | 2025-11-09 09:02 | お城に行ってきた | Comments(0)

田中城・丸山城に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編 2025・11・6
田中城・丸山城に行ってきた_b0228416_13083069.jpg
城主は田中内膳で、北条早雲の
外祖父です。
早雲の母は多分伊勢氏の流れなので
田中内膳も伊勢氏の流れなのでしょうか?
よくわかりません。
田方郡函南の桑原にあります。


北条早雲が築城した山中城の支城と
思われます。

田中内膳の居館があったので
田中城。
丸山という山に作ったので、
丸山城。

名前がややこしい。
伊豆にはもうひとつ
海沿いにあるし、
伊勢原にもあるし、
調べたら十一城はあるようです105.png

北条早雲を堀越公方の後見として
韮山城主にさせたと言われます。

静岡信販のサイトより拝借

『増訂豆州志稿』は興国寺城の
伊勢長氏を堀越公方の後見として
韮山城主にします。

伊勢長氏はのちの北条早雲のことです。

又内膳については長氏の外祖父・
横井掃部助の親族で
長氏を女婿とするとあります。

桑原の北、入谷の通称丸山と
呼ばれる谷の中に張り出した独立した
小高い丘が居館でした。

周囲は急傾斜で
北部のみ尾根線でやや緩やかで、
北は冷川が流れています。

比高約20m。

現状は山林である。
東から西に延びる尾根の
中央を空堀によって、区切りとしています。
西郭の周囲には輪郭状の
遺構らしいものも見られます。

田中城・丸山城に行ってきた_b0228416_13442726.jpg
田中城・丸山城に行ってきた_b0228416_13443940.jpg
田中城・丸山城に行ってきた_b0228416_13444630.jpg


# by gannyan1953 | 2025-11-08 13:46 | お城に行ってきた | Comments(0)

葛西城址に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編 2025・11・3
葛西城址に行ってきた_b0228416_22474578.jpg


城主はわかっていることは
後北条氏です。
江戸時代には青戸御殿があったので
家康です。


葛西城跡は、中世の城です。 

青砥の「と」は戸と思えば、
港・・交通の要衝・・のこと。
近くに中川があるので
船も利用できます。

中川はもともとは荒川水系で
このころは旧中川のことです。
城館に適した地になります。
 

発掘の様子です
葛西城址に行ってきた_b0228416_23355922.jpg

鎌倉時代に葛西氏の館があったと
いう説もありますが、
はっきりしたことはわからないそうです。
葛西城址に行ってきた_b0228416_22472086.jpg

葛西城址に行ってきた_b0228416_23024485.jpg


15世紀には城館があったと
いうことで、
東京都文化財情報データベースによりますと
関東管領上杉氏(扇谷・山内)と古河公方との争いで
上杉方の拠点だったといいます。

その後
天文7年(1538)に北条氏綱が攻略し
北条方の城になったといいます。

長尾景虎(上杉謙信)の関東進出の際に
攻略され一時上杉方の城になりま すが、
北条氏康と里見義弘の
第二次国府台合戦以後は
北条方の城となり、北条氏滅亡まで続きます。  

北条氏のころ拡張され、
堀が掘られ水路や土塁ががあり、
公園部分が城館ではなかったかと
いいます。

道路を挟んで両側が
城館跡です。

葛西城址に行ってきた_b0228416_22473473.jpg

江戸時代初期には徳川将軍家の鷹狩りの際に
青戸御殿として利用されたこと が知られています。
現在それで御殿山公園になっています。
 
小田原征伐で北条氏が滅亡していくとき、
持ちこたえていましたが、
家康配下の武将戸田忠次に落とされます。

江戸幕府の時代には
将軍家の御殿となり、青砥御殿といいました。


参考:葛飾区郷土と天文の博物館・
   東京都文化財情報データベース

道路を渡ると分断された
葛西城址が葛西城址公園になっています。
ここは子供達が遊ぶ公園になっていて
城址らしさはありません。

先に神社があります。

青砥神社

葛西城址に行ってきた_b0228416_23075274.jpg
万葉集に葛飾の稲のことが書いてあります。
にほどりの葛飾早稲を贄すとも そのかなしきを外に立てめやも

米が取れるので新嘗の祭事を行ったということだそうです。

このあたりは土器の原料の粘土が
多くあったので土器作りがさかんでした。
葛飾は葛西御厨になっていました。


葛飾区郷土と天文の博物館
葛西城址に行ってきた_b0228416_22524531.jpg

御殿山遺跡
古墳時代前期の遺跡は
御殿山遺跡といわれます。
葛西城址に行ってきた_b0228416_22541786.jpg

場所が違いますが
葛飾といえば寅さん・・

寅さんがいた柴又駅ちかくに
柴又八幡神社があります。
古墳もあってそこから出土したのがこの埴輪
葛西城址に行ってきた_b0228416_23010445.jpg
寅さん埴輪です。

帽子を被った埴輪はまるで虎さんです。
山田洋次監督も
驚かれたそうです。



葛西城址の出土品です。
葛西城址に行ってきた_b0228416_23144191.jpg

こちらにも美濃焼の天目茶碗がありますが、
白い釉薬の天目茶碗です。

天目は基本黒いと思ってました😅

葛西城址に行ってきた_b0228416_23152572.jpg







# by gannyan1953 | 2025-11-03 23:25 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)


カテゴリ
以前の記事
2025年 11月
2025年 10月
2025年 09月
2025年 08月
2025年 07月
2025年 06月
2025年 05月
2025年 04月
2025年 03月
2025年 02月
2025年 01月
2024年 12月
2024年 11月
2024年 10月
2024年 09月
2024年 08月
2024年 07月
2024年 06月
2024年 05月
2024年 04月
2024年 03月
2024年 02月
2024年 01月
2023年 12月
2023年 11月
2023年 10月
2023年 09月
2023年 08月
2023年 07月
2023年 06月
2023年 05月
2023年 04月
2023年 03月
2023年 02月
2023年 01月
2022年 12月
2022年 11月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 07月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 02月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 03月
2010年 07月
2009年 07月
2008年 07月
2006年 10月
2006年 07月
2003年 06月
2003年 04月
2003年 03月
フォロー中のブログ
最新のコメント
> あざらしさん こち..
by gannyan1953 at 12:47
みよし灯篭、カナダで見か..
by あざらし at 00:50
ああ 友よ、この音楽では..
by 歓喜の歌(フロイデ) at 11:47
1955年には別に21名..
by tete at 11:10
それにしても古事記はすご..
by 花神親王 at 06:10
それにしても古事記はすご..
by サムライソウルグローバル at 16:02
> 無回答さん 返信が..
by gannyan1953 at 21:39
祖父の家の裏庭に馬頭尊と..
by 無回答 at 15:52
文系の私にとっては材料物..
by 出雲安来たたらで知った at 21:53
はじめまして。 自分の..
by moz at 10:59
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
仁田館に行ってきた
at 2025-11-10 05:30
火雷神社
at 2025-11-10 05:28
函南の田代城址に行ってきた
at 2025-11-09 09:02
田中城・丸山城に行ってきた
at 2025-11-08 13:46
葛西城址に行ってきた
at 2025-11-03 23:25
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧