歴史と素適なおつきあい 番外編 2011・5・21
曽我丘陵を歩く
国府津駅:10:20出発
標高246.1メートルの低山で、地元では曽我山とよばれる。富士山、箱根、大山そしてこゆるぎの浜、相模湾が眺められる。
菅原神社
祭神は菅原道真、撫で牛もある。曽我兄弟の隠れ石、とおりゃんせの発祥の碑があった。この童謡とおりゃんせの発祥地候補はあちことあって、大宰府天満宮近くの山道に天神様の路、大坂の福島天満宮、姫路の三石天満宮などがある。
五国峠
伊豆、相模、甲斐、武蔵、安房の五つの国が展望できることから名がついた。
風外窟
このあたり多くの横穴古墳がある。この遺跡は7世紀のものでこの地方の豪族の墓といわれる。岩窟数は11基発掘された。江戸時代初期、この岩窟に風外禅師が穴居した。多くの達磨画、布袋画を残した高僧である。平塚博物館、群馬県歴史博物館に多く所蔵されている。
岩房覚友幽禽語 深洞落風交水声
夢覚仙家人世外 閑居寂寞愿心情
おそらくこの岩窟で作られたと思われる、自画像に描きこまれた詩である。(参考:田島歴史同志会・野地芳男)
六本松跡
千代台地(曽我丘陵西方の断層、崖地)は古代師長の国の府中であったので西からの旅人はここを通り、坂東、奥羽へとむかった。鎌倉街道でもあり、
長谷寺にいく巡礼道でもあった。(碑より)
曽我十郎の忍石
曽我十郎は仇打ちにたつ時恋人の虎御前とひととき過ごした後、虎御前を馬で大磯に送った。そのときこのあたりで、涙で別れを惜しんだといわれる。
曽我物語は二人の嘆きを万葉のころの新羅に行く夫を見送りそのまま石になってしまった松浦佐用姫になぞらえている。
また石の中央に手形のようなくぼみがあり、曽我十郎が力を試したという伝説もある。スーパーアイドルだった曽我兄弟の伝承はつきない。(忍ぶ石の碑より)
伝曽我祐信宝篋印搭
曽我庄の武将で曽我兄弟の養父である。(碑より)
まむし草
宗我神社
祭神:宗我都比古命・宗我都比女命
平安時代長元元年(1028)創建、宗我保慶我祖先の足跡の墳墓を訪れ創設したと伝えられる。宗我都比古命は武内宿弥の孫で東夷鎮静の功がある。神社は古東海道の道筋にある。(神社のしおり)