歴史と素適なおつきあい

港北ニュータウン・都筑の歴史

港北ニュータウン ー都筑の歴史年表―   2003年4月作成

つづきの丘小学校コミュニテイハウス祭で配布された。その後少々改訂。


紀元前
200万年 
  
海底に堆積した泥が固まった岩盤で「上総層群」と呼ばれる。関東平野の基盤を成す岩盤である。

早淵川「鍛冶橋」直下にそれがみられる。

水没していた関東平野が隆起し、海面低下により上総層群が水面上に現れ、箱根、富士の火山噴火による火山灰が積もって、関東ローム層を堆積。

多摩丘陵(青葉区含む)や下末吉台(都筑区含む)を形成。この間4回の氷河期と3回の温暖期が繰り返された

200万年前とは?!

丹沢山地が爆発(250万年前)したり、伊豆半島が本州に衝突(200万年前)したりした。

アフリカには先行人類がいたという。

2万5千年頃 
 
市内で旧石器のくらしがはじまる。

富士見が丘の三の丸遺跡や、加賀原の四枚畑遺跡で石器発見。

2万年頃 
    
海面は今より100~140m低下し日本と大陸はつながっていた。

高山地帯の気候で、火山灰のため森林は育成せず草原と疎林が形成された。

横浜に海はなかった。東京湾もなかった。

標高の高い台地に旧石器時代の遺跡が残る。

人々はナウマン象やオオツノシカなど大型獣を石槍や投槍で狩猟。

鶴見川河口でナウマン象の下顎骨発見。

1万2千年頃  

今に近い気候となり、森、川、海の自然資源を活用した定住生活が始まる。

花見山遺跡で縄文式(隆線文様)土器、石器、竪穴出土。日本でも特に古く、注目される。
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国立博物館蔵

6千年以降 
   
古代の村が出現。

遺跡が増加する。炉穴、獣をとる落とし穴もつくられる。

縄文海進により茅ヶ崎、佐江戸まで海が入り込む。

港北ニュータウンの縄文の海辺では魚介に恵まれ、南堀、境田貝塚など発掘。

ヨーロッパではイギリスが孤島化、日本の四国、九州が本州より分離した。

3千年以降    

地球寒冷化により海岸線後退。

鶴見川流域の遺跡の60%はこの期のものである。

古梅谷に木道がわたされる。

富士山噴火で火山灰が多く自然資源の減少をもたらす。

遺跡減少。港北ニュータウンに人は住んでいたのだろうか?!

しかし東北地方では亀ヶ岡文化が繁栄していた。


1千年 
    

人口がぐんと減り人影がない。中国を中心とした東アジア地域にも動乱があった。

100年   

弥生中期まで断片的に弥生土器が出土するが人の居住痕跡が認められない。

紀元0年弥生中期  
 
鶴見川流域の遺跡は多くないが、米作りをはじめた人々の遺跡と思われる。

早渕川の谷間にある自然湿地で稲が作られ台地上に遺跡が増加した。

大塚・歳勝土遺跡、八幡山遺跡など出現し、方形周溝墓(主体部を中心に四方にも方形に溝をもつ墓)が作られた。

弥生文化とは、紀元300年ころ、北九州を中心に発達、紀元0年には東日本にも普及したと思われる。

朝光寺遺跡から発掘された朝光寺原式土器があるが、その土器の発掘分布が都筑郡区域とほぼ一致する。

300年頃   

 日本書紀、安閑の条に「武蔵野国造笠原直使主と同族小杵(おき)の国造の地位の争いに

大和朝廷が介入、屯倉を設置した」とある。
         
500年頃    

大和古墳時代。多摩川、鶴見川流域に古墳がつくられる。

矢崎山遺跡、赤田古墳群、綱崎山など小高い丘の上にある。

701年    

飛鳥時代。大宝律令なる。武蔵の国に国郡制が施行され都筑郡の中心地となる。

土地の私有化を禁じ国有化し、その土地を耕す国民を登録し、

税を納める役所として都筑郡衙が建立された。

長者原遺跡として発掘された。

743年   

 奈良時代。国有地政策破綻。

人々は重税に苦しみ逃亡者が多く、土地の永久使用化を認める。

地方豪族が離村者を集めて私有化した土地を開墾し、財を増やす。

神隠丸山遺跡は四方50mの広大な敷地をもつ豪族の屋敷跡といわれる。 

「丸山御所」とよばれた言い伝えがある。

多くの人は貧しく、さらに防人の兵役が加わり、その哀しみを詠った都筑出身の防人の歌が万葉集に残る。

812年     

富士山の噴火。大地震起こる。治安が乱れ、山賊が横行する。

838年     

平安時代。杉山神社の霊験に対し官幣が預けられたことが「続日本書紀」に記されている。

末社約50社といわれるが、本社は不明。有力視される6社のうち2社の茅ヶ崎社、大棚社がある。

このあたりは馬を育てる馬牧があり9世紀御牧(勅旨牧)が作られ、石川牧がある。

官道の駅に常備される馬や、御牧の馬は朝廷に宮廷行事である「駒牽」に差し出された。

939年     

平安時代。平将門の乱起こる。

桓武天皇の5世の孫高望王が平姓を名乗り、東国を治めたが、その3代目の将門が領地を巡って内紛し、

将門の乱が起こり、東国は将門の天下となる。

このころ地方豪族も武装化し、都筑党を名乗る武士団も現れた。

朝廷はこれら東国の武士をもって将門を鎮圧させた。

杉山神社(大熊町)に将門の伝説が伝えられている。

承平年中

平将門宿願によりて不思議な悪夢を蒙り此の社に七日参籠せる夜

不動閻浮檀金の観音を授かり夫より将門威勢盛になりとぞ


牧を経営していた将門が良馬を探し求めてきたのか、京都の行き帰りに立ち寄ったのか、

一週間も港北ニュータウンに滞在したのかと思うとドキドキする。




1192年    

鎌倉時代。源頼朝により鎌倉幕府成立。

「いざ鎌倉へ」の時に備えて鎌倉へ進む。

鎌倉道が整備され246号線の一部も組み込まれる。

鎌倉道の要衝を守るため荏田城が作られた。

「吾妻鏡」に石川六郎、江田小次郎、河匂三郎、鴨志田十郎、奈良五郎、中山四郎、都筑平太の名があり、

このあたりの地名をとった武士の存在があった。

1333年   

室町時代。鎌倉幕府滅亡。足利尊氏が京都に室町幕府を作り、東国支配の拠点として鎌倉に鎌倉府をおいた。

1478年   

室町時代。管領の上杉氏の勢力が強まり権力争いから、内紛が起こる。

山内上杉家(長尾景春)×扇谷上杉家(太田道灌)。

小机城は山内の長尾景春に味方し、在郷武士団が立てこもったが、太田道灌に攻められ落城。

1516~1524年   

ニュータウンが戦場となる。

上杉家の内紛に分け入った北条早雲の勢力が強まる。

北条氏×扇谷上杉氏の激しい戦闘があったと推測される。

北条氏は上杉勢力を一掃し、小田原に拠点をおく。

北の守りとして小机城、その支城に茅ヶ崎城、荏田城、山田城など改修し、防衛ラインとした。ニュータウンは北条支配下となる。

1590年     

安土桃山時代。豊臣秀吉は服従しない北条氏を攻めるため小田原侵攻。

北条氏は滅亡し、秀吉は徳川家康に関東支配を預ける。

小机城など小田原援軍に向かって城は空になりそのまま廃城となる。

1603年    

江戸時代。関が原の戦いで勝利した家康により江戸幕府が開かれる。

ニュータウンの多くは徳川家の旗本領となる。

1703年   

 関東大地震。

1707年    

富士山大噴火。宝永山ができる。ニュータウンでは20センチの降灰があり大災害。飢饉も多く起こる。

1777年    

榎下村(現新治(にいはる)町)出身の力士が大相撲番付に看板力士として鷲ヶ峰瀧右衛門という名を残す。

84年には鷲ヶ岳武太夫としこ名を改めた。

1831年    

渡辺崋山の「游相日記」には、荏田宿に泊まりこのあたりには狼が出没するという話を書いている。

「新編武蔵風土記稿」にはニュータウンの名産は王禅寺を産とする禅寺丸という柿と、黒川村の黒川炭であると記している。

江戸時代後期、人々は庶民の楽しみとして名所、旧跡にでかけるようになった。

「江戸名所図会」には折本の淡島神社があげられ、参詣人で賑わった。

1854年    

ペリー来航。

その頃ニュータウンでは富士講が流行。

あちこちに富士塚が作られたが現在は、ほとんど破壊され、川和富士塚、山田富士塚を残す。

1868年   

 明治元年。神奈川県都筑郡となる。

外人居留地が横浜に作られ、文明開化の先端を行く横浜だが、ニュータウンは静かだった。

1885年    

都筑郡久保村(現三保町)の豪農に生まれた佐藤良幹は自由党で民権運動をした。

財産を政治活動に費やした。現在、屋敷跡は道路になってしまった。

1889年    

横浜市誕生。ソーメン作りがさかんになる。

その後衰退し現在では生産されていない。秋には「川和の菊」として知られた川和に菊見客がやってきた。

1923年    

関東大震災。横浜市全世帯の95%が被災。

1926年    

昭和元年。東横線開通。

綱島では1914年にラジウム鉱泉が発見され、綱島温泉ができていたが、アクセスがなく、

農閑期にリヤカーに家族、食べ物をのせ遊びに行くのを楽しみにしていた。

1939年    

港北区誕生。都筑の名は消える。

1944年    

正覚寺に横浜中心部からの学童疎開を受け入れる。

砲台があったため、はげしくはないが、爆撃はあった。

1964年    

東京オリンピック開催。東海道新幹線が開通し、新横浜駅が開業される。

その後、しばらく駅前は草むらだった。

1965年    

横浜市は港北ニュータウン計画、ベイブリッジ計画など発表。第3京浜道路開通。

1966年   

田園都市線開通。名のとおり田園地帯を走る鉄道であった。

溝口~長津田間が開通し都筑もよりの駅は江田駅である。そこまではバスが頼りの陸の孤島だった。

1969年    

港北区から緑区が分区する。

1970年    

遺跡調査開始、膨大な遺跡調査が19年ほど続いた。東名高速道路が全面開通。

1972年    

港北ニュータウンの設計図発表。

宅地会という交渉窓口を設け、住民代表を送って移転条件等を話し合う。

このあたりから利害に絡む人間関係に地元民たちは苦労する。

1977年    

地元民の仮換地の供覧開始。

散在していた民家を移転させる。

続く丘の地形を谷間にある民家を埋めたり、山を削って平らにする工事が進む。

地主は土地面積の40~50%を無償で拠出(減歩)し、道路、学校用地に提供するが、

駅予定地に土地を残すには80%近い減歩が求められた。あざみの駅ができる。

1983年   

 「金曜日の妻たちへ」というTVドラマがヒット。

たまプラーザがロケ地となる。

まだニュータウンは白い地図の中。ぼちぼちマンションができはじめるが、横浜のチベットといわれる。

1985年   

 第1回港北ニュータウン祭り開催。

1989年    

平成元年。ニュータウン工事が加速。

道路があちこちで付け変わるため地図も役にたたない。

1993年    

地下鉄開通。横浜都民から横浜市民の自覚が生まれる。

開通当時殺伐とした駅周辺に痴漢が出没。防犯対策にセンター北、南駅にローソンが開店したが、乗降客が少ないのであえなく撤退。

1994年    

都筑区誕生。都筑の名が復活する。

1995年    

第3京浜道路の都筑インターチェンジ開設。

1996年   

 街の景観が綺麗と第16回緑の都市賞で内閣総理大臣賞受賞。

1998年    

北駅にあいたい、南駅に港北東急オープン。

1999年    

あちこちでますますテレビロケが多くなる。

2000年    

モザイクモール都筑阪急オープン。大観覧車ができる。

2001年    

地下鉄4号線工事着工。2007年開通予定。昭和医大北部病院が開院。休日の道路渋滞がひどくなる。

2002年    

横浜国際競技場でワールドカップ開催。決勝戦が行われた。

横浜国際総合プールではパンパシフイック水泳大会が開催される。

多くの金メダルを獲得したイアン ソープ選手が、国際プール近くのコンビニに顔を出したという噂を聞いた。



参考資料 歴史の会 資料・ 先史時代の都筑区の歴史 久世辰男
港北ニュータウン千年王国 晴海巡                       
by gannyan1953 | 2011-05-25 16:03 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)
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