世田谷 おもいはせの路
歴史と素適なおつきあい2004・5・14(金)9:50
2016・9・17(土)9:45 写真は2016年に写したものです。 おもいはせの路 九品仏浄真寺山門 おもいはせの路とは世田谷区が名付けた散歩道である。 九品仏~二子玉川 全長7、5km 九品山浄真寺~九品仏駅~寮の坂~宇佐神社(八幡塚古墳)~伝乗寺~狐塚古墳~御岳山(みたけさん)古墳~等々力不動~等々力渓谷~野毛大塚古墳~六所神社~善養寺~稲荷古墳~五島美術館~富士見橋~法徳寺~行火(あんか)坂~二子玉川駅 おもいはせの路 地図 世田谷区 東京都南西部にある区で、南西境に多摩川が流れ台地で起伏が多い。 区名の由来 1.伊勢太神宮神領であった時「伊勢田」と呼ばれ「勢田」になり勢田の郷の谷地だったから。 2.アイヌ語説 setaは犬の意もあり、犬を連れたアイヌ民族が住んだから。 seta-桜 kaya-高台の意もある。 世田谷区の歴史 松蔭神社、豪徳寺、世田谷城址、野毛大塚古墳、亀甲山古墳など名所旧跡が多く、歴史的に吉良氏と関係が深い。 吉良氏 上野国足利庄に発する足利義氏は三河国吉良庄に守護として入国。義氏には泰氏、長氏、義継の三子があり、泰氏は足利庄に残りその5代目が尊氏となる。 長氏は三河吉良庄の西条に館を持ち「西条吉良」を名乗り、忠臣蔵で有名な吉良上野介義央が出ている。足利義継の5代が世田谷吉良氏の祖となる。 世田谷吉良氏の祖 義継は同じ吉良庄の東条に館と構え「東条吉良」と名乗った。4代目貞家の時建武政権室町幕府の下、奥州に移り関東廂番(ひさしばん)や奥州探題を勤め、その子冶家は陸奥管領の要職につき14世紀中ごろには陸奥、出羽の統治に任じている。その後鎌倉公方が奥州を統治しはじめ奥州からの撤退を余儀なくされ、世田谷に戻ったと思われる。冶家が上弦巻(かみつるまき・現世田谷区)の所領を鎌倉鶴岡八幡宮に寄進(1376)していることからその頃冶家は世田谷に館を構え鎌倉に出仕していたと思われる。 世田谷吉良氏は冶家を祖とし、8代2百数十年続いている。五代政忠は叔母のために世田谷城内に豪徳寺を建立。その子成高の時代は下克上の世となった。関東では古河公方と堀越(ほりごえ)公方の2大勢力に分かれ争った。このとき太田道灌を助け武功を高めたのが成高であった。長尾景春の反乱で太田道灌の江戸城を守備した。このころ吉良氏は名門であるということで、北条氏とは婚姻、養子など戦わずして和睦した。成高は8代の中でもっとも隆盛を極め相模の蒔田(まいた・横浜市南区)にも館をもった。文武両道の武将であった。 北条氏滅亡から江戸時代 天正18年氏朝のとき北条氏は豊臣秀吉に滅ぼされ、北条傘下にあった吉良氏の城は明け渡された。家康が江戸入りすると世田谷の殆どは幕府直轄領となる。氏朝は千葉に逃れたが名家であったため家康によりその子頼久は家臣にとりあげられ上総国長柄郡寺崎村に領地を与えられた。その後明冶まで存続する。 世田谷は代官松風助右門の支配下に置かれ、喜多見、藤川氏などの旗本7人に給地された。寛永年間大幅に領主替えがあり井伊家の彦根藩領、旗本領、増上寺領になった。 明冶 品川県となり東京、神奈川と区域がたえず変わった。 日清戦争後土木事業の進歩によって多摩川の砂利供給のため鉄道が敷かれた。 明冶40年渋谷~玉川に開通、以降住宅地として変貌する。 世田谷区の花「鷺草」 このあとサギは途中矢で射抜かれてしまう。サギが落ちた場所に白鷺によく似た花が咲いた。その常盤姫は常盤弁天として祀られている。 ボロ市のはじまり 天正6年(1578)氏朝のころ北条氏政は世田谷新宿に楽市掟書を発した。 吉良氏の領地であったが矢倉沢往還の新たな宿を作るためであった。北条氏には軍事上必要な伝馬の確保があり宿の繁栄のために楽市を開いた。これが今に残るボロ市である。 奥沢 現在の奥沢6~8丁目のことをいう。 奥沢新田村は奥沢村の閑地を新開せし村にしてその地は本村の西の方にあり。 世田谷郷菅苅庄に属していたと土人は言い伝えているけれど世田谷郷の唱えは廃したればこの村のみ郷というは誤なり。あるいは千束郷に属せりというも地理的にもそうは思われない。 土性、水利等はすべて本村と同じでただ本村は水陸の田がまじっているが当村は皆畑なり。家数106軒、東西凡18町(約2キロ)南北凡10町(約1キロ)南は上沼部、等々力の2村に及び、西より北へはすべて等々力村に沿っているが北の端は少し衾村へ接している。東はもとより本村の地に続いているが少し下沼村に入っている。この村は近き世までも草莽の地であったが寛文2(1662)より新墾して1村となったため同9年検地があり租税の数が定められた。 その後元禄8(1695)年織田越前守が再度検地したという。 土性は本村と同じ野土にて五穀の生殖によろしからず。ことに水利不便なる地にて用水は僅かに清水の流れを引き、用うればややもすれば旱魃ありという。以上のことから九品仏のあたりは想像に絶する荒地であったことがわかる。 「風土記稿」より 九品山浄真寺 浄土宗 延宝6(1678)年建立 浄真寺 奥沢城土塁 寺を土塁が取り囲んでいる 天正18年(1590) 秀吉の小田原攻めでここも廃城となった 吉良氏は下総に逃れ大平氏は等々力に潜居した 世に奥沢の九品仏と称し人の知るところなり。九品山唯在念仏院と号す。浄土宗にて京都知恩院末なり。相伝によればこの地は世田谷城主吉良頼康の家臣大平出羽守の館跡なりしが荊棘荒蕪せし地となっていたのを寛文5(1665)年に里正の七左衛門が願いでたのでその頃の代官野村彦太夫が下知を下して寺地とした。珂碵(かせき)上人は越後国村上の泰叟(たいそう)寺に住していたが開山に迎えたいと懇請したので上人はついにおれて延宝6年この地にきて住職し、その後元禄7年十月七日示寂す。「新編武蔵風土記稿」 豊臣秀吉北条攻めのころ奥沢城があった。大平出羽守の居城であった。北側に当時の土塁跡が残る。 仁王門 寛政5(1793)年建立。 銅板葺楼門で「紫雲楼」と称し楼上に阿弥陀如来、二十五菩薩風雷神像が安置している。 閻魔堂 鐘楼 宝永5(1708)建立。 梵鐘は世田谷深沢の谷岡又左衛門の寄進で作は神田鍛冶町河合兵部郷藤原周徳。9体の阿弥陀仏が中品中生(ちゅうぼんちゅうしょう)上品上生(じょうぼんじょうしょう)と最後は下品下生(げぼんげしょう)と左まわりに鋳出してあり九品仏を表示した一種の朝鮮鐘とみられる珍しい梵鐘である。鐘楼上部には十干十二支の動物が彫刻されている。 本堂 本堂 釈迦如来像(江戸時代)を中心に右に善導大師(7世紀の唐僧)左に法然上人像、乾漆造(かんしつぞう・麻布に漆を重ねる)坷碩(けいか)上人立像が安置されている。 三仏堂 中央が上品堂、向かって右が中品堂、左が下品堂と称しそれぞれ向かって右から中生、上生、下生の3体ずつ計9体の阿弥陀如来坐像があり、九品仏と称せられるわけである。本堂は西向きで現世の此岸を、三仏堂は東向きで浄土の彼岸を現している。 愛育王の碑 アショカ王のことで古代インドで 仏教を保護した王様 おめんかぶり 二十五菩薩来迎会で3年ごとに行われ多数の人出で盛況を呈する。三仏堂の上品堂と本堂の間に二河白道(にかびゃくどう)に相当する板橋をかけ仏、菩薩25面を被った人々が付き添いに手をとられながら往復。来迎引接(いんじょう)を表現する練供養を行う。全国的に珍しい行事である。 宇佐神社(八幡塚古墳) 源頼義が永承6年、尾山台に陣をしき勝利を誓い康平5(1063)に八幡社を建てた。源頼義は義家の父である。前九年の役で阿部貞任を滅ぼし陸奥を平定した。鶴岡八幡宮を創建。神社奥に5C中葉といわれる八幡塚古墳があり、墳頂に小石祠が4つある。 この辺りの首長の墓といわれ高さ4、5mの円墳である。 直刀、槍鉋、石製模造品、袴帯金具、土師器など出土している。 宇佐神社 宇佐と八幡と源氏 現在、神社の数をランキングすると1位は稲荷社、2位八幡社、3位神明社である。2位の八幡社の総大社は豊前国宇佐神宮(大分県宇佐市)である。宇佐神宮は応神天皇の御神霊を祀っている。人間、天皇を祀ったはじめての神社である。司馬遼太郎の「この国のかたち」によると 八幡神は5C初頭朝鮮半島から渡来し宇佐にすみついた人々によって生まれた神であるという。東大寺の鬼門にある手向山神社は東大寺の守護神として宇佐神が鎮座している。仏教との習合に積極的で、仏教側から「八幡大菩薩」の尊称を賜った。平安時代になると平安京の裏鬼門に岩清水八幡宮が勧請される。清和源氏は清和天皇の第6皇子貞純親王を祖とする。貞純親王の孫多田(源)満仲から諸家に分かれ地方の実力者として成長していく。源氏と八幡とのかかわりが深くなるのは、後々に武家の棟梁となる満仲の三男源頼信一家で、その孫義家は岩清水八幡宮で元服する。ここから「八幡太郎義家」とよばれるようになり、源氏の氏神として祀られるようになる。 寮の坂(中世の軍用道路) 後伏見天皇の正和5(1316)と刻まれた板碑が発掘されたことで知られる。松高山伝乗寺は坂の東側台地に所在し、本道と並んで僧の学寮が建てられた。尼さんの寮だという。坂の名の由来である。坂の東の雙葉学園を抱く盆地は室町時代籠谷戸と呼ばれた入り江であった。奥沢城主大平出羽守は上総から運ばれた武器、兵器を籠谷戸の寮の坂あたりに陸揚げして、城へ運ばれたと言い伝えられる。江戸時代にはいると川崎泉沢寺(小杉十字路)と奥沢浄真寺の中間拠点として小山伝乗寺がこれにあたり寮の坂は軍用道路として兵馬の往来が激しかったそうである。 狐塚古墳 (5C後半) 円墳であるが、四角く残された。公園になっている。 見晴らしがいい。 御岳古墳 (5C後半)見学不能。 かつて御嶽(みたけ)神社があったところ。直径40m、高さ7mの円墳。大正6(1917)年に出土した七鈴鏡は都文化財。 道路を渡ってみた ただの森に見える 等々力渓谷 世田谷区桜ヶ丘を源とし用賀、中町、野毛、等々力を流れる谷沢川により等々力2丁目から等々力1丁目に及ぶ800メートルを刻んだ渓谷のことをいう。 不動の滝が落下するあたりで武蔵野地帯の地層(ローム、浮石、シルト、礫、粘土の順)が見られる。環状8号線がまたぐ玉沢橋の川上付近からは貝類の化石が出土した。不動堂あたりは桜の名所である。 等々力不動流轟山明王院 満願寺別院 興教大師が開山。興教大師は高野山を再興し和歌山県の根来寺を開山した。本尊不動明王は役小角作といわれる。 興教大師は覚鑁の呼び名の方が有名かも・・・ 役小角(えんのおづぬ)が大好きだったとか・・・私も大好きである 役小角は伊豆に流された時毎日富士登山をしたという。 それも空中飛行で・・・すごい! 役小角 不動の滝 不動の滝 断崖の地層の間から5mほどの滝壷が修験者の行場となった。今でも白衣の行者が水垢離をする姿をみることができる。「とどろき」はこの滝の音から地名が起こったと伝えられる。滝修行にはこの水量では厳しいかも 等々力渓谷横穴群(7~8C) ひとつだけ残されており あとは塞がれていた 荏原台古墳群のあと奈良時代にかけて横穴墓がつくられた。ここは野毛地区の有力農民の墓と思われる。人骨と耳環、土器などが副葬されている。 谷間の崖地に横穴が掘られ玄室と羨道で構成される。 泥岩の切石でふさがれた玄室の床には河原石が敷かれていた。 野毛大塚古墳 (5C前半・大和政権と対立した?!南武蔵有力豪族の墓) 野毛大塚古墳 明冶30(1897)年石棺が発見された。人骨、多くの副葬品が出土。 大型の帆立貝式古墳で、復元されて一部を除き立ち入り自由となっている。 日本書紀によれば6C前半笠原直使主(おみ)は同族の小杵(おぎ・おき)と国造の地位を争い、なかなか決着がつかなかった。小杵は群馬の上毛野君小熊(かみつけぬのきみおぐま)に支援を求め、使主を挟み撃ちしようとした。驚いた使主は大和朝廷に援軍を求め小杵を倒す。お礼に大和朝廷に南武蔵の土地を屯倉として献上する。ここに大和朝廷の東国支配は大きく前進することになる。このあたりの古墳群(荏原台古墳群)は南武蔵豪族の墓といわれるが、小杵一族にかかわりのある墓かもしれない。 全長82m 直径66m、高さ11mの円墳に前方部がついており帆立貝式古墳では全国で一番大きい。 多くの出土品があり(29000点)東京国立博物館で保管されている そのときの写真もあったらよかった・・・ 世田谷区立郷土資料館にあるらしい 訪れたことがあるが、見たことも忘れた・・・ また行ってきます ― 怖い話 ― 明冶30(1897)大塚といわれたこの塚から、好奇心にかられた村の青年たちにより石棺が発見された。その後青年たちは血を吐いて亡くなったと伝えられる。たたりを怖れた青年は、盗掘した品を返そうとした所、塚を掘った穴からは血のようなものがべったりでておりその青年も後に亡くなった。事情を知った名主の手により穴は閉じられた。騒ぎが収まったころ、村人たちにより塚の頂上に鎮魂のため吾妻社を祀った。 六所神社 元和年間(1615〜1623)にあった洪水で小さな祠が流れ着いた。 府中の方からというので府中にあった当時六所明神、現在大国魂神社のものだと 崇め、神社を創建した。 明治になって天祖、山際、日枝、北野神社を合祀、 新たに天照大神、大山都見命、大山咋命、菅原道真も加わった。 縄文時代の貝塚、住居が見つかっている。 近くには六所東貝塚もある。 境内に水神社があり、 砂利運搬の碑があった 善養寺 江戸時代始めに深沢から移転された。 真言宗智山派で智積院の末寺である。 本堂は奈良の唐招提寺金堂を模した建物である。 いろいろなものが境内にあり、なかなか面白い。 樹齢700〜800年で、 東京都の指定天然記念物になった。 神居古潭の石 旭川近くにある なんでここにあるのだろうか? 多摩川のたま坊! 左下は亀なのだが、たま姫である 木曽路があるかと思えば四国八十八カ所のような道標もあり、 なかなか楽しい 住職さんが合掌のあいさつをしてくださり さらに楽しくなってきた このあと羊に中国の武士のような石像がある なぜかと問いたくなるが・・・ まさに石像ランドの寺! 楽しみましょう 稲荷古墳 私有地のため見学不能。 五島美術館 日本、東洋の古美術を中心にした美術館で「源氏物語絵巻」が有名。東急の五島慶太氏のコレクション。 富士見橋 大井町線の上にかかる富士山がみえる橋 法徳寺 古河公方足利政氏の家臣白井基経の子重安(瀬田で農民になった)が1558年に開基した。 北条氏の家臣、長崎家が近くのゴルフ場あたりに瀬田城を築いた。 瀬田貝塚 行火坂 登るだけで体が熱くなることからつけられたという。 大山道の一つといわれ下って多摩川にでて、二子の渡しに至った。行火坂に標識があり法徳寺から下りる道の坂道が行火坂なのかと 思ったが、別名行徳寺坂といわれるので 前の写真の登りきったところに行徳寺があるので この細い趣のある坂は 行火坂ではないと思われる 近くに住む方に聞いてみたがわからないという・・・ そんなもんか・・・ ここ何年かもしかしたら10年近く二子玉川の駅周辺を訪れることがなかった むちゃくちゃ変貌していた 参考 futako.com おもいはせの路@等々力渓谷、九品仏 ダダの季節―神をみた中也 野毛町会 多摩ジョギング道 大田区古墳ガイドブック お江戸ランブラーズ 世田谷玉川村名所案内 ウィキペディア
by gannyan1953
| 2011-07-10 16:34
| 東京都 歴史散歩
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