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歴史と素適なおつきあい

平将門最後の地

歴史と素敵なおつきあい 番外編 2011・7・16


坂東市・八千代町を訪ねて


西念寺辺田355-1

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もとは聖徳寺であった。
親鸞の弟子、西念が現在さいたま市の野田村に道場をたて108歳まで生きた。それで野田の道場は長命寺と名づけられた。建武の兵乱で焼けてしまい西念の出身地、信州に移ることになった際、血縁だった辺田の聖徳寺に宝物が納められた。江戸時代初期開基西念として寺号も西念寺と改められた。

この寺の伝説「泣き鐘」
将門の兵たちがこの寺の鐘を持ち出し陣鐘にして鐘をつくと「辺田村恋し、辺田村恋し」と泣くように響き渡る。
士気も上がらず、将門は腹をたてて寺へ返した。





延命院神田山715
胴塚
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首塚より贈られた碑
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天慶3(940)年、将門は岩井にて討ち死した。その胴体がここに埋められたと伝えられる。からだ山からかど山に訛り神田山となった。東京で神田明神の神田と同じである。
近くに八坂神社があり、お祭りの一週間前であった。お囃子は「将門囃子」といって、将門の本陣で奏された軍楽である。神田明神の将門囃子のルーツだそうだ。

ここは相馬御厨の神領だったことから荒らされず守られてきたと思われる。
不動堂の裏にある円墳は、言い伝えで将門山、神田山といわれている。
ここに将門の遺体をひそっりと葬ったところで胴塚といわれる。
胴塚の上に根で塚を巻き込むように大きなかやの木がある。そのわきに大手町の首塚から
移された「南無阿弥陀仏」の石塔婆が建てられている。

平将門公之像ベルフォーレ


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綜合文化ホールベルフォーレに騎馬像がある。土浦出身の彫刻家一色邦彦氏作である。
折立烏帽子をかぶり狩衣に太刀を差し黒鹿毛の駒に乗った堂々とした姿である。

図書館があり、将門コーナーには将門関連本がいろいろあった。お気に入りがすぐ見つかり、帰宅してその「新編将門地誌」赤城宗徳著:筑波書林を注文した。
とてもわかりやすく詳しく書かれている。


富士見の馬場岩井2245-5




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自然の状態の馬を使役につかえるように調教するため馬場と厩が必要だった。ここはそのために開設された。将門の領地には大結牧、長洲牧があったことから官牧の牧司をしていたと思われる。
この馬場で、合戦に役立つように百騎以上の馬を走らせ訓練した。
のちの相馬の野馬追いの始まりとなった。

高声寺岩井3478

伝説では、開山した性真がこの地を通りかかり眠くなってうたた寝をしたところ、将門が「自分に罪はない」という夢をみた。性真は将門を哀れに思い霊を慰めるため開山した。夜毎「ええ、おお」という気合が聞こえ寺号を「高声寺」とした。

島広山・石井営所岩井1603

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将門が関東を制覇した拠点である。
平良兼がここを急襲して大敗させたこともあった。
ここには将門の重臣、郎党たちの住居や、軍勢が集まった時の宿舎、馬繋場など必要だった。
今の上岩井から中根一帯に施設があったと思われる。
天慶3(940)年、将門は藤原秀郷と平貞盛の連合軍により敗退、営所の建造物は焼き払われた。


石井の井戸 岩井1627


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石井営所あたりは古代から湧水が近くにあるので人が住み、奈良時代には石井郷といわれていた。
将門は王城の地を求めて見回っていつと喉がかわき水を探した。
どこからか翁があらわれ、大きな石の傍らに立ってその石を軽々と持ち上げ大地に投げつけた。
そこから清らかな水が湧き上がり、将門と従兵は喉を潤すことができた。
「どなたか」と尋ねると

「久方の光の末の景うつる 岩井を守る翁なりけり」

といって立ち去ってしまった。
将門はこの翁を祀り、この地を城にすることにした。水田に囲まれたのどかな場所である。


延命寺  岩井1111

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相馬氏の創建で東寺に属す。将門死後に祀られたものだが、ここの薬師如来像は将門の守り本尊といわれている。
縁起書によると行基作で高野山の霊木で刻まれた像と記されている。
将門の子孫の相馬氏が大切に守ってきた寺である。九曜紋がある.



国王神社 岩井948


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祭神は平将門である。将門最後の合戦の時三女は奥州恵日寺に逃れ、出家して如蔵尼となった。将門死後33年目に郷里にもどりこの地に庵を結び、森の中から霊木を見つけ、一刀三拝して父将門像を刻んだ。
小祠をたてて安置し、将門大明神として祀った。社殿の彫刻も美しくつなぎ馬も見られる。
江戸期の将門の芝居につなぎ馬の紋所がでてくるがこの彫刻に由来している。
将門の武器は馬と鉄といわれる。乱が終わり、平和な時世に騎馬は不用と、馬をつなぎ置き再び合戦はありませんようにという願いがあるという。







弓田の不動尊 (慈光寺)
弓田388-2

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昔弓田は湯田といい、豊穣な土地という意味で早くから開けた場所だったと思われる。
寺伝によると行基の弟子が道場として開き不動明王が祀られていた。将門が岩井に営所を移したとき、岩井営所の鬼門除けとして信仰したと伝えられる。
門前から200メートルほど行ったところに弓田香取神社があり将門が参拝したといわれている。
奈良時代この二つの間に兵器倉庫、軍談所があり、将門をそこを利用したと思われる。


深井地蔵尊 沓掛2205
西仁連川のに沿ってあり、将門妻子の受難の地と伝えられる。
子飼いの渡しの合戦に敗れた将門は10日ほどして堀越の渡しに布陣するも脚気を患い、退却した。
妻子を舟にのせ、葦の間に隠し自分も山を背にした入江に隠れて見守った。
良兼も将門と将門の妻子を探したがみつからず帰途についた。
妻子はその様子をみて出てきたところ、残兵に見つかって芦津江のほとりで殺された。
場所は諸説あるが、このあたりではないかと坂東市は言っている。
地蔵尊の創建は古く将門妻子の供養の地蔵尊といわれている。



尾崎前山遺跡 八千代町尾崎字前山404-4.5


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9世紀の製鉄遺跡で谷津を望む台地にある。
斜面から下の水田にかけて鉄滓が散布していた。昭和53ねんから2年間発掘された。
斜面から製鉄炉3基、木炭や炉を築く粘土の材料置き場など確認された。
出土した土器から9世紀と判断され地形を利用した風を利用した堅型炉と考えられる。
遺物は八千代町歴史民俗資料館に展示、保管されている。
 詳しくは当ブログ「将門と鉄」をご覧ください。







仏性寺 (栗山観音) 八千代市栗山


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栗楢院常羽御厩(くるすいんいくはのみまや)は官牧であり、結城郡八千代町栗山地区仏性寺付近だと考えられている。「栗山観音」の名称の方がわかりやすい。
ほかにも大結牧(おおゆいまき)があり、大間木から尾崎あたりがではないかと考えられている。
現在も牧跡が残っているという。
「良兼は下総豊田郡にある栗楢院常羽御厩と付近の百姓の舎宅を焼き払った。真っ黒に焼け焦げた柱が立ち並ぶ廃墟となった。廃墟から立ち上る煙が空を覆う雲のように覆った。そして夜になると野営する良兼軍の火が点々と星のように見えるのみであった。
ここで見学終了。


今回、時間がなくまわりきれなかったコースの紹介


八千代町民俗資料館

薬師仏がある。将門を守る仏だという。


鎌輪館 下妻市鬼怒230


香取神社と碑がある二か所  将門は相馬御厨の下司を辞した後、父親から譲り受けた鎌輪で開拓を始めたとされる。現在の鬼怒川は鎌輪と別府の間を流れている。しかし、大正時代は鎌輪は別府と同じく鬼怒川の右岸にあったとされる。そうすると宗道と鎌輪の間を流れていたらしい。将門最初の本願の地。

羽鳥天神塚桃山中学南300メートル

茨城県桜川市真壁町羽鳥に、菅原道真の遺骨の一部が散骨された。

筑波山の西北に位置する羽鳥は服織(きぬおり)の宿といわれ養蚕がさかんなところだった。
ここには「羽鳥道」が今でも残り筑波山の登山道だった。
良兼はこの地に居を構えていた。近くに真壁の源護(舅)など縁者が住んでいたからか、領地の横芝(千葉)から離れていた。
大宰府に流された菅原道真は「我死なば骨を背負うて諸国を遍歴せよ。自ら重うして動かざるば、地の勝景我意を得たるを知り、即ち墓を築くべし」という遺言により、三男景行が散骨した場所といわれる。
景行は常陸介になってこの地に赴任してきた。いったんは塚を築いたものの、永遠に祭祀を行うには土地が狭く、良兼の荘園内だったため、その3年後家臣と共に飯沼湖畔に居を移したとき、羽鳥塚も移し、大生郷天満宮(おおのごうてんまんぐう・茨城県常総市大生郷町1234)として祀った。大生郷の東2キロに満蔵(みてぐら)があるが、神に奉ずるという意味で天満宮に奉ずる食べ物が生産されたと思われる。
明治44年羽鳥の歌女神社の境内から石碑が見つかった。移転について書かれている。

常陸羽鳥菅原神社之移
  菅原三郎景行景兼茂景茂等相共移
  従(筑波・霊地)下総豊田郡大生郷
  常陸下総菅原神社
   為菅原道真郷之菩薩供養也
  常陸介菅原景行所建也
     菅原三郎景行五十四才也
     菅原兼茂四十七才也
     菅原景茂三十才也
  菅公墓地 移従羽鳥
  定菅原景行常陸羽鳥之霊地墳墓也
  延長七年二月二十五日
景行は大生郷に学問所を作り高度な教育をしたと伝わる。その学問所に将門の弟将平が通ったという。
谷和原にいた将平は水海道にある「将門並木」を通って4キロの道のりを大生郷に通った。
後に将門が常陸国府を占領し新皇を名乗ったとき、将門に諫言した。
「それ帝王の業は、智をもって競ふべきにあらず。また力をもって争ふべきにあらず。昔より今にいたるまで、天を経とし、地を緯とするの君、業を纂ぎ(集め)、基を承しるの王は、これもっとも蒼天の与ふるところなり。何ぞたしかに推し議らざる。恐らくは物の譏(そしり)、後代にあらん」将門記より
唐の「帝範」の中の言葉であるという。帝王として模範とすべきことが書かれている。
道真の皇室中心主義の学問をしていた将平ならではの言葉である。
景行がここにとどまること24年、多くの業績を残した。今大生郷の柏木に三郎天神として祀られている。
(新編将門地誌:赤城宗徳著)

巫女の宣託 大宝八幡神社  大宝駅東


大宝八幡神社の創建は大宝元年(701)、藤原時忠が宇佐八幡宮の分霊を勧請したのが始まりと伝えられている。時の支配者、歴代領主に崇敬され、天慶2年(939)には平将門が当社の巫女より新皇の位を授けられ、前九年合戦の折には源頼義が戦勝祈願し、念願成就すると社領を寄進し、文治5年(1189)には源頼朝が奥州合戦の折、戦勝祈願し鶴岡八幡宮の分霊を勧請した。  

永泉寺守谷町大字守谷甲1800


寺の縁起では永泉寺は将門の古跡であり、将門が天慶の乱に負けた折り自分に似せて作った土武者を安置し堂宇を建てて代々守ってきたことが記されている。
町の中心である守谷の駅から筑波方面に1KM程車で走り細い路地を通り林をぬけるとある。上記は「沼崎山畧縁起」に記されてあるもので、現在その全文は境内横に碑となって残っている。


西林寺 守谷町大字守谷
  石神神社と愛宕中のまん中あたりにある。将門を守り本尊としている。

19世紀住職であった義鳳が小林一茶と親睦があり、鶴老(かくろう)という俳名をもち、ここ守谷を訪れた時の俳句が境内脇に残っている。


参考:新編将門地誌・八千代町HP・坂東市HP・闇の日本史HP
by gannyan1953 | 2011-07-18 09:55 | 平将門・鉄・秩父・神社 | Comments(0)
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