歴史と素適なおつきあい

対馬の神様

歴史と素適なおつきあい番外編 
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和多津美神社


 

対馬の神様には天神(あまつかみ)と海神(わだつみ)がある。

天も海もアマと読む。水平線が天とも海とも境目がなく茫洋としたとき、海の民は神々の国、また黄泉の国と思い、漂着したものを神と考えた。折口信夫が称した客人(まれびと)信仰である。

客人は経済的、優性学で考えても島の人にとって有難いことで、神がやってきたと考えた。

沖縄のニライカナもそのひとつで、後に山岳からやってくるものは、降臨という考えになった。

海神がさきで、天神はあとだという。

海神は、目の前の海を体験しているので、縄文からあったと思われるが、天神は大陸から伝わってきた天帝という哲学思考なので、弥生に伝わったものと考える。

ということは、天神も海神も同一のもので、対馬の天神は北の天神多久頭魂神社(てんじんたくずたまじんや)、南の多久頭魂神社(たくずだまじんじゃ)で対をなし、海神は東の和多都美神社、西の海神神社などがある。


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豆酘崎の朝日


対馬の天道


天道とは太陽信仰のことで、対馬にはアマテルで日神、壱岐にはツクヨミで月神がいるといわれる。

太陽を祀ることは世界中にあり、原始宗教共通のものである。

天道地とは、不入の聖地のことで、自然が守られ今では原生林になっている。

そして母神と童神二神を祀る母子神信仰は、三韓征伐で九州に縁のある神功皇后=息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)と応神天皇=誉田別尊(ほむたわけのみこと)の母子の祭神につながり、九州にキリシタンが多いのは母子信仰に抵抗がなく、聖母マリアとイエスを受け入れやすかったとも考えられる。

天童と天道


天童は神話の時代、天道は仏教が入ってきてからの呼び名である。

少童命をわだつみのみことと読む。
なぜ、童、子供を表すのか。大昔、海の神は童形(どうぎょう)で表す原始信仰があった。

子供は生まれて死ぬまでの一生を輪にすれば、最も死に近い位置にあることから、神聖なもの、霊に近い者とみると何かの本で読んだことがある。

この考えが一寸法師、かぐや姫など、小さい子供の霊的な話が作られたという。

天道法師の伝説

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天道法師塔の前にある大きな木



高句麗王朝の始祖・朱蒙(ちゅもん)の生誕伝説のように、神気に感精して懐妊するという北方系の「日光感精型神話」が、対馬に天道法師の神話を伝えさせたと思われる。

天道法師とは、豆酘(つつ)郡内院村に照日某(てるひなにがし)という者がいて、その娘が生まれた。

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内院の浜

天武天皇の時代、娘は日の光に感じ懐妊した。その子が天道法師である。

他に、宮中の女院が懐妊し、密通の疑いでうつろ舟にのせられ、漂着したのが豆酘内院の浜であった。

そして生まれた子が天道法師だという話もある。

いずれもその子は聡明な子に育ち、9歳で都に出て、巫祝(ぶしゅくー神の言葉を伝えること)の術を得た。

そして帰郷して718霊亀2年、元正天皇が病に倒れた時、陰陽師の占いで「天道法師を呼んで、祈らせよ」と託宣がでた。この時33歳の天道法師は空中を飛んで、都に向かい見事天皇の病気は癒えたという。

*修験道の祖、役小角(えんのおづぬ)が空中飛行をしたという伝説があるが、小角は701年64歳で亡くなっている。

694年に天道法師は都に出ていることになるが、関係があったのだろうか。

空中飛行の話は実際のところ、弟子たちがあちこちに布教したため、役小角が超人的にあちこち移動したことになり、空中飛行伝説が生まれたといわれている。

病気平癒の褒美に対馬の税を免除し、天道法師の神域(龍良山)に罪人が逃げ込んだ場合、追捕しない約束をしたという。

これについて、対馬と朝廷が関係していることは、白村江の敗戦以来新羅外交に朝廷が苦心していたこと、天武、持統朝の交易にすでに対馬が絡んでいること、また、海の民の能力が必要とされていたことがある。

天武、持統朝の交易は遣新羅使のことで、この往来で天然痘が国内に流入したとも、日本から遣新羅使により、流入したともいわれているが、天然痘発生は後に奈良の大仏建立のきっかけのひとつといわれる。


天武時代に天道法師はいたのか!?


ところが、天道法師の出現は実はもっと以前で、仏教が伝えられる前から天道信仰はあったのではないか。
山を神体とする自然信仰で、全国の神社の原点である。

今ある神社の前に祖霊神と祀られていたのだ。対馬の祖霊=わだつみ=天道神=日の神だと思われる。

結局昔からあった対馬の祖と仏教を結びつけて対馬を朝廷寄りに抱き込むことが目的だったのではないか。

674年対馬は朝廷に全国はじめての国内産銀を献上している。


天道山


神の山で、航海の目印にもなる山であった。

鹿児島県野間岬の野間岳、長崎県野母崎の権現山、海の女神を祀る。

娘媽神女であるニャンマとかニャンニャン、ロウマともいう。

媽祖(まそ)は、航海、漁業の神で、台湾、福健省など華南地方海岸一帯で信仰されている。

「娘媽神」「媽祖」「天妃」「天后」などいろいろな呼び方がある。ロウマが訛って野間になったといわれる。

 つまり海の民の象徴である。東シナ海など行き来する海洋民族で海の民(蜑民タンミン)を治めていた海洋民族は、地元に派手な媽閣廟(マーコウミウとマカオでは読み、マカオの語源)を構え、船の舳先に娘媽神を飾って船出していく。横浜中華街にも媽祖(まーそ)は祀られている。

日本神話の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が日本に上陸したとき、本当に天から降りるわけがないのだから、海からやってきた海の民ではなかったかと思う。

闇の日本史:沢史生氏は、妻の阿多都比売(あたつひめ)=木花開耶姫 (このはなさくやひめ)は大山祇命(おおやまつみのみこと)が父で、その父は地の神、海の神といわれる。

海の民だった瓊瓊杵尊が日本に上陸し、娘媽が海の神の娘、木花開耶姫に変化していったのではないかという。




参考:HP 玄松子の記帳 対馬観光物産協会 ウイキぺディア
   海童と天童・海神と天神:永留久恵  闇の日本史:沢史生  密教の本:学研  
   街道をゆく:司馬遼太郎 
by gannyan1953 | 2012-02-13 22:49 | 神様の話 | Comments(0)
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