歴史と素適なおつきあい

長尾の里 平将門

歴史と素適なおつきあい番外編                    2012・6・24(日)

溝の口~下作延~津田山駅~緑ヶ丘霊園~作延城址~五所塚~長尾神社~妙楽寺~等覚院

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作延城址の碑



作延城址

霊園にはいるとすぐ案内板がある。

鎌倉を守る中世の城で、自然の要害をなし、舌状台地の上にある。

『新編武蔵風土記稿』に、城山堀、矢倉塚、天守台などの地名があり、、作延城の跡としている。

西の生田緑地にある枡形山に本拠を構えた稲毛三郎重成が築いたものと言われる。

五所塚と平将門

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南北に五個の土まんじゅうが並ぶ不思議なところ。

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村境、悪疫退散の祈りの塚という説、十三塚という民間信仰ではないかという説がある。

興味深いものは、荒俣宏氏の「日本妖怪巡礼団」には、平将門の軍勢が京都の御所軍と戦いをした場所であるという。

御所軍は全員討ち死にし5人の将を埋めて、同時に童子も殺されたという。童子を埋めた場所には稚児の松と言われる松があったという。

五所塚公園内にかつて松はあったが枯れてしまったという。

地元では、昔から五人の将の祟りが怖れられ、明治12年に塚の発掘調査をしようとしたら、村に疫病が出てしまい、人々が亡くなったという。

そして長尾の地名から長尾景虎(上杉謙信)の家来の墓という説もある。


長尾神社川崎市多摩区長尾3-10-1

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祭神:国常立命(くにのとこたちのみこと)
    大巳貴命(おおなむちのみこと)
    大日霊命(おおひるめのみこと)


河内長尾の鎮守だった五所塚権現社は、明治時代の神木長尾の鎮守だった赤城
社を合祀し、長尾神社となっている。

稚児の松は、江戸時代の流鏑馬で射手の稚児が落馬で死亡し、供養に松が植えられたという伝説がある。
それから馬は使われず「マト―」と呼ばれる神事になった。神事は豊作を祈願する。

馬を使わないで、矢を射ることを歩射(ぶしゃ)という。
的の裏には「鬼」と書かれていて、弓は桃の枝で作られ矢は竹で作られている。

まるで、古事記の黄泉の国で小鬼に使われた桃と竹と同じである。

「鬼」とは将門のことをいっているのだろうか。

将門の幼名は鬼王丸である。

妙楽寺多摩区長尾3-9-3

「吾妻鏡」に登場する源家累代の祈祷所であった威光寺(いこうじ)、または長尾寺の旧跡であるという。

源頼朝は鎌倉幕府のはじめに、弟の全成(ぜんじょう・義経の兄)を威光寺院主とした。

見晴らしのいい、この舌状台地を軍事拠点にしたと思われる。

全成は駿河国駿東郡阿野荘(静岡県沼津市西部)を領地としたので、、阿野全成と称した。

全成は北条政子の妹の阿波局と結婚する。

阿波局は頼朝の次男千幡(後の実朝)の乳母となり、以降頼朝政権において地味ながら着実な地位を築いていった。

頼朝の死後、甥の頼家が将軍となったが、その弟実朝を擁する北条時政と組んで頼家と対立した。

頼家は全成を謀反人として捕縛し、常陸国に配流し、誅殺した。

幕府滅亡によって威光寺も衰退してしまう。

その後、武家としての阿野氏は南北朝のころも小勢力ながら生き延びた。

全成の娘は藤原北家魚名流の藤原公佐と結婚し、公家として阿野家の祖となり

後醍醐天皇の側室阿野廉子はその末裔である。

幕末期に活躍した玉松操もこの阿野家の末流に連なる。

今ではあじさい寺と呼ばれそのころには大変な賑わいをみせる。

大師穴
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妙楽寺の本堂の裏の左手の山に「大師穴」という洞窟があり、江戸名所図会にも紹介され物見遊山として楽しんでいたようである。横穴墓らしい。

住職によると崩れて危険なので見学不能だという。

裏の細い道をどんどん降りていってみたが、行き止まりになり穴らしきものは見つけられなかった。

武蔵国風土記に「谷尾にあり、内に石像を立つ・・・その様は地蔵に似たり、背には長尾村妙楽寺とあり・・享保の頃ある修験の者初めて入しより、其後は土人も折々入て見るに、・・・其のうち弘法大師の遺跡なりと云えり、大師穴と唱える」とある。

この道は後で調べてわかったが長尾砦の搦手口だったらしい。

長尾砦

武田信玄の小田原攻めのときに枡形城の出城ではなかったかといわれている。

長尾神社付近が最高所で主郭と思われるが、北方を除いてすべて宅地化され、遺構は失われている。

高さ数mの切岸を築き、土塁を巡らしていたようだ。

主郭の北方が段郭を経て妙楽寺境内に繋がり、北西の腰郭が搦手口と思われる。






等覚院川崎市宮前区神木本町1-8-1

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神木は「しぼく」という。ヤマトタケル」が、東征の折、この地で鶴に導かれて喉の渇きを癒したお礼に、

1本の木を植え、それを神木としてあがめた事、

もうひとつは、隣接する馬絹に対して新しくできた新牧が訛ったものという説がある。

天台宗で、縁起はよくわからない。

本尊は秘仏になっており、「新編武蔵風土記稿」に、一尺五寸(45センチ)の不動明王立像と伝えている。

ツツジ寺といわれている。
by gannyan1953 | 2012-06-24 23:37 | 平将門・鉄・秩父・神社 | Comments(3)
Commented by michikusa520 at 2018-08-25 16:20 x
初めまして。古墳に興味があり、仕事の合い間に見て回っている者です。
生田の丘の上にある「五所塚」と、その隣の「長尾神社」について調べていてこちらのブログを拝見しました。
(昔の記事へのコメントで申し訳ありません。)
五所塚の将門伝説は大変興味深く拝見しました。長尾神社の歩射神事で的になっている「鬼」は将門のことでは?というところ、なるほどなあ、と思いました。まさに同感です。

今後とも拝見させて頂き、勉強させて頂きます。どうぞよろしくお願い致します。
Commented by gannyan1953 at 2018-09-02 22:05
> michikusa520さん
平将門がらみの話は伝説でもちろん確かではありませんが
都筑区中川の国道246号線と東名高速道路があるあたり
「築地の土手」があり、これも古道で将門が通ったと聞いたという住民の話や、
IKEAの近くの熊野杉山神社には参籠したと伝わります。
将門さんほんとにこのあたり通っていた気がします。
Commented by michikusa520 at 2018-09-04 01:01 x
伝説・伝承という形でそこかしこに足跡を残しているとは、さすがに平将門さんですね。(私の中では将門さんと言うと加藤豪さんなのですが。)
都筑区の土手の方も、ススキの時期にでも行ってみようと思います。
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