歴史と素適なおつきあい

中川の大山道

歴史と素敵なおつきあい 番外編


「オオカミがいた有馬から荏田宿へ」

      中川駅〜百崩遺跡〜小山田谷戸〜有馬〜大山道〜
      長沢家・皆川家〜馬頭観音碑〜ウトウ坂〜老馬鍛冶山不動尊〜
      荏田宿入り口庚申塔〜鍛冶山遺跡〜中川駅



b0228416_10533510.jpg

老馬鍛冶山不動尊 霊泉


都筑区中川は縄文遺跡がいっぱい
中川駅は、ぐるりと縄文時代の遺跡に囲まれている。
駅の北には「F14遺跡」、その向こうのみどり幼稚園あたりが「F3遺跡」になる。
北西に「サントゥール中川」から老馬あたりまで大きく「F2遺跡」になる。
南はガーデンヒルズの「E5遺跡」、東は東京都市大学の「ボンゼン遺跡」である。
北東に「亀の甲山遺跡F4」(牛久保西ひかりがおか公園)、その向こうに「百崩遺跡」となり
今回は北東の百崩遺跡からはじまる。

白崩(びゃくくみ)遺跡(F5)地元の方はびゃっくみといわれる。
b0228416_110436.jpg

白崩遺跡からの眺望

中川駅から牛久保西ひかりがおか公園、住宅街を通り抜けた台地斜面にある。
概要:所在地 旧住所表記 港北区牛久保町1412・1685番地
   北と北東に張り出す尾根状台地上 現在畑地 推定2万㎡ 調査13日
遺構:縄文の竪穴住居址1・土壙(落とし穴・貯蔵穴)10  
調査:縄文時代早期の狩猟場、前期の集落址、大半は未調査
この台地から新宿、スカイツリー、東京タワー、夏の花火、川崎が見える。

小山田谷戸(おやまたやと)
b0228416_1105456.jpg

小山田講中の地神塔

港北ニュータウン区画整理のため牛久保町1182番地より、移転された地神塔。横浜に編入されたとき、すでに横浜市には山田町が存在したためヤマタという地名になったというが、古い地図に矢股と表記されたこともあり、もともとヤマタだったのか。

大山道

古代では「足柄道」といわれ、東国出身の防人たちが通った道でもある。(古東海道)そして江戸時代「矢倉沢往還」と呼ばれ、静岡のお茶、秦野のタバコ、相模川の鮎など各地の産物を江戸に運ぶ商業ルートだった。大山信仰が盛んになると、「大山道」と呼ばれ大山参詣の人で賑わった。
現在の国道246号線とほぼ重なる。246号線は、大正時代に乗り合い馬車が走り、国道に昇格したのは、昭和31(1965)年である。
伊勢原の大山は阿夫利山(あふりやま)、雨降山といわれ雨をもたらし、農耕を司る山として知られ、古代より修験道が盛んな山であった。

今回は、標高60メートル前後の有馬の山から大山道に入る。
川崎市鷺沼から横浜市都筑区の市境になる。
渡辺華山の「游相(ゆうそう)日記」に大山道のことが伝えられている。

渡辺華山

幕末の武士・画家で愛知県伊良湖半島にある田原藩の藩士だった。
のちに家老となり、藩主を支え領民に対して良政を行い、飢饉の際、餓死者をださなかったことで、幕府から表彰を受けている。蘭学者ではなかったが、蘭学者から慕われ江川太郎左衛門や、藤田東湖、高野長英らと親交がありそのため、「蛮社の獄」で蟄居、のちに藩に迷惑をかけてはと、切腹をした。
「游相日記」は、華山の主君の生母「お銀様」を高座郡早川村に訪ねる旅日記で、大山道の当時の様子を伝える大切な文献である。
それによると、華山は荏田宿の「升屋」に宿泊し、主人たちと発句をしたり絵を描いたりしていた折に主人が言うには、
「荏田宿近くの荏田城や有馬の山のオオカミが出没し、犬を食い、このために夜になると宿場も人影が途絶える」という。あと馬の市の話も聞いたという。
b0228416_9243928.jpg

大山道今昔 :金子 勤より

長沢家

このあたりの大山街道に早くから住んでいて、居酒屋をやっていた家である。
街道沿いに店ができ始めると土地の字名が店になり、それぞれ屋号で呼ばれたという。
長沢家は都筑民家園に移築された「長沢家」の分家にあたる。牛久保村で名主など努めた家柄である。
ここに、桜田門外の変のとき怪我を負った井伊家の家臣の慰霊搭がある。


  
b0228416_10454147.jpg

 
b0228416_1143640.jpg


家臣の名はわからないが、怪我をしたため、国元に送り返される途中、大山道長沢家の近くで亡くなってしまった。近くの松林に埋めたという言い伝えがある。
墓ではないが、のちに長沢家が明治19年に慰霊塔を建立した。
家と少し離れたみかん畑の中にある。私有地なので、許可なく立ち入ってはいけないので、
この画像をみてください。

皆川家  

ここに立場があった。峠なので休憩や、馬、籠の交代をした。

馬頭観音碑
b0228416_1049634.jpg
 
 
馬頭観音は、昭和まで街道沿いの竹やぶにあったという。あとで聞いた話では
この石は現在の馬頭観音碑の下に埋められたそうである。
b0228416_921953.jpg

変わりゆく古里写真集・あざみ野たまプラーザ荏田の二十五年より

ウトウ坂
b0228416_10502565.jpg


切通しにある坂、渓谷を越える坂で、全国にある坂名である。ウトウト坂、ウトウ坂、訛ってオトウ坂、現在ウトウ坂を下った右側のマンション名はオトサカである。とろとろ登るので馬子が歌を歌いながら登ったというのんびりした由来ともいわれる。

老馬鍛治山不動尊

b0228416_1051957.jpg
不動堂
b0228416_10511320.jpg
稲荷

江戸時代に新潟の高田から諦念法師が六部として厨子に入った不動像を背負って、このあたりにやってきたところ、縁あって大久保家の婿養子になった。
その不動像を祀ったのがはじまりである。
 
六部とは六十六部の略で、諸国の霊場を巡拝する修行者のことをいう。
昔は滝があったそうだが、開発後も涸れずに水が湧き出ており霊水といわれている。

鍛冶山のいわれ

登記地名は鍛冶屋である。江戸後期に大久保新蔵という人が越前で鍛冶の修行を積みこの地で野鍛冶をしていた。ところが、どこの誰ともわからない人から刀の注文を受けた。怪しんでみたものの、手付け金をもらってしまった。
刀を造るには危ないと思い、場所も精進場谷の方に借りの小屋を作り刀を作成したが、仕上がった時に手入れが入り、刀は没収、家族共々捕縛され白州で打ち首と申し渡された。ところが、奉行が憐れんだのか今後金釘、農具を打つことのみ専念するなら赦すといわれた。それから新蔵は釘鍛冶に専念したという。のちに鍛冶屋のあたりが駒沢女子短期大学の所有となり、整地したところ、金属屑が大量にでたという。

老馬遺跡(E6)

概要:旧住所表記 港北区中川町1946〜1948、1958〜1960
低い台地で、畑、山林だった。9450㎡ 調査75日
遺構:縄文の竪穴住居1・炉穴12・土壙22・弥生の住居6・方形周溝墓2

荏田宿入り口庚申搭

b0228416_10581346.jpg


江戸中期に荏田下宿の婦人たちによって勧請され平成6年に改築された
早淵川と布川が落ち合う窪地にある宿で、問屋、旅籠、油屋。足袋屋など35軒ほど軒を連ねていた。特に夏は大山詣ででにぎわった。宿に入ると秋葉講の定宿を示す常夜燈が残っている。

鍛冶山遺跡(E7)

b0228416_10512020.jpg

ゆうひがおか公園

概要:旧住所表記 港北区中川1970〜1974・1977〜1979
低い台地で、畑地。8500㎡  調査94日
遺構:縄文竪穴住居1・炉穴89・土壙5 弥生竪穴住居10・古墳竪穴住居1
   円形周溝3
遺物:縄文、弥生、古墳時代の土器,石器60箱
縄文早期の人々の暮らしがあり、古墳時代の盛り土古墳が3基あることから、近くの虚空蔵山古墳とのかかわりを示し古墳群であった可能性がある。

鍛冶山地蔵尊(中川3−30付近)

b0228416_10512796.jpg


宝永3(1706)年の銘があるお地蔵様である。江戸時代に正念寺という寺の山門前にあったという。
鎌倉街道沿いにあり、子育て地蔵として信仰があった。区画整理により移築された。
宝永4年に富士山の噴火があった宝永地震があった。できたてのお地蔵様はいっぱい灰をかぶったことだろう。

参考文献
お不動さまといっしょ:大久保太市
都筑の民俗
「亀ノ甲山・オオデラ・百崩」「老馬遺跡」:港北ニュータウン地域内埋蔵文化財報告
港北区史
中川の地名:吉野孝三郎  
港北百話:港北区老人クラブ連合会 
鶴見川・境川・流域文化考:小寺篤著・230CLUB新聞 
ウイキペデイア 
長沢家・白根家の話
変わりゆく古里写真集・あざみ野たまプラーザ荏田の二十五年より
大山道今昔 :金子 勤より 
by gannyan1953 | 2013-01-25 19:06 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)
<< 川和から荏田 なんちゃって鎌倉道 静御前の墓 >>



横浜周辺の歴史散歩
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
 金龍ははい回ったのでな..
by 唐山 at 20:27
返信遅くなり申し訳ありま..
by モワーズ at 04:25
伝説・伝承という形でそこ..
by michikusa520 at 01:01
> michikusa5..
by gannyan1953 at 22:05
> モワーズさん コメ..
by gannyan1953 at 21:56
初めまして、あざみ野4丁..
by モワーズ at 23:18
初めまして。古墳に興味が..
by michikusa520 at 16:20
初めまして。あざみ野4丁..
by モワーズ at 22:55
日韓の史料を見ると新羅は..
by Zombie at 02:22
日韓の史料を見ると新羅は..
by Zombie at 01:27
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧