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歴史と素適なおつきあい

神田明神

歴史と素適なおつきいあい番外編   2013・5・3

神田明神に厄よけのお札を返しに出かけた。

神田明神千代田区外神田2−16−2
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将門の首が江戸柴崎に落ちた。大地鳴動し人々が怖れた。
人々は首を埋めて塚とした。
神田明神の前身の社は、天平2年(730)武蔵国豊島郡江戸柴崎村(現大手町)にあった。
祭神は素戔嗚尊である。
その後も怪異がたびたび起こるので、徳治2年(1307)時宗の真教上人が
「蓮阿弥陀仏」という法号を贈り供養した。

神田明神最初の地
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これが大手町 将門の首塚である。
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この地に大蔵省があったときに多くの人が災難にあったために
建てられた供養碑
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首塚の由来

話は神田明神に戻って・・・
そして真教上人は延慶2年(1309)に近くのこの素戔嗚尊の社に祀り、
神田明神とした。
そして浅草の日輪寺で、供養した。

神田明神の移転

慶長8年(1603)徳川家康は征夷大将軍となり
江戸幕府を開き、神田明神を神田山(現駿河台)へ移した。
2代将軍徳川秀忠は、さらに元和二年(1616)神田明神を
湯島台(現在地)へ移転し江戸総鎮守とした。
江戸城鬼門の地にあたる。

お祭りの神輿は江戸城内に入ることが許されていた。

明治になって天皇に逆らった逆賊「将門」を祭神にする訳にいかず、
祭神からしばらくはずされていたが、昭和59年三ノ宮として祭神復帰した。

一ノ宮は大巳貴命(おおなむちのみこと)
二ノ宮は少彦名命(すくなひこのみこと)
三ノ宮が平将門命(たいらのまさかどのみこと)である。

訪れた日はお祭りだったので、神輿が展示されていた。
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神田明神のお守りはほとんど「神田神社」となっており、
護符に将門の名があるのみである。
将門好きにとっては
お守りにも「平将門」って書いて欲しい。
by gannyan1953 | 2013-05-06 22:57 | 平将門・鉄・秩父・神社 | Comments(0)
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