歴史と素適なおつきあい

金鑽神社

歴史と素適なおつきあい番外編        2013・8・11

金鑚神社に行ってきた
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前から武蔵六所の宮のひとつ金鑚神社に行ってみたかったので、今回川上村に行く途中に寄った。
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拝殿
金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町二ノ宮750)

奥にある御室ヶ嶽をご神体にする古代祭祀の神社である。
だから本殿をもたない。
元の遷座地は近くの元森神社である。

住所は二ノ宮、でも五ノ宮というのはなぜか。

武州六大明神は
①小野神社(東京都多摩市一之宮)
②二宮神社(東京都あきる野市二宮)
③氷川神社(さいたま市大宮区高鼻町1丁目)
④秩父神社(埼玉県秩父市番場町)
⑤金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町二ノ宮)
⑥杉山神社(横浜市緑区西八朔町)

六大明神は武蔵総社である六所の宮に祀られたもので、明治になって六所の宮は
大国魂神社となった。

金鑚神社当社創建当時の二宮として二宮神社を祀っているが、
歴史を通しては五宮の金鑚神社を二宮とする説もあるので、武蔵二ノ宮ともいう。

これは、氷川神社を武蔵一宮とする時期の二宮という意味で、
小野神社が武蔵一宮であった頃には、
氷川神社は三宮、当社は五宮であったと思われる。



金鑚神社とは

社伝によると、景行天皇の41年(111)、
日本武尊が東征に出かけるとき、叔母である倭姫命から
草薙剣をもらい、そのときいっしょにもらった火鑚金(火打石)を御霊代として、
御室ヶ嶽に天照大神と素盞嗚命を祀ったのが創祀であるという。


その後、欽明天皇2年(541)に、日本武尊を合わせ祀ったという。


延暦20年(801)に、坂上田村麿が蝦夷平定を祈願し、
永承6年(1051)には、源義家が蝦夷平定を祈願したといい、
なぜか東国平定のために皆が立ち寄ったことになる。

中世には武蔵七党の児玉党の氏神として崇敬された。
九郷用水の九郷流れといわれる地域では11社の金鑽神社がある。旱魃のとき神社の金目池から金色の龍があらわれ本庄市の東福寺まではいまわりそこから天に昇ったという。そのはいまわったところが九郷用水になったという。


金鑚とは
1火打石・火鑚金が御霊代となっているから
2金鑚とは、砂鉄を意味し、神流川で良質な砂鉄がとれ鉄の材料になった。
砂鉄の採集地を鉄穴(かんな)というが、神流川は金鑚神社の近くを流れている。
銅もとれたらしく祭神は金山彦であるともいう。

魏志倭人伝に、倭人の国の一つ「華奴蘇奴国」(かぬそにのくに)の中心が金鑚神社ではないかという説がある。(秩父歴史散歩:山田英二)^当ブログ秩父の歴史参照
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御嶽の鏡岩
鏡岩は1億年前に八王子構造線ができたとき、断層のすべり面であるという。
岩質は赤鉄石英片岩で、赤褐色に 光る岩面は、強い摩擦力により磨かれて光沢を帯び、表面には岩 がずれた方向に生じるさく痕がみられる。岩面の大きさや、断層 の方向がわかることから地質学的に貴重な露頭となっている。
甲子夜話に姿が映ると記述されている。
ここに御嶽城があった。
遠くからみても岩が光るので敵の目標になることを避けるため松明でいぶしたから赤くなった。
高崎城が落城したとき燃える炎が映った
という伝説が残る。

少し登ると
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こんな景色

あまりの暑さと蚊に退散


藤岡市 三波山清水院満福寺
立派な山門にふらふらと立ち寄った
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三波石
近くに三波峡がある。
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南蛮絵を所蔵する

この寺のお地蔵様には十字が彫られているという。
秩父に続きまたキリシタンがいたのかもしれない。金鑽神社にいく前に秩父の隠れ切支丹といわれる
西福寺に立ち寄ったところなのだが。

南蛮絵を所蔵するのはその関係からなのかもしれない。

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上野村にむかう途中琴平橋より。2013年、水が少ない

御巣鷹山

上野村に入ったが、明日は日航機墜落の慰霊の日にあたる。
私はCA(そのころはスチュワーデスといわれた)の三原真理子さんが中学時代の
友人だった。結婚して赤田真理子さんになったが。

赤田真理子さん
中学3年の学校の帰り道、
真理ちゃんが大好きだったモンキーズを
口ずさむ。
道路の石垣にもたれながらずっとおしゃべりした。

休みの日にはモンキーズが番組でしていた首飾りが
何かの景品でもらったかもしれないが
首にかけていた。

そのころからスチュワーデスになりたいから
英語は頑張るんだと言っていた。

彼女のお父さんが転勤で中学3年生で、東京に引っ越ししてしまったのだが、
成城学園の短大卒業前に、嬉しそうに名古屋に訪ねてきてくれた。
中学時代から憧れていたスチュワーデスになったと就職のお知らせにきてくれた。
あのときのニコニコ顔が忘れられない。


以前、13回忌に御巣鷹山慰霊登山をした。
実は、夢に真理ちゃんがでてきた・・・・
13回忌とわかりお参りに行く事にした
夢になったのは、夏になると報道されるので
気になってしまうせいだと思うが

近所に住む上野村出身の友人が上野村の実家に駆けつけてきてくれ、
当時の様子を消防団のお兄さんやお父上から詳しく聞いた。
友人は当時夏休みで子供たちを連れて上野村の実家に帰っていた。
ひたすら毎日炊き出しのおにぎりを作ったという。
ごはんが熱いので手が真っ赤になったという。

御巣鷹山頂上では「墜落遺体」を書いた飯塚氏の同僚と偶然話し込むことになり、
またまた当時の様子を聞いた。
ご主人は長い間御巣鷹山で捜索をし、奥さんのいる家に一ヶ月ぶりに帰った話をされた。
ようやくそのとき留守を守った奥様を連れての慰霊登山だという・・・どっと疲れた。
どっぷり御巣鷹話に浸かって、宿は上野村にした。

宿の料理がおいしく、慰霊祭のとき、毎回取材に訪れる記者たちの滞在する宿だという。
話を宿のおかみさんから聞いた。もう心はドロドロ・・・・

そのとき訪れた上野村を今回は合掌して通り過ぎた。
翌日は慰霊祭が催される。

(2015年・・・事故から30年・・・
ネットに残されたご主人とご子息の事の
コメントがあり、無事成長されていた事に安堵した
そういえばもう真理ちゃんは夢にはでてこない)


十国峠は不通なので、ぶどう峠を越えて川上村にむかった。






 

 
by gannyan1953 | 2013-08-18 14:33 | 埼玉県の歴史散歩 | Comments(6)
Commented by 優太 at 2015-09-14 21:17 x
はじめまして
この事故が風化しないように
伝えていこうと思っている
平成生まれの優太と申します。
赤田真理子さんの貴重な話を聞かせて頂き
胸が痛くなりました
それと同時に自分は世代を重ねるにつれ
【風化】しているのではないかと
感じました。
自分はブログを作成し
語る次ぐことを決めたのです。

もしよければでいいです。
お話を聞かせて頂きたい
赤田真理子さんという素晴らしき人間性を感じ取って
犠牲者としてではなく
生前の笑顔まで伝えたいと思っております。

長々と失礼いたしました。
もし気が向いてくださいましたら
どうかご協力お願い致します。

長い文で失礼しました。
Commented by gannyan1953 at 2015-09-20 13:26
優太さん!平成生まれってお若いですね?? なぜ今回赤田真理子さんのことを書き足したかというと、今年の夏、ご主人と御子息がネットにのっていました。日航関係者の負い目に負けず胸を張って生きてきましたという言葉にホッとし、つい彼女とのほんの少しの思い出を書き足したしだいです。あまりのせることにも彼女が日航関係者ということで私も躊躇しておりました。
実名をだしたこと、ご遺族に断らず勝手にブログにしたこと、今も迷っています。日本の出来事のなかでは衝撃的な事故、どうぞ風化しないようお伝え下さい。
私の内容はご遺族に了承を得ておりませんが事実です。
お使いになって構いません。 
Commented by 優太 at 2015-11-15 18:53 x
自分も見ました
とても素晴らしい方だと感じました
自分が聞いた話ですと
赤田真理子さんは乳児等を担当されていました
ミルク等にはうるさく
プロフェッショナルな方でした
ご遺体の近くには小さい子の遺体があったそうで
最後まで職務を放棄することなく
後世の模範になる方でした
赤田さんの笑顔を見れたブログの主さまを羨ましく思うほどです。

赤田の情報を知れてとても嬉しいです
また何かわかることがありましたら
yuuta7810@gmail.comまでお手数ですが
メールのほどお願い致します。《そういうのはちょっと…という場合は結構ですので…》

なぜ今こうして必死になってるのかといいますと
遺品などすべての処分が決定に近づいているのはご存知ですか?

もしそうなってしまったら
風化に繋がります。
だからこそ
一人一人を忘れてはいけないとそう思うのです。
自分は資料集を作成しています。

ありがたく主さまの情報を使わせていただきます。
本当に本当にありがとうございます‼


Commented by gannyan1953 at 2015-11-19 21:23
赤田真理子さんの情報ありがとうございました。
また夏がくると思い出すんでしょうね。よろしくお願いします。
Commented at 2016-03-18 03:26 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2016-03-18 15:59
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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