歴史と素適なおつきあい

御嶽神社 オオカミ信仰

歴史と素適なおつきあい 番外編       2013・10・12

ご眷属お犬様に惹かれ御嶽神社へ行ってきた

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お犬様 形代   愛犬の厄移し・健康成就を願って

この紙(形代・かたしろ)で愛犬をなで封筒に入れて御嶽神社に送ると厄移しをしてくださる。
朔太郎が抵抗したため少し折れたし、毛もついた。でもこのまま送る。

御嶽神社東京都青梅市御岳山176

家から車で2時間で滝本駅へ、そこからケーブルカーで山上へ。
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神代欅

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昔なつかしいおもちゃがある参道
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歩いてやっと神社へ
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これはオオカミなんでしょうか
北村西望の作で、神狗だそうだ。かみいぬ!
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資料館
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畠山重忠像



国宝・赤糸威大鎧 (あかいとおどしおおよろい)
社伝では畠山重忠が奉納した鎧で、平安後期の優れた作品である。日本三大鎧のひとつといわれる。
日本三大鎧というので調べてみたが、わからない。予測では
瀬戸内の大三島にあった大山祇神社の源義経奉納の赤糸威鎧、あとひとつは
厳島神社の伝平重盛奉納の紺絲威鎧(こんいとおどしよろい)だろうか。
それならば、これで全部お目にかかることができた!

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本殿からの景色 東京がみえる
東京守護の神社と言われる所以である。
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昼食をとった御師さんちの蕎麦屋さんの神殿
お犬様がかわいい

御嶽神社

祭神 神社の由緒を参考
櫛真智命(くしなちのみこと) 知恵・占術・学問
大巳貴命(おおなむちのみこと)大黒様・農耕漁労開運招福
少彦名命(すくなひこなのみこと)恵比寿様 福の神
廣國押武金日命(ひろくにあしたけかねひのみこと) 安閑天皇
日本武尊(やまとたけるのみこと) 九州・関東を平定     

景行天皇のときにヤマトタケルが御嶽神社に武具を奉納、そのとき「武蔵」という
国号が起こった。
天平8年(736)行基が東国鎮護のため蔵王権現を勧請した。その後戦乱で社殿が荒廃した。
平安時代の延喜式神名帳には
「大麻止乃豆乃天神社」(おおまとのつのあまつかみのやしろ)として記されている。
文暦元年(1234)大中臣国兼が霊夢をうけ、御嶽山に登り社殿を再興した。
以後修験の場として崇敬あつく慶長10年(1605)大久保長安が普請奉行となり本社が造営され
江戸城西方の鎮護の社となった。明治後「御嶽山蔵王大権現」から「武蔵御嶽神社」に改められた。


ご眷属はオオカミである。
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御嶽神社の護符


大麻止乃豆乃神は地主神だそうだ。櫛真智命と同一神と思われ天香具山の神様で占いの神である。
廣國押武金日命は、明治後に安閑天皇と蔵王権現が同一にされたことから祭神になったと思われる。
なぜ蔵王権現と安閑天皇が同一とされるのかわからない。

奈良の金橋神社のいわれである。
金橋神社
ご祭神 安閑天皇
鎮座地 奈良県橿原市
曲川町字北の垣内1143
創建は明らかではないが、明治維新前は蔵王権現と呼ばれたという。
「本朝神社考」の吉野郡吉野町吉野山の金峯神社の項に「世伝金峯山権現者、勾大兄(まがりのおおえ)広国押武金日(おしたけかなひ)天皇也」とあるが、この社地が古来、安閑天皇の宮跡伝承地といわれてきた関係上いつのころかこの地方の先人によって天皇の神霊をここにまつったとみられる。

宮跡に蔵王権現が祀られたために同一とされたのだろうか!?

廣國神社のHPにこうある。

「江戸初期の学者林羅山の著した『本朝神社考』の、吉野山の金峯神社の項に「世伝金峯山権現者、勾大兄(マガリノオオエ)広国押武金日(ヒロクニオシタケカナヒ)天皇也」と記されており、安閑天皇(廣國押武金日命)の御霊を蔵王権現と同じと考えられた。
その後に記された『和漢三才図会』(1713年)には、「然ルニ俗ニ傳ヘテ曰ク 人皇二十八代 安閑天皇崩後 至四年宣化天皇三年 現干金峯山告人曰 吾是広国押武金日◯也 仍知権現乃安閑天皇也牟」と記されているように、金峯山に現れた蔵王権現が、自ら吾は広国押武金日命(安閑天皇)なりと名乗ったと云われています」

蔵王権現が自ら「我は安閑天皇でーす」と名乗ったから。

安閑天皇の奥様は「春日山田皇女」
できる女だったようで、安閑死後、天皇になってくれるように依頼されている。
お断りをしたのだが、関東の春日部市の地名の由来に関係している。
昔々現在の春日部あたりに皇女の部民が住んでいたからだという。
確証がなかったので、今では鎌倉の春日部氏が住んだことになっているが。

結局 なぜの答えにはならなかったが、蔵王権現は私流には鉱山系の神である。
安閑天皇と鉱山の関係を紐解けば・・・・むつかしい・・・・
by gannyan1953 | 2013-11-14 11:14 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)
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