歴史と素適なおつきあい

皆神山に行ってきた②

歴史と素適なおつきあい番外編  2013.10.30

パワースポットの旅

b0228416_1112921.jpg

これが皆神山への入り口

道はせまいが車で頂上の神社へ向かう

熊野出速雄神社(皆神神社)
b0228416_1112379.jpg


どう見ても神社ではなく寺だった。
この横にある底なし沼が神秘的。もう一度画像を。
b0228416_11165411.jpg

b0228416_11165923.jpg


神社の栞から

御鎮座地
 皆神山は、長野市松代町の東南に位置し、川中島平を一望に収める絶景地である。近年 新日本百景の一つに挙げられ、松代群発地震の震源地として世界的に有名になった。形状 が円錐形の見事な独立山のため古来より霊山として信仰の対象となり、最近では世界最大 最古のピラミッドであるといわれている。標高六七九メ~トル、山麓の周囲は約八キロ、 山頂は中の峰・東の峰・西の峰に分かれている。

御祭神
 出速雄命(いずはやおのみこと)
 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
 伊邪那美命(いざなみのみこと)
 速玉男命(はやたまおのみこと)
 豫母都事解男命(よもつことさかのおのみこと)
 脇座に舒明天皇(じょめいてんのう)・古人大兄皇子(ふるひとおおえのおうじ)

御由緒
 奈良時代養老二年(七一八)出速雄神社を奉祀と伝えられる。
 中世以降修験道が盛んとなり、熊野権現を勧請、大日如来・阿弥陀如来・弥勒菩薩の三仏 を各峯に安置し熊野三社大権現と称した。
 境内社の侍従神社に鎮まる侍従大神(じじゅうおおかみ)は、佐久の内山城主内山美濃守 満久の三男下野守三郎満顕であり、十三歳にして鞍馬山に入り密教を厳修、その後各霊山 を巡り、内山氏滅亡のとき皆神山に入山、大日寺和合院宥賢と称した。後に侍従天狗坊と 名乗り、皆神山の修験を完成させた。
 弘治二年(一五五六)七月十四日入定、在りし御影を木像に写して侍従坊大天狗明王と祀 った。正親町天皇永録・元亀の間(約四百四十年前)と伝わる。
 北は戸隠、南は皆神山と修験道で長いあいだ栄え、先達和合院は皆神山八合目からうえ を領し、聖護院(京都・本山派山伏の本山)より川中島四郡(埴科・更級・水内・高井)の年行事 職を命ぜられ、更にはほぼ信濃全域の本山派山伏の支配権を得ていた。
 明治初期の神仏分離令・廃藩置県により山伏は全部が還俗、一切を上知し和合院も廃す るにいたり、出速雄命と熊野の神を熊野出速雄神社、侍従坊は侍従大神と奉斎した。

御神徳・御社殿
 主祭神である出速雄命は、当地方開拓の祖神として天下の泰平と五穀豊穣をもたらす神 として崇敬される。現在の御社殿は康応元年(一三八九)の再建と伝えられ旧埴科郡中最古 の建造物といわれる。撞木造とする古い修験道の建築に認められる特徴が残っている。
 侍従大神は「児育て・寿命・火防の神」として信仰され、この地方では子供を侍従坊の弟子 にすれば無病息災に育つといわれ、子供が生れれば一度は参拝している。また、相殿には 食物をつかさどり養蚕を守護する女神大宜都比売命(おおげつひめのみこと)を配祀する。 御社殿は、江戸時代後期の天保十四年(一八四三)起工、弘化三年(一八四六)に竣工した

神社名
 今から約千三百年前に御神明を奉祀、祈りと信仰の山として、霊験あらたかなりといわ れる皆神山に鎮座する熊野出速雄神社は、「皆神神社」と尊称され、広く崇敬されている。
−『参拝のしおり』−




富士浅間神社
b0228416_2059894.jpg

この皆神山がパワースポットと言われるなら鳥居越しに奥の浅間様を臨むこの場所がとてもいい感じだった。
b0228416_2057991.jpg

この浅間様の裏にある井戸  パワースポットらしい。磁場は不安定だった。

b0228416_211089.jpg

神社横のゴルフ場からの展望

行きに見つけられなかった岩戸神社に向かう。
中腹にあった。

b0228416_1193014.jpg
横穴の入り口
b0228416_1194140.jpg
横穴の内部
b0228416_1110777.jpg
横穴の上にあった祠

皆神山中腹、俗称「一本松」の上位にあって傾斜面に築造した横穴式石室を有する積石塚で径18メートル、高さ6・3メートルである。
岩戸神社として天照皇大神を祀る。
近年、皆神山ピラミッドの入口ではないかと言われ、その奥は謎とされている。

あとがき

皆神山は「日本超古代文明のすべて」を読んで訪れたい場所だった。
気持ちのいい神様がいそうな山だった。

この本を読んで何年か前、秋田のクロマンタと青森のキリストの墓、大石ピラミッドの旅に
行ったことがある。
大石ピラミッドで、は主人のGショックという時計が、ぐるぐる回って結局壊れてしまったが、
今回は時計が壊れなくてよかった。

参考:日本超古代文明のすべて・日本文芸社 /日本のまつろわぬ神々・新人物往来社
by gannyan1953 | 2013-12-11 21:53 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)
<< 皆神山に行ってきた① 妙義神社 >>



横浜周辺の歴史散歩
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
日韓の史料を見ると新羅は..
by Zombie at 02:22
日韓の史料を見ると新羅は..
by Zombie at 01:27
ご無沙汰しております。コ..
by gannyan1953 at 14:19
早渕川の紹介ありがとうご..
by 福富洋一郎 at 08:30
> 歴史好きさん ご訪..
by gannyan1953 at 23:57
始めまして。 阿豆佐..
by 歴史好き at 19:53
> rollingwes..
by gannyan1953 at 14:13
初めまして、ローリングウ..
by rollingwest at 16:31
できればメールでお話しし..
by gannyan1953 at 09:08
新横浜スパインクリニック..
by gannyan1953 at 18:23
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
中川から正覚寺
at 2018-06-13 15:47
江田から歴史散歩
at 2018-06-13 15:17
山崎公園の鴨の親子2018
at 2018-06-07 19:37
早稲田大学学食のレシート
at 2018-06-07 15:40
みなとみらいに行ってきた
at 2018-05-30 17:14
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧