歴史と素適なおつきあい

仙丸君裹首布(せんまるぎみかしゅふ)

歴史と素適なおつきあい番外編            2014・8・7

夏の旅行 2日目 ③ 長篠城保存館資料より

長篠城跡保存館で血染めの布の写真を見た。
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人質となり殺されその首を乳母たちが布に包んで盗み出した時の「裹首布」である。
裹は『か』と読みつつむ意味である。

奥平仙丸は奥平貞能(信昌の父)の次男で兄は長篠城主信昌である。
十歳で武田の人質になり、奥平氏が武田から離反し徳川に従属したときに
新城市鳳来寺門谷において殺害された。仙丸十三歳、天正元年(9月21日)のことである。
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晒首になっている首級に乳母は見るに忍びず、一旦岡崎の名ノ内(桜形町)に帰り
僧永順とともに隙をうかがって持ち帰った。
岡崎に持ち帰りたかったが武田の警戒が厳しく乳母の嫁ぎ先の夏山町に向かったらしい。
墓は当時の祐善庵、後に仙洞庵、遊仙寺と改まった。

裹首布は白地の絹で仙丸が人質に出た時、乳母が持って行った四ツ身という子供の白衣だと思われる。
この布は作り替えられ縦108センチ、横120センチの長方形の打敷(仏前の卓上を覆う布)に
仕立てられ、裏地として打掛の小袖が充てられている。その小袖は桃山時代のもので、華麗な花柄を
刺繍してある織物で貴重な文化財となっている。

この白布は岡崎の華蔵院に保存されてきた。明治12年旧中津藩主奥平昌邁(まさゆき)が
墳墓を修理、裹首布を収納する箱を寄進した。
布を入れた桐の箱には
一旦埋めて改めて夏山町殿カイトの遊仙寺に葬ったとある。
父は遊仙寺に十貫文を供養料として寄進している。
守り役として付き添った黒屋重吉も自殺しておりその行跡をたたえた「黒屋氏碑」もある。

現在は痛みが激しく岡崎市美術博物館に保管されている。

奥平家は武田から徳川に寝返ったことで、後々子孫は明治まで生き延びる事になる。
その証が仙丸君裹首布なのである。

岡崎市夏山は意外と鳳来山に近く岡崎中心地と鳳来山の中間あたりの位置だった。
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現在の夏山町  

今晩のお泊まりは、知多半島 内海の魚友 夕食は懐石コース
なんか違う

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私のソウルフードと思って予約したけど
勘違い

私のソウルフードは豊浜のマルハだった
今度行こう!!
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温泉源泉

海の見える露天風呂よろしゅうございました



参考:松坂昇一:仙丸君裹首布 長篠城保存館にてプリント入手









by gannyan1953 | 2014-08-16 15:30 | 愛知県三河の歴史 | Comments(0)
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