歴史と素適なおつきあい番外編 2014・12・2
今日は奥多摩むかしみちを辿る。
今日の歩行距離は35キロくらいだろうか
これが旧青梅街道にあたるが、奥多摩湖が完成したとき
旧街道はその部分湖に沈んだ。
氷川三本杉
根元から三本に分岐した珍しい木で鎌倉時代に植えられたという。
奥氷川神社
奥氷川神社祭神はスサノオノミコト・クシナダヒメ
ヤマトタケルが東征の折に祀った社が起源であるという。
貞観2年(860)旡邪志国造(ムサシノクニツクリ)の出雲族が
奥氷川神社を再興したと伝わる。
武蔵三氷川といわれ氷川神社と中氷川神社、奥氷川神社は一直線に並び、
本社、中社、奥社となっているともいわれる。
羽黒三田神社祭神は羽黒権現と穴沢天神
平将門の子孫三田氏が祀った神社
三田氏の居城は東青梅駅北にあり、勝沼城といったが、後北条氏に滅ぼされた
あとは北条氏の家来が城主となり師岡城といった。
羽黒坂を登ると右側にある。師岡城も後北条氏の滅亡で廃城となった。
横浜市の師岡熊野神社と青梅の師岡ともに
将門の関係といわれる。
当ブログ「師岡熊野神社と平将門」「青梅を訪ねて」を参照されたい。
槐の木美しい紅葉の道が続く
厳道の馬頭様
しだくら橋
牛頭観音
虫歯地蔵
河合玉堂の碑
道所橋
熊除け鈴を鳴らしながら歩く
青目不動の駐車場から撮影した奥多摩湖
ダムができる前の風景
交番と郵便局
「目の湯」が「女の湯」)めのゆ)になった
吾妻からつけられたのか
あずは製鉄地名
留浦(とづら)の太子堂
昔、歌舞伎が催された
「たばやま」に入った。山梨県だ
鴨沢の鏝絵
「お祭」は湖底に沈んだ呑竜様の祭りの事
川底から絶壁でその岩が天狗に似ているという
ひたすら歩く
突然深い谷に集落があった
洞門の柱の基がおもしろい。
耐震なのだろうか
山の上に城がみえる
丹波山城というが、昔からの城ではないらしい。
武田信玄の金山管理者が昔丹波山にいたが、
どうもこのお城はローラー滑り台をするための城らしい
のめこい温泉到着
お風呂は行って、ご飯は、鹿料理ジビエを食べた
18時台のバスに乗って奥多摩へ戻って電車で帰宅