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歴史と素適なおつきあい

ちょっとディープな市ヶ谷散歩

歴史と素適なおつきあい 
中川歴史ウォーキング24 

 2016年 10月29日(土)開催します

参加ご希望の方は中川歴史ウォーキング(クリック)

でお申し込みください
           

集合:南北線市ヶ谷駅7番出口方面改札口 9時45分

亀岡八幡宮・・浄瑠璃坂仇討ち跡・・試衛館跡・・月桂寺・・
念仏坂・・青峰観音・・刑死者慰霊塔・・自證院・・
小泉八雲旧居跡・・永井荷風旧居跡・・坪内逍遥旧居跡・・
抜弁天・・鬼王神社・・花園神社

地図
ちょっとディープな市ヶ谷散歩




市ヶ谷亀岡八幡宮

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祭神:応神天皇・神功皇后・与登比売命(よとひめのみこと)

地主神は茶木稲荷で弘法大師がこの地に祀ったことがはじまりである。
祭神は保食神(うけもちのかみ)で、食物衣服を司る神様である。

古くは病気平癒の特別な信仰があり参詣者が絶えることがなかったという。
この地の稲荷神の使いの白狐がお茶の木で目をつき
それ以来崇敬者は茶を忌み、正月3ヶ日は茶断ちをしたという。
特に眼病に効き17日または21日茶断ちをしてお参りすれば
霊験あらたかであるという。
鎌倉時代、この地は市買村といい、市谷氏の所領だった。
茶ノ木稲荷はこの地の鎮守稲荷として祀られていた。
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太田道灌が文明11年(1479)江戸城の西の守護神として
鎌倉の鶴岡八幡宮をこの地に勧請した。
鎌倉は鶴なのでこちらは亀とした。
太田道灌は扇ガ谷上杉の重臣の子で25歳で江戸城を築き
江戸のパイオニアである。
その戦いぶりは、迎撃したことはなく常に出撃していたという。
地形を巧みに利用した築城に長けていた。
出撃には農兵や足軽のゲリラ戦法で相手の守りを
崩して行く戦法だった。
そのときに使った軍配団扇が亀岡八幡宮のの宝物として
残っている。
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亀岡八幡宮文化財の紹介より



天正年間に戦火で焼失し、しばらく荒廃していたが江戸時代になって
家康、家光、桂昌院と援助をうけ、祭礼など江戸の伊達をつくしたといわれる。
祭りの参加者は旗本に使えるキリッとした若者、町奴などで
武士の娘や腰元などは、あでやかな姿で見物したという。
柳沢吉保は露店の品々を全部買い占めて露天商を喜ばせたという。
幡随院長兵衛が見初めた茶屋女もいたという。


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佐内坂方面の細道に向かうと陸軍境界標柱があった
葉っぱに隠れて危うく見逃すところだった



尾張徳川家上屋敷跡

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現在は防衛庁である。
尾張藩邸は最初は江戸城内にあったが、明暦の大火(1657)の区画整理で
ここに移転した。

明治以降陸軍士官学校がおかれ第二次世界大戦中、陸軍省、参謀本部、大本営陸軍部となり
戦後はここで極東国際軍事裁判が行われた。その後アメリカ極東軍司令部、アメリカンスクール
などになり、昭和33年(1958)返還され陸上自衛隊、市ヶ谷駐屯地になり、
現在は防衛省、市ヶ谷駐屯地(陸上自衛隊)、
市ヶ谷地区(海上自衛隊)、市ヶ谷基地(航空自衛隊)、
全部の自衛隊を管轄する統合幕僚監部など国の防衛の中枢がおかれている。
 
三島由紀夫割腹事件
ここにある市ヶ谷記念館(旧1号館)は三島由紀夫事件を起こした場所で
移築されたあとも現場は残されている。

簡単にいうと

「自衛隊は憲法改正をして、
みんなで天皇、国家を守るため
立ち上がろう・・・」

だと思う

当日戦いを訓練している自衛官は訓練で不在、
事務系の自衛官が多かったらしく
三島トークには興味を示さず
サラリーマン化した自衛隊といわれた。

2016年憲法改正のごちゃごちゃした情勢の今日
第九条の価値をどううけとめていくのだろうか。

攻められることのない、戦いに巻き込まれることのない
日本でありますようにと祈るしかない・・・
こんな不戦を主張する憲法世界のどこにもない
みんな不戦を主張したらいいのに

極東国際軍事裁判とは東京裁判のこと
辛い裁判があった場所としか言えない。
A級戦犯のうち7名が絞首刑になった。

浄瑠璃坂仇討ち跡

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忠臣蔵の赤穂浪士の仇討ちのモデルになった事件といわれる。
赤穂事件の34年前の出来事・・・
大石蔵之介はこの事件を参考にしたといわれている。

寛文12年(1672)にあった仇討ちで、江戸三大仇討ちのひとつといわれる。
あとは忠臣蔵、荒木又右衛門の鍵屋の辻で、芝居の演目となり人気を博した。

日本三大仇討ちとなると、この浄瑠璃坂の仇討ちは抜かれて
蘇我兄弟の仇討ちになる。

原因は宇都宮藩主奥平忠昌の法要で戒名の読み方をめぐる、
家老の奥平蔵允(くらのじょう)と奥平隼人の諍いがはじまりである。
母親は姉妹なので従兄弟どおしの関係だが仲が悪かったとみえる。
奥平家はもとは奥三河の国人で、長篠の戦いで活躍し家康に大切にされてきた
大名である。

刃傷沙汰になり先に斬りかかった蔵允は返り討ちにあい、
沙汰も待たずにその夜自刃してしまった。

処分は蔵允の息子は改易、隼人は家督没収追放となった。

これに不満を持った息子源八は、市ヶ谷浄瑠璃坂の鷹匠頭戸田七之助邸に
身を潜めていた隼人の消息をつかみ、火事場装束に身を調え、
40数名の仇討ち集団となって襲撃した。

見事討ち果たし自首したが、遠島の処分となり、
7年後戻ってきたところを井伊家に引き取られている。

とても赤穂浪士の仇討ちと似ており最後の処分が違っているのだが、
もしかしたら大石内蔵助は、「命は助かるかも」と
思っていたかもしれない。

この話は大石内蔵助の遠い親戚の話だった。
内蔵助の幼い頃の出来事だった。

大石内蔵助の祖母は鳥居忠勝の娘で「くま」といった。
水戸藩に嫁ぎ娘が生まれその娘が内蔵助の母になる。

その「くま」の従姉妹がこの事件の戒名の持ち主・・
奥平忠昌に嫁いでいる。

祖母の従姉妹の家の騒動だったことになる。
遠い親戚関係だが全く無関係ではなかった。

試衛館跡

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天然理心流の道場があった。と推定された場所である。
新撰組局長近藤勇の養父周助が創設した。
近藤上洛後は土方歳三の義兄佐藤彦五郎が預かり
慶応3年(1867)まで存続した。

この道場には新撰組の主要メンバーがいた。
土方歳三、沖田総司、井上源三郎、山南敬介、
長倉新八、原田左之助、藤堂平助、斉藤一らが出入りした。





月桂寺  (墓は見学不可)

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キリシタン灯籠


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臨済宗の寺で、古河公方足利氏直の子孫の豊臣秀吉の側室月桂院が
晩年寄進し月桂寺を再興した。
その月桂院の墓、柳沢吉保も檀家だったので吉保以外の一族の墓、
明治の新聞人池辺三山の墓などある。
入口近くにキリシタン灯籠がある。

月桂院
名を嶋という。
喜連川城主の正室だったが秀吉の奥州仕置きで
秀吉が宇都宮に来ると夫は嶋を置いて逃げてしまった。

嶋は宇都宮に向かい秀吉の側室となり嫁ぎ先より
実家である古河公方・・鎌倉系足利氏の再興を願った。

その嘆願により嶋の弟国友は喜連川の城主となった。

嶋は秀吉の側室のなかでは一番身分の高い側室となった。

秀吉が亡くなると家康に仕え三女振姫の付き添いとなって
会津に赴いた。この振姫、自證院とかかわりがある。

柳沢吉保は先祖が武田家臣だったので
墓は甲州市の恵林寺(えりんじ)にある。

池辺三山

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父は熊本藩士で、西郷隆盛側として戦い敗戦後
処刑されている。父は西郷隆盛のような人といわれていた。
父の友人の援助で慶応義塾に学ぶ。
のち大阪朝日新聞、東京朝日新聞の主筆となり、
朝日新聞の隆盛の礎を築いたひとりである。
夏目漱石、二葉亭四迷など入社させている。
暖かい人柄で漱石はじめ多くの人に慕われた。


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念仏坂
昔老いた僧が昼夜念仏を唱えたことからつけられた。



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坂上は元フジテレビがあり現在は河田町コンフォガーデンという大きな
マンションが建つ。

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安養寺坂を登って行く


青峰観音 市谷台町13−2

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このあたり監獄があった。
明治8年(1875)に市ヶ谷谷町監獄が移転してきた。
明治36年(1903)に八重洲の鍛冶橋にあった監獄が
東京駅をつくるためここに移転した。
市ヶ谷監獄と東京監獄が並んであったことになる。
後に市ヶ谷刑務所となり昭和12年(1937)まであった。
市ヶ谷監獄では高橋お伝が処刑されている。
東京監獄では明治44年(1911)に幸徳秋水ら
大逆事件の人々が処刑されている。
観音のあたりが首斬り場だったという。


市ヶ谷監獄がなくなってから箱根土地(現在のコクド)が
宅地にして売り出した。そこを買い取った廣部清兵衛という人が
高村光雲による聖観音菩薩を慰霊のために置いたのが青峰観音である。
戦時中観音は供出されてしまった。
今は小さな観音様が安置されている。

近くの富久児童公園に慰霊碑がある。
日本弁護士連盟による刑死者慰霊の碑である。
この場所が刑死場だったという。

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このあたり道路開発で空き地になっているところが
あるが、道路建設は難航しているのではないかという気がする。
家が建っていてそれも古い家ばかりでないのに、
立ち退きをしなければ道路はできない。


自證院



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弘安6年(1283)の銘がある板碑


日蓮宗法常寺と号していたが尾張藩主徳川光友の妻千代姫の母自證院を
弔ったことから寛永13年(1640)に自證院と号した。
寛文5年(1655)日蓮宗不受布施派の禁令により
天台宗に改宗した。寺領200石だった。
尾張藩の寄進による用材が節目が多かったため
瘤寺ともいわれる。


小泉八雲がこの風情を気に入っていたが
杉の木を切り倒す音を聞いて
いたたまらなくなり引っ越したという。

ややこしい話だが
この自證院は石田三成の娘の曾孫で振という。
春日局の養女となり通称「お振の方」といわれた。

この振の祖父は会津に嫁いだ家康三女の振姫と
藩政で対立し、振姫の家康への讒言で切腹させられている。
蒲生家の家臣でキリシタンだったかもしれない。
その前は上杉景勝の家臣だったこともあり
「天地人」の直江兼続とも懇意の仲だったという。

「お振の方」と「振姫」は別人で、生きた時代も違うのだが
ややこしい・・・そして関係があった。

先の月桂寺に墓がある月桂院はその家康三女の
振姫の会津嫁入りの付き人だった・・・

お振の方に話はもどる。

家光が男色だったので春日局の計らいで
男装し家光に近づいたといわれる。
家光最初の側室となったわけである。
家光の最初の女性はお楽といわれているが、
振の存在が知られていなかったからだという。

そして家光との間に家光の第一子千代姫を生むが、
3年後に亡くなってしまう。出産時12、3歳だったと
思われることから出産にはまだ幼すぎたと考えられている。

自證院の霊廟は明治になり流転の果てに江戸東京たてもの園に移築されている。

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江戸東京たてもの園

小泉八雲旧居

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成美学園の中にある
明治29年(1896)から六年間ここで過ごした。
東大で英語の教鞭をとっていた。亡くなったあとの教師は夏目漱石だった。
1850年ギリシャで生まれ父の故郷アイルランドで育った。
アメリカでは黒人女性と結婚している。2年で離婚。
日本に特派員として訪れ日本の印象が忘れられず再来日した。
松江で日本人のセツと結婚し、熊本、神戸と転々とした。

再話文学として有名で昔話に興味を持ち小説を書いた。
怪談で有名である。
ダブリンで過ごしたとき、父の言うキリスト教より、
ドルイド教に興味を持っていたという。
アイルランドは妖精の国といわれるが、その風土が
ロマン、幻想的な小説になったと思う。

私が今までで一番怖かった話が
小泉八雲の幽霊滝の伝説である。
小学生のころラジオの朗読劇で聞いた。

このあと青峰観音に戻って

永井荷風旧居跡

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現在ダルクになっている

銀行員として渡仏して帰国後明治41年から
10年間ここに暮らした。

慶応大学で教鞭をとりながら作品も書いていた。
腸が弱く「断腸亭」という離れを造ったという。

「我が家は山の手のはずれ。
三月、春泥容易に渇かず。
五月、早くも蚊に襲われ、
市ヶ谷のラッパは入相(夕暮れ)の鐘の余韻を乱し、
往来の軍馬は門前の草を食み、塀を蹴破る。
昔は貧乏御家の跋扈せし処、もとより何の風情あらんや。」

と当時の様子を書いている。




坪内逍遥旧居跡

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明治22年(1889)〜大正9年(1920)めでこの地に居住した。
早稲田大学で教鞭をとっていた。

抜弁天

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応徳3年(1086)奥州平定のためやってきた源義家が宿営した地。
このあたりでは高い土地で富士山も見えるといわれ、
南北に鳥居があり抜けられるから
源義家が苦難をくぐり抜けたから
など抜弁天の名の由来が伝わる。


鬼王神社

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承応2年(1653)戸塚の諏訪神社境内の福瑳稲荷を
勧請し、大久保村の鎮守稲荷とした。
その後、熊野の鬼王神社から勧請した鬼王権現を合祀して
今の鬼王神社となった。

平将門は幼名鬼王丸といったので
その関係をいわれるが由緒に関係は
書かれていない。





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鬼の水鉢



鬼の頭に手水鉢をのせた水鉢は
天保4年(1833)に奉納された。

水鉢の伝説
昔加賀美家にあった。
文政のころ(1800年代)水の流れる音がして
音の源はこの水鉢だということで
鬼を斬りつけた。
その後、水音はなくなったという。
斬った刀は「鬼切丸」だそうだが、
現存しない。

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かえる石
なでて念ずると願いがかなうという。

 花園神社

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徳川家康開府のとき新宿の総鎮守として創建された。

何度も焼失するが不死鳥のようにまた復活する姿を
縁起のいい神社と親しまれている。

現在外国人観光者に占拠されている感もあるが、
人ごみ、喧噪の歌舞伎町のほっとするスポットである。


東京都の歴史散歩(中)





































by gannyan1953 | 2016-08-24 16:17 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)
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