東海七福神めぐり 江戸を守護する二大他界ゾーン 品川編
中川歴史ウォーキング36 2018・1・20(土)
東海七福神めぐり 江戸を守護する二大他界ゾーン 品川編 もうひとつの千住編はこちらを↓ マイ東海七福神スタンプラリー
東海七福神は品川が東京市に編入された時、 その繁栄を願って創設された
七福神めぐりをしながら品川宿に残る幕末日本を感じましょう 土方歳三や竜馬の足跡も辿って、最後に鈴が森刑場跡を訪れます 以前訪問した「小塚原」と、対をなす「鈴が森」を 「江戸を守護する二大他界ゾーン」と名付けました
集合:9:45 京急「北品川駅」改札口 北品川駅・・『寿老人』一心寺・・『布袋尊』養願寺・・『大黒天』品川神社・・ 『恵比寿』荏原神社・・『毘沙門天』品川(ほんせん)寺・・ 『福禄寿』天祖諏訪神社・・『弁財天』磐井神社・・大森海岸駅 約8キロのコースで くたびれてしまっても大丈夫 京浜急行の駅がすぐあります 土蔵相模跡 江戸時代から旅籠「相模屋」があり土蔵相模といわれた。 御殿山のイギリス公使館焼討ち事件の首謀者高杉晋作。 久坂玄瑞、伊藤博文など幕末志士が密議をした妓楼である。 桜田門外の変の浪士もここから出発している。 戦後は「さがみホテル」となりフランキー堺主演「幕末太陽傳」のロケに使われた。 このあたりは赤線地帯だったが今、面影はない。
問答河岸の碑 沢庵和尚は紫衣事件で出羽に流罪になった。 紫衣とは・・朝廷から高僧に紫色の法衣などを賜ることで朝廷の収入源のひとつだった。 慶長20年(1615)江戸幕府は禁中並公家諸法度を定め、 みだりに紫衣を与えてはいけないとされた。 これに反し朝廷は紫衣を与え幕府がそれを阻止したという事件で、 幕府が朝廷よりも上に立ったということを示した事件である。 その後家光は大赦で許された沢庵と接見し沢庵は家光の信頼を得た。 この河岸に家光を迎えた沢庵とのエピソードがある。 家光「海近うして 東海寺(遠海寺)はいかに」 沢庵「大君にして将軍(小軍)と称し奉るがごとし」 その後家光は沢庵が開基した東海寺を何度も訪れた。 近くの「居残り連」は落語「居残り佐平次」に登場する店である。 古今亭志ん朝の落語をYouTubeで聞いてみたが面白かった。
利田神社(加賀田神社) 寛永3年(1626)東海寺の沢庵が弁財天を勧請した。 安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけ 南品川の利田吉左衛門により開発され利田新地といわれた。 寛永10年(1798)に暴風雨で品川沖に迷い込んだ鯨の供養碑がある。 品川の港は鎌倉時代には出入りする船から帆別銭をとって、 円覚寺の造営費に当てられた。江戸時代には貝や多くの魚、海苔養殖と栄えた漁師町だった。 鯨はさすがに穫れる場所ではなかったので、 見たことも仕留めたことのない漁師たちが大勢で囲んで、 迷い込んだ鯨を仕留めた。 沖合につないだので船で見に行く人も増え、 とうとう将軍様にお目見えすることとなり、芝の浜御殿までひっぱって将軍に見せた。 その後品川にもどってきたが、腐り始めたので入札で払い下げられ解体した。 その頭部の骨がここに埋められた。 鯨はまれびと(漂着するもの)とされ死後儀礼をする文化があった。(鯨と捕鯨文化史:森田勝昭)
御殿山下台場砲台跡 台場小学校に幕末の防衛のために築かれた品川台場のひとつである。 資金不足のため海岸沿いに五稜形の砲台が築かれ、 154門の大砲が備えられた。 膨大な費用を使って築かれたが、大砲が火を噴いたのは試射の時のみとなった。 灯台は明治3年(1870)に第二台場に造られた品川灯台(現在明治村)のレプリカである。 埋め立てられたが周囲は道となって五角形がわかる(好奇心いっぱい心旅) 辿ってみたが本当に五角形に道が残されている (好奇心いっぱい心旅)より 一心寺 寿老人 真言宗智山派で安政2年(1855)後に大老となる井伊直弼の開山と伝わる。 本尊は不動明王。 養願寺 布袋尊 正安元年(1299)創建、汁慶が寛文年中に中興した。 本尊は虚空蔵菩薩で空海作と伝わる。 ロケに使われる 小泉長屋 公園の碑 井戸 寛文4年(1664)に旗本板倉主税の抱地になった地で その後祐心の所持となり百姓地になった。 寛延(1748〜50)のころ小泉屋金左衛門の所持となり長屋を建てた。 今もレトロ感があり、あちこちに井戸がある。 品川神社 大黒天 文治3年(1187)源頼朝が阿波から勧請し品川大明神といった。 北条高時が稲荷神、太田道灌が素戔嗚尊を祀った。 徳川家康が関ヶ原の戦勝祈願をしたことから社紋は丸に三つ葉葵とし、 家光の頃東海寺の鎮守となった。 明治になって東京鎮護の神社となった。 立派な双龍鳥居や備前焼の狛犬、富士塚は景色がいい。 富士山に向かって合掌。
パワースポットと言われるところは一粒萬倍の泉で稲荷の奥にある。 天と地の恵みを祀りお金を洗ったり、 霊水を持ち帰って家を清めたりする。 洗ってみました♫ 洗ったお金は隣のお稲荷さんのお賽銭に使いました 陶製の狛犬 板垣退助の墓がある。
正徳寺 「サチのお寺ごはん」のロケ地。 雷豆腐がお気に入りで簡単でおいしい。 水を切った豆富を油でバリバリ炒め、ネギや天かすを加え、 醤油、好みで砂糖を加える。だしつゆが簡単。
品川本陣の跡 東海道1番目の宿で大名や公家などが宿泊した本陣跡である。 跡地は公園となって明治元年(1868)に明治天皇が行幸の際の 行在所(あんざいしょ・天皇の休憩,宿泊)となったことから聖蹟公園とよばれる。
荏原神社 恵比寿 和銅2年(709)丹生川上神社より高龗神(たかおかみ・水神)を勧請し、 長元2年(1029)に伊勢より天照大神・豊受大神を、 宝治元年(1274)に京都八坂より牛頭天王を、 康平5年(1062)に源頼義、義家が奥州征伐の際に当社と大国魂神社に参籠した。 今でも大国魂神社の神職はくらやみ祭の際、 当社に参詣し品川の海で禊をする。 以後源氏、上杉、徳川と信仰が続いた。 明治になり品川貴船社から荏原神社になった。 狛犬は江戸ぼたんと言われとても美しいと評判である。拝殿の屋根の龍も美しい。
品川宿問屋場 (金子ビル)正面左 継立業務を行う宿場の役所で建物内には人馬の荷物の重さを 検査する貫目改所も設けられた。 幕末の「江戸うちこわし」はここからはじまった。 慶応2年(1866)米価高騰のため近くの本覚寺境内に農民が集まり、 墓地裏の火防稲荷から太鼓を持ち出し打ち鳴らし、 むしろ旗を掲げて気勢を挙げたという。(しながわ観光協会) 2017年に終了したジョージ秋山のマンガ 「浮浪雲(はぐれぐも)」は品川の問屋場の話である。
江戸時代の護岸遺跡 海岸線の跡
畳 松岡 安永8年(1779)創業の畳屋で仙台藩下屋敷のお抱え職人から現在は7代目である。 神社、料亭、旅館がお得意様で江戸千家御用達である。 建物は大正6年に建てられ浜風を防ぐ形をしている。
品川寺(ほんせんじ)毘沙門天 大同年間(806〜810)弘法大師しより創建され 本尊は観世音菩薩(水月観音・聖観音)である。 弘法大師が東国にきてこの地の領主品河氏に 水月観音を授け代々600年伝わった。 足利と上杉の戦いで品川氏は滅び町の人々に守られてきた。 太田道灌が持仏の聖観音といっしょに観音堂に安置した。 永禄9年(1566)武田信玄の北条攻めで焼失、 水月観音は甲州に持ち出されたが持ち出した武士が発狂したため戻された。 帰国した梵鐘 江戸六地蔵 江戸時代になると徳川家の庇護を受け大梵鐘、 江戸六地蔵といわれる地蔵菩薩も寄進された。 明治になり廃仏毀釈で梵鐘は海外に搬出したが、 大正8年(1919)スイスジュネーブのアリアナ美術館にあることが確認された。 昭和5年(1930)ジュネーブより返された。
幕府御用宿 釜屋跡 新撰組土方歳三宿泊 建場茶屋は旅籠より安価であったためよく繁盛したといわれ、 とくに釜屋は本陣同様の門構えで幕府関係者が多く利用した。 釜屋と歳さん 歳さんは元治2年(1865)3月21日午後、 隊士募集で江戸に下りここに到着している。 4月27日新人52名を引き連れ京都にもどった。 慶応4年(1868)1月10日鳥羽伏見の戦いで破れ、 負傷者とともに富士山丸で天保沖を出航、 1月14日横浜に入港。負傷者を横浜の病院に入院させ、 15日品川に到着した。 すぐに歳さんは近藤、沖田につきそい和泉橋医学所に行く。 江戸城に登城、報告し横浜の入院費用に100両を準備、 会津藩より2000両を受け取り、 先に順動丸で釜屋に宿泊していた隊士たちに手当が支給された。 隊士たちは1月23日元日向高鍋藩主秋月右京亮邸(三菱UFJ銀行本店)に移動。 2月12日から上の寛永寺大慈院で謹慎中の徳川慶喜の護衛についている。 3月1日に甲陽鎮撫隊として甲府に向かった。
なかなか粋な家のそばにあった山田君 続けてあった山田君 浜川砲台跡 商店街にある龍馬さん 土佐藩の抱え屋敷(個人で購入)があったため土佐藩も砲台の築造をした。 そのとき坂本龍馬が警備をしていたことから 20歳の龍馬像や砲台がつくられた。
浜川橋(涙橋・泪橋) 鈴ヶ森刑場で処刑される罪人を護送する時親族たちが見送った橋といわれる。 村松友視の小説「泪橋」の舞台である。
天祖諏訪神社 福禄寿 神明宮と諏訪社は海に面し立会川をはさんであった。神明宮は天祖神社で平安時代、 諏訪社は江戸時代といわれる。昭和40年にいっしょになった。 カッコいい家があった 家の方が写真とっていいよと言って下さった 浜川神社なるもの発見 入ることはできない 何か・・怪しい 調べたら 修験道寺院として天明頃(1781-1789)に 厄神大権現を祀り創祀、 明治維新で神社となり浜川神社と称した 現在先ほどの天祖諏訪神社が管理 怪しくなかった・・・ところが 了善という人が羽黒修験となり、 自宅に厄神大権現を祀ったのが当社の始まり 江戸城大奥の女中や、諸大名から篤い尊信を受けていた 天保13年(1842)に了善は町奉行鳥居甲斐神のために穽られて 流罪となった 嘉永3年(1850)放免、 嘉永5年(1852)に了善の孫大野良顕が再興 明治維新の神仏分離の際に当社は神社となって浜川神社と称し、 良顕が還俗して神職となって奉仕した。 元来地元の鎮守でないため氏子がなく、 信徒が各地に散在し講を結成している 信徒が特に多いのは、東京湾を隔てた対岸の房総沿岸地域で、 木更津から佐貫、鴨川にかけての漁村の人々の信仰を得ている 江戸期には祭日にこれらの人達が舟で東京湾を横断して 当社の前に上陸し、 その日当社に参籠して翌日 高尾山に参拝登山したといわれている 「品川区の文化財」より) やっぱり変わった神社だった 鈴ヶ森刑場跡 海近くに老松があったので一本松と言われたが、 磐井神社の社に鈴石(振ると音がする)があったため 鈴ヶ森といわれるようになった。 鈴石とは鳴石、高師小僧の類いである・・・ 褐鉄鉱で中の感想した粘土が遊離し音がする。 慶安4年(1651)に開設、 10〜20万人の罪人が処刑されたといわれている。 近くの海で水磔も行われたという。 丸橋忠也と八百屋お七が処刑された台石 最初の処刑者は丸橋忠弥とされる。 丸橋忠弥・・由井正雪の乱の首謀者の1人である。 関ヶ原の戦いが終わり浪人が多くなり召し抱えられないことへの不満が ご政道への否定につながり乱が起きた。 平井権八・・同僚を殺害し逃亡するが吉原の遊女と懇意になる。 金品目的で130人の人を辻斬りしたという。 遊女小紫は目黒で自害し目黒不動の前に比翼塚がある。 天一坊・・徳川吉宗の御落胤と名乗り吉宗が否定したため処刑された。 八百屋お七・・火事に会い疎開先で知り合った僧に恋し、 また会うために火付けをしたと処刑された。
磐井神社 弁財天 敏達天皇(572〜585在位)のころ創建、 貞観元年(859)に武州八幡社となった。 応神天皇を祀る。境内社に笠島弁天が祀られる。 「三代実録」に徳川家将軍の参詣が記されている。 万葉集の 「草陰の荒蘭の崎の笠島を見つつか君が山路超ゆらむ」 の笠島は、 磐井神社の笠島弁天のことだと大田区教育委員会は言っている。 宮城の名取愛島という意見もある。 笠島はどこも弁財天と関係するという。 磐井の井戸 磐井の地名となった井戸があり、東海道を行く人々の喉をうるおした。 清水であれば心正しい人、塩味がすれば悪しき人といわれる。 鈴石について 磐井神社で聞いてみた・・・ 鈴石と鳥石はいまでもあり、大切に祀られている。 鈴石の大きさは手で形を教えて下さった 想像より大きくサッカーボールより大きい 高師小僧ではないと思う。そんなに大きな高師小僧はないと思う。 あったあった 写真拝借 大田区史 資料編 (大森町界隈あれこれ kan-haruの日記より)
by gannyan1953
| 2017-11-05 12:02
| 東京都 歴史散歩
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