歴史と素適なおつきあい

旧羽田町を訪ねて

歴史と素適なおつきあい    2018・3・9(金)



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穴守稲荷が現在の空港にあったことがわかる


集合:9:50 京急空港線「穴守稲荷」駅

穴守稲荷駅・・コンちゃん・・鴎稲荷・・赤レンガ堤防・・羽田の渡し・・
玉川弁財天・・福守稲荷・・五十間鼻無縁仏堂・・大鳥居・・白魚稲荷・・
駅前地蔵尊・・天空橋・・穴守稲荷駅前ランチ・・穴守稲荷



羽田の歴史

羽田の漁師は平治年間(1159)に7人の落人からはじまりと伝わる

中世から猟師が定着し小田原北条の水軍だったとも伝えられる
天正18年(1590)までは小田原北条の家臣
行方与次郎という武士の支配地だった

江戸時代参勤交代の船橋、大坂夏の陣には軍船となった
漁場は多摩川河口で大量の栄養が流れてくるので
絶好の漁場だった

干潟が大きく貝が豊富だった
江戸時代元禄の頃田んぼが増えて猟師町にも
農家が増えてきた


羽田の地名の由来は
海に接する場所をハネというから
陶土が出るところを植田(はねだ)というから
などいわれる

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玉川弁天社 広重

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羽田の渡し 広重
広重の羽田の渡しの絵にある常夜灯は弁天社のもので、
龍王院が岸部に竜灯を灯した

海の龍神の火である

玉川弁財天の玉は宝珠のことで
奥多摩日原山に弘法大師の建てた大日堂があり
そこから湧き出る泉の中から宝珠が湧き出て
多摩川を流れ羽田の水中で光っていたという

高野山系の聖が多摩川上流からやってきて
そして定着して龍王院を建てたという話になる

穴守稲荷はそのずっとあとの話で
現在空港のあるところは昔要島といった

浅瀬で新田開発のため干拓された
天明年間に名主鈴木弥五右衛門という人が
海岸に出張っていた洲を開墾したのである
文化12年(1815)完成しその守護のため
稲荷を勧請したという

明治になって穴守稲荷は神社に昇格し
海により近い場所に位置し人々の
信仰が流行していくことになった



穴守稲荷の裏にはきつねの穴があるが
田山花袋は
穴の向うの土手に立って

「大都会の呼吸を聴くような響きがかすかに海を伝って響いてくる」

「東京近郊に縁起が古い訳でもない稲荷が屈指の
流行神になったということは
不思議な現象である」


戦後すぐの強制退去
戦後羽田空港を接収したGHQが
昭和20年9月21日1200世帯の住民に対し
48時間以内の立ち退きを命令した
住民は有無を言わせぬ命令に無念だったことと思う
補償があったのかはわからないが、

当時の羽田は小学校、神社、海水浴場、鴨猟場
競馬場があり賑わっていた

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明治18年(1885)穴守稲荷が勧請され今の空港の位置にあった
明治35年(1902)年蒲田からの電車が通り行楽地となった
大正6年(1917)日本飛行学校ができた
昭和4年(1929)国策会社の日本航空輸送が運行を開始(2年間は立川発着)
昭和6年(1938)東京飛行場開設 羽田空港の歩みが始まる



海苔の養殖も盛んで戦後のGHQの強制移転で
海苔業者は転職を強いられた
このとき都内に17組合4190人の関係者に
330億円の補償金が支払われた


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コンちゃん
おはようございます





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ここ羽田は山田君いっぱいいます


鴎稲荷  祭神:宇迦之御魂命


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創建は鳥居に弘化2年乙巳年3月吉祥日と刻まれていることから

弘化2年(1845)と思われる

鴎が多く大漁の兆しとして祀られたことから

鴎稲荷神社といわれた



赤レンガ堤防

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大正から昭和にかけて多摩川の治水工事で

つくられた堤防である


羽田の渡し

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太子橋
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羽田の渡しの碑


羽田漁師町(大田区)と上殿町(川崎)を渡る「羽田の渡し」があった
約80mの距離で「おーい」という声が届いたという
徳川家康が狩りにきて1人で渡し場にきた
船頭は家康とは知らず馬の鐙を取ったという
2、30人乗れる船で魚介や農産物、衣料品など運んだ
賑わいをみせていたが昭和14年大師橋ができ、廃止された
昭和30年頃までは佃煮業者が多く存在した

正蔵院

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羽田神社
小田原北条の頃牛頭天王を祀ったことから創建された
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登れないが富士塚あり
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凍っています
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山田君





玉川弁財天

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玉川弁財天



弘法大師が護摩の灰を固めて自ら製作したご神体があるという
龍王院が別当寺で上の宮と称した
要島(現在の空港の地)の新田開発で下の宮としてこの地に弁天社が
勧請された
厳島、江ノ島と玉川は日本三大弁天といわれたという
ちなみに普通にいわれる日本三大弁天様は
厳島、江ノ島、竹生島の弁天様である
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水神社



戦後の退去命令により、下の宮に遷し現在に至る
登録は水神社になっている

ちょうど5月11日は祭礼の日で船の渡御だろうか
漁業関係者がスーツを着て現れた
お昼にはあなごの天婦羅を配るそうだ

この日野ランチは穴子の天婦羅
口に入れた時あっと思い出した
ここに戻れば無料だったのに・・・

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福守稲荷
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もしかしたら私有地にあるお稲荷さんかも
現在修理中


松前健著「稲荷信仰」に大田区史から調べられたこの稲荷について
書かれてあった

もとは一軒の地主がいたが没落し
大正時代ここに住んでいた4軒に分割売却された

それからその4軒で守られている
一軒だけが祀るとその家だけが繁盛するので
4軒の真ん中に祀られることになったという

5月に再度訪れたらきれいに直しが入っており
大切に守られている気がした




五十間鼻
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90mの実感ができない
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なんだか怖い
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏


洪水防止のため長さ五十間(約90m)石を敷き詰め
急流から岸辺を守るために作られた
関東大震災、空襲など死体が多く流れ着き
五十間鼻無縁仏堂が建てられた
今では初日の出を見る人で賑わう場所である

大鳥居
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弁天橋を渡ると移された大鳥居がある


戦後すぐの9月のGHQによる強制移転で
穴守稲荷は現在地に遷された
この土地も土地の人の寄付によるものである
ところが、元の社殿など壊していくが
鳥居だけは事故など起こり、壊すことができない
そのまま平成まで空港内にとどまっていた
祟りの鳥居とか呪われた鳥居などと言われていた
航空関係社は、事故が起こらないようお参りするようになったという

取り残された穴守稲荷の鳥居は
平成11年(1999)ようやく現在地に移転された
移転費用は有志からの2000万円で行われている
強制立ち退きで現在の所有者が、判明していないからである
平和の扁額は羽田ボランティアの会が掲げたものである

今ではパワースポットとして多くの人が訪れている



白魚稲荷神社 祭神:宇迦之御魂命

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漁師が白魚を奉納する習わしがあったことから
称された
創建年代は不明だが旧羽田猟師町の成立した頃
1600年代(正保から元禄)と考えられている
貝の業者のあと砂利の業者からも慕われている

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飛行機から見える場所にあった看板の廃墟
いまは沖合に滑走路が延びたのでこの看板を飛行機から
見ることはできない
さびついてさびしい


天空橋
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色が茶色
ラピュタのイメージなし


駅名は日本一かっこいい駅名といわれたこともあるが、周囲に
民家もなくもとは羽田空港駅だった

現在は京浜急行とモノレールが接続されている

以前私も天空のラピュタを想像して訪れたことがあるが、
京急線は地下の駅で外に出たら殺風景で
そのまま空港まで誰1人歩いていない道を歩いた
行き着いた場所は研修センターとかで電車に乗って
羽田空港ターミナルに行くしかなく
ある意味面白い場所である

川にかかる天空橋は昔地下に潜る前の
京急線で行楽地に向かう路線だったところを
人道橋にしたという

飛行機好きにはたまらない橋だという
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鉄橋らしさは感じる
飛行機とんだけど遠い!
飛行機見学には向いていない
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京急が地下を潜る前の羽田空港駅前のお地蔵さん


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山田君

天空橋こえると人家はなく
消防署があっただけ


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天空橋から穴守橋渡って穴守稲荷にむかう
飛行機の操縦の練習台だったそうだ
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再度5月に訪れた時ここにある会社の社長さんが
中を見せてくれ
操縦席に座ることができた

天井までびっしりの機械に驚いたが

操縦士2人+機関士がいたことがよくわかる

今じゃこの種の飛行機は飛んでいない

ってこの飛行機御巣鷹に落ちた飛行機と同じ種類だ・・・

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食事処はなく穴守稲荷駅周辺しかなく駅まで戻った
商店街の
居酒屋さんランチ
680円
コーヒー飲み放題サービス

美味しかったです

このランチは下見の時

当日はみんなで穴子の天婦羅食べました
割烹旭



穴守稲荷  祭神:豊受姫命

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名主鈴木家が自宅に勧請した稲荷があった

天保の初めか文政の末か、
堤防決壊の危機にみんなで堤防にあいた穴を塞いだ

被害を食い止めたのは稲荷を祀ったからに違いないと
鈴木家だけでなく地域の信仰の対象になった

穴とは堤防に開いた穴のことで
遊女たちは性病から守る神として信仰があった
稲荷を勧請したのは土手に穴を開けるネズミ退治に
お稲荷さんのきつね様をお連れしたかったからだという

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迫力の面構え



社殿は明治になって暴風雨で壊れたため再建したが
温泉もわき、潮干狩りができ、旅館や芸者の置屋もでき
大変な賑わいを見せた

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いい雰囲気です
鳥居をくぐると
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奥宮です
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役目を終えた鳥居ですかね
ここに御神砂があり自分で袋に詰めます
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いただきました
雪が溶けたら・・庭にまきます







神社がパワースポットと言われるのはお砂のことで
いただいたら、床下や新建築の土地の中央におくという

いわれは

昔々漁から戻って釣った魚を入れるかごを
見ると釣った魚がいません
わずかな砂があるだけです

こんなことが続き、きっと穴守稲荷のきつねの仕業と思い
捕まえてみたもののきつねを放しました

それからその漁師は大漁が続きかごにあった砂を
家にまいたところ大変な富を得ることができました

それから招福の徳にあやかろうと穴守の砂を求めるようになった
といわれます

奥宮の後ろにまたお稲荷さん
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伏見稲荷のミニチュアみたい












羽田空港半世紀の歴史

蒲田・羽田の歴史

大田区HP

猫のあしあと

東京都の歴史散歩 中:山川出版



by gannyan1953 | 2018-01-24 16:51 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)
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